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プロローグ:幼いファラオの誕生*
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パピルスを模した巨大な柱がそびえ立つカルナック神殿の薄暗い列柱室で、7歳の男の子――これからファラオとして即位するトトメス3世――が、ホルス神とアメン神に扮する神官達の前に立っていた。彼は、先が少しカーブしている棒状の人工髭を顎紐で付け、青色と黄金色のストライプのネメス頭巾(図1&2)を被っている。その額には、上下エジプトの守護女神であるネクベトとウアジェトを象徴するハゲワシとコブラの頭が黄金色に輝く。その姿は、まだ幼い面影を残しながらも、まさに小さなファラオである。
流石にその年齢では不安そうな様子を完全には隠せないものの、彼の背後には神官がピタリと付いて儀式の次第を小声で伝え、年少の新ファラオを支えている。
儀式の最初にホルス神に扮する神官がトトメスの頭上から細長いヘス壺に入っている水をかけて清め、アメン神の役割をする神官が生命のシンボルアンクの連なる鎖をトトメスの頭上から垂らした。その次にホルス神とアメン神が交代して同じことを繰り返し、神の言葉を伝えた。
「そなたは上下エジプトのファラオとして大いなる威厳と清らかなカーを持ち備えている」
かけられた水の量はほんの少しだったが、まだ子供のトトメスは頭巾と身体が濡れた不快感を隠せなかった。それでもトトメスが即位名𓍹𓇳𓏠𓆣𓍺(永続する姿を持つ者はラー神)としてホルス神の玉座で全ての生者の上に君臨すると宣言されると流石に姿勢を正した。
宣言の後、トトメスは帳の後ろに導かれた。布巾で身体と首飾りを拭かれた後、乾いた腰布に着替え、新しいネメス頭巾を被った。上質なリネン製の腰布には色彩鮮やかな前垂れと黄金のプレートが付けられていた。
トトメスが帳の前に戻ると、その場には2人並んで座れるぐらい幅広い玉座が据えられており、そこにアメン神に扮する神官と並んで座るように促された。するとその前にアメン・ラー神、南部の上エジプトの神、北部デルタ地方の下エジプトの神に扮する神官達が立ち、アメン・ラー神の言葉を伝えた。
「我が息子トトメスよ、そなたの生きざまや、余のそなたに対する寵愛と満足を見よ」
その後、世界の創造神であるヘリオポリス九柱神の被り物を付けた神官達が入場して来た。ヘリオポリス九柱神は下エジプトの神々だが、上エジプトの神々に扮する神官達もいつの間にかその場に控えていた。ヘリオポリス九柱神のうち、神々の父とも呼ばれるアトム神にその他の神々が新ファラオを紹介した。
アメン神の役割をする神官が再び儀式の中心に登場した。彼が台座の上に据えられている玉座に座ると、トトメスはその玉座の前に導かれアメン神の前に立った。背後に控えた神官がトトメスのネメス頭巾を取り去ると、彼はアメン神から上下エジプトの二重冠を頭に授かり、先が鍵状になっているヘカ杖と、先端から房が垂れさがっているネケク竿を受け取って胸の前で交差させた。
これが後の偉大なファラオトトメス3世が誕生した瞬間であった。彼の継母で叔母でもあるハトシェプストはその姿を忌々しそうに見ていた。トトメスの実母イセトは、体調がすぐれず息子の晴れ姿を目に入れることが叶わなかった。ただ、先代ファラオのヘメト・ネスウ・ウェレトだったハトシェプストと違い、イセトは地位の低い妾であったので、彼女が健康だったとしてもハトシェプストのように儀式に列席することはできなかった可能性が高い。それでもファラオの実母が健康を害しているという現実は、輝かしい治世が約束された新ファラオに暗い影として忍び寄っていた。
------
トトメス3世が即位した時、3歳ぐらいだったようですが、本作ではそれよりも年上の7歳の設定にしています。
図1:ネメス頭巾を被るファラオ(図2などを参照して自作した絵)
ネメス頭巾といえば、ツタンカーメンのマスクが被っている深い青色と黄金のストライプのものが有名です。でもトトメス3世のネメス頭巾が本当にそんな色だったのか、今のところ資料を見つけられていません。図2のハトシェプスト葬祭殿のトトメス1世のネメス頭巾はストライプこそありますが、黄色1色です。トトメス3世治世に近い時代でお馴染みの青と黄色のストライプのネメス頭巾は、トトメス3世の息子アメンヘテプ2世の王家の谷第35号墓で描写されています。
ネメス頭巾の説明についてはWikipediaをご覧下さい:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%A3%85%E8%BA%AB%E5%85%B7
図2:デル・エル=バハリのハトシェプスト葬祭殿のレリーフに描写されたトトメス1世(ハトシェプストの父)とその母セニセネブ。ニナ・デ・ガリス=デイヴィスによる模写(1925年)(30.4.137、メトロポリタン美術館)CC0 1.0
出典:https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544561
流石にその年齢では不安そうな様子を完全には隠せないものの、彼の背後には神官がピタリと付いて儀式の次第を小声で伝え、年少の新ファラオを支えている。
儀式の最初にホルス神に扮する神官がトトメスの頭上から細長いヘス壺に入っている水をかけて清め、アメン神の役割をする神官が生命のシンボルアンクの連なる鎖をトトメスの頭上から垂らした。その次にホルス神とアメン神が交代して同じことを繰り返し、神の言葉を伝えた。
「そなたは上下エジプトのファラオとして大いなる威厳と清らかなカーを持ち備えている」
かけられた水の量はほんの少しだったが、まだ子供のトトメスは頭巾と身体が濡れた不快感を隠せなかった。それでもトトメスが即位名𓍹𓇳𓏠𓆣𓍺(永続する姿を持つ者はラー神)としてホルス神の玉座で全ての生者の上に君臨すると宣言されると流石に姿勢を正した。
宣言の後、トトメスは帳の後ろに導かれた。布巾で身体と首飾りを拭かれた後、乾いた腰布に着替え、新しいネメス頭巾を被った。上質なリネン製の腰布には色彩鮮やかな前垂れと黄金のプレートが付けられていた。
トトメスが帳の前に戻ると、その場には2人並んで座れるぐらい幅広い玉座が据えられており、そこにアメン神に扮する神官と並んで座るように促された。するとその前にアメン・ラー神、南部の上エジプトの神、北部デルタ地方の下エジプトの神に扮する神官達が立ち、アメン・ラー神の言葉を伝えた。
「我が息子トトメスよ、そなたの生きざまや、余のそなたに対する寵愛と満足を見よ」
その後、世界の創造神であるヘリオポリス九柱神の被り物を付けた神官達が入場して来た。ヘリオポリス九柱神は下エジプトの神々だが、上エジプトの神々に扮する神官達もいつの間にかその場に控えていた。ヘリオポリス九柱神のうち、神々の父とも呼ばれるアトム神にその他の神々が新ファラオを紹介した。
アメン神の役割をする神官が再び儀式の中心に登場した。彼が台座の上に据えられている玉座に座ると、トトメスはその玉座の前に導かれアメン神の前に立った。背後に控えた神官がトトメスのネメス頭巾を取り去ると、彼はアメン神から上下エジプトの二重冠を頭に授かり、先が鍵状になっているヘカ杖と、先端から房が垂れさがっているネケク竿を受け取って胸の前で交差させた。
これが後の偉大なファラオトトメス3世が誕生した瞬間であった。彼の継母で叔母でもあるハトシェプストはその姿を忌々しそうに見ていた。トトメスの実母イセトは、体調がすぐれず息子の晴れ姿を目に入れることが叶わなかった。ただ、先代ファラオのヘメト・ネスウ・ウェレトだったハトシェプストと違い、イセトは地位の低い妾であったので、彼女が健康だったとしてもハトシェプストのように儀式に列席することはできなかった可能性が高い。それでもファラオの実母が健康を害しているという現実は、輝かしい治世が約束された新ファラオに暗い影として忍び寄っていた。
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トトメス3世が即位した時、3歳ぐらいだったようですが、本作ではそれよりも年上の7歳の設定にしています。
図1:ネメス頭巾を被るファラオ(図2などを参照して自作した絵)
ネメス頭巾といえば、ツタンカーメンのマスクが被っている深い青色と黄金のストライプのものが有名です。でもトトメス3世のネメス頭巾が本当にそんな色だったのか、今のところ資料を見つけられていません。図2のハトシェプスト葬祭殿のトトメス1世のネメス頭巾はストライプこそありますが、黄色1色です。トトメス3世治世に近い時代でお馴染みの青と黄色のストライプのネメス頭巾は、トトメス3世の息子アメンヘテプ2世の王家の谷第35号墓で描写されています。
ネメス頭巾の説明についてはWikipediaをご覧下さい:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%A3%85%E8%BA%AB%E5%85%B7
図2:デル・エル=バハリのハトシェプスト葬祭殿のレリーフに描写されたトトメス1世(ハトシェプストの父)とその母セニセネブ。ニナ・デ・ガリス=デイヴィスによる模写(1925年)(30.4.137、メトロポリタン美術館)CC0 1.0
出典:https://www.metmuseum.org/art/collection/search/544561
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