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1章コモンセンス

第6話コモンセンスオブアンダーワールド

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「エルが死んだ?」

「英雄に殺られたよ。たぶん、アールのタレコミのせいじゃないかな」

「……今、か。まあ、計画に支障はねえか」

「ドライ過ぎでしょ。部下なんだから、もっと動揺しなよ」

「そろそろ、騎士の出方が気になるな。アールを泳がせすぎたか?」

「ウチの情報は薄く広く渡ったんじゃない?」

「奴らが深く知って動き出す前に、ケリをつけないといけないか」

「アールを殺る?」

「いやアイツは後でいい。まずは英雄さんへ報復といこう」

 アールが情報を騎士へと流しているという事実はエーによって早期に発見された。エーには『遠耳』という能力があり、現代でいうポリグフ検査を機械なしで行うことができる。一般的にポリグラフはウソを発見すると知られているが、実際はある事実を認識しているかどうかを検査している。
 例えば、「最近、騎士が見回りをしている」という大きな話題を与え、何故見回りが行われているのかという具体的な話題に移っていく。「王都からの命令」「タレコミがあった」「騎士の身内が被害にあった」などそれらしい因子を与えてゆき、「タレコミがあった」というワードに反応すれば、認識していると判断でき、その張本人もしくは、関係者だというところまでたどり着くというわけである。

 アールが反応を見せてもそこでは処断せずあえて泳がせたのは、転生者を引き入れるためであり、その中に英雄がいれば万々歳。そうでなくとも、英雄がこちらを討とうと出張って来たならば、それも悪くないと考えていたからだ。

 転生者が転生者の存在を知るとどうするか、大きく2つの行動に分かれる。
 1つ目が、距離を取る。それも、生半可なものではなく、相当な距離を取る。例えば領地を変えたり、国を出たりするのだが、この世界ではなかなか難しい。手続きがややこしいとか、事務的な話ではなく、そもそも他領へ出入りすることが難しい。ましてや国境を跨ぐなんてことは、一部の人間を除いて不可能。しかし、金さえあればどうにかなる程度なので、頑張って出奔することが選択肢にあがるわけだ。

 2つ目が、転生者へ近づく。むしろ距離を詰め、交流しようとするわけである。これは単純に文化や思想、生きてきた世界など、共通する点が多いので、そのコミュニティに属したいという想いからの行動である。

 CSOUに転生者がいるのだと、アールを泳がせることで餌をまいたのだ。
 当然、ただの転生者ではなく、極悪非道やら、キチガイやら、サイコパスやら何かしらの冠がつくだろうことは想像できるが、それも織り込み済みである。
 清廉潔白な模範的常識人に訪問されても、邪魔だし殺す手間がかかるからだ。

 まいた餌に釣られるか、それとも逃げ出すか。どちらでも構わないが、とにかく転生者が社員となることを期待していた。だが、まったく成果は出ない。

 騎士に流れる情報、つまりアールが持つ情報は多くない。個々人の能力については当人が言っていなければ知らないはずだし、商売についてもクライアントや金額などは教えていない。
 酷い犯罪や、理不尽極まりない犯罪、高頻度で起きる犯罪というのは、市民に対して恐怖心を植え付けるが、騎士にとっては正義を燃やす燃料にしかならない。だからアールが知るであろう情報はエーがしっかりと管理していたし、社員にもそう伝えていた。
 マフィアのと協定も一因だが、社員達に"趣味"を自重させているのは、そういった理由からだった。

 そしてもう一人、情報を絞っていた人物がいる。アールと交友の深いエルである。彼の性格を考えれば十中八九、情報を渡していると踏んでいたための措置である。そして、今回殺されたのは。
 アールか騎士かは判らないが、エルに利用価値がないと判断したのだろう。
 この判断が何を意味するのか。
 情報の確度が低くCSOUとの対決を諦めたのか、それとも、検挙に足るとしたのか、はたまた戦争が近づきつつあるため一時的に、疑いようのない犯罪者であるエルを仕留めたのか。
 どちらにしても、騎士側が何らかの決断をしたであろうことは容易に想像がつく。

 騎士から社員へと翻る転生者はなく、騎士側も何らかの行動を起こすようなので、もはやアールに用はない。

「ちなみに、情報の受け渡しの担当は誰だかわかるか?」

「頻繁に会っていたのは、あの英雄だけど、具体的に誰かまでは分からない」

「ふーん。よし、報復でいいな。エヌ、エイチ、ヴィーを呼べ」

「……全員呼び出しじゃないの?」

「目立つだろ。全面戦争ってわけじゃねえんだ。少人数で殺る」

 エスは布団を剥がし起き上がると、布団の上に放りだされた服を頭から被り、ズボンに脚を通した。

「私も行っていいでしょ?」

 寝転びながらタバコをふかしていたエーは、腰紐に苦戦するエスを手伝うために起き上がった。

「ふー。来てもいいけど、戦いには混ざるなよ。そうだな、援軍が来ないか索敵しててくれ」

「分かった。じゃあ後でね」

「ああ」

 足取り軽く去ってゆくエスを見送ると、エーはベッドへ倒れ込んだ。煙を取り込み吐き出すだけの機械のように、暫く漫然と天井を眺めながら考えていた。

 英雄は強い、と言われている。そして、市民の偶像である。そんな彼らに、タレコミの精査など任せるわけがない。アールが頻繁に会っていたという英雄は、おそらく独断だろう。マフィアとの抗争に発展した例の事件の騎士も、あの英雄らしいから、間違いない。それはつまり、国を相手にしなくてもいいのだ。
 英雄を殺せば、国は動くだろう。しかし、今ではない。数日なのか数週間なのか数ヶ月なのか、英雄の死を皮切りに徹底的な捜査が行われた後で、国を相手にすることになるだろう。だが、そうはならない。英雄を殺した後、証拠を消すからだ。

 アールを泳がせたこと、社員たちが暴走したこと、国家間の戦争が起きたこと。運も大いに味方したが、英雄が辺境までやってきた。そして、一定程度の情報も得られた。

 やっと、英雄の能力を観察できる。やっと、本気で試すことができる。やっと、一歩進むことができる。

 わざわざ回りくどい真似をしてきた成果がやっと実を結んだのだ。

 たわわに実った果実をもぎり口に入れる様を想像するだけで、エーは笑顔を抑えきれなかった。


 オーランド市西部、ブルッフーヴァ王国との国境を持つジャルシム地区に居を構えるCSOUの一階には社員とエーが顔を見合わせていた。

「要するに、私は治療と追跡をすればいいんだね?」

「そゆこと。万が一に備えて頼むわ。先に言っとくけど、金は多少払うから気合い入れてくれよ」

「おう」
「はいよー」

「ボクは何をすればいいんですか?」

 少年ヴィーは不安など一切感じさせない、まっさらな笑顔で尋ねた。これから家族でピクニックにでも行くとでも勘違いしているかのような、ハツラツとした笑顔で。

「ずいぶん余裕だな。恐くねえのか?」

「楽しみです。社員になって初めてのお仕事ですから」

「そうか。お前は英雄から能力を貰え。それだけでいい。実戦でどれだけやれるか見てみたい」

「分かりました。頑張ります」

 握り拳を作って見せたヴィーは問題ない。エヌもエイチも肉弾戦の経験があるから心配はない。残る一人が問題だ。 

「イー、お前は呼んでねえけどな」

「ヴィー君に万が一があってはいけないので、私も参加いたします」

「あんまり手の内を晒したくねえんだよ。だから帰ってくれ」

「少年が危険になった時だけ、能力を使うとお約束します。どうです?」

 アールによって社員達の素性は割れている。だが、細かい能力まではバレていない。戦闘に際してどこに目や耳があるかわからないのだから、できるだけ露出する情報は小さくしたかった。

「まあ、そういうことなら。あ、金は払わねえぞ」

「ええ構いません」

「じゃあ行くか」




 ジャルシム地区西部にはヒリヒリした緊張感が漂っていた。騎士といえども人間なのだから、だらけることもある。だが、戦争が近い今となっては、すべての行動が命と直結する。
 前線となる国境沿いの民家は跡形もなく、その代わりに魔法を掻い潜るための塹壕が掘られ、そこから5キロほどの前線基地の周りにある鉄条網が侵入者を阻む。
 その周囲には商気っいた人々がたくましくも店を構えていた。粗食になりがちな騎士達の腹を満たすのは、食堂だったり、レストランだったり。休日に一息つくならカフェが良いだろう。人肌恋しくなれば娼館がある。CSOUのある歓楽街ほどではないなしろ、吸い込まれて行く騎士や水兵達をみれば、寡占状態の店々はそれなりに稼いでいるようだ。

 前線基地を望める通り沿いのカフェテラスにて、エーと社員達は一時の喫茶を楽しんでいた。

「エスはいないのね。いつも会長にくっついているのに」

「アイツには別の仕事を与えてある。けど、もしかしたらこの辺にいるかも、な」

 コーヒーカップを片手にキョロキョロとあたりを見回すエー。

「いないわよ。あたしが確認したもの」

「そうか。ちっ、それにしても遅えな。何時もならこの時間に出てくるはずなんだが」

 視線の先には基地の入り口があり、二人の門番が仁王立ちで威嚇していた。

「会長、アレじゃね?」

 エヌが顎を向けた先に視線を移すと、5名の騎士を従えた女騎士がいた。燃えるような赤い長髪に同じ色の鋭い目、エヌと同じくらいの身長で、身に纏う鎧は艶のある白っぽい銀色。一般の騎士とは明らかに違う装いが、この地にあってひときわ目を引く。

「アレだ。情報と違うな」

 エスから聞いた情報では、この時間に基地から出て、見回りを行うという。日が昇る明るい時間は、騎士としての仕事があるため、夜が始まる前に基地から出てくるはずなのだが。

「まだ動かず様子を見よう」

 戦地に赴くにしては豪華な馬車が、大きな通りを引き返していくと、赤髪の彼女は真っ直ぐに基地入り口へと向かって行った。
 一般の騎士たちは英雄だと分かるやいなや、直立で頭を下げた。この国の力の象徴である四英雄、拝めるだけで奇跡なのだから本来なら騒ぎになって、もみくちゃになるであろう。しかし、ここが前線で英雄が投入されていることは周知の事実。しかも2年ほど経った今では、皆いたって冷静であった。

 赤髪の英雄は恭しく頭を下げる門番に近づくと、言伝を託し踵を返した。

「何だって?」

 エイチの問いかけにエーは答える。

「8時までには帰るから王都の情勢は後で、と将軍に伝えてくれ、とさ」

『遠耳』で得た会話の内容を伝えると、エーは立ち上がった。

「さあ仕事だ。片付けるぞ」

 スコーンが入っていたお皿の下に三千円相当の紙幣を挟むと、通りに出て騎士の後をつける。
 この通りを数百メートルほど進むと、小高い山があり、道を挟んだ山すそには農村がある。風光明媚な田舎町で、立ち止まることなく通り過ぎるものが殆どの場所。
 騎士や商人が殆どのこの通りでの追跡はかなり目立つのだが、彼女らの巡回ルートを考えれば問題ない。
 いつもの巡回ルートなら田舎町をぐるりと周り、山の中を魔法で一通り確認すると歓楽街へと足を進めるのだ。

 騎士たちは通りから、一塊になった民家の間へと入っていった。それを確認したエーは立ち止まる。

「もう一度確認だ。アイツらが山に入り次第エヌは取り巻きを、ヴィーとイーは俺が指示を出すまでエイチのそばにいろ。分かったか?」

「あいよ」
「はい」
「畏まりました」
「ヴィー君、何かあっても私が治してあげるからねー」

 このままの追跡は目立つ。エーとエイチは農民の服装だが、イー、ヴィー、は礼服、エヌはこの世界では珍しい裏起毛のジャケットに特注のジーパン。
 一旦通りから外れ、騎士達が向かって行ったのとは反対側の山際へと進む。ちょうど木々がひしめきだし身を隠すのにはうってつけの場所だ。

 通りから離れ、誰にも見られない場所まで来るとエーはエスを呼び出した。

「エス、いるか?」

 エーの直ぐ側の空間がグニャリと歪み、そこから現れたのは、笑顔のエスだった。

「行動がイレギュラーで驚いたけど、巡回はいつも通りよ」

「分かった。全員を不可知化してくれ」

 一つ頷いたエスは、手のひらを正面へ向けゆっくり頭上へと振り上げた。
 そこにいた社員たちの靴は草と同化し、体は風景に溶けていく。そうして彼らの姿は消え、残ったのは少しだけ揺れる枯れた葉のさざめきだった。



「閣下、今日ぐらいは休んでもいいのでは?」

 配下の騎士であるグランツが声を掛けた。

「疲れたからと休んで、もしも今日事件が起これば、悔しくて眠れない日が続くと思う。それに犯罪者は休んでくれないし、こちらの事情など汲んではくれない。正義に休みなんてないんだよ」

「考えが至りませんでした。申し訳ありません」

「ふっ、謝ることはないさ。気にかけてくれてありがとう」

 燃える正義、バンデン・アマーリエは王国四英雄の一人だ。王国初の女性騎士であり、西部方面の守りの要でもある。
 四英雄の中でも女性に殊更人気なのは、同性だからだけではない。
 侵略された領地の民が蹂躙されていると聞きつけた彼女が救援に単身で駆けたとされる、エーレンハウの奇跡や、戦争未亡人やその子どもたちが奴隷に落ちる窮状を打破しようと、貴族に立ち向かった聖女の行進。これ以外にも数多ある逸話には、権力に屈せず弱きを助ける精神と、強きに阿らず敢然と立ち向かう正義の心が、ありありと描写され、瞬く間に王国全土に広がった。
 自身の環境を疑わなかった女性達が、心を動かされたのは言うまでもない。さらに、同じく正義を宿す男も彼女に尊崇の念を抱いていた。

 彼女は確固たる正義を持っている。そして、その正義はあまりにも大きく壮大で、誰にも理解されない太陽のようなもの。側面ばかりが取り沙汰され、持て囃される今は片手落ちで、正しくその正義を理解していなかった。

 彼女を迎え入れた騎士団も、王国も、市民たちも。

「そろそろあちらを回りましょう」

 グランツが指さしたのは通りの向こうにある山の入り口だった。

「そうだね」

 バンデン・アマーリエを先頭に人里を抜け、落ち葉を踏み鳴らしていく。ところどころ落葉してしまった木々が、二年前を思い出させる。

 ルイス・ローウェンがひっそりと殺された、ちょうどあの時、彼が見た景色もこれだったのだろうか。
 いや違った。彼が殺されたのは日が沈みきった夜のうちだ。何も見えなかっただろう。魔法も使えず、僅かな月明かりで戦い、殺されてしまった。
 彼は何を思い死んでいったのだろうか。故郷の日本を儚くも望んだか、それとも私を恨んだだろうか。




 エーたちは彼らの後を付けていた。エスの能力『潜伏』によって誰にも認識されない透明人間となって、入山するその時を待っていた。
 日は半分ほど地平線に沈んだころ。騎士たちは魔法で周囲を照らし、木々の間をあてもなく歩いている。
 何故こんなところの見回りをするのか。農民たちが鹿狩りを行うにしても、山菜取りに入るとしても明るく天気のいい日を選ぶのだから、日も暮れてしまった今、何を警戒するというのか。
 まあどうでもいいかと、騎士たちが深く入り込んでいく後ろを無言でつけていった。


「アマーリエ様、以前から気になっていたのですが……」

「ん?なにかな」

「この山の見回りをするはやはり、2年前の事件が原因ですか」

「……そうだね。罪滅ぼしのつもりかな」

「罪滅ぼしですか?一体どんな罪なのですか。あなたの功績を考えれば、どんな大罪も十分贖えているでしょうに」

「それとこれとは別なの。ごめんね、こんな私的な理由でみんなを連れまわしてしまって」

「何を仰いますか。群れる事を嫌う貴方様に頼み込んだのは我々ですから。謝ってていただく筋合いはありません」

「君たちが、君たちのような騎士が増えてくれれば、王都もまた変わってくれるのだろうね」

「アマーリエ様……」

 エスの『潜伏』は知覚されなくなる。つまり社員たちはどんなコミュニケーションも行えない。そこで、たった一つの合図を機に不可知化の能力を解く手はずとなっていた。

「そろそろボルボッサに行きましょうか」

「そうですね」

 アマーリエ一行は踵を返し、斜面を下りていこうかと歩み始めると、取り巻きの騎士の一人が異変に気付いた。

「ん?」

 腰の剣が気になったのか、剣帯を触りながら首を捻った。

「ここが戦場なら死んでいるぞ。装備品の確認を怠るなと常々言っているだろう」

「え、ええ申し訳ありません」

 立ち止まり振り返ったグランツは、一日が終わろうかという今更、装備の具合を確かめる後輩に半ば呆れながら、叱責してみせた。
 そして彼の佩く剣へ目を滑らせたその時だった。
 ひとりでに鞘から飛び出した剣が、彼の首を狙うように横になると、真っ直ぐにその喉を貫いたのだ。
 突拍子もなく、目を疑う光景にグランツは声を出せなかった。

「ガハッ」

 喉から抜かれた剣にはべっとりと血糊が塗られ、口から血を吐く騎士は、膝を屈し地に伏せた。
 僅か数十秒の出来事が、引き伸ばされたかのようにゆっくりに見えたグランツは、その一部始終をあ然と見ていた。

 何が起きているのか。何故、どうやって。彼は動揺し、行動するよりも早く、理解することに傾注する。戦場ならばそんなマネはしなかったであろう。だが、ここは農村の一画にある山中で、前線基地は目と鼻の先。彼にもまた慢心があったのだ。だからこそ、自分に言い聞かせるように、後輩に叱責したのだが、その内省はことここにあって、一部の意味もなさない。

「グランツ!剣を!」

 暗雲を晴らすかのように、背後から言葉が飛んできた。

「て、敵だ!抜剣!」

 奇妙な動きをする剣を前に皆が構える。アマーリエを守るように陣取り、ジリジリと後退しながら、焦点は外さない。

 そしてまた、目を疑うような光景がそこに広がった。



 エヌが抜いたであろう剣が騎士の喉を突き破り、まずは一人を排除した。これがエスの能力を解く合図である。
 グニャリと歪んた空間からまず最初に出てきたのはエヌ。
 そしてエーとイー、エイチ、ヴィーの社員たちが続々と姿を表したの。

「意思疎通ができないってのは難儀だな」

 エーはひとりごちる。相手に知覚させないというのは大きなアドバンテージを生むが、多人数で攻勢をかけるにはやや使い勝手が悪いと感じたようで、はやくもフィードバックを行っていた。

「な、何者なんだ」

 先頭に立つ金髪の男が尋ねた。赤髪の女と親しそうに話していた男、グランツである。

「エヌ、頼んだぞ」

「おう」

 剣を振り血糊を落とすと、剣術とは無縁の足さばきで、ズカズカと騎士に近づいていく。
 ただ乱暴に剣を振り上げ下ろす。それを騎士は受け止めようとするが、とてつもない力に圧倒され、虚しく両断される。

「カーチス!くそっ!囲んで仕留めるぞ」

 グランツがそう言うと、残った騎士3人はエヌを取り囲み、ジリジリと間合いを詰めていく。
 そして一斉に飛びかかった。

 だが、エヌはまったく意に介さず、というか何も考えていなかったようで、僅かに先に動いた右側の騎士の頭を真っ二つに割った。
 そうなると、残り二人の刃を防ぐ手立てがない。つまり死ぬということなのだが、彼の能力の下では、鉄製の刃などなんの意味も持たない。

 頭上から振り下ろしたはずの剣は、悲しい音を立て折れた。そして、横腹から心臓を目掛けて突き刺そうとした切っ先は、石壁と戯れるかのように、一切先へは進まない。

「初見じゃそんなもんよ。残念だったな」

 エヌは二人の騎士にそう言葉をかけると、剣技も気迫も感じられない横薙ぎの一振りで、二人の首を胴体から切り離してしまった。

 エーは英雄を見ていた。取り巻きが殺られるこの光景を、どんな顔で眺めるのだろうと興味があったからだ。予想では、助太刀するか激怒する。大穴で泣いて命乞いをすると踏んでいたのだが、ハズレてしまった。
 無表情で仲間が殺される様を見届け、エヌの体に刃が通らないと分かると、少しだけ眉を動かした。それだけけであった。
 剣を!と言っていたくせに、自分は柄にすら手をかけていない。
 焦りで思考が止まっているわけではないだろう。怯えて体が動かないわけではないだろう。

「英雄バンデン・アマーリエ。あんた意外と冷たいんだな」

 傍目からはただ立ち尽くしているように見える騎士へと、見透かしたように煽る。
 彼女の視線は死体からゆったりとエーに向けられた。

「魔法の波動を感じなかった。あなた達は転生者ですか?」

「波動、ねえ。初めて聞いたな。ご明察の通り転生者だけど?」

「であれば、CSOUとかいう犯罪者組織で間違いありませんね」

「ネズミから聞いたのか?」

「ネズミ?ああ、協力者ですか。ええ、全て聞きましたよ。悪行の数々をね」

「ちなみに、というかダメ元で聞くが、うちに入る気はないか?アンタ強いんだろ?」

「あり得ない。私も質問があります」

「どうぞ」

「2年前、ここで殺されたルイス・ローウェンという騎士について知っていますか?」

 この世界に来て初めて殺した人間、それも転生者の騎士だった。名前は知らないが、たぶんその事だろうと思い当たった。

「名前は知らねえ、でもここで騎士を殺したな。多分ソイツだろ、ルイス・ローレル?」

「ルイス・ローウェンだ」

 スラリと抜かれた剣には、彼女の髪のように赤く燃え、剣身には青い文字が彫ってあった。

「彼と共にあった剣だ。この名前は彼のもの。ずっとお前を探していたんだ。証拠が無く、踏み出せなかった一歩がようやく踏み出せる」

「あっそ。さっさと来いよ、ルイス・ローンみたいにぶち殺してやる」

「ローウェンだ!鳥頭が!」

 切っ先が木の葉を燃やし、土を燃やす。彼女は走り出した。
 エーの首を落とそうと振りぬかれた剣身は躱されたが、空気を燃やしながら逆袈裟に方向を変えた。

土壁グランドウォール

 もこもこと地面が隆起し、熱を帯びた赫灼(かくしゃく)の剣身をガッチリと受け止める。
 しかしそれは僅かな時間で、鍛えた腕力に脆くも壁は崩れ去った。そして追撃を許さない、明確な殺意を持った突きを見舞うが、一瞬で視界から消えてしまった。どこだ、どこにいった。

「上だよ上」

 エーはアマーリエを睥睨すると、惜しげもなく魔法を使う。

根の堅牢ルートエルル

 アマーリエの足元には太い木の根が絡みつき、離れた木々からは木の根が勢い良く地面を這いずり彼女の周囲に繭のような牢を作り出した。

土杭グランドニードル

 針と言うには太すぎる杭が三叉に牢を突き破り、その先端は鮮血で輝くはずだった。

 だが、卵の殻が割れるように牢は崩れていき、クッキーのように杭はボロボロと形を失う。

「魔法まで使うのか。どうやったんだ?」

 牢から姿を現した英雄に感心していると、彼女は念仏のように何かを呟いた。すると首元に垂れ下がるリングが輝き出し、その場から姿を消した。
 エーの視界の端ギリギリに捉えた赤い何か。咄嗟に魔法で全身を覆うも、振り向くまもなく頭上に鈍い衝撃が加わった。

「ガッ」

 堪らず、空を滑り回避行動を取る。
 唇の内側から鉄の味がする。どうやら、先程の衝撃で負傷したらしい。つばに混じった血を吐き出し、元いた場所ヘ目を向ける。
 英雄バンデン・アマーリエが、自分と同じように空を舞っていた。
 魔法を使えないはずの転生者が、どんな理屈で空を飛んでいるのか。能力ではない。能力は全て見切っている。

「私だって魔法を使えるんですよ」
亡失の触腕ロストテンタクルズ

 リングの輝きと同じ紫色の両腕がエーの胸から生えると、愛しく掻き抱くように抱擁した。
 痛みはない。体に異変もなく意識はしっかりとしている。
 しかし、一つの感覚が失われた、そんな気がした。英雄を視界に捉え、焦げた下草の匂いが漂い、木の葉のさざめきが聞こえ、口内で血の味を感じ、熱を帯びた体には心地良い肌寒さをしっかりと感じる。

「魔力か」

 この世界で得た、魔力。そして付随する魔法の感覚。五感よりも付き合いが短いだけあって、気づくのにやや時間がかかった。

電閃ライトニング

 剣の切っ先から飛び出した、真っ白な轟を避けるには能わず、成すすべなく受け入れてしまった。
 激しい衝撃が腹にぶつかり、庇おうとした腕は動かず全身が硬直し、一瞬のうちに意識が遠のいた。


 社員たちは上空を眺めながら、思いを一つにしていた。

「ありゃ、負けたんじゃねえの?」

「……生きてたら治せるんだけど。怪しいわね」

「え、自信があったんじゃないんですか?」

「はて、どうやら。根拠のない自信もまた自信ですからな」

 エーはCSOUで一番強いと、誰もが思っていた。順位決定戦をしたわけではないし、実戦、本気の死闘を見たわけでもない。彼の理念を知っているからこそ、強いのだろうと決定づけていたのだ。

「一応、助けに行った方がいいのかしら。私って、その為の要員だし」

「さあな、俺は帰ろうかな。やることはやったし」

 枝をへし降りながら地面に激闘したエーを見ながら、エイチとエヌはそんな会話をしていた。

「皆さん、死にたくないならその場から動かないでください」

 上空から英雄の制止がかかる。木々の間をぬって華麗に着地を決めたアマーリエは、じっとりと社員たちを見回すと剣を収め近づいていく。

「頭が潰れたのですから、暴れる意味もないでしょう?大人しく投降していただけますね」

 社員たちは互いを見合い、逡巡している様子。

「ここで私に殺されるか、法の裁きを受けるか。私は後者をおすすめします。あくまでも現場での実力行使は最終手段ですから、白日のもとで正々堂々と抗弁していただきたい」

 騎士だから殺しも許されるわけではない。法を執行する上で、必要とあらば実力行使が許されるだけであり、殺害はその中でも最終手段。法の支配に正義を見出す彼女にとって、それは下策でありなるだけ避けたいものだった。
 それに、自分の行いで死なせた部下たちの為にも、絶対に連れ帰りたかった。このままここで殺せば、死んだ彼らの名前は誰にも伝わらない。
 正義に身を捧げたというのに、騎士団の都合で名前は秘匿され、功績はどこかへ追いやられてしまう。数年前のマフィアとの抗争の時のように、上にばかり気を向け下の者たちを粗末に扱う騎士団は信用ならない。何がなんでも生き証人としては連れて帰る。正義に純粋に向き合った彼らの労に報いたい、そんな気持ちもあった。

 リーダー格の男が死んだ今、戸惑いを見せている彼らが投降すると確信しきりの英雄だが、一つだけ大きな過ちを犯していた。

 本当に死んでいるのか。彼らが戦意を失っているという妄想の前提条件を、彼女は確認していなかったのだ。

 エヌは言う。
「まあ、会長が死んでも暴れるけどな」

 エイチは言う。
「そうね、全員で掛かれば勝てそうだもの」

 イーは言う。
「そうですな。英雄とは、悲しい神輿だ」

 ヴィーは言う。
「ボクが殺ってもいいかな?おいおい、調子に乗るなよ?俺たちは補助だ。まだ早いと思うぜ?うーん、分かったよ」

 エスは動いていた。
 エーが死んでいない事を知っていたからだ。いや、正確には事を知っていたからだ。
 落下したエーに近づき、口づけをする。『潜伏』の発動に必須の行動ではないが、貪るように舌を入れる彼女を止める者はいない。
 舌で口内を犯していた頃には、エーもエスも『潜伏』によって知覚されなくなっていたから。

「残念です。貴方達が再び生まれないことを祈りましょう」

 英雄はスラリと引き抜いた剣を構えた。

「ゴフッ!ガハッ!」

 英雄はこみ上げてきた何かを抑えきれず、口から吐き出した。取り巻きたちが放っていた魔法の光球が照らしたのは、髪色よりも暗い、液体だった。
 そしてその視線に入り込んだのは、金属。体から突き出したそれに見覚えはない。

 何が起きたのか分からない。だが、まずい状況だと理解した。

「ぐあああ、ああ、はあはあ」

 気力だけで足を動かし、金属から抜け出すことに成功した。しかし、鋼の精神を持っていようとも、体は言うことを聞かない。感覚が遠のいていく。借り物のような体を持ち上げようと力を込めるが、地についた膝は1ミリだって上がらない。

「俺が一番最初にいただいた能力が『擬態』ってやつでさ、ローウェンだっけ?そいつのもんなんだけど、見覚えある?」

 後ろから聞こえる、あの声。先程殺したと思っていた男の声。ぬかった。多勢に無勢の状況で、頭を無力化したと、殺したと思いこんでしまった。援護が来る前に、早々に投降させようと焦ってしまった。
 悔いながらも指すら動かせない英雄アマーリエは、うつ伏せになりながら精神を整えた。
 まだ終わりではない。この指輪があれば、救援要請を出せる。それまでは死ねない。

 体は使えずとも能力は使える。倒れ込んだことが幸いし、彼女は目を瞑り、ある能力に意識を向けた。

『反撃』


 英雄アマーリエのみぞおちから突き出た剣を見て、社員たちはエスの仕業だと思っていた。
 しかし、倒れた英雄の背後が揺らめき現れたのはエーだった。それもサイボーグのように右手が剣になったエーだった。

 生きていたのかと感心したのもつかの間、息も絶え絶えの英雄が目を瞑ると、エーの服には血がにじみ、喀血したのだ。

「はあ?何が起きてんだ」

 エヌは二転三転する応酬に理解が追いつかず、思わずこぼした。

「今度こそ、仕事だね」

 エイチは膝から崩れ落ちた会長のもとへ歩み寄ると、傷口へと手を伸ばした。

「待で、はあはあ、殺せ」

 その言葉を訝しく思いながらも、英雄をひっくり返し跨った。

「ぢがう!オレ、おれを殺せ!」

「……どゆこと?」

 エイチの呟きは社員達の意志を代弁したものだった。

 回復させようとエーのもとへ行けば、殺せと命令された。つまり英雄を先に殺せと、殺しが得意ではない自分に頼んだのだと思った。もちろん、得意ではないが活躍の場が与えられないから、発揮できないだけだと彼女自身は考えていたのだが。
 自分に殺しを頼むほど英雄の力は危険なのかと、武闘派のエヌに直接命令を下すのも惜しいほど切迫しているのかと斟酌したエイチは慌てて英雄に跨ったのだ。
 そうしたら、会長を殺せと言われてしまう。

 これはつまり、どうしたらいいのか。固まってしまったエイチに再び命令が下る。

「ざっざと殺せ!ソイツが死ぬ前に!」

 発破をかけられ立ち上がったエイチ。何か考えがあるのだろうと腹をくくったはいいが、彼女には攻撃的な能力がない。首を絞めて殺すにしても、大ダメージを負った英雄が先に死ぬかもしれない。

「イー武器を」

「ぶん殴って終いだろ」

 言葉を遮り、エイチの頭上より遥か上へと跳躍したのはエヌだった。会長の不思議な命令に耳を疑ったが、命令は命令。エイチに指示していたようだが、誰が殺っても結果は同じだ。
 頂点まで達すると物理法則に従い自由落下が始まった。空中で体を捻り最大限までタメを作ると、岩のような拳がエーの頭部にめり込んだ。
 骨を砕く音すら掻き消す轟音が辺りに響いた。

「ほれ、終わりだ」

 手を払い、血と脂が混じったエーの体液を振り落としながらそう言った。

「コイツも殺っとくか?」

 虫の息となった英雄アマーリエを見下ろしながら、意見を求めるエヌ。

「考えがあっての自殺でしょう。ここは静観で良いのでは?」

 イーの言葉に頷くと、窪みの中でクレープ生地のように伸びたエーの頭部に視線を移す。
 どうやって復活するのだろうか。少年のような眼差しで死体を観察するエヌの顔が、驚きに満ちるのは早かった。

 砂鉄が磁石の動きに合わせて踊るように、粉砕し飛び散った血肉と骨は首を目掛けて集約する。顔とは思えない、ただの肉塊が首に吸い付くと、土や草など人を構成しない余分なゴミがポロポロの溢れる。そうしてキレイな肉団子は整形を始めた。鼻、口、目、耳、を模したひき肉が出来上がると、頭頂からじわじわと皮ができ始めた。一見すると乾燥してきたかのようだが、僅かな時間で全体を覆い尽くした。

「髪の毛まで元通りかよ。一体どんな能力なんだ?」

 たった1分。肉団子から完成したエーの顔が少しだけ歪み、出来立ての目が開いた。

「会長いろいろ聞きたいけど、まずは英雄をどうするのか指示してちょうだい」

 ゆっくりと顔を持ち上げ、状況を確かめるようにクレーターを眺めた。そうしてから体を起こし立ち上がると、一身に集まる社員達の視線に答えた。

「ヴィー、能力を頂戴しろ。『反撃』ってやつはなかなか使える」

 少年は頷くと、仰向けになった英雄の側で片膝をついた。

「テツ、この後どうしたらいいの?んー、たぶんだが触れる必要があるんじゃないか?」

 テツとは、ヴィー、もといネルソン少年の体に転生した魂の名前である。彼はわずか数日の出来事を思い返しある仮説を導いていた。
『共有』の能力が発動するには、触れる必要があり、それ以降は能力が自動で『共有』する能力を選ぶのではないかというものだ。

 ヴィーは英雄の額に右手を置いた。さながら看病をする息子のように。

「どうだ?」

 エーの問いかけにヴィーは首を振った。

「ふむ、オーケー。実験は終わりだ、離れろ」

 浅く早い呼吸を繰り返す英雄アマーリエ。その傍らにかがむエー。

「……は」

「んあ?」

 喘鳴の中で微かに紡がれた言の葉。終わりを齎す者へと湧き上がったものを必死に絞り出そうと、再び口を動かした。

「目的は」

 単純で明快な問いだった。自身へ刃を向けた理由ではなく、もっと本質的な問いだった。CSOUの存在、闇に身を置く理由、そしてローウェンについて。

 鋭く重い問いかけに、エーもまた端的に答えた。

「必要、だからだな」

 木靴を履いた右足は、いつの間にか重厚なギロチンのように変形し、眼前にある首を狙ってギラギラと輝いていた。

「じゃ、二度と蘇るなよー」

 踏み潰した虫がついていないかどうか確かめるが如く、靴底を見遣ると、地面に擦り付けた。
 コロリと転がったアマーリエに見せつるように。




「それで、会長は不死身なの?私と同じ?」

「ちげーよ。『強奪』でライフを増やしたのさ。今日で2機減ったから、あと14」

【軒下の都】で卓を囲む社員達。そこではエーの能力についての考察が行われていた。

「体が変形したのは何なの?会長って未来から来たサイボーグ?」

「『擬態』だ。ローウェンっていう騎士の能力だった。まあいいじゃねえか、俺の話はよ」

「良くないわよ。こういうのは事前に説明してくれないと、動きにくいのよ」

「はいはい。次の仕事の前には説明するよ」

 グビリと喉を鳴らしぬるくなったビールを呷るエー。

「会長」

「ん?」

「英雄って、あんなもんなのか?正味の話、俺一人でも勝てたと思う」

 エヌは豪語した。だが、そこに奢りや高ぶりはない。客観的に判断して述べた、正確な分析。

「アイツの能力は戦闘向きじゃない。恐らく4人の英雄で一番下だろうな」

「オーが答えを出すまでは、その仮定を前提にしたほうが良いでしょうな」

「だな」

 ふかしたイモの上でバターがとろけ、湯気が立ち上る。うっすらと滲む汗を拭いながら、ヴィーはひたすら口へと運んでいた。

「そんなにうまいか?」

「はい!」

「『共有』あれは早めに使いこなせよ。いい能力だからな」

「はい。何で今日は使えなかったんでしょうか」

「明日聞いといてやるよ。知り合いに詳しいやつがいるんでな」

「ありがとうございます!」


 英雄の死亡は誰も知らない。それどころか、今後知られる事もない。伝説的な善行も、悪魔の授けた能力の前では燃え尽きた紙片へと変わる。
 キューの能力『抹消』によって、英雄バンデン・アマーリエとその取り巻きの人生は、空白になった。

 英雄の独断専行な行いのつけで田舎へ飛ばされた、新人のエリック・ローウェルやマフィアとの抗争で身代わりとなったある青年の記憶も、何故そうなったのかという過程がすっぽりと抜け落ちてしまった。そして、使えない騎士の左遷、一連の事件の犯人として、内実を知っていた者すら、記憶が完全に書き換わった。
 正義の行いが、たった一つの能力で、正義を信じて英雄へ付き従った善人を悪人へと仕立てたのだった。
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