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二章

グリーンヘイブン その4

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陽の光が豊かな青空を彩っていた。温かな風が街を包んでいた。
しかし、その陽気な天候とは裏腹に路地は静かで薄暗い。
そこは狭く、幾筋もの石畳が敷かれていた。石畳は年月と共に摩耗し、凹凸が生じていた。そんな宿屋の裏手にある建物同士の隙間にアリアとエリックはやってきていた。
彼に話があったのだ。
ゆえに朝方、眠そうな目を擦りながらランディの書き置きを見つけて首を傾げていたエリックを捕まえてとりあえずは人気がない場所へと連れて来た。
「おいおい。朝起きたらまず顔を洗う主義なんだ。いきなり腹ごしらえになるとは考えてもいなかったな。そもそもこんなところに美味い飯屋があるのかい?」
「残念だけど、そのまえに話があるの」
「話? 話なら別に宿でも良くないか?」
「人に聞かれたくないのよ」
「愛の告白…なわけないよな?」
相変わらず朝から軽口を叩いているエリック。
まだボサボサの髪を掻いているその表情は、さっさと終わらせてくれとでも言わんばかりである。
「結論から話すわ。『時空のコンパス』のことをあなた知っているでしょ?」
その言葉を投げかけた途端、エリックは肩をすくめる。
「いきなりだな。どうしてそう思う?」
「否定はしないのね? 昨日、わたしが部屋で『時間と空間が歪んでいる』という話をしたときにあなたの態度が変わったことに気づいたからよ」
それを説明すると、エリックは短く「ああ…」と答えたのみだった。
ばつの悪そうな顔つきになり、アリアに向き直る。
「…昔から隠し事は得意じゃないんだよ。なんで、王は俺なんかにこの役目を申しつけたのか…」
「その物言いからしてもう隠す気はないみたいね」
「まあ、というか、気づくよな、普通」
「そりゃあ、仕事を受けた日に騎士団から派遣されてきたとか露骨すぎるでしょう? 確か《白狼騎士団》アウロラナイツだっけ?」
「そう。白狼騎士団アウロラナイツ…」
「それは本当なの?」
「本当さ。数年前に配属された」
呆れてしまう。
白狼騎士団アウロラナイツと言えば、シルバートーン王国では有名な騎士団なのだ。
「ちなみに逆に聞きたいんだけど、彼は…ランディは『時空のコンパス』のことは知っているのかい?」
「話してないわ…」
その答えを聞いてエリックは感心したように「ほう…」と声を上げた。
「口止めされていたしね。でも何か感づいていると思うわ。彼…。今日の朝いなくなっていたでしょう? それが証拠よ」
書き置きがあったのだ。
エリックが最初にそれを発見して内容を確認したところ、「調べ物をしてくる」との短い文言だった。
その素っ気なく無愛想な置き手紙を見てアリアは確信したことがあった。
「彼は前からそうなのよ。きっと昨日のわたしの話で何か感じるものがあったんだと思う。たぶん今頃は書物や古老に話を聞きに行っているわ」
「『時空のコンパス』のこと?」
「逆よ。時間と空間を歪めることが出来る《古代の遺物エルダーレリック》やその他の現象がないか。過去にそう言った事件がなかったかを調べているはず。そこから『時空のコンパス』の存在を探り当ててしまうかも知れないわ」
実のところ、『時空のコンパス』という名称とそれにまつわる話はアリアはいくつか聞いたことがある。いや、冒険者ならば、必ず知っているほどには有名な《古代の遺物》エルダーレリックだった。
そもそも『時空のコンパス』は世に一つだけではない。
様々な場所、様々な時代に出現し、その度に大きな事件を引き起こしてきた。
そして、その事件のいくつかは伝承や英雄譚として現在まで残っていたりする。
「でも昨日、アリアがその話をしたときに、彼は否定的だったように見えたけど…」
「その辺りは実にランディらしいと思う。たぶん、そうは言いつつも、やはりなにか引っかかるものがあったんだと思う。最初はそう思っても考え直したんだわ」
それがゆえにまずは自分で調べて納得してから本格的に否定する。そういった場面を過去にアリアは何回か見たことがあった。
「そして、先ほどの話の続きよ。まずわざわざあなたのような騎士様をお目付にするくらいなら、どうして陛下は自分のところの騎士団やまたは調査団を送り込まなかったの? そのほうが早いと思うけど?」
「うーん…。それには色々と事情があると思う。俺も自分の想像の域を出ないけど」
「参考に聞かせてくれるかしら?」
「陛下がどれほどこの件について危険なことだと考えているか…だけど。もしも本当に危険だと考えているならこのダンジョンを封鎖して騎士団を派遣すると思う。だけど、そこまで『時空のコンパス』についての危機感を抱いていないとすると、騎士団の戦力が削がれることを危惧した可能性があるよ」
この優男は優男らしい爽やかな笑顔でそう言った。こうして見ると、素敵な表情に見えなくもないが、身支度もしないで宿を出たので髪は寝癖まみれだった。
確かに彼の言うとおりだった。
このフローズン・シャドウホール自体がそもそも危険なのだ。国王が『時空のコンパス』と『穴』を天秤にかけたときダンジョンのほうが重いと考えればそうかもしれない。
「逆に『時空のコンパス』が危険であるという認識があるとすれば、それを悪用されることを恐れているのかも知れない」
「どういうこと?」
「たとえば王国にも派閥やらがある。残念なことに国王に対して、あまり良くない考えを持つものもいる。今回の件はごく一部の者たちが知っているだけで、秘密裏に処理しようとしているのかも知れない。もしもそんなに危険かつ大きな力を持つもののの存在を知ってしまったら、自分が手に入れて、この国と民にとっては良くないことのために使うかも知れないからね」
「………」
「もっとも、俺も全部を聞いているわけじゃないんだ。俺はアリア、君の目付をして報告を上げさえすれば、例の件をなんとかしてやると言われただけなんだ」
「例の件?」
「まあ、ちょいとやらかしちまって…」
「女性関係でしょう? どこかの貴族の娘さんに手を出したんでしょう、どうせ」
そう問い詰めたエリックからは反論がなかった。どうやら図星らしい。
「最低っ…!」
やや侮蔑の意を込めてアリア。
エリックならありそうだと思って口走ったが、本当に相手が否定しないとなれば、なんだかそう思えてしまったのだ。
「まあ、そのことは言われてもしょうがないと思っている、それより俺はこっち側の事は包み隠さず答えたつもりだ。今度は俺が聞いてもいいかな?」
「なあに? 言っとくけど、あなたみたいな男性は好みではないわ」
その応答に困惑したような顔つきを示すエリック。
「俺が聞きたいのは君の男性の好みではなくて、本当に『時空のコンパス』をどうするかだよ」
「むろん、最初の契約通りに陛下の使いに渡すわ。奪取が困難なら破壊するわ」
「それがいい…」
そういった彼の顔つきはやや険しいものだった。
もしも渡さなかったら恐らく自分は大きな大きな事件に巻き込まれるだろう。そして、その最中で命を狙われ、命を落とすのだ。
輝かしくない未来が待ち受けているのは、エリックの表情の変化を見て読み取れていた。
『時空のコンパス』はその名の通り、時間と空間を操ることが出来るとも言われているほどに危険なものだ。
過去にこの《古代の遺物》エルダーレリックに関しての人類の付き合い方は破壊か、または賢者によりどこかに封印されたのみとなっている。例外というのはあったとしたら、それはどんなことになるのだろうか。そのことに関してはアリアもあまり想像したくなかったのだ。
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