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一章

日常の黄昏 その3

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ゴソゴソと宗一そういちはまさぐっていた。
手にしたプラグをコンセントへと差し込んだところで、瀬戸田せとだが声を上げた。
「紅茶、大丈夫よね?」
「え? ああ…」
簡単な返事をし、それからパソコンの電源を入れる。
しばらくすると起動画面が映し出され、モニタには起動処理の英数字の羅列が流れていく。
放課後、帰るのが遅くなり、知り合いの女子生徒のパソコントラブルを解決した直後、瀬戸田せとだに連れてこられたのは、とある小屋だった。
あまり大きいとは言えないその小屋は、ものが散乱していて、一見すると物置にしか見えなかった。
瀬戸田せとだにその小屋の詳細を訊ねると「部室」という返事のみが返ってきた。
フェンシング部の部室にしては、えらく汚くて狭いというのが感想であり、こんな部屋と瀬戸田という組み合わせは不釣り合いな気がした。
ともあれ、この「部室」に連れてこられた宗一そういちは頼み事をされた。
なんでも、部のパソコンが急に起動しなくなったということで、瀬戸田せとだは困っていたらしい。
そこで情報処理室に行けば、パソコンに詳しい者がいると思ったとのことだ。
彼女なりに機転を利かせたつもりなのだろう。
そして、運良く宗一そういちという「パソコンに詳しそうな人」を見つけたということだった。
事情を聞いて、ちょっとほっとしたような残念だったような。
ここに来るまでの間、自分の手を引いていく瀬戸田せとだの気配を身近にしながら、様々なことを考えた。
もしかして、「告白」などということもである。
仮にそうであればどうすればいいのかと何回も思い、それを考える度に心臓が存在感をアピールした。
どのような返答をしようかと頭の中で、様々な言葉をシミュレーションしたのだった。
しかしながら、「部室」に着いてからの頼まれごとで頭の中は一気に冷静になった。
目の前には懇願するような瀬戸田せとだがいた。
彼女にジッと真摯に見つめられ、顔が赤くなるのが自分でも分かった。
パソコンが直るかどうか別問題である。
ただ、あまりの気恥ずかしさから目線を瀬戸田せとだから逸らしつつ、宗一そういちは承諾の意を示した。
宗一そういちが部のパソコンを調べる。
スイッチを入れても電源が入らない。
コードを調べると、すぐに原因は分かった。
電源のプラグがコンセントから抜けかかっていた。
簡単な話、パソコンは壊れていなかった。
いわゆる「ついうっかり」というやつだった。
「直ったよ…」
「本当に!? すごーい! やっぱり相馬君、パソコンに詳しいんだね!」
手を叩いて瀬戸田せとだは喜ぶ。
本当は突っ込みの一つでも入れてやるところなのだろう。
だが、あまりに無邪気な笑顔がまぶしすぎて、それ以上は何も言えない。
「紅茶入れたから飲んで! あっ、ここに座っていいから!」
あまりきれいとは言えないソファを進められる。
低い丈のテーブルの上には紅茶の注がれたカップがある。
そのカップはとても綺麗で、そんなことには普段は全く興味のない宗一そういちにも高い器なのではないかと思わせる。
そんなカップと紅茶が建てる香りが、この場所にはとても場違いに感じられた。
「それにしても、フェンシング部の女子の部室ってこんな場所なんだな…」
辺りを見渡して漏らした感想。
物は乱雑に積み重ねられているし、埃っぽいし、明かりも暗い。
一言で言うと、女の子たちが日々利用している場所には見えない。
場所も校内の端っこの物置のような小屋の中である。
宗一そういち自身、こんな小屋が今まであること自体、知らなかったほどだ。
「あら、ここはフェンシング部の部室ではないですよ」
「えっ!?」
「ここは…」
瀬戸田せとだがそれを言いかけたときである。
突然部室の扉が開く。
あまりに勢いよく開けられたため大きな音がした。
自然、驚いて、宗一そういちは手にしていた紅茶のカップを落としそうになった。
「あ、部長!」
「えっ…!」
その瀬戸田せとだの言葉に驚きつつも、現れた男子生徒を観察する。
やたらと大柄であるが、顔つきはひどく優しそうだ。
眼鏡をかけ、今は朗らかな表情で宗一そういちを見ていた。
ただ、その部長と言われた男の隣には何かがいる。
いや、一言で言うと、おかしな物体だった。
思わず宗一そういちはその物体を指さした。
「ん?」
「いや、なんかその気のせいか…俺にはそこに何かがいるように見えるんだが…」
果たして自分はおかしくなったのか。
そう宗一そういちは考えた。
指をさしているその先には赤くて丸い物体が浮いているのだ。
大きさにして、バスケットボールのボールくらい。
形はトマトそのものである。
しかし、小さくてつぶらな瞳が二つあり、口元はへの字に歪んでいた。
「ああ、これか? これはトマトの妖精のトマトフだ」
「トマト…ふ?」
「うむ。トマトフ」
「いやいやいやいやいやいやいや!」
思わず後ずさりできるところまで後ずさりする。
それからいったんは部室の壁のほうを向き、色々と考えを巡らせる。
「…自分は確かにパソコンを直しに来た。それは瀬戸田せとだに頼まれてだろう? 瀬戸田せとだは学園一の容姿の持ち主で、勉強もスポーツも出来る。そんな彼女に連れてこられた汚い部室で、妖精!? しかもトマトの?」
「なにをぶつぶつ言っている!」
部長と言われた生徒に声をかけられ、振り返る。
やはり、部長の隣にはトマトフと言われた妖精がいた。
夢でも幻覚でもない。
確かに赤い物体はふわふわ浮いているし、今は心なしかニッコリと微笑んでいる気がする。
「部長! この方…相馬宗一そういちくんがパソコンを直してくれたんですよ!」
「なんだと! ではパソコンはもう使えるのか?」
「はい! もうバッチこーいです!」
瀬戸田せとだはぴっと親指を立ててにこやかに返事した。
部長と言われた男が宗一そういちに向き直る。
「すごい! 君はパソコンに詳しいんだな!」
なにやら感銘を受けているようだ。
こういう反応をされれば人は嬉しいものだと思う。
だが、なんだか、そういう気持ちにはなれない。
むしろ、心臓の中がドンドン不安の液体で満たされていくようだ。
「あっ! 紹介遅れました。こちらの方はこの『退魔クラブ』の部長の雲野俊美うんのとしみです」
にこやかに瀬戸田せとだが言う。
それを受け、宗一そういちは怪訝な表情を示した。
「たいま…くらぶ…?」
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