棘-とげ-  

ひろり

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それから…

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 重い引き戸を開けると、そこに薫が立っていた。
 時間ときが止まったように微動だにせず柳田を見つめる薫は、再会した日とは違っていた。
 目を見開きゴクリと唾を飲み込み、息を止めて、じっと柳田を凝視している。

「来るなって言わなかったっけ」
 ようやく絞り出すように言葉を発する。
「お前にもう一つ聞きたいことができた」
 椅子を引いて座ろうとすると、
「もう話すことは何もない。帰って… もう二度と来ないで」と冷たく言い放つ。

「酒、ぬるめで。あとおでん… 大根と煮たまごと白滝。多めの辛子を付けてくれ」
 柳田がどっかと椅子に腰を下ろした。
 薫のふっくらした唇がかすかに振るえている。
 諦めたように徳利を手にした時、重い引き戸がガラガラと開く音がした。

 薫の手から徳利が落ち、耳を刺すような破砕音が響く。
 薫の視線が開いた引き戸で固まっていた。
 その視線の先を追うように柳田が立ち上がろうとした時、薫の右手がぬっと伸び柳田の手首をつかんだ。

 柳田が乱暴に薫の手を振り払い、引き戸に立つ男を見た。
 長身で体格の良い男が立っていたが、すぐにきびすを返す。
「待て!」
 追いかけようとする柳田の背中に向かって、
「私、アンタの子供を生んだ!」と薫が叫ぶ。

 一瞬、柳田は立ち止まるもすぐに出て行こうとすると、引き戸の前にがたいの良い男が立ちはだかった。
「どけ!」と柳田が男の胸ぐらをつかむと、男が後ずさり柳田の腕をつかんで激しく抵抗する。

「乱暴はよして。もう洗いざらい何でも話すから… お願い… 慎司」
 カウンターから出て来た薫が落ち着きを取り戻し諦めたように言うと、柳田の手をつかんで振りほどいた。
「さっき出て行った男は… お前の父親だな。鼻筋が通ってお前によく似ていた」

ねえさん… こいつ生かしといていいの?」
 男は敵意むき出しで柳田を睨んでいる。
「バカ、アンタは人を助ける医者でしょ」
「医者? ヤクザにしか見えないな」
 柳田が男を一瞥して鼻で笑う。

「医者は人を助けることもできれば殺すこともできる」
藤堂とうどう! いい加減にして。この男はアンタが取り上げた子供の父親だよ。バカなこと言うんじゃない」
 気が抜けたように薫が椅子に座ると「もう、疲れたわ」と呟いた。

「俺の子供って?」
「気がついたらいたの」と、腹を指す。
「慎司が赴任する前にしばらく会えないからって… まさか最後に過ごした夜にできちゃうなんてね」
 薫が力なく笑う。
「その子を一人で育ててるのか?」
 柳田の言葉に薫が首を横に振った。

「免職になってからしばらく精神的に壊れちゃってさ、とても育てられる状態じゃなかった」
 薫が自嘲の笑みを見せた。
「でも、普通の環境で育てたかった。私、祖父母を両親として育って良かったと思ってるから。生まれた子供も普通に両親そろってるほうがいいかなと… その… ごめん」
「なんで謝る。俺には何も言う資格もないのに」

 長い沈黙の後、薫が覚悟を決めたように柳田を見た。
「あなたの言う通り、あの男は私の父親。自殺したのは父の子分だった男。癌を患ってて保険証や免許証を貸してた。ご想像の通り、組のフロント企業で海外との麻薬取引をやってて、父はそれを横流ししてた」
「私腹を肥やすためじゃない!」
藤堂が怒気をはらんだ声で、横から口を挟んだ。
「俺たちみたいな親が死んだり、捨てられたりしたヤクザの子供を育てるためにやってたんだ」

「母は娘を育てられなかったけど、代わりに親のいない子供たちを立派に育ててた。いよいよ横流しがバレそうになった時、子分だった男が自殺してくれたのよ。どうせ、1か月も持たない命なんだからって」
 薫は柳田を見て弱々しい笑み浮かべ、「これが私が知ってるすべてよ」と呟くように言う。
「小堺由美が昔、お前の父親から薬を買ったと言ってる。まあ、薬中の言うことだから流されるだろうが」
「一度だけ父のほうから接触したのよ。もう二度と会うなと怒ったけど… 由美には悪いことしたと思ってる」
 柳田がフンと鼻を鳴らす。
「あれは自業自得だ」
 しばらく間を置いて「会えるかな… いつか」と呟く。
「誰に?」
「いや… 何でもない」
 柳田は薫に優しく微笑み、「元気で」と一言言うと店を後にした。


 数か月後、柳田は金銅幸三の事務所にいた。
「あなた、この挨拶状、あて先不明で戻ってきたわ。」
 清香に渡されたハガキを、柳田はしばらく見入っていた。
「支援者は大事だから調べましょうか?」
 清香の言葉に、柳田は首を横に振った。
「現職の時に何回か行っただけのおでん屋」
 柳田はハガキを破り捨てた。
「おでん屋さんにまで退職と転職の挨拶状出すなんて律儀ね。でもそういうの大事かも」
 上目遣いでニッコリ笑う清香に柳田も優しく微笑み返した。


終わり

最後まで読んでいただきありがとうございました。
心から感謝いたします。
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