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昼過ぎにもかかわらず、マグロナルド店内は照明が落とされて暗く、入り口の扉では定休日の札が揺れていた。
「それで、明け方近くまでツーリングしてたの? ロマンチックじゃん!」
塗料の缶が立てる小気味よい音を楽しむように道具箱を揺らしながら、アスカがくるりとリーリエを振り返った。
「いい気分転換になったでしょ!」
「うん。嫌な気分も吹き飛んじゃうくらいには」
リーリエとアスカが運ぶ塗料の缶が、二人の歩調に合わせて音楽を奏でるように鳴っている。
「エドガーも、なかなか気が利いたことするんだね。やっぱ、約束は守ってこそだよ」
昨日のエドガーとの外出の話をひとしきり話したリーリエに、アスカがにこにこと頬を緩める。満面の笑顔で見つめられたリーリエも、昨日の楽しい時間を思い出しながら相槌を打った。
「あー、シェル湖のリゾートなんていいなぁ。あたしも行きたかったなぁ」
踵を返したアスカが、呟きながらマグロナルドの店内に入っていく。
「今度はアスカも行こうよ、三人で」
「えっ、ダメだよ!」
壁際の席にリーリエを案内していたアスカが突然立ち止まって振り返り、顔の前で人差し指を立てて左右に振った。
「……あ、レッド・アローは二人乗りだから二人になっちゃうし?」
「あー、そうじゃないけど。それもそうだなぁ……」
驚いたリーリエが慌てて言い添えると、アスカはぶつぶつと呟きながら再び歩き出した。
「おー、アスカくん。リーリエくんも、急に頼んで済まないね」
奥の事務所の扉が開き、白髪の店長が姿を見せる。二人とは祖父と孫ほどの年齢差のある店長は、アスカとリーリエを見つめ、丁重に頭を垂れた。
「いえ。ちょうど何か描きたいと思っていたので、お声がけ頂いて嬉しいです」
そう言いながらリーリエも頭を垂れ、塗料の入った道具箱を床に置いた。
「で、この壁なんだけど――」
リーリエに倣って道具箱を下ろしたアスカが、ボックス席に進んで壁を示す。
店内の壁にはアーカンシェルの街並をコンセプトとした絵が描かれており、このボックス席はちょうど街路樹の部分に当たる。だが、話に聞いていた通り、その絵の上に子供の手形が幾つもつけられていた。
「ふふっ」
小さな木の葉のようなケチャップ色の手形に、思わず噴き出す。リーリエの反応に安堵したように、アスカが小さく身体を揺らして笑い、店長も苦笑を浮かべた。
「参っちゃったよ。気づいたらこんなことになっててさ」
「気づいたらあちこちケチャップまみれだったんだよねぇ。ママたちの悲鳴とキッズたちの顔が面白くて、爆笑しちゃった」
店長とアスカの語る様子から、その場を想像してリーリエもつられて笑う。自分の絵を汚されたという感覚は不思議と湧いてこなかった。
「小さい子のしたことだし、怒るわけにもいかなくてね」
「味があっていいですね」
街路樹の絵に映える子供たちの手形がまるで紅葉した木の葉のようで、リーリエは創作意欲を刺激されるのを感じながら訊ねた。
「この手形、残してもいいですか?」
「え? 消さなくていいのかい?」
眉を持ち上げて目を瞬かせる店長に、リーリエは柔らかに笑って頷いた。
「ちょうどボックス席の部分ですし、ファミリー向けの絵に直してもいいかなって」
「いいね! それ最高!」
身体を左右に揺らしながら楽しげに相槌を打つアスカを見て、店長も納得した様子で頷いた。
「アスカくんが言うなら、それでお願いしようかな」
「はい!」
リーリエは大きく頷くと、早速型紙を用意して子供たちの手形を保護し、製作に入った。
「消さないだけじゃなくて、増やすんだね」
アスカがリーリエを手伝って子供たちの手形の型紙を作りながら、感心したように呟く。
「うん。街路樹も鮮やかになるし、なんかいいなって」
街路樹の葉の色に合わせて暖色系の塗料を混ぜて吹き付けながら、手形の型紙を組み合わせて鮮やかに広げていく。
仕上げに七色の塗料でアーチを描くと、壁に描かれたアーカンシェルの街並の中に美しい虹がかかった。
「いいじゃん!」
完成した壁の絵を眺めながら、アスカがぱちぱちと手を叩いている。傍らの店長も満足げに何度も頷いた。
「リーリエ、こういうのも描けるんだね!」
「描くのは初めてだけどね」
子供たちが無邪気につけた手形を活かしたいと考えたのは、昨日の経験も大きく影響しているだろう。胸の中に残っている高揚感に顔を綻ばせながら、リーリエは少し下がって壁の絵を眺めた。
「昨日のイベントで、ちょっと創作意欲を刺激されたんだ」
「あ、さては、リゾートエリアのライブペインティングイベントでしょ!?」
「知ってるの?」
的確に言い当てられて目を瞬くと、アスカはにこにこと笑って続けた。
「うちの美大からも何人か参加してたらね。あのイベントに出たんだ……そっかぁ~」
「……? アスカ?」
ご機嫌に微笑むアスカはリーリエと肩を並べて、身体を寄せるように軽く小突く。
「うんうん。言わなくてもわかるよ、誰かさんと一緒で楽しかったんだよね?」
「もうっ。エドガーは、そういうんじゃなくて誘ってくれたんだから」
からかわれているのだと気づいたリーリエは、頬を膨らませて抗議した。
「本当に、そうかなぁ?」
「……わからないけど……」
じっと目を見つめて問いかけられると、不意に自信がなくなる。他に意味があったのだろうかと困惑しながら視線を彷徨わせると、リーリエの前髪をアスカがくしゃりと撫でた。
「ふふふっ。ごめんごめん。ちょっとからかってみただけ」
「もーっ」
仕返しとばかりにアスカの髪を撫で、思い切り頬を膨らませて見せる。
「あはははっ、ごめんごめん」
アスカはゆっくりと後退しながら片目を瞑って謝罪すると、確かめるようにリーリエの顔を覗き込んだ。
「でも、その様子だと楽しかったんでしょ、エドガーとのデート」
自分では単なる気分転換の遠出のつもりだったが、やはりなにか意味があったのだろうか。
「幼なじみでも、デートっていうのかなぁ?」
「言っちゃダメってわけじゃないよ」
アスカの答えを聞きながら、リーリエはエドガーの笑顔を思い出していた。
「それで、明け方近くまでツーリングしてたの? ロマンチックじゃん!」
塗料の缶が立てる小気味よい音を楽しむように道具箱を揺らしながら、アスカがくるりとリーリエを振り返った。
「いい気分転換になったでしょ!」
「うん。嫌な気分も吹き飛んじゃうくらいには」
リーリエとアスカが運ぶ塗料の缶が、二人の歩調に合わせて音楽を奏でるように鳴っている。
「エドガーも、なかなか気が利いたことするんだね。やっぱ、約束は守ってこそだよ」
昨日のエドガーとの外出の話をひとしきり話したリーリエに、アスカがにこにこと頬を緩める。満面の笑顔で見つめられたリーリエも、昨日の楽しい時間を思い出しながら相槌を打った。
「あー、シェル湖のリゾートなんていいなぁ。あたしも行きたかったなぁ」
踵を返したアスカが、呟きながらマグロナルドの店内に入っていく。
「今度はアスカも行こうよ、三人で」
「えっ、ダメだよ!」
壁際の席にリーリエを案内していたアスカが突然立ち止まって振り返り、顔の前で人差し指を立てて左右に振った。
「……あ、レッド・アローは二人乗りだから二人になっちゃうし?」
「あー、そうじゃないけど。それもそうだなぁ……」
驚いたリーリエが慌てて言い添えると、アスカはぶつぶつと呟きながら再び歩き出した。
「おー、アスカくん。リーリエくんも、急に頼んで済まないね」
奥の事務所の扉が開き、白髪の店長が姿を見せる。二人とは祖父と孫ほどの年齢差のある店長は、アスカとリーリエを見つめ、丁重に頭を垂れた。
「いえ。ちょうど何か描きたいと思っていたので、お声がけ頂いて嬉しいです」
そう言いながらリーリエも頭を垂れ、塗料の入った道具箱を床に置いた。
「で、この壁なんだけど――」
リーリエに倣って道具箱を下ろしたアスカが、ボックス席に進んで壁を示す。
店内の壁にはアーカンシェルの街並をコンセプトとした絵が描かれており、このボックス席はちょうど街路樹の部分に当たる。だが、話に聞いていた通り、その絵の上に子供の手形が幾つもつけられていた。
「ふふっ」
小さな木の葉のようなケチャップ色の手形に、思わず噴き出す。リーリエの反応に安堵したように、アスカが小さく身体を揺らして笑い、店長も苦笑を浮かべた。
「参っちゃったよ。気づいたらこんなことになっててさ」
「気づいたらあちこちケチャップまみれだったんだよねぇ。ママたちの悲鳴とキッズたちの顔が面白くて、爆笑しちゃった」
店長とアスカの語る様子から、その場を想像してリーリエもつられて笑う。自分の絵を汚されたという感覚は不思議と湧いてこなかった。
「小さい子のしたことだし、怒るわけにもいかなくてね」
「味があっていいですね」
街路樹の絵に映える子供たちの手形がまるで紅葉した木の葉のようで、リーリエは創作意欲を刺激されるのを感じながら訊ねた。
「この手形、残してもいいですか?」
「え? 消さなくていいのかい?」
眉を持ち上げて目を瞬かせる店長に、リーリエは柔らかに笑って頷いた。
「ちょうどボックス席の部分ですし、ファミリー向けの絵に直してもいいかなって」
「いいね! それ最高!」
身体を左右に揺らしながら楽しげに相槌を打つアスカを見て、店長も納得した様子で頷いた。
「アスカくんが言うなら、それでお願いしようかな」
「はい!」
リーリエは大きく頷くと、早速型紙を用意して子供たちの手形を保護し、製作に入った。
「消さないだけじゃなくて、増やすんだね」
アスカがリーリエを手伝って子供たちの手形の型紙を作りながら、感心したように呟く。
「うん。街路樹も鮮やかになるし、なんかいいなって」
街路樹の葉の色に合わせて暖色系の塗料を混ぜて吹き付けながら、手形の型紙を組み合わせて鮮やかに広げていく。
仕上げに七色の塗料でアーチを描くと、壁に描かれたアーカンシェルの街並の中に美しい虹がかかった。
「いいじゃん!」
完成した壁の絵を眺めながら、アスカがぱちぱちと手を叩いている。傍らの店長も満足げに何度も頷いた。
「リーリエ、こういうのも描けるんだね!」
「描くのは初めてだけどね」
子供たちが無邪気につけた手形を活かしたいと考えたのは、昨日の経験も大きく影響しているだろう。胸の中に残っている高揚感に顔を綻ばせながら、リーリエは少し下がって壁の絵を眺めた。
「昨日のイベントで、ちょっと創作意欲を刺激されたんだ」
「あ、さては、リゾートエリアのライブペインティングイベントでしょ!?」
「知ってるの?」
的確に言い当てられて目を瞬くと、アスカはにこにこと笑って続けた。
「うちの美大からも何人か参加してたらね。あのイベントに出たんだ……そっかぁ~」
「……? アスカ?」
ご機嫌に微笑むアスカはリーリエと肩を並べて、身体を寄せるように軽く小突く。
「うんうん。言わなくてもわかるよ、誰かさんと一緒で楽しかったんだよね?」
「もうっ。エドガーは、そういうんじゃなくて誘ってくれたんだから」
からかわれているのだと気づいたリーリエは、頬を膨らませて抗議した。
「本当に、そうかなぁ?」
「……わからないけど……」
じっと目を見つめて問いかけられると、不意に自信がなくなる。他に意味があったのだろうかと困惑しながら視線を彷徨わせると、リーリエの前髪をアスカがくしゃりと撫でた。
「ふふふっ。ごめんごめん。ちょっとからかってみただけ」
「もーっ」
仕返しとばかりにアスカの髪を撫で、思い切り頬を膨らませて見せる。
「あはははっ、ごめんごめん」
アスカはゆっくりと後退しながら片目を瞑って謝罪すると、確かめるようにリーリエの顔を覗き込んだ。
「でも、その様子だと楽しかったんでしょ、エドガーとのデート」
自分では単なる気分転換の遠出のつもりだったが、やはりなにか意味があったのだろうか。
「幼なじみでも、デートっていうのかなぁ?」
「言っちゃダメってわけじゃないよ」
アスカの答えを聞きながら、リーリエはエドガーの笑顔を思い出していた。
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