深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~

白金ひよこ

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仮病の功名

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「お嬢様、本日の体調はいかがですか?」
「ご飯は食べられそうだから、持ってきて」
「かしこまりました」
「あ、今日のメニューは?」
「本日の朝食は苺ゼリー、昼食はキノコのリゾットと卵のスープ、夕食は根菜クリームソースでございます」
「……昨日は朝にトマトのポリッジ、昼はフレンチトースト、夜はパスティーナだった?」
「さようでございます」
「……」

 お肉、食べたい……。
 私は分かったと笑顔で返事をしてメイドを見送った。扉が閉められた直後、私の小さな主張の少ないお腹から虚しい音が響いた。

 仮病生活を初めて早二週間。私は早くも仮病の大変さに直面していた。
 それは何もすることのない部屋で一日を過ごすことでも、健康なのに毎日病弱な演技をすることでもない。いや勿論それも大変なのだが、仮病で16歳まで逃げ切ることを決心したのだからこれは当然想定していた範疇。
 現代っ子の暇つぶしになるようなものなど何もない部屋でただベッドの上で素数を数える一日を過ごしても、眠る気もないのに羊を数えて四桁を更新しても、寝ても寝なくても同じ景色が見えるようにまでなっても、それでも私は覚悟して仮病生活を始めたのだ。今更そんなことで心折れたりはしない。例え自分の心臓の音が煩く聞こえ始めてもだ。

 命には、代えられない。
 その言葉だけがここ2週間の私の理性を保ってきた。それさえなければ今頃「完治したぜー!」と叫んで庭を駆けまわりそのまま戻らなかったことだろう。いや本当にね。
 これ元のシンディが本当に病弱になったとしたら今頃違う病気で死んでるから。病名はおそらく”暇死”。
 暇すぎてで死にそうって言葉よく聞くけど、今ならその全ての言葉に凄い勢いで反論できる自信あるね。いいか、本当の暇とは、こういうことだ。貴様の”暇”は所詮”今やらなきゃいけないこともやりたいことも特にない”状態のことであって、決して今の私の”極限”状態のことではない。自分の人差し指と会話が出来るレベルになってから出直して来い。
 このままだと真理を見るね。悟り開くのも時間の問題だ。座禅組んで無になれってよく言うじゃん? 私、多分今それ秒で出来るから。だって雑念するようなこと、何もないんだもん……。

 だが何度も言うが、これは、想定の、範疇である。例え精神との戦いになろうとも、過酷だと分かっている上で選んだ道。この障害なら既に選ぶ前から見えていた。
 けれど私は知らなかったのだ。見えている障害だけが全てではないと。

 くう。

 自分以外誰もいない部屋。時計の音もない、自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえるその部屋で。本日何度目から分からない虚しい音が私のお腹の奥から響いた。

 ……お腹空いたーー!!

 私がまだ前世の記憶を取り戻す前。記憶が確かならシンディは毎日好きな料理を食べて、一日に二回はお菓子を食べ、午後三時には高価な紅茶を飲んでいた。
 それが今やモデルを目指すのかと言うほどのヘルシー食と、お年寄りを気遣っているのかと言われるような柔らかくて胃に優しい食べやすい料理ばかり。当然お肉など出るはずもなく、紅茶は白湯に代わった。お菓子だってたまに干し果物を齧る程度だ。私が本当の5歳児なら泣いている。

「こんな、はずでは……!」

 食事。それは私の想定していないことだった。
 そう、例え部屋に一日中引きこもっているとは言え、まだまだ好きになんでも食べたいお年頃。5歳なんて食べたいものを我慢する年じゃないもの。ましてやシンディ痩せてるし。ちびだし。
 階段の上り下りを理由にご飯が自室に運ばれてくることがせめてもの救いか。なんせ両親や兄弟たちは普通の料理を食べているのだ。お粥を啜る自分の目の前でステーキなど食べられてしまっては、自我を抑えられる自信がない。

「っていうか、極端なんだよね。別に歯が全部なくなったわけでも、血糖値が高くなったわけでもないのに……」

 勿論、仮病を使ってすぐに私が言った「食欲がありません」を気遣ってくれているのは分かる。少しでも食べられるように配慮してくれたことも分かるし、もし私が本当に病弱ならその心遣いには心から感謝したい。一切私の仮病を疑わない心には既に手を合わせ済みだ。だが、全く肉類を食べないと言うのはいかがなものなのか。
 中世ヨーロッパくらいの技術と知識しかないこの世界では仕方ないのかもしれないが、このままではシンディが本当に病弱になってしまう。ていうか普通に病気になって死んじゃうんじゃないの。免疫って知ってる? いや、一日引きこもって太陽の光にも当たろうとしない私が言えたことじゃないけど。

「はぁ。仮病も楽じゃないなぁ……」

 3日に一度呼吸困難になるのも大変だしね。
 でも突然の発作は病弱っぽいし、前世では小児喘息だったからどんな感じかも分かるからとりあえず定期的にやっている。そんなんだから病弱な演技だけがどんどん上達していく。コツ? それは突然息が上がったように短い呼吸を繰り返すことだよ。時々胸を押さえて息を止めるとかね。呼気と吸気の比率を変えるのも効果的だ。長く吸って短く吐く。数回で簡単に死にかけるよ。
 人間の体とは実は単純なもので、息を止めれば血圧は上がるし、脈も速くなる。実際に走った時のような呼吸をすれば本当に息が上がったようになる。まぁやり過ぎると本当に苦しくなるから引き際が大事だが。

 だけどその度に毎回偉いお医者様が呼ばれるのは少し心苦しい。お医者様からすればなんで倒れるのか分からないから余計だよね。多分お父様から原因を調べろって言われてるはずだし。娘を溺愛している父のことだ。きっと多額の金を積んでいることだろう。それを考えると本当に胸が痛くなる……。
 しかし当然、仮病であるシンディの病因など分かるはずもない。というか、分かったら困る。
 侯爵令嬢であるシンディに向かって「こいつは仮病ですな」なんて言えるはずもないけど、もしもいきなり知らない病名とか言われたらどうしよう? その時は……。……うん。黙って受け入れるしか手段がないな。今更「違います仮病です! この医者嘘つきですわ!」とは告発出来ない。嘘つきの医者の前に嘘つきの令嬢が先に罪を問われることになるだろう。
 今の私に出来ることは、主治医が堅実であることに賭けることだけだ。どうか、名誉を守るために適当な病名をつけて変な薬とか飲まして来たりしませんように……。

「まぁ今のところは、発作が起きないように安定剤みたいなのを処方されているだけみたいだけど」

 思わず呟いて、既に何十回と読み返して暗記したと言っても過言ではない医学書の表紙を指でなぞった。
 ”よく使われる薬とその効能”――これは医者が私の部屋にやって来て数回してからお父様に頼んで買って貰ったものだ。この本のおかげで最初の1週間は死なずに済んだ。……まぁ本来のシンディならともかく今の私からすれば一日かけて読むような本でもないので、楽しく読めたのは最初の三日だけだが。

 因みに敢えて医学書を選んだ理由は、初めて仮病を使った日に処方された薬があまりにも苦かったから……ではなく。単純にこれから先も仮病生活をやっていくつもりなら、ある程度医学知識がないとボロが出かねないと判断したためだった。

 ……いや、まぁこの世のものとは思えない苦みにこれなんなんだと思ったのも理由の一つではあるけれども。
 最初こそ変な物を飲まされていないかと正直ドキドキしていたが、どうやらどんな病であるか分からなかった為、取りあえず一番危険だと踏んだ呼吸困難を起こさないようにしようとしたらしい。
 捲った本のとあるページに乗っている薬草は、確かに医者から聞いた薬の成分と同じ名前だ。効能も私の症状と一致しているし、まずこれで間違いないだろう。よかった、今の所はまともな医者のようで。お父様が愛娘の為に呼んだ医者なのだから腕は確かだということは分かってはいたけれども。

 しかしそこは悲しいかな、私の知る現代のように発達してはいないこの世界。例え薬草の選択があっていたとしても、それは昔ながらの手法で煎じているだけのためとても苦く、粉薬くらいだろうと高を括っていた私はそれを舌に乗せた瞬間激しく咽た。それはもう盛大に。あの瞬間は誰が見ても病人だったと思う。というより、本当に病気になるかと思った。それくらい苦かった。

 あんまりにも苦かったので、二回目の処方のとき何かに包んでほしいと言ったら医者に凄い顔をされたっけ。あれなんだったんだろ……なんであんな、そんなこと考えもしなかったみたいな顔をされたんだ。そりゃまぁこの時代にオブラートなんてものはないけどさ。その考えくらいは誰かが言ってそうなものだけど……。
 因みにこの時は料理に使う、前世で言うシュウマイの皮みたいなのに包んで飲んだ。あの時も医者凄い顔してたな……。その発想はなかったって顔してた。

 だけど当然、そんな用途で作られたわけではない皮は普通に厚く、薬を飲むだけで軽くお腹が膨れた。小さいから薬も全部は包めず3回に分けたから余計だ。その日はただでさえ少ない食事を残して両親に凄い心配された。違うんです、皮が思ってたより厚くてお腹に溜まっただけなんです……。シンディちびやからお腹のストック狭くて……。
 しかし三日に一度の診察でその度そんなことをするわけにもいかなかったため、私はその後に家の料理人に言って試行錯誤の末、最終的に無発酵の薄っぺらいパンみたいなのを作らせ、今ではそれを水に浸して柔らかくしてから薬を包んでいる。それを見た時も医者凄い顔してたな……。革命起きたみたいな顔してた。

「いやまぁ、確かに5歳児が言い出すにはちょっと、変だったかもしれないけどさ」

 でも、苦い薬飲みたくない! って子供は全世界共通だと思うからまぁ大丈夫でしょ。別に糖衣加工で甘くしろってんじゃないんだし。流石にそれを言い出したら怪し過ぎるもんね……それを考えたらオブラートくらい可愛いもんでしょ。

「ん~でもそれを考えると、食欲ないけど食べたいものがあるっていうのも、別に不自然じゃないかな……?」

 鶏肉なら食べられそうですわって言うとか。……いっそ肉じゃないと食べられないそうにありませんわって言う? 元々は我が儘お嬢様なんだから通りそうな気もする。いや、でもそれは流石に不自然か……。
 今はまだ仮病を使って数週間。慎重にいかないといけない時期だ。なんせ仮病が悟られたら全てが終わりなのだ。やらなきゃいけないことをサボるわけでもないのに5歳児がわざわざ自ら病弱になる理由なんて"普通"はないから、そんな発想には辿り着かないとは思うけど……念には念を入れないと。

「はぁ。暫くはこのまま我慢か……」

 ううっステーキが恋しい。ハンバーグ、唐揚げ、焼き鳥、照り焼きチキン……。
 嗚呼どうか。誰かが機転を利かせて優しいお肉料理でも持ってきてくれますように。あわよくば、可哀想だからって甘いお菓子とか提供してくれてもいいんですよ……。

 なんて、そんな呑気なことを考えていたのが三か月前。 
 一向に肉を持って来る気配のない食事に耐え兼ね、とうとう私はこの間に色んな本を読んで思いついたからと言って料理人に直接作ってほしいものをレシピごと提供した。本当はハンバーグとか食べたかったけど、涙を飲んでヘルシーだけどお肉を使った料理にした。……久しぶりに食べたバンバンジーは涙が出るほど美味しく、自作のたれを前世で作った記憶があって良かったと心の底から思った。
 ……それらのレシピがトワール侯爵家内で評判になり、使用人の賄いに留まらず、最終的に家族たちの食事にも出るようになるのは予想外だったが。

 そしてもう一つ予想外だったのが、あの医者だ。
 ある日、いつもと違う神妙な顔で、診察日でもないのに私に面会を申し込んできたものだから、正直仮病がばれたのかと思って覚悟を決めた。最悪買収するつもりだった。
 ……実際には私が試行錯誤の上で完成させた自作オブラートについての話だったのだが。

「シンディお嬢様、これは画期的なアイデアです! 是非医術学会にて発表させていただきたく!」
「が、学会……ですか、でも、私、」
「分かります!」
「え?(何が? 私まだ何も言ってないんだけど)」
「私も、何日も悩みました……発案者がまだ幼く、その上病弱なお嬢様では面倒ごとになりかねないと……。しかし、そこはご安心いただきたい! あらゆるところに根回しをし、既に許可はいただいております! 故に、今後学会からの質問やその後の面倒なことは全てこの私が代わりにお引き受けいたしますので! お嬢様からはこの素晴らしい商品を私に是非お任せしていただきたく……!」
「そ、そういうことでしたらドクターにお任せします」

 なんか凄い盛り上がってるし、既に色々してきたみたいだし、ぶっちゃけ私は苦い薬を飲まずに済むのならなんでもいいしね……。発表でも商品化でも、好きにしてくれ。もっとちゃんと研究されて完成されたオブラートを自分も使えると言うのなら私にとっても損はしないわけだし。

「ありがとうございます! 学会にて認められ、この方法が国中に広まった暁には、この飲薬法はトワール家の功績とさせていただきますので! ……あっ因みに、お嬢様がお命じになってお作りになられたこちらの皮にお名前などはございますか?」
「え? ……オブラットですわ」

 いやぁまさか、これが数年後、トワール侯爵家の財産を更に潤すことになるとは、夢にも思わなかったよね。
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