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五章

繁華街 その6

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「お前情けなくないのか!?」
先ほどからぶつけられていた言葉をまたぶつけられたしのぶ
大悟たいごはまったくもって信じられないものを見る顔つきで、自分の弟の無様な面相を見ていた。
「なんで、女一匹くらいさらってこれねぇんだ? しかも十人がかりだぞ? 良くそんな情けない奴らばかり十人も集めたもんだな、お前っ!」
「だけど、兄貴…さすがにあれは無理だって…さっきから何回も言っているけど…」
それも何回も口にした台詞である。
しのぶはもはや泣きそうな様子で先ほどから兄の大悟たいごと何回も同じやりとりをしていたのだった。
「もう一回行ってこい、てめー!」
「いやだ! もう無理だ! あんなのどうしようもないよ!」
今までかつてこんな言葉を口にしたことはない。
むろん、大悟たいごのほうも、こんな弟の姿を見たことはなかったはずである。
思い出せば思い出すほど恐ろしい体験をしてしまった。
街で瀬戸田せとだプリンに声をかけ、裏路地の人通りが少ない場所へと連行したまでは良かった。
その場所に着くなり、相手は「じゃ、やろうか」という一言でしのぶの取り巻きで一番体格の良い少年の腹部に拳をたたき込んだ。
一撃で悶絶する少年。
周りの他の者たちはいきり立って少女に襲いかかったが、皆次々とたたき伏せられた。
残ったしのぶはなにがなんだか分からずにいた。
「みんなもう立てないよ。神崎かんざきさんだよね?」
そう訊ねながら、プリンはしのぶの顎に手を掛けて、その整った顔を息が届く距離まで近づけてきた。
「どうしてプリンにこんなことするの? プリン悪いことなんてしてないのに」
問われている内にハッとした。
こんな女に自分の手下が全滅させられていた。
夢。
これは悪い夢か、はたまた人生で一度あるかないかの偶然だ。
きっと瀬戸田せとだプリンという少女に付いている神様が起こした奇跡なのだとしのぶは本気で思い込んだ。
正気ではなかったと思う。
だから、「こんな奇跡は長続きしない」という結論がしのぶの頭の中を支配したのだ。
気付いたときにはしのぶは目の前過ぎる場所にあった少女の髪の毛に手を掛けていた。
そして、思い切り、引っ張り、プリンを引き倒したのだった。
「俺はお前を拉致って、為吉ためきちのやつおびき出して、お前の見ている前であいつを痛めつけてやろうと思ったが、やめだ! てめーすげーむかつくな! むかつくから、この場でお前がひぃひぃ言うくらい平手打ちしてやるぜ!」
確か、そんなことを口走ったと思う。
次の瞬間、プリンはゆっくりと立ち上がると、制服に付いた埃を手でたたき落とし、女独特の恨みの情念すら感じさせる眼差しを向けてきた。
「悪い子だよね、神崎かんざきさん。ちょっと懲らしめてやらなきゃダメかな…」
その後、彼女は視界から消えたかのような錯覚を覚えた。
次のことはあまり記憶にない。
ただ、頭の中が何回か光り、気付いたら、前進から力が逃げてしまっていた。
それこそ、自分が立っていられないほどにだ。
路地にある建物の壁にもたれていた。
瀬戸田せとだプリンはそんなしのぶの額の辺りを自身の靴のつま先で小突いた。
「これで懲りたかな? あと、神崎かんざきくん、女の子痛めつけるなんて嘘やめた方がいいよ。そんなことしたことないでしょう? プリンには分かるよ。こんなこと似合ってないからさっさとやめるんだね。次に会ったときに、またこんなことしていたらその時はプリン、本気で怒るから…」
そう言って、瀬戸田せとだプリンは去って行った。
この辺り記憶が曖昧だったが、次はないということと、あと自分の頭を小突いたときにプリンのスカートの中身がちらりと見えたのは覚えている。
確か灰色と黒のストライプだったと思う。
これからその柄を見るときは必ずこのときのことを思い出すに違いない。
そのことはしのぶ自身でも予測できた。
「おい、しのぶっ! 聞いてんのか?」
いつのまにか、自分一人の世界に行ってしまっていた。
兄の言葉を受けて我に返るしのぶであった。
「とにかくだ…。お前が十人がかりで、女一人連れてこれないってのは現実の話だな?」
「あ、ああ…」
「…そんな話がこの界隈に広まったら、俺はなめられる。弟がこんなやつだと馬鹿にされる。馬鹿にされてなめられたら、この世界はおしまいなのは分かるな?」
「ああ…もちろん」
問われたことに対して、応える姿には懸命さすら浮き出ているしのぶである。
大悟たいごは自分の額を押さえて、しばし、何かを考える。
ポケットからタバコとライターを取り出して火を点けた。
辺りにタバコの煙とにおいが充満する。
「…しかし、このところは本当にろくなことがねぇ…。組織に納めるはずだった金の入った封筒もどこかに行きやがったし」
ぶつぶつと口にして、タバコを灰皿に押しつけて火を消していた。
「腹が立つことこの上ねぇ…。もういい、しのぶ…」
「えっ!?」
「俺が見本を見せてやるよ。へこませてくればいいんだろ? その板東ばんどうとかって言うやつを…」
にんまりと笑いながら大悟たいごは言うのだった。
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