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六章

恋する娘と男の子 その10

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「ようやく、この日が来た」
いまだに先だっての為吉ためきちとの戦いの傷が癒えない顔でしのぶは言った。
校門の前で手下の学生と共に、なにかの決意でもしてきたかのような清々しい表情であった。
あのにっくき板東為吉ばんどうためきちと再び雌雄を決するときが来たのだ。
今回は兄である大悟たいごの支援もある。
とりあえず、あのおっかない瀬戸田せとだ姉妹の妹のほうが出しゃばりさえしなければなんとでもなってしまうとしのぶは確信していた。
そう。
あの瀬戸田せとだ姉妹の妹のプリンさえいなければ…。
「ううっ…」
唐突に頭を抱え、うずくまりそうになるしのぶ
「どうしたんですか? 神崎かんざきさん!」
しのぶの様子を見た手下の一人が声を掛ける。
「…いや、ちょっとトラウマがな。嫌なこと考えちまった。これからってときに良くないな…これは」
後半の独り言じみた言葉に手下たちは一瞬怪訝な顔つきを示した。
「とにかく行くぞ…!」
気を取り直してである。
いざ、為吉ためきちを引きずり出して、ワルの本領を発揮しようとしのぶたちは動き出した。
彼らが校門をくぐったときである。
「ん?」
彼らは意気揚々として校内の敷地に入った瞬間、その足を止めた。
何かが遠くからやってくる。
全員が目を細めた。
「なんだありゃ?」
「さあ…」
そんな会話を始めようとしていると、みるみるその「発見物」は大きくなっていた。
近づき、大きくなるにつれて、その様子が分かってくる。
その正体が認識できたときには、すでに自分たちの目の前に彼は現れていた。
彼とは宗一そういちである。
猛烈な勢いでこちらに走ってきていたのだった。
宗一そういちしのぶたちの前で立ち止まると、うずくまりそうな姿勢で荒い息を吐き吸いしていた。
しのぶは思わずにんまりとした。
「おい…! お前っ、確か為吉ためきちのやろうの知り合いだったな? お前の仲間に用がある。連れてこい!」
それを告げた瞬間である。
「仲間とか言うなーっ!」
いきなり大声を上げて、宗一そういちしのぶに詰め寄る。
その剣幕に押されて、しのぶは思わず怯んだ。
「ま、まあ、とにかくあいつを呼べ!」
「絶対に嫌だ!」
即答される。即刻拒否である。
しかもやはり凄い迫力のある態度で。
しかし、意味が分からない。
だからこそ、しのぶたちも戸惑うしかなかった。
「みーっけた!」
そんな声がした。
聞いていると気分が悪くなる猫なで声である。
なんだか、聞いた瞬間、しのぶの神経すべてがざわりとした。
「げっ!」
宗一そういちが奇声を上げる。
一瞬の間にその気持ちの悪い声を上げた主である為吉ためきちは肉薄すると、宗一そういちを羽交い締めにした。
「やっと捕まえたぞ、マイスイートハニー!」
「てめー、ふざけんな! 離せ! ぶっ殺すぞ!」
「ハニーになら殺されても本望だ、俺は!」
「なにとんでもないことさらっと言ってのけてんだ! もう嫌だ! 神崎かんざき! 頼むから助けてくれぇぇぇぇぇっ!」
大絶叫。
そして、目の前で展開されている光景は信じがたい光景。
一言で言うならば地獄絵図。
しかし、どうして自分たちの目の前でこんなことが起きているのか。
分からない。
どうしてたも分からない。
これに関しては、自分たちが勉強というものを軽視し、まった授業をサボりまくってきた付けとかそういうものではないだろう。
次元が違う。
つまりのところ、理解の範疇を超えた出来事が目の前で繰り広げられている。
様々なことをしのぶは考えた。
生まれてからの自分の思い出。
そして、自分がこれからどうするべきかなど、脈絡も時系列もメチャクチャではあったが。
つまりは混乱していた。
時間にして、為吉ためきちが現れてから一秒も経過しない間の出来事である。
そんな感覚的には長い長い時間が経過した後に、しのぶが口にした台詞はこれである。
「へっ?」
「だから、こいつを殺してくれ!」
「い、いや、殺してくれって言われても…!」
「一万までなら出す!」
「一万って…言われても…。俺ら殺し屋じゃないし…。俺たち為吉ためきちのやろーにヤキを入れに来ただけだしな…」
自分の手下たちに同意を求めた。
やはり、惚けた顔つきの二人もうんうんと頷いていた。
「なんでもいいから!」
「そう言われても…助けようがないし…。第一、助けると言っても…その、なんだ。おれたち一応ワルなんだし…」
冷静になりかけていた頭で、ようやくひねり出した答えがそれである。
その言葉に二人の手下もうんうんと頷いていた。
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