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第五章 再びの、邂逅
#5
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街を出て、エディリーンはアンジェリカの案内で、グレイス子爵の屋敷に向かっていた。お遣いの途中だったという彼女に付き合って、買い求めた肉や果物の入った袋を抱えていた。
グレイス子爵邸は、街から少し離れて、山の中腹にへばりつくようにして建っている。山の気候を利用して、様々な薬草を栽培しているのだった。
そこから供給される薬草は、質が良く種類も豊富で、各地から重宝されている。しかし、子爵夫人は決してそれに驕ることなく、必要な人に適切な価格で行き渡るように管理し、また育てにくい種でも育てやすくなるようにと、品種改良を重ねたりもしているのだった。
「薬草師の方……なのですよね? 剣を使われるのですか?」
歩きながら、アンジェリカは首を傾げて、エディリーンの腰に下げられた剣に視線を落とす。剣を扱う女性もいないわけではないが、珍しい存在であることは間違いないだろう。まともな女のすることではない、野蛮だなんだと世間から言われることは、エディリーンも十分知っている。なので、決まり悪そうに頭を掻いた。
「まあ、一応。護身程度だけど」
大の男を三人ものしておいて、護身程度と言うには謙遜が過ぎるというものだが、薬草師見習いという名目でやってきているので、本業がこちらだと大っぴらに言うのは避けたい。
怯えられたり警戒されたりするかと思ったが、そんな心配は無用のようだった。アンジェリカは目を輝かせ、
「とっても格好良かったです! 先程は、本当にありがとうございました!」
改めて頭を下げる。焦げ茶色の瞳をきらきらさせて、エディリーンに憧れさえ抱いているようにも見えた。
彼女が頭を動かすたびに、ゆるい三つ編みにした赤毛が揺れる。
「前を見ないと、転ぶぞ」
女だと知られると、大抵は奇妙な視線を向けられる。これほど素直な感謝を受けたことはなかった。どう反応していいかわからず、そっと溜め息を吐いた。
「それより、どうしてあんなところに一人でいたんだ? 危ないだろう」
人目に付かない場所は、決して治安がいいとは言えない。女性が一人でうろついていいものではないのが現状だった。
「それは……、ちょっと道に迷ってしまって」
アンジェリカは曖昧に笑って、言葉を濁した。
エディリーンは怪訝な顔をしつつも視線を前に向けた。
「まあ、あまり一人で行動しない方がいいぞ」
「そうですね。気を付けます」
屋敷までは、一本道だった。急な坂になっている個所もあるが、馬でも通れそうなくらい比較的整備された道を、二人は歩いていく。
「大丈夫ですか? 疲れませんか?」
「平気だ。……あんたこそ、大丈夫なのか?」
「わたしはいつもこの道を通っていますから」
アンジェリカが言うと、エディリーンはそう、と微かに笑った。
やがて山道を登り切ると、二階建ての屋敷が見えた。都で見かける華美な様式とは違い、あまり大きくはない建物だった。古びた石造りの壁と、周りの木々に溶け込むような、くすんだ緑色の屋根は、落ち着いた重厚な雰囲気を醸し出している。
門から玄関までの間には古びた石畳が敷かれ、その両脇には畑が整備されていた。これも「貴族の屋敷」と聞いて想像するものとは違う。しかも、植えられているのは日々の食卓に出すための野菜ではなく、薬草や香草の類だった。それとわかったのは、エディリーン自身も、師匠であるベアトリクスに鍛えられているからだ。
畑では、シャツとズボンを泥だらけにした中年の男が、雑草を抜いたり水を撒いたりと作業をしている。男はこちらに気付くと、気さくな様子で声をかけてきた。
「よう、アン。そちらが、今日から来るって言ってた、薬草師見習いさんかい?」
「そうです! エディリーンさん、こちら、デニスさんです。畑のお世話をしてくださっている方です」
アンジェリカはエディリーンに男を紹介する。
にこやかに近寄ってきた男だが、エディリーンの腰の剣を認め、続いてその顔を少し観察して、訝しげな顔をする。
「エディリーンです。お世話になります」
名前を聞いて、男はますますおかしな顔をした。
「さっき、わたしが街で変な男に襲われそうになった時、助けてくれたんですよ!」
またしても目をきらきらさせて、その時の様子を熱心に語る。勘弁してほしい。
「そうなのか」
少し不思議そうな顔をしながらも、それで男は納得したのか、
「ありがとうよ。この屋敷に住んでる人間は、みんな家族みたいなもんだからな」
もちろん今日からあんたもだ、と男は笑って付け加える。
「こんな辺鄙なところによう来なすった。何かと不便かもしれんが、ゆっくりしていってくれや」
男に軽く頭を下げ、その場を後にした。
玄関の重い扉を開けて、中に入る。
入ったところは広間になっていて、両脇に上へ上がる階段があった。床には毛織の絨毯が敷かれていて、靴音を吸い込む。
玄関が開く音を聞きつけたのか、奥からぱたぱたと足音が近づいてきた。
「アンジェリカ、帰ったのね」
現れたのは、六十過ぎくらいの、小柄な老婦人だった。銀灰色の髪を丁寧にまとめ、シンプルで実用的なドレスに身を包んだ上品そうな人だった。
「ただいま戻りました」
アンジェリカが丁寧に頭を下げる。この人が館の主、グレイス子爵夫人だろう。エディリーンも礼をする。
「お世話になります、グレイス子爵夫人。エディリーンと申します」
しかし、顔を上げたエディリーンの目に入ったのは、驚いたように目を見開き、自分を見つめている夫人の姿だった。
「……あなた……」
その様子に、エディリーンが怪訝な顔をすると、夫人ははっと我に返ったようで、慌てて笑顔を作った。
「ようこそ。待っていたわ。山奥で不便なところだけれど、自分の家だと思ってくつろいでね」
「お心遣い、感謝します」
少し前に行動を共にした、王子の近衛騎士だという男にはかなりぞんざいな態度を取っていたが、一応礼儀は心得ている。
「お部屋に案内するわ。アン、お茶を淹れてちょうだい」
「ああ、その前に、怪我の手当てをしないと」
アンジェリカはもう一度、手短に街での出来事を説明する。
「まあ、そんなことがあったのね」
失礼するわね、と断って、夫人はエディリーンの手を取る。
「平気です、これくらい」
気安く他人に触れられるのは、好きではない。しかし、強く拒むこともできず、夫人の柔らかな手に包まれた。
夫人は傷の具合を確かめて、
「血は止まっているけれど、念のため消毒しておきましょう。アン、水と清潔な布と、それから消毒薬をお願い」
「かしこまりました!」
アンジェリカは元気よく返事をして、奥に向かおうとする。その時、玄関が開く音がして、少年が一人、入ってきた。
「戻りました、奥様」
少年は夫人の姿を認めると、頭を下げた。エディリーンと同い年くらいだろうか、活発な印象のアンジェリカとは対照的に、声にも物腰にも落ち着いた雰囲気がある。
「おかえりなさい、ヨルン。問題はなかった?」
「はい。こちら、取引の控えです」
言って、少年は夫人に一通の白い封筒を渡した。
それからエディリーンに目を留め、少し不思議そうな顔をした。
「薬草師見習いの、エディリーンよ。後で夕食の時に、きちんと紹介するわね」
ヨルンはエディリーンに黙礼し、エディリーンもそれに返す。アンジェリカはそんな彼の様子を、何故か厳しい目で見つめていた。
「さあ、こっちよ」
夫人はエディリーンを促して、階段を上る。
グレイス子爵邸は、街から少し離れて、山の中腹にへばりつくようにして建っている。山の気候を利用して、様々な薬草を栽培しているのだった。
そこから供給される薬草は、質が良く種類も豊富で、各地から重宝されている。しかし、子爵夫人は決してそれに驕ることなく、必要な人に適切な価格で行き渡るように管理し、また育てにくい種でも育てやすくなるようにと、品種改良を重ねたりもしているのだった。
「薬草師の方……なのですよね? 剣を使われるのですか?」
歩きながら、アンジェリカは首を傾げて、エディリーンの腰に下げられた剣に視線を落とす。剣を扱う女性もいないわけではないが、珍しい存在であることは間違いないだろう。まともな女のすることではない、野蛮だなんだと世間から言われることは、エディリーンも十分知っている。なので、決まり悪そうに頭を掻いた。
「まあ、一応。護身程度だけど」
大の男を三人ものしておいて、護身程度と言うには謙遜が過ぎるというものだが、薬草師見習いという名目でやってきているので、本業がこちらだと大っぴらに言うのは避けたい。
怯えられたり警戒されたりするかと思ったが、そんな心配は無用のようだった。アンジェリカは目を輝かせ、
「とっても格好良かったです! 先程は、本当にありがとうございました!」
改めて頭を下げる。焦げ茶色の瞳をきらきらさせて、エディリーンに憧れさえ抱いているようにも見えた。
彼女が頭を動かすたびに、ゆるい三つ編みにした赤毛が揺れる。
「前を見ないと、転ぶぞ」
女だと知られると、大抵は奇妙な視線を向けられる。これほど素直な感謝を受けたことはなかった。どう反応していいかわからず、そっと溜め息を吐いた。
「それより、どうしてあんなところに一人でいたんだ? 危ないだろう」
人目に付かない場所は、決して治安がいいとは言えない。女性が一人でうろついていいものではないのが現状だった。
「それは……、ちょっと道に迷ってしまって」
アンジェリカは曖昧に笑って、言葉を濁した。
エディリーンは怪訝な顔をしつつも視線を前に向けた。
「まあ、あまり一人で行動しない方がいいぞ」
「そうですね。気を付けます」
屋敷までは、一本道だった。急な坂になっている個所もあるが、馬でも通れそうなくらい比較的整備された道を、二人は歩いていく。
「大丈夫ですか? 疲れませんか?」
「平気だ。……あんたこそ、大丈夫なのか?」
「わたしはいつもこの道を通っていますから」
アンジェリカが言うと、エディリーンはそう、と微かに笑った。
やがて山道を登り切ると、二階建ての屋敷が見えた。都で見かける華美な様式とは違い、あまり大きくはない建物だった。古びた石造りの壁と、周りの木々に溶け込むような、くすんだ緑色の屋根は、落ち着いた重厚な雰囲気を醸し出している。
門から玄関までの間には古びた石畳が敷かれ、その両脇には畑が整備されていた。これも「貴族の屋敷」と聞いて想像するものとは違う。しかも、植えられているのは日々の食卓に出すための野菜ではなく、薬草や香草の類だった。それとわかったのは、エディリーン自身も、師匠であるベアトリクスに鍛えられているからだ。
畑では、シャツとズボンを泥だらけにした中年の男が、雑草を抜いたり水を撒いたりと作業をしている。男はこちらに気付くと、気さくな様子で声をかけてきた。
「よう、アン。そちらが、今日から来るって言ってた、薬草師見習いさんかい?」
「そうです! エディリーンさん、こちら、デニスさんです。畑のお世話をしてくださっている方です」
アンジェリカはエディリーンに男を紹介する。
にこやかに近寄ってきた男だが、エディリーンの腰の剣を認め、続いてその顔を少し観察して、訝しげな顔をする。
「エディリーンです。お世話になります」
名前を聞いて、男はますますおかしな顔をした。
「さっき、わたしが街で変な男に襲われそうになった時、助けてくれたんですよ!」
またしても目をきらきらさせて、その時の様子を熱心に語る。勘弁してほしい。
「そうなのか」
少し不思議そうな顔をしながらも、それで男は納得したのか、
「ありがとうよ。この屋敷に住んでる人間は、みんな家族みたいなもんだからな」
もちろん今日からあんたもだ、と男は笑って付け加える。
「こんな辺鄙なところによう来なすった。何かと不便かもしれんが、ゆっくりしていってくれや」
男に軽く頭を下げ、その場を後にした。
玄関の重い扉を開けて、中に入る。
入ったところは広間になっていて、両脇に上へ上がる階段があった。床には毛織の絨毯が敷かれていて、靴音を吸い込む。
玄関が開く音を聞きつけたのか、奥からぱたぱたと足音が近づいてきた。
「アンジェリカ、帰ったのね」
現れたのは、六十過ぎくらいの、小柄な老婦人だった。銀灰色の髪を丁寧にまとめ、シンプルで実用的なドレスに身を包んだ上品そうな人だった。
「ただいま戻りました」
アンジェリカが丁寧に頭を下げる。この人が館の主、グレイス子爵夫人だろう。エディリーンも礼をする。
「お世話になります、グレイス子爵夫人。エディリーンと申します」
しかし、顔を上げたエディリーンの目に入ったのは、驚いたように目を見開き、自分を見つめている夫人の姿だった。
「……あなた……」
その様子に、エディリーンが怪訝な顔をすると、夫人ははっと我に返ったようで、慌てて笑顔を作った。
「ようこそ。待っていたわ。山奥で不便なところだけれど、自分の家だと思ってくつろいでね」
「お心遣い、感謝します」
少し前に行動を共にした、王子の近衛騎士だという男にはかなりぞんざいな態度を取っていたが、一応礼儀は心得ている。
「お部屋に案内するわ。アン、お茶を淹れてちょうだい」
「ああ、その前に、怪我の手当てをしないと」
アンジェリカはもう一度、手短に街での出来事を説明する。
「まあ、そんなことがあったのね」
失礼するわね、と断って、夫人はエディリーンの手を取る。
「平気です、これくらい」
気安く他人に触れられるのは、好きではない。しかし、強く拒むこともできず、夫人の柔らかな手に包まれた。
夫人は傷の具合を確かめて、
「血は止まっているけれど、念のため消毒しておきましょう。アン、水と清潔な布と、それから消毒薬をお願い」
「かしこまりました!」
アンジェリカは元気よく返事をして、奥に向かおうとする。その時、玄関が開く音がして、少年が一人、入ってきた。
「戻りました、奥様」
少年は夫人の姿を認めると、頭を下げた。エディリーンと同い年くらいだろうか、活発な印象のアンジェリカとは対照的に、声にも物腰にも落ち着いた雰囲気がある。
「おかえりなさい、ヨルン。問題はなかった?」
「はい。こちら、取引の控えです」
言って、少年は夫人に一通の白い封筒を渡した。
それからエディリーンに目を留め、少し不思議そうな顔をした。
「薬草師見習いの、エディリーンよ。後で夕食の時に、きちんと紹介するわね」
ヨルンはエディリーンに黙礼し、エディリーンもそれに返す。アンジェリカはそんな彼の様子を、何故か厳しい目で見つめていた。
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