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七海希美が三年前に事故で昏睡状態に陥った夢実高校の生徒であったと知ってから、僕はなんとか平静を保とうとしていた。
また変な接し方をして、彼女に泣いて欲しくはなかったし、夢から追い出されたくもなかった。
今まで通り、七海さんの突拍子もない提案に嫌々ながらも振り回される日比谷比呂であり続ける。
そんな生活が数日続き、僕の睡眠時間は日に日に目減りしていた。
眠るためにベッドに入る度に、このままでいいのかと思い悩み、寝付けなくなる。
現実の彼女を知った上で、それを知らん顔して振る舞い続けることが果たして正しいことなのかわからない。
かといって、僕にできることなんてない。
僕は名医でもなんでもない、ただの高校生だ。
彼女の意識を取り戻す方法なんて思いつかなかった。
僕にできることは、彼女の夢の終わりを見届けること。
それがハッピーエンドになるのかバッドエンドになるのかわからない。
だけど、それが傍観者を気取っていた僕に相応しいのだと、どこか高みから嘲笑われている気分だった。
◆ ◆ ◆
「やっぱり、変」
「っ、ごほっ、ごほ、ごほ……、と、突然どうしたの」
市内のショッピングモールのフードコート。
そこでジュースを口に含んでいた僕は、ジィとこちらを見透かすような瞳で見つめてくる七海さんが放った一言に吹き出しそうになった。
咳き込みながら口元を拭うと、彼女はガタリと勢いよく席を立つ。
「うん、今の反応で確信したよ。比呂、私に何か隠してるでしょ?」
「ナ、ナニモ」
「あ~もう、わかりやすいわかりやすい。比呂に隠し事なんて向いてないんだから何も隠さないで」
「だから本当に何も隠してないって……」
顔を隠すようにもう一度ジュースの入ったカップを仰ぐ。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干すと、その間に彼女はテーブルを回って僕の隣に立っていた。
「最近、比呂の様子がおかしいことにはとっくに気付いてるんだから。最初はあの時のことが原因かなって思ってたけど」
「あの時?」
「それはその……膝枕を、した時」
「……あぁ」
顔を真っ赤にして説明する七海さんに、僕まで熱くなってしまう。
少し奇妙な空気が流れるけど、そんなことで誤魔化せはしなかった。
七海さんはぶんぶんと勢いよく頭を振り、今一度僕を睨み付けた。
「思えばあの日からだよ。比呂の様子がおかしいのは」
「それはたぶん七海さんの思い違いだって。僕は普段通りだよ」
「そう! 普段通りなんだよ、比呂は。普段通りでいようとしてる、の方が正しいかな」
「――っ」
図星をさされてつい口ごもった。
そんな僕の反応が、彼女の確信を後押しする。
七海さんの眼差しから顔を逸らしていると、不意に彼女はそれまでとは違う優しい声音で呟き始めた。
「私、君と過ごす時間が結構楽しいの。今までは一人でいたから」
その呟きは、僕の胸を締め付ける。
以前にも聞いた言葉だ。彼女は僕が現れるまでは夢の中でずっと一人で過ごしていた。
だけどあの頃と今とではその言葉がもたらす意味が大きく違う。
眠り続けている彼女は、本当の意味でひとりぼっちだったんだ。
そのことを知っているからこそ、彼女のその言葉を聞いて、僕はもういつもの僕を取り繕えない。
「僕と過ごす時間じゃないよ。誰かと過ごす時間が……過ごせる時間が、きっと君は楽しいんだ」
ポツリと口をついて出たのは、弱音のような言葉だった。
口にしてからハッとして顔を上げると、七海さんは少し驚いたように目を見開き、それからゆっくりと小さく優しく微笑んだ。
「そっか。……比呂は、私のことを知っちゃったんだね」
「――っ」
「あははっ、ほんと君ってわかりやすい。顔に全部出ちゃうんだもん。まーしょうがないよね。同じ高校なんだもん。いつかはバレちゃうかもな~って思ってた。こんなに早くだとは思わなかったけど」
「……ごめん」
もはや誤魔化せないと悟った僕は、そう小さく呟くことしかできなかった。
「この間、僕の家に来たとき、君が眠っている姿を見たんだ。その時、不思議に思ったんだ。どうしてこの夢の世界はなくならないんだろうって。……それで、三年前に交通事故で眠り続けている生徒がいる話を聞いて、結びついて……」
力なく経緯を話す僕の言葉に、彼女は静かに耳を傾け続ける。
ガタリと椅子を引く音。七海さんが僕の隣の椅子に座った。
「そっか。普通、夢って現実で起きたらなくなるものだもんね。油断したなぁ~。心のどこかで、ここが現実だと錯覚しちゃってたのかも。バカだよね、私」
自虐的に笑う七海さんに反して、僕の表情は嘘みたいに固まっていた。
笑い合う流れにしてくれているのに、一ミリも口角が上がらない。
両膝の上で拳に力が籠もる。その力の源泉は怒りだった。
彼女の境遇に対するものではなくて、彼女に気を遣わせてしまっている自分に対する怒り。
爪が食い込むほど強く握っている僕の手に、そっと彼女の手が重なる。
「比呂が気に病むことはないよ。むしろ比呂には感謝してる。……そう、私は三年前に車に轢かれて、それからずっとこの変化のない夢の世界で過ごしていた。たった一人で」
彼女の一言一言が重く僕の耳朶にのし掛かる。
「だけど君が来てからは違う。君は私の我が儘にも付き合ってくれるし、私の過ごす世界を広げてもくれた。比呂のお陰で毎日が楽しいの。だから――」
七海さんの手が僕の手をそっと包み込み、そのまま彼女の頬へと抱き寄せる。
そうして、七海さんは心のそこからの言葉を口にした。
「――だから、もしこの世界に最期が来るのだとしても、その時までは楽しんでいて欲しいな」
また変な接し方をして、彼女に泣いて欲しくはなかったし、夢から追い出されたくもなかった。
今まで通り、七海さんの突拍子もない提案に嫌々ながらも振り回される日比谷比呂であり続ける。
そんな生活が数日続き、僕の睡眠時間は日に日に目減りしていた。
眠るためにベッドに入る度に、このままでいいのかと思い悩み、寝付けなくなる。
現実の彼女を知った上で、それを知らん顔して振る舞い続けることが果たして正しいことなのかわからない。
かといって、僕にできることなんてない。
僕は名医でもなんでもない、ただの高校生だ。
彼女の意識を取り戻す方法なんて思いつかなかった。
僕にできることは、彼女の夢の終わりを見届けること。
それがハッピーエンドになるのかバッドエンドになるのかわからない。
だけど、それが傍観者を気取っていた僕に相応しいのだと、どこか高みから嘲笑われている気分だった。
◆ ◆ ◆
「やっぱり、変」
「っ、ごほっ、ごほ、ごほ……、と、突然どうしたの」
市内のショッピングモールのフードコート。
そこでジュースを口に含んでいた僕は、ジィとこちらを見透かすような瞳で見つめてくる七海さんが放った一言に吹き出しそうになった。
咳き込みながら口元を拭うと、彼女はガタリと勢いよく席を立つ。
「うん、今の反応で確信したよ。比呂、私に何か隠してるでしょ?」
「ナ、ナニモ」
「あ~もう、わかりやすいわかりやすい。比呂に隠し事なんて向いてないんだから何も隠さないで」
「だから本当に何も隠してないって……」
顔を隠すようにもう一度ジュースの入ったカップを仰ぐ。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干すと、その間に彼女はテーブルを回って僕の隣に立っていた。
「最近、比呂の様子がおかしいことにはとっくに気付いてるんだから。最初はあの時のことが原因かなって思ってたけど」
「あの時?」
「それはその……膝枕を、した時」
「……あぁ」
顔を真っ赤にして説明する七海さんに、僕まで熱くなってしまう。
少し奇妙な空気が流れるけど、そんなことで誤魔化せはしなかった。
七海さんはぶんぶんと勢いよく頭を振り、今一度僕を睨み付けた。
「思えばあの日からだよ。比呂の様子がおかしいのは」
「それはたぶん七海さんの思い違いだって。僕は普段通りだよ」
「そう! 普段通りなんだよ、比呂は。普段通りでいようとしてる、の方が正しいかな」
「――っ」
図星をさされてつい口ごもった。
そんな僕の反応が、彼女の確信を後押しする。
七海さんの眼差しから顔を逸らしていると、不意に彼女はそれまでとは違う優しい声音で呟き始めた。
「私、君と過ごす時間が結構楽しいの。今までは一人でいたから」
その呟きは、僕の胸を締め付ける。
以前にも聞いた言葉だ。彼女は僕が現れるまでは夢の中でずっと一人で過ごしていた。
だけどあの頃と今とではその言葉がもたらす意味が大きく違う。
眠り続けている彼女は、本当の意味でひとりぼっちだったんだ。
そのことを知っているからこそ、彼女のその言葉を聞いて、僕はもういつもの僕を取り繕えない。
「僕と過ごす時間じゃないよ。誰かと過ごす時間が……過ごせる時間が、きっと君は楽しいんだ」
ポツリと口をついて出たのは、弱音のような言葉だった。
口にしてからハッとして顔を上げると、七海さんは少し驚いたように目を見開き、それからゆっくりと小さく優しく微笑んだ。
「そっか。……比呂は、私のことを知っちゃったんだね」
「――っ」
「あははっ、ほんと君ってわかりやすい。顔に全部出ちゃうんだもん。まーしょうがないよね。同じ高校なんだもん。いつかはバレちゃうかもな~って思ってた。こんなに早くだとは思わなかったけど」
「……ごめん」
もはや誤魔化せないと悟った僕は、そう小さく呟くことしかできなかった。
「この間、僕の家に来たとき、君が眠っている姿を見たんだ。その時、不思議に思ったんだ。どうしてこの夢の世界はなくならないんだろうって。……それで、三年前に交通事故で眠り続けている生徒がいる話を聞いて、結びついて……」
力なく経緯を話す僕の言葉に、彼女は静かに耳を傾け続ける。
ガタリと椅子を引く音。七海さんが僕の隣の椅子に座った。
「そっか。普通、夢って現実で起きたらなくなるものだもんね。油断したなぁ~。心のどこかで、ここが現実だと錯覚しちゃってたのかも。バカだよね、私」
自虐的に笑う七海さんに反して、僕の表情は嘘みたいに固まっていた。
笑い合う流れにしてくれているのに、一ミリも口角が上がらない。
両膝の上で拳に力が籠もる。その力の源泉は怒りだった。
彼女の境遇に対するものではなくて、彼女に気を遣わせてしまっている自分に対する怒り。
爪が食い込むほど強く握っている僕の手に、そっと彼女の手が重なる。
「比呂が気に病むことはないよ。むしろ比呂には感謝してる。……そう、私は三年前に車に轢かれて、それからずっとこの変化のない夢の世界で過ごしていた。たった一人で」
彼女の一言一言が重く僕の耳朶にのし掛かる。
「だけど君が来てからは違う。君は私の我が儘にも付き合ってくれるし、私の過ごす世界を広げてもくれた。比呂のお陰で毎日が楽しいの。だから――」
七海さんの手が僕の手をそっと包み込み、そのまま彼女の頬へと抱き寄せる。
そうして、七海さんは心のそこからの言葉を口にした。
「――だから、もしこの世界に最期が来るのだとしても、その時までは楽しんでいて欲しいな」
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