17 / 69
後手(1)
しおりを挟む
「一体、どんな手を使った?」
早翔を見るなり、向井が度数のある銀縁メガネの奥の目を細めて言った。
新店舗のことで京極に会いに来ていた向井が、VIPルームに陣取って酒を飲んでいる。
「何のことですか。もう用事は済んだんでしょ。うちは女性同伴でないと男性は入店禁止なの。とっとと帰ってください」
向井はフンと鼻で笑って酒をあおる。
「蘭子から離婚に向けた話し合いをしたいと相談された。原因はお前だろ。年上の女をたぶらかして… 引っ掻き回されてこっちはえらい迷惑だ」
「うわ、アルマンドなんか飲んでる。これ自腹ですか」
早翔はとぼけた調子で聞く耳を持たない。
「いいか、よく聞け。あの夫婦はうまくいってないように見えて、微妙な均衡で釣り合ってるんだ。お前みたいな若僧には理解できない、大人の複雑な世界があるんだよ」
早翔がおもむろに向井に視線を合わせた。
「若僧でも、蘭子さんが今、幸せかどうかぐらいはわかるけどね」
眼鏡の奥の無表情な目が、早翔を冷たく見据えている。
「幸せだろ。湯水のごとくホスト遊びに金使って、楽しい人生だ。女はまず金だ。愛なんて金が前提で芽生えるもんだから」
「向井さん、会社乗っ取りでも考えてるの?」
向井の顔が一瞬気色ばんだが、すぐに表情を戻し、ゆっくりとグラスを口元に運ぶ。
「人聞きの悪いことを言うな。企業法務に携わる者として、オーナー企業のこれからを視野に、様々に思いを巡らせているだけだ」
唇をゆがめ、半笑いで細い目をさらに細めて早翔を睨み付ける。
「それとも何か? お前の親父の会社は乗っ取られたとでも思ってるのか」
早翔の動きが凍り付いたように止まり、向井を凝視する。
「なんだよ、その顔。蘭子の部屋に出入りしてる若僧は、一応調べられるのが当たり前だろうが」
向井はシャンパンをグラスに注いで早翔の前に置く。
「まあ、飲めよ」
早翔の止まった息がようやく吐き出され、向井から視線を逸らした。
別に会社が乗っ取られたとは思っていない。ただ、自分達家族が被っている損害に比べ、会社は名前を変え、父親の右腕だった人を代表に据え、従業員たちも誰一人辞めることなく働いていることに、釈然としないものが残っていた。
「経営にノータッチだったオーナー親族が、社長が死んだ後、しゃしゃり出てきて会社の健全な部分までダメにする。中小企業ではよくある話だ」
そう言って、早翔の肩に手を掛けたが、その手を払い除ける。
向井はフッと柔らかく笑った。
「ちょうど事業拡大を計ってた時に亡くなったんだってな。まあ、弁護士も悪い。いきなり財産放棄をするよう迫ったら、お袋さんだって誰も信用できず敵だとみなしても仕方ないから」
早翔が驚いたように目を見開き向井を見る。
「財産放棄のタイミングを逃したんじゃなかったの」
「どんなに無能な弁護士でもそれはない。お袋さんが財産放棄を拒否して、相続手続きを進めた」
早翔は唖然として宙を見る。
「まあ、お袋さんも息子に引き継がせるまで、何とかしようと必死だったんだろう」
気遣うような優しい口調が早翔の胸に響く。
「だけど、いきなり素人が口出しするような会社、しかも無関係の自分の親族まで役員にして、完全に会社幹部を敵に回した。親父さんと頑張ってきた幹部連中にしたら、何とか会社を守りたいと動くのは当然だ」
早翔が目の前のシャンパンを勢いよくあおった。
一瞬、頭にキーンと鋭い痛みが走り、しばらく俯き目を閉じる。ゆっくりと顔を上げ、虚ろな目を何度か瞬かせる。
「取引先が一斉に手を引いて、このまま行けば倒産するしかないから、売れるうちに会社を売ったほうが損害も抑えられると言われたって… そう聞いた」
それは暗い寮の廊下の電話口で、母から告げられた言葉だった。
「誰の差し金か… 陰謀に巻き込まれた…」
憎々しげに幹部や弁護士の名を上げていた。
早翔を見るなり、向井が度数のある銀縁メガネの奥の目を細めて言った。
新店舗のことで京極に会いに来ていた向井が、VIPルームに陣取って酒を飲んでいる。
「何のことですか。もう用事は済んだんでしょ。うちは女性同伴でないと男性は入店禁止なの。とっとと帰ってください」
向井はフンと鼻で笑って酒をあおる。
「蘭子から離婚に向けた話し合いをしたいと相談された。原因はお前だろ。年上の女をたぶらかして… 引っ掻き回されてこっちはえらい迷惑だ」
「うわ、アルマンドなんか飲んでる。これ自腹ですか」
早翔はとぼけた調子で聞く耳を持たない。
「いいか、よく聞け。あの夫婦はうまくいってないように見えて、微妙な均衡で釣り合ってるんだ。お前みたいな若僧には理解できない、大人の複雑な世界があるんだよ」
早翔がおもむろに向井に視線を合わせた。
「若僧でも、蘭子さんが今、幸せかどうかぐらいはわかるけどね」
眼鏡の奥の無表情な目が、早翔を冷たく見据えている。
「幸せだろ。湯水のごとくホスト遊びに金使って、楽しい人生だ。女はまず金だ。愛なんて金が前提で芽生えるもんだから」
「向井さん、会社乗っ取りでも考えてるの?」
向井の顔が一瞬気色ばんだが、すぐに表情を戻し、ゆっくりとグラスを口元に運ぶ。
「人聞きの悪いことを言うな。企業法務に携わる者として、オーナー企業のこれからを視野に、様々に思いを巡らせているだけだ」
唇をゆがめ、半笑いで細い目をさらに細めて早翔を睨み付ける。
「それとも何か? お前の親父の会社は乗っ取られたとでも思ってるのか」
早翔の動きが凍り付いたように止まり、向井を凝視する。
「なんだよ、その顔。蘭子の部屋に出入りしてる若僧は、一応調べられるのが当たり前だろうが」
向井はシャンパンをグラスに注いで早翔の前に置く。
「まあ、飲めよ」
早翔の止まった息がようやく吐き出され、向井から視線を逸らした。
別に会社が乗っ取られたとは思っていない。ただ、自分達家族が被っている損害に比べ、会社は名前を変え、父親の右腕だった人を代表に据え、従業員たちも誰一人辞めることなく働いていることに、釈然としないものが残っていた。
「経営にノータッチだったオーナー親族が、社長が死んだ後、しゃしゃり出てきて会社の健全な部分までダメにする。中小企業ではよくある話だ」
そう言って、早翔の肩に手を掛けたが、その手を払い除ける。
向井はフッと柔らかく笑った。
「ちょうど事業拡大を計ってた時に亡くなったんだってな。まあ、弁護士も悪い。いきなり財産放棄をするよう迫ったら、お袋さんだって誰も信用できず敵だとみなしても仕方ないから」
早翔が驚いたように目を見開き向井を見る。
「財産放棄のタイミングを逃したんじゃなかったの」
「どんなに無能な弁護士でもそれはない。お袋さんが財産放棄を拒否して、相続手続きを進めた」
早翔は唖然として宙を見る。
「まあ、お袋さんも息子に引き継がせるまで、何とかしようと必死だったんだろう」
気遣うような優しい口調が早翔の胸に響く。
「だけど、いきなり素人が口出しするような会社、しかも無関係の自分の親族まで役員にして、完全に会社幹部を敵に回した。親父さんと頑張ってきた幹部連中にしたら、何とか会社を守りたいと動くのは当然だ」
早翔が目の前のシャンパンを勢いよくあおった。
一瞬、頭にキーンと鋭い痛みが走り、しばらく俯き目を閉じる。ゆっくりと顔を上げ、虚ろな目を何度か瞬かせる。
「取引先が一斉に手を引いて、このまま行けば倒産するしかないから、売れるうちに会社を売ったほうが損害も抑えられると言われたって… そう聞いた」
それは暗い寮の廊下の電話口で、母から告げられた言葉だった。
「誰の差し金か… 陰謀に巻き込まれた…」
憎々しげに幹部や弁護士の名を上げていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる