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第一章

12 妖精様はよく食べる

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「・・・・めっちゃ綺麗になったな」
「なりましたね。最後の方になるまで途方に暮れましたけど、終わって良かったです」
「・・・ありがとうございます」


紅野エリカによる冬華の家大掃除が始まってから数時間が経過した。
結局のところ、午後の休みを全て使ってしまった。前にエリカが一人でした時は2、3時間で終わったらしい。
何故今回はここまで時間が掛かったかというと、原因は冬華にある。
冬華の要領の悪さが掃除に手間をかけさせたのだ。
思ったよりも難航した掃除はようやく終了し、気がつけば8時を回る時間となっていた。
流石に今から夕食の準備となるとかなり時間がかかる。

だがその分かなり綺麗になった。数時間前とは比べ物にならないほど綺麗になっていた。
散らかり放題だったリビングには塵一つなく、足の踏み場もなかった冬華の居室は清潔感漂う部屋へと生まれ変わっていた。


流石に疲れたと思い、ソファに座りながらエリカを待っていると、ふと机の上にあったチラシが目に入る。

「何見てるんですか?」

チラシを眺めていると、トレイを持ったエリカが机にコーヒーを置きながら話しかけてくる。

「いやなんでも。・・・まさか掃除にほぼ1日かかるなんてなと思って」
「それはそうですよ。あれだけぐちゃぐちゃだったんですから・・・星川さんの要領の悪かったですし」
「はっきり言うなよ。悪かったって」

妖精様こと救世主であるエリカには頭が上がらないので上っ面の態度では平伏する。
ここまでしてくれたエリカをコーヒーを飲みながらちらりと見る。

コーヒーの甘さがちょうど良く、滅茶苦茶好みの甘さだと思いながら。

態々貴重な休みを返上してここまでしてくれたのだから、何かするべきなのだろうと思うが、実際何をしていいものかと考える。

彼女は隣で「まったく」と悪態を吐く。
不機嫌そうなのは見られず、寧ろどちらかと言えばしてやったりというような達成感が感じ取れる。
しかし、やはり小柄で華奢な彼女に無理をさせてしまったので顔には疲労が見られた。

こんな状態の彼女にこれから夕食を作らせるというのも気が引ける。
この家には今大した物はない。あるにはあるが、料理の手間をさせてしまうのは変わりない。
かと言って自分が作るのもいいが、今から作るというのもめんどくさ過ぎて作る気にもならなかった。

手に持ったチラシを見て考え込む。
やはりこの手しか思いつかず、手に持っていた一枚のチラシをエリカの目の前に突き付ける。

エリカは驚いたようにそのチラシを受け取り眺める。
そう、先ほどから冬華が眺めていたのはピザの広告だ。

「もう今から作るのも大変だから今日は出前を取るぞ。流石に今日は奢る。今日なんて滅茶苦茶手伝ってもらってるし、この間の礼もすんでないしな」
「でも私は・・・・」
「一緒に食べたくないよアンタとは。なんて言うんなら、一枚だけ頼んで持って帰れ」

自分と一緒に食べるなんてごめんだ、なんて言われたら何気にショックではあるがそうであるなら一枚持って帰ってもらえばいい。それだけだ。これはあくまで労いの為のものなので、一緒に食べることはさして重要ではない。
だから冬華としては、一人で食べても全く問題ないのだ。

だが、エリカから帰ってくる言葉意外なものだった。

「勝手に決めつけないでください。・・・一緒に食べるのは構わないのですが、ピザの出前とか頼んだことなかったので驚いただけです」
「え、ないのか?今時としては出前は結構頼むやついると思うのだが」
「だって一人暮らしで自炊をしてればピザなんて出前しようなんて考えつきませんよ。・・・作ろうとは思いますが」
「いや待て。なんで作るって発想になるんだ」

普通はピザを食べたいと思ったら出前か、外食のどれかであろう。もしくは冷凍の物を食べるかの発想となる訳だが、態々生地から作ろうなんて考えつく人間は少ないだろう。

普段から料理をしてる奴の発想だな、と心の中で成程と納得する。
そういう所の論点が少しズレてる気がするよな、妖精様も。そんなことを思いながら苦笑する。

「別に出前取るなんておかしくないだろ。俺は大体めんどいからピザの出前か、エナジードリンクだし、それかファミレスだな。もしかして・・・・ファミレス・・・」
「もしかしなくても行ったことないです。ご友人に誘われはしますけど、勉強などで忙しかったのもあって」
「そりゃ珍し。俺は大抵1人か友達と行くけどな。お前の両親とかとは外食しなかったんだな」
「・・・・うちは、親戚達が作ってくれてましたので外食なんてする必要ありませんでしたから」
「へぇ~、結構家裕福なんだな」

代々続く家柄のお嬢様と言われれば納得しそうな言い方だった。

実際エリカは何処か日本人離れしたような雰囲気はあったし、動きの所作も丁寧で、所持している持ち物はどれも上等な物ばかりだ。
品がある雰囲気がそれを物語っているので、むしろその確率は高いだろう。

まぁでも、可愛げがない事は変わりはないが。

当の本人はというと、冬華の言葉にサファイア色の瞳を曇らせて、うっすらと微笑んだ。

「確かに。お金持ちといえばお金持ちですね。他の家に比べれば裕福でしたよ」

自分は最低だと思った。多少揶揄うつもりで言った一言が、まさかここまで追い込めてしまうとは思わなかったからだ。
エリカの微笑みが自慢するようなものなら良かったのに、帰ってきた微笑みはまるで自分を憐れめるような微笑みだったのだ。
さほど親しくもない相手にずけずけ言われるのは失礼だろう。

「まぁでもいいんじゃないか?偶には出前を頼むのも。この際いろんな事を経験してみればいいさ。ほら、好きなの頼めよ。言っとくけど、遠慮とかしなくていいからな」

今の自分に、訳を聞くなんて事は出来ないし、する気もなく、話の腰を折り念を押すかのようにチラシを見るよう促す。
念を押したのは恐らくだがエリカが遠慮をするだろうと思ったからだ。
だが、遠慮されても困る。なにせ今日は一日掃除に付き合ってくれたのだから、色々気にせず気になった物を食べてもらいたいからだ。

家の事情の方の話は一旦横に置いておく。
というかそこまで気になる程でもないので、話してもらう必要はない。

横目で見るエリカはピザのチラシを見てサファイアの瞳をチラつかせていた。
今日の疲れを取るためにピザを頼んでリフレッシュしてもらおうと思ったが、思いの外乗ってくれて安堵している。

学校では作り笑いというか、仮面を被って演じているエリカだが、この時だけは何処かすごく生き生きしているのが分かる。

(意外と楽しみなのか?・・・まぁよかった)

チラシを見て吟味しているエリカは暫くして、チラシを指さして「じゃあ、これとこれとこれが良いです」と、控えめどころか多く頼んだので萎縮する。
エリカが指を指したのは4種類の味が楽しめるピザをそれも3つも欲しいというのだ。遠慮するなとは言ったが、頼みすぎではないだろうか。
エリカが「ダメですか?」みたいな窺うような瞳でこちらを見てきたので、黙って折れた。無言で頷いて了承すればほんの僅か瞳が輝いた。

(まじで楽しみにしてるんだな。さて、俺もどれにするか決めねぇと)

冬華はチラシを受け取り自分が食べたい分を決めて携帯電話を片手に取り、チラシに載っている電話番号ではなく別の場所にかける。


『はいもしもし。・・・・どうしたの冬華君?もしかしてピザの出前かな?なんでも言ってね。すぐに作らせて届けるから』
「うん。ありがとう、ひろちゃん。じゃあ俺がいつも頼んでるやつと。後一緒に、4種類のピザのやつ三つ頼むよ」

電話に出たのは、物静かな声だが、活気ある話し方の女の子だった。
名前は広野泱こうやひろ。かなり前から交流を持っている女の子であり、今年中学2年になった13歳である。

元々は冬華の実家の近くのピザ屋だったのだが、訳あって引越し、そして偶々冬華の通う学校が泱の引っ越し先だった為、よくピザを頼んでいるのだ。

因みに普通にお店に電話をすれば普通に頼めるのだが、泱が自分に直接電話してきて良いと言ってきたので遠慮なくそうさせてもらってる。
冬華の両親と泱の両親も仲がいいので快く了承してくれている。

『分かった。すぐ頼むね、1時間もすれば届けれると思うから待っててね』
『おう。いつもすまねぇな。ありがとう』
『でも、今日は結構量多いね?友達でも来てるの?』
『・・・・』

友達。その一言を聞いて押し黙ってしまう。エリカとは多少なりとも関係を持っただけで、友達言えるほど親しいわけではない。
断言はできないがまだ友達と呼べる段階ではない。

「・・・あ、ああ。友達が来ててな。だから結構量いるんだよ」
『分かった。じゃあ待っててね』
「おう、了解」

そう言って電話を切ってエリカの元に戻る。
それから1時間もすればピザが届いた。

かなりの量を頼んだので、ピザだけで机いっぱい埋め尽くしている。
机に置かれた色取り取りのピザを見て、やっと買ってもらったおもちゃを見るような目で見ている。

なんだ、そんな顔も出きるんじゃねぇか。と片肘をつき感心していると、じっとこちらを見て食べていいんでしょうかと言わんばかりに見てくるので、黙って頷きどうぞというジェスチャーを取る。

キラキラとした目をしながらピザを一枚取り口へと運ぶ。チーズが思いの外伸びたようで驚きわたわたしていると口元にチーズが付き、「あつっ」と唸った。

それを見てたいへん可愛らしいと思い口元を隠して笑ってしまった。
それには気づかず一心不乱にピザを口に運んでいく。

まるで猪か熊だなとさえ思った。
まぁここまで外見だけ可愛らしく、内面は警戒心剥き出しのビーストなんてのは想像がつかないというか、誰も思うまい。

更に手掴みで食べているのに食べる所作には品が感じられる。
この所作だけでエリカがお嬢様だと確信できるが、それ以前に教育の賜物なのだろうと思う。

冬華はチーズたっぷりのピザをゆっくりと食べる。
冬華はよく食べる方ではある。しかし、余程お腹が空いている時にしか大食いはしないし、基本的食が細いのでガツガツ食べたりはしない。基本的には。

一方エリカの方は見た目の割には、そして女の子にしては本当によく食べる。一体どこにあの量が入っているのだろうと疑う所だ。

だが今日は一日中掃除をしていたのでお腹が空くのは当然のことではあるが、それでも食べ過ぎな気がする。

日頃からあれだけ食べて少しも太っていないのだから、日々から健康などには気を遣っているのだろう。

「・・・・何か?」
「んや、美味そうに食べるな~と」
「・・・あまりじろじろ見ないでください」

見られている事に慣れていないのか、楽しそうに食べていた顔がそっぽを向いてしまった。
その動作は一見可愛いものではあるのだが。

だが今の彼女は嫌そうに眉を寄せて可愛げがない。

「お前ってさ、ホンマに可愛げねぇし可愛くない」
「なくて結構です。今更あなたに可愛げのある美少女なんて肩書きつけられても困ります。それに学校の態度で接しても気味悪がられるでしょう?」
「まぁ確かに、学校のお前より今のお前の方が見慣れてるしな。それに、あの妖精様は思いの外疲れそうだしな」
「・・・・・」
「ん?どした?」
「いえ、学校での態度を疲れるなんて言われたの友人達以外に居なかったので・・・」
「ふ~ん」

エリカが意外と思い驚いたのは今までそんな事を言ってくる人間がいなかったからだった。まぁそれもそうだろう。
エリカとは今までと、この一ヶ月まともに関わってこなかったのでハッキリとは言い難いが、皆に等しく優しく一寸の隙もない笑顔と姿を学校中の連中が讃え奉っているのを遠目で見るのだ。
正直あれを見ていると宗教かと突っ込みたくなるほどには、目立つのだ。
しかし、今の彼女はいつもの学校の顔ではなく愛想のないつんとした態度でかなり悪い部分、と言うより素が垣間見える。

本来のエリカは多分こっちの顔で、いつもの妖精様としての顔とスイッチを入れ替えているのだろう。良くやるものだと、ピザを一枚平らげて思う。

「俺は今のお前の方が見慣れてるし見てるだけで疲れないからいいけどな」
「・・・・そうですね、可愛いくない方が貴方は好きそうですしね」
「いや別に可愛げない方が好きという訳では・・・とういかかなり根に持ってるな。いや単に学校でのお前は仮面を被って話してるみたいだから、何考えてんのか分んねぇんだよ」
「主に授業中の内容と献立と読みたい雑誌の発売日などその他諸々ですね」
「お前・・・やっぱり少しズレてるとこあるよな」
「私は至って真面目です、ズレてません。星川さんはたまに見かけるといつも寝てるかぼーっとして本を読んでいるかのどちらかしかしていないじゃないですか」

冬華はエリカに対して思った事を言ったのだが、エリカは真面目にそのままで捉えてしまい、更には冬華に対しても反論を返してきた。幸せそうにピザを食べていたのに機嫌を損ねて眉を寄せて睨んでくる。

「まぁ真面目なのは分かってるけどさ、ほんとに何を思いながら話してるんだろうって思うんだよ。学校じゃな?」
「いけないんですか?」
「別にそこまで言わねーけどな。処世術だろ?色々事情あるんだからダメとは言わんよ。可愛げがないのは確かだが」
「可愛げがなくて結構です。これは子供頃からそうだったので貴方に文句言われる筋合いはありません」
「へいへい、そりゃあ悪ぅございました」

最後に残ったピザの耳を口に放り込み、もう一枚ピザを取りながら冬華はやれやれと思う。
幼い頃からの癖なのであれば、今更矯正しようとしても無理であろう。

だがあまりにも彼女が他人から求められたのではなく、自分の意思で【理想の女の子】であろうとしているのが、見ていて分かる。

そこまで頑張る必要があるのか。と、聞きたいところではあるのだが、今は目の前に初めてのピザの余韻の方がいい息抜きになるはずなので、敢えて追求はしないでおく。

「・・・けど偶には息抜きするんだぞ?何でもいい。普段やらない事をやるのも息抜きだ。俺も何かしらあったら手伝ってやるよ」
「・・・・星川さんはその前に家の中の綺麗なまま保つ事を努力してください。貴方の生活は見ていてハラハラするので落ち着きません」
「そりゃすんませんな」

ピザを食べながら大きく肩を竦めればエリカは面白そうに小さく笑っていた。
因みに、あのあとピザを全て食べ終わった後エリカが、「まだお腹空いてますからさっきのピザ5枚頼んでください」と衝撃発言をかましてきたので驚きつつももう一度頼んだ。泱には「俺がお腹空いたんだ」と誤魔化してピザを持ってきてもらった。
その5枚のピザもあっという間に食べてしまったので、とんでもない胃袋をしていると認識した。
エリカはよく食べる。この事実が今日一印象に残りすぎてその日中々眠れなかったのはエリカには内緒だ。
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