夢中の少女 第一章

流川おるたな

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アイツが変わってしまった日

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 アイツはこの六畳の狭い居間で、たまに仕事で外に出ている時以外は、いつもテレビや新聞を読みながら酒を呑んではくだを巻いていた。

 僕はそれを見るのも聞くのも嫌で嫌で仕方が無くて、隣の寝室でずっと一人で遊んでいた。

 時折、襖を開けては「お前は遊んでばかりで幸せだな!」などと、幼児に言うには到底相応しく無い言葉で怒鳴り散らし、殴ったり蹴ったりして来る。これが延々と繰り返される毎日。

 こんな父親を恐れない幼児などこの世には居ないだろう。

 どうしようもない父親だったが、恐らく最初からそうだった訳でも無かったような気がする...

 なぜなら僕には、笑っているアイツに肩車をしてもらい、隣には笑顔の母が居て、三人で河原の道を歩いた記憶があるからだ。

 母のことは朧げであまり覚えていないけれど、優しくて温かな人だったと想う。

 僕が5歳の時までここで一緒に生活していた母は肝臓癌で亡くなったらしい。
      
 母が入院していている病院に、アイツと一緒に車に乗って何度も訪れた記憶がある。いま想えば、病気で身体を起こすのもきつかったはずなのに、いつも笑顔を見せてくれていた気がする。

 当時の僕は人の死というものを、幼いから当然と言えば当然なのだが、全く理解することが出来なかった。

 だから「お母さんは何処に行ったの?」、「いつになったら帰って来るの?」などと、毎日のようにアイツに質問を浴びせかけていたのだが、ある日を境に質問をすることは無くなる。
 アイツが「お母さんが死んで辛いのはお前だけじゃ無いんだ!」と言って僕を本気で殴ったからだ。それからだったのかも知れない。幸せだったはずの親子の関係性はガタガタと崩れ、狂気の日々に変わってしまったのは...

 アイツが変わってしまったのは僕の所為でもあったが、母の死が重大な原因であったことは間違いない。
 だから暴力を振るわれる度に、布団に包まり泣き腫らしては「なんで死んだんだよお母さん!」と心の中で何度も叫んでいた。
 母だって病気になりたくてなった訳ではなく、死にたくて死んだ訳でもないのに...

 だが、理由は何であれ、アイツが幼い僕に長いあいだ振るった暴力は絶対に許されないし許さない。絶対にだ!

 過去を思い出していた僕は、ふと我に帰る。今はいつなんだ?

 部屋の中には薄っすらと記憶に残っている当時の古いテレビやテーブル、棚などの備品があった。
 タバコのヤニで汚れた壁に大きなカレンダーが掛けてあるのを見つけ、近寄って確かめる。

 カレンダーには西暦XXXX年11月の記載があり、日付の20日は赤いマジックで囲まれ、「最後の日」と書かれていた。
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