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【か】わらない君の笑顔

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「へぇー、アオイのお姉さん結婚するんだ」
 講義終了後、席を立とうとする我が親友に、昨夜の姉からの話をすると大きな驚きの声をあげられた。
「そう、式もすぐなんだよ。もうびっくりだよ」テンションの違いに多少戸惑いながらも、わたしはそう付け足す。
「それ出来ちゃった婚じゃない?」
 嬉しそうにコイツはニヤケながらわたしの反応を探って楽しんでいるようだ。
「なんと!」つい驚きが口に出てしまった。
「お腹が目立たないうちにって感じかな?」
「なるほどね……まあ、めでたい事には変わりないけどね」
「いつなの?」我が親友は座り直してしっかり聞く態勢になってしまった。仕方ない、コイツは納得するまでは解放してくれそうになかったので、わたしも詳しい話しをするために再び席についた。
「今度のゴールデンウイークだよ」
「もう、すぐじゃん。アオイ着る服は?」
「あっちでレンタルする。それより、やっぱ帰らないとまずいよね……」
「実の姉貴でしょ。そりゃあまずいに決まってるっしょ。なに? 地元に帰れない理由でもあるのか? コレ、白状せんか! 振った男がわんさかいるとか、泣かせた男が大勢いるとか」
「おい、男がらみ決定かよ!」
「はぁ、はぁ、アオイはモテるからさ。自覚無いだろうけど……その無自覚が罪なんだけどね……」
「ん? なんか言った」
「いや、いや、とにかく姉貴の結婚なんだから帰ってあげなよ。良い思い出のない地元でもさ」
「……仕方ないか……」
「アオイ、ガンバ!」そう言って、肩を叩かれた。
 我が親友の無責任な応援を受けたが、仕方ないとは思いながらも、まだ悩んでいるわたしには、これが一歩前に進める良い機会になるのかもしれないのだろう……。

 ☆ ☆ ☆

 電車の窓に時おり憂鬱な顔が浮かぶ。
「はぁーっ」わたしはこれで何度目かの大きなため息をついてから、改めて外の景色を見る。自分が生まれ育った街の色に段々近づいている。それだけで気分がダダ下がっていくのがよくわかった。
 帰りたくない。帰りたくなかった……。だって、わたしの時間はあの時から全然動いていなかったから……高校卒業のあの時から。

 懐かしい駅名が電車のアナウンスから流れる、「よっし、行くか」自分に気合を入れて席を立つ、もう戻れない、動かすんだ。あの時から止まっていた時間を!
 わたしは自分に発破をかけるように勢いよくホームへ降り立った。五月の風が優しく吹き抜ける。「あれ? こんなだっけ」故郷の景色は二年前の記憶にある風景よりも少しだけ明るい色をしていた。

 各駅停車しかとまらない地方都市の小さな駅。スイカが使えるようになったぐらいしか変わってはいない気がする。それでも、二年前とは明らかに違う、上手く言えないがこの二年がわたしにとって良い方向に向かわせてくれたのかも知れない。
 キャリーバッグを引きずり、改札を出て姉に連絡する。すぐ行くと言うので、駅のロータリーのベンチに腰をかけた。改めて見直した駅前のロータリーはコンビニぐらいしかない変わらぬ風景だった。
 ふと、掲示板にあった鮮やかな花の写真のポスターが目にとまる。
「燕子花祭り……か」市の花である燕子花(かきつばた)の咲くこの五月に催される市のお祭りだ。
「よく行ったな……」
 子供の頃からの地元のお祭り、小さい頃は親に連れられ、学校に行くようになってからは友達と……。
「友達……」一瞬視野が暗くなる感じがして、わたしは思わず頭を振ってから空を見上げた。五月はじめの地元の青空がそこにはあった。

 見慣れた赤いマーチがロータリーを回ってきた。姉のアカネが満面の笑顔で車を停めて駆け寄ってくる。
「アオイ、お帰り!」そう言って、わたしに抱きついた。
「お姉ちゃん、ちょっと。恥ずかしいよ……」恥ずかしくて無理やり引きはがすと、姉のアカネは嬉しそうに改めて言った。
「お帰り、アオイ」
「……ただいま。お姉ちゃん……」
 我が親友に話したら、絶対いじられるな……そんな事をふと思ったが、それ以上に背中を押してくれた事に感謝したいと思った。「ありがとう、親友よ」

 わたしの重たいキャリーバッグを車の後部に押し込もうと姉が担ぐ。
「ちょっと、お姉ちゃん、大丈夫なの?」慌てて騒ぐと、アカネは不思議そうな顔をしたが。すぐに、わたしの視線(腹部)に気が付いて笑い出した。
「ばか、あんたも勘違いするわけ。違うわよ。できちゃった婚じゃあないから!」
「え?」親友よお前のカンは外れたようだぞ。

 姉のアカネの話では、急遽、来月に彼氏の海外転勤が決まったそうだ。決断力のあるアカネは即座についていく事を決め、急ぎ結婚式をあげる運びとなったらしい。
「お姉ちゃん、凄いね……」
「まぁね。どうせ結婚するんだから。えい、やぁって感じかな?」
 にこやかに話す姉をまぶしく感じた。それに比べてわたしは……ダメだ、ネガティブ思考になっていきそうになる。わたしと姉、どうしてこんなに違うんだろう……姉の話を聞きながらそんな事を考えてしまった。
「わたし、やらずに後悔はしたくないから。やってみてダメなら仕方ないと思うんだ」
 そんなポジティブな姉がわたしは昔から羨ましかった。
「そうだ、ミス燕子花。今年もやるみたいよ。アオイ出てみたら?」運転をしながらアカネが突拍子もないことを言い出す。
「ミス燕子花?」
「そう、毎年恒例みたいよ。出てみたら? わたしが推薦するから大丈夫よ、昨年のミス燕子花の推薦よ! どう?」
 我が姉はこの地元で何をやっているのだろうか? 恐るべし我が姉。わたしは隣で運転する姉をまじまじと見直した。

 ☆ ☆ ☆

「ただいまー」キャリーバッグを横に置き、わたしは久しぶりに家の玄関で靴を脱いだ。
 懐かしい芳香剤の匂い、生まれてから全く変わらない玄関の様子に帰ってきたという実感が徐々に湧き上がる。
「お帰りなさい。さあ、上がって」エプロンをつけた母の笑顔に目頭が熱くなるのを必死で抑えながら。わたしも負けないぐらい元気に再び言った。
「お母さん、ただいま」

 父は仕事らしい、わたしは仏壇に線香をあげ手を合わせてから二階の自分の部屋に上がった。
 二年ぶり、恐る恐るドアを開ける。手元のスイッチを入れると二年前と同じわたしの部屋がそこにはあった。机をそっとなでてみる。「……お母さん、ちゃんと掃除とかしてくれてたんだね……」やばい、また涙が出そうだ。
たまらずベッドに身を投げ出して天井をみつめる。この何年間涙なんか流していなかったそのツケがここに来てきたようで、わたしはしばらく横を向けなかった。
 姉の呼ぶ声に緩んだ涙腺を閉め直してから階段を降りると。「今晩はあんたの好物ばかりだから買い物付き合いなさい」と、姉に買い物に引っ張り出される。「お姉ちゃんには適わないよ」迷惑そうにそう言いながらも、嬉しいと思っている自分がそこにはいた。そして、何かと理由をつけて帰らなかった自分を心配してくれていた家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。「……ごめんなさい……」自然とそんな言葉が口から出た。
「ん?」不思議そうに姉はわたしを覗き込んで言う。「疲れてる? 体調悪いなら、わたし一人で行くけど」
「ううん、大丈夫。手伝うよ、お姉ちゃん」
 わたしは姉を追い越して外にでる。空は来た時よりももう少し明るく感じられた。

 ☆ ☆ ☆

「あれ、スーパーはあっちじゃなかった?」
 わたしの疑問に意味深な笑みを浮かべて、姉は反対方向へ道を曲がる。すぐに着いたのは市役所だった。
「お姉ちゃん、市役所に何か用事?」
 パーキングに停めた姉の後に付いてわたしも市役所の中に入る。二階の突き当りを指さして姉は意地悪そうにニヤけて言った。
「あそこに燕子花祭りの実行委員がいるの。ちゃっちゃと手続きしちゃいましょう……」
「なにの?」
「ミス燕子花の!」
「えっ!」

 受付カウンターに行くと、ほとんどの人が顔見知りのようで姉に声をかけてくる。親しげに話すその中にわたしと目が合った人物がいた。
 驚いたような顔でわたしを見つめる。わたしもすぐに分かった。二年ぐらいではそんなに変わりはしない……ダイチさん……。
 あの日、改札で待ち合わせた人。この街で一番会いたくなかった人。同級生のお兄さんで、あの日、あんな事がなかったら付き合っていたかもしれなかった……そんな人だった。
 少し距離を置いてカウンターの手前の長椅子に座ったわたしに、ダイチさんは遠慮がちに横に座る。お互いの距離感がつかめない。二年前のあの頃とは違う。相手の傷口を探るように、そこに触れないように手探りで言葉を選ぶ。
「元気だった?」二年ぶりに聞くダイチさんの声。少し震えるようなその声に涙腺が緩みそうになる。返す言葉を必死で探すが、結局ありきたりな言葉しか見つからなかった。
「うん、大丈夫。どうにかやっているよ」
 自分に言い聞かせるようなそんな言葉。
「帰って来てたんだ……」
「二年ぶり、お姉ちゃんの結婚式があるんで……」ぎこちない会話のやり取り、それでも話すことによって少しづつでも距離感がつかめそうだ。二人の会話に少し安心感が漂った。

「ほれ、これ応募用紙」ひらひらと紙を揺らして姉が戻ってくる。それから姉も加わりダイチさんと少し話しをして、わたしたちは市役所を後にした。
「ミス燕子花、参加してもしなくてもどっちでも良いから。まぁ、あんたが一歩前に進めるならって思っただけだから……」
 運転しながら、ぼそっと言った姉の言葉がやけに温かく感じられた。

 久しぶりに家族全員が揃った夕飯時、早めに帰ってきた父も上機嫌でビールを飲んでいる。賑やかな食卓、母の作った手料理、戻ってきて良かった。素直にそう思えた。
 口下手な父が酒の勢いを借りて話しだす。
「アオイ、こっちで就職考えてみないか?」
 母の方を見ると、分かっていたようにうなずいた。きっと以前から話していたことなのだろう。姉のアカネが結婚して海外転勤について行く。両親はわたしに戻ってきて欲しいんだ。
 少し考えてから自分の気持ちを素直に伝える。
「うん、まだ二年あるけど、考えとく……でも、約束は出来ないよ」
 父がほっとしたように母の顔を見る、わたしは好物の鶏の唐揚げをもう一つ口に入れた。

 夜、自分の部屋の天井を見ながら、我が親友に今日の定時報告をする。
「……で、偶然にも会っちゃったんだ……」
 市役所での件を伝えると案の定、食いつく、
さすが肉食系だコイツは……。
「おっと、フラグ立ったでしょっ。これ、ダイチさんルート入ったね!」凄く楽しそうに電話口ではしゃいでいた。
「まったく、人の気も知らないで……突然会ったんだよ。心の準備も無しでだよ」
「会うって分かってたらどうだった?」
「え?」
「アオイ、避けてたんじゃない?」
 さすが親友、わたしよりもわたしの事を知っている。市役所にダイチさんが居ると知っていたら、きっとわたしは避けていただろう……。
「きっと、神様が手を貸してくれたんだよ。アオイに幸運を運んでくれたんじゃない」我が親友よお前もポジティブ人間だ。
「で、これからどうするの?」
「うん、明日もう一度会いに行ってみようと思う」
「おっ、ネガティブ卒業だね!」
「……そんなんじゃないけど。前に進んでみる。わたしミス燕子花エントリーしようと思うんだ……」
「アオイ、ガンバ!」いつものコイツの言葉なのに今夜の言葉はいつもより温かく感じられた。

 次の日、わたしは午前中から姉のアカネに連れまわされ、結婚式の準備の手伝いをさせられる。昼前にやっと解放されることになり、わたしは姉に頼んだ。「お姉ちゃん。市役所で降ろして」
 わたしのそんな言葉に、姉は嬉しそうにウインカーを出して市役所に向かう。
「おっ、積極的じゃん。良い傾向、良い傾向。
ミス燕子花? それともダイチ?」
「お姉ちゃん、ダイチさんが市役所で働いてること知ってたよね……昨日はそれでわざわざわたしを連れて行ったの?」
 助手席から姉の顔を覗き込むが、普段どうりに笑っているだけだ。
「ご想像にお任せしまーす」楽しそうな笑顔に絶対確信犯だとわたしは思った。
「……もう、お節介焼きなんだから……」そう言って、ふくれるわたしの顔を楽しそうにのぞいた姉だった。

 市役所の二階の地域振興課に昨日に続き顔を出すことになり、遠慮がちにカウンターに近付くと。
「おっと、きみは昨日のアカネさんの妹だね」そう言って、黒縁メガネの四角い顔の人がダイチさんを呼んでくれる。慌てたようにダイチさんが小走りに来てくれた。
「アオイちゃん、どうしたの?」焦り気味にそう聞いたダイチさんは、集まった周りの視線を気にして、柱の影へわたしを隠すようにしてから要件を聞いた。
「昨日のミス燕子花の件で詳しい話を聞いてみようかと思って……」
「じゃあ、場所を変えて。食事しながらでもどう? 昼はもう済ました?」
「いいえ、まだです。ダイチさんは?」
「僕もまだだから。ちょっと待ってて」そう言って、隣の席のメガネの先輩と少し話してから出てくる。メガネの先輩は行ってこいとばかり手をひろひらと振ってわたし達を送り出してくれた。
「近くに美味しいお店があるから案内するよ」そう言われ、ダイチさんについて市役所を出た。緊張気味に彼の後ろを歩く。彼の後ろ姿を見て。「少し痩せたかな?」なんて思いながらわたしはついていった。

 市役所の道を隔ててすぐの所に、お洒落な感じのイタリアンレストランがあった。時間が早かったのか、すぐに席に案内される。対面で席につくと改めて緊張してしまった。
 それでも正面に座って気が付いた。彼の目線が時たま泳ぐ……二年ぶりに会って正面から向きあった事の緊張は、わたしだけじゃあなかったんだ。彼も、ダイチさんも同じだったんだ……。そう思ったわたしは少し緊張がほぐれた気がした。
 時間をかけてゆっくり、焦らず少しづつ。わたし達は言葉を繋ぎ合った。やがて悲しい記憶の陰に隠れていた、様々な楽しかった記憶が目を覚ましだす……。だが、二年と言う歳月はそれらを思い出にするにはまだ短かった。

「……コンテストの詳しい内容はこんな感じだけど……」説明をするダイチさんの歯切れが悪い。「どうして?」っと思って顔を上げると彼は恥ずかし気に視線を外しながら言った。「僕、個人としてはあまりこう言うコンテストには参加して欲しくないかな……」
 わたしは言葉の続きを待つ。しばらく言葉を選んでいたダイチさんは、遠慮がちに目を合わせて言う。「君がみんなの期待に答えようと無理してるように見えたんだ……せっかくこうやって再会出来たんだ。僕は君に無理だけはして欲しくない……」
 彼の目に力が籠っていた。「ありがとうダイチさん、心配してくれて……そうだね、わたし焦ってたかも知れない。一歩ずつ確実にだね」そう言って、彼の目を見てわたしは微笑んだ。やっと、ちゃんと笑えたとこの時思った。「ありがとう、ダイチさん」言葉には出来なかったが、心の中でそう感謝した。

 その後、アドレスと電話番号を教え合い。
今度、ソラに会いに行く約束をした。同級生の遊び仲間であり、ダイチさんの弟だ。ダイチさんと一緒に……これも一歩ずつ前にの一つだ。ミス燕子花の応募用紙は持って帰った。
姉は残念がるだろうが、ダイチさんの言うように、無理はしたくなかった。
 わたしは仕事に戻るダイチさんを見送って家へ帰る。姉はコンテスト不参加には仕方ないと笑っていたが、ダイチさんとお昼を食べた件に関しては、やたら詳しく内容を聞かれた。自分の事以上に楽しそうだった。
「アオイ、結婚式のブーケはあなたを狙って投げるからね。ちゃんと取りなさいよ!」ちゃんと後ろに投げて欲しいとわたしは真剣に抗議したが、どうなるのか当日が不安だ。
 賑やかな夕食後、二階の自分の部屋に戻る。ふと、出窓のカーテンに隠れていた写真立てに気付く。伏せてある写真立て、写っている写真は分かっている。高校時代の仲間との写真……目の前がまた少し暗くなる。触れようと手をのばしたがわたしは手を止めた。
「無理をしない。一歩ずつ……だね」しばらくはこのままにしておこうと思った。

 夜、寝返りをうつとあの頃の事を不意に思い出した。取り留めもない記憶。ダイチさんとはバイトで一緒だった。あの日カラオケボックスで電話を受けて……聞えずらくてお店の外へ非常口から出たっけ、それら駅の改札で待ち合わせして……あれ? あの時、ダイチさん改札口から出てこなくて、後ろから声をかけられたような……。そんな取り留めも無い事を思い出しながら、わたしは深い眠りにとついていった。

 同じ頃、ダイチもベッドの上でアオイの事を考えていた。あの日、弟のソラは卒業の打ち上げで、仲間たち六人でカラオケボックスに行っていた。「兄貴、俺、今日、告(こく)るから!」そう意気込んで家を出ていった弟が心配で電話をした。ソラにではなく、アオイにだ。周りの雑音で聞えづらいようだったが、ダイチはその電話で告白をした。伝わったか不安で改めて電車で会いに行って告白をするはずだった……あの事故がなかったら、そうなるはずだった。
 ベッドから起き上がって、ダイチはスマホで今日登録したアオイへ電話をかけようとアドレスを開く……しばらく考えてやめた。
 昼のアオイの笑顔を思い出す。「やっと、戻って来てくれたんだから……焦るな。一歩ずつだよな」ダイチはそう言って、とりあえず今はそれで満足する事にした。
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