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おまけ(本編とは関係無し)

脳裏にこびりつく呪い

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人の思い出というものは厄介だと思う。

記憶というものは時に人を苦しめる。

優しいものでも、苦しいものでも。

思い出とは、脳裏にこびりつく呪いである。
不思議の国の住人の中に、
そんな苦しい思い出に囚われている者が一人。

名無しの殺人鬼であり、どの世界の戸籍にも
存在していなかった男、帽子屋である。

決して自分を語らず、極度の女性嫌い。
この国に来た当初は、女性を見るだけで
強い拒絶反応を示していたという。

そんな女性に怯えるだけだった彼も、
前に進もうとしていた。

「女性嫌いを克服したいんです」

「今更過ぎません?」

「今更……と思われるのも無理はありません
私は……昔よりもましにはなりましたが、
それでも、今まで逃げていましたから……」

「それで、どうして三月に?」

「三月くんなら、私のこんなわがままな
頼み事に応えてくれそうだったので……」

「…………まあ良いでしょう
期待されたからには、最後までお手伝いします」

「ありがとうございます
私ごときが頼み事なんて烏滸おこがましいのですが、
出来れば付き合って頂けると嬉しいです」

「では三月はもう一人呼んでくるので、
帽子屋はお茶会の準備をお願いします
参加者は三月が用意しますので」

「お茶会の準備? 分かりました
いつでも始められるように準備しておきますね」

頭に疑問符を浮かべる帽子屋とは違い、
ニヤリと笑いながら三月はもう一人の助っ人を呼びに行った。






「女性だらけのお茶会も新鮮で良いわね」

「こらラミリ、そんなに食べたら
皆の分が無くなるじゃないか!」

「いーやー、このお菓子全部私のものなの!」

「ねえねえ、あなたは不思議の国の
住人の中ではどなたがお好き?
私は勿論シャロン様! いずれは彼が私に
プロポーズしてくれる予定なのよ!」

「わあ、おめでとうございます
えっと、私はただの歌姫なので……
恋愛とは縁が無いんです……ごめんなさい」

「今日は女性だけか……
どうせならえっくんも一緒が良かったな」

「仕方なくないねシャリー、明日えっくんを誘おうよ」

「レイス、お茶」

「かしこまりました」

レイスがローテローゼのカップに
心茶を注いでいる中、
帽子屋だけは青ざめた顔で座っていた。

「…………………三月くん、これはどういうことですか?」

「嫌いなら直接女性と話すことで改善されるかなと」

荒療治あらりょうじ過ぎるだろ」

レイスがローゼの皿にお菓子をよそいながら冷静に突っ込んだ。
その立ち居振舞いはまさに執事のそれだ。

「どうせならレイスくん達も一緒に……」

「執事が主人と同じ席についたらまずいだろ」

「三月は帽子屋のヘルプなので」

「どこのホストだよお前は」

「あ、それ良いですね
せっかくですしホストみたいにしてみます?」

「お前は優しさを人間界に捨ててきたのか?
帽子屋にそんなのやらせたら負担がでかすぎるだろ」

「レイス何やってるの
他の参加者のお菓子もよそってあげなさい」

「かしこまりました」

「ちょ、レイスくん待っ……」

「すまねえ、お茶会では俺は執事ポジションなんだ
困ったら三月に頼ってくれ」

唯一の頼りであるレイスに裏切られた後、
帽子屋はしばらく何も言わずに紅茶を飲んでいた。
勿論なるべく女性と話したくないからである。
そこですかさず三月悪魔が話しかける。

「どうしたんですか帽子屋
女性嫌い克服するんじゃなかったんですか?」

「………確かにそうは言いましたが、
私は徐々に慣らしていくつもりだったんです
いきなり女子会に放り込まれた
このアウェー感は、あなたには分からないでしょうね」

少し嫌みを込めて言ったつもりだったが、
三月には全く伝わっていないようだった。

「そんなの三月には知ったことではありません
そんなちまちまやるくらいなら、
一気に前進させる方が手っ取り早いですから」

帽子屋は全く悪気の無さそうな三月を見つめながら、
ああ、この人に頼むんじゃなかったと後悔するのだった。

「レイス、ジャム塗ってちょうだい
今日はいちごジャムが良いわ」

「かしこまりました」

頼みのレイスは今もローゼに付きっきりで、
今はスコーンにいちごジャムを塗っている。
というか、それくらい自分でやれよ。

「レイス、私のスコーンも塗ってちょうだい」

「お嬢様はどちらを塗ります?」

「そうねぇ……おまかせで良いかしら」

「では生クリームはいかがでしょう」

「ならそれでお願い」

「かしこまりました」

ローゼだけではなくアリスにも呼び出されてるので、
このお茶会ではなかなか助けを求める機会は無さそうだ。
それにしてもレイス、人気者だな。

「ねえレイス、私の紅茶注いで」

「あ、私もお願い出来る? 私はレモンジャムが良いわ」

「あの、私もお願いして良いですか?
アリスさんと同じ生クリームが良いです」

「レイス人気者ですねぇ、
これはもう、帽子屋は三月に頼らずにはいられませんね」

「私としては、レイスくんに頼りたい所なんですけど…」

「それは仕方ないですよ
レイスはここに来る前は、サボりはするものの有能でしたから、
評判は良い方だったんですよ? そりゃああなりますって」

「もしかして、分かっててレイスを呼びました?」

「さて、それはどうでしょうね」

やっぱり三月は信用ならない。
何だろう、普段はそんなことは無いのだが、
今回に限っては、三月の笑顔が悪党のそれに見えた。

「大丈夫かい、帽子屋」

そんな三月とは違い、
私の心配をしてくれたのが、チェシャ猫だった。

「ええ、大丈夫です」

「本当に大丈夫なのかい?
三月が突然女子会を開くとか言い出したから参加したけど、
まさかあんたの克服に付き合わされるとはね」

「すみません、全て私のわがままなんです」

かつての母は、私がわがままを言うと怒った。

あの人はそんなこと言わない。

あの人はいつも笑っていたと。

口を開けばいつも父の話ばかり。

私は母が愛した父と同じになるためだけに生まれた存在。

そこに私の意思なんて、入り込んではならない。

わがままとは悪だ。

わがままを言えば、母を悲しませてしまうから。

やはり別人なのだと、泣かせてしまうから。

だから私は、母が愛した父を演じた。

もう二度と、母が悲しまないように。

「そんなことないよ、あんたは人間なんだから、
いくらでもわがままを言っても良いんだ」

「…………でも、迷惑じゃ……」

「過去に何があったかは知らないが、
人間は多少わがままなくらいがちょうどいいんだよ
あんたは少しお利口過ぎるのさ
たまには周りを困らせたって良いんだ」

わがままでも……良い?
私の意思は、あっても良いの?
もしそれが許されるのならば、
この国は、わがままを言っても良いのなら……

「もしそうなら、たまにはお利口な私じゃなくなっても、
許してくれますか?」

「勿論さ、たまには肩の力を抜いた方が良い
それであんたの気が済むのなら、
私はいつでもあんたのわがままに付き合うよ」

「それなら、責任とって
私のわがままに付き合って下さいね、チェシャ猫さん」

「ああ、いつでも待ってるよ」

「……………はい、ありがとうございます」


たまには、少しだけわがままになってみよう。
この国ならば、私は女性嫌いを克服出来るかもしれない。
今まで恐怖の対象でしか無かった女性が、
この日少しだけ、魅力的に見えた。


【おまけ】脳裏にこびりつく呪い 終
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