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5.女王に仕える建築家*
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ハトシェプストは、パピルスに描かれた自身の葬祭殿の設計図(図10参照)をセンエンムウトに見せられ、満足そうにそれを眺めた。
「いよいよ着工だな、センエンムウト」
「御意」
治世5年、ようやく葬祭殿の工事が始まる。ハトシェプストもセンエンムウトも感慨深かった。特にセンエンムウトは、敬愛する女王からこんなに重要な建造物の工事の総責任者を任せられ、彼女からの信頼を感じられて感激もひとしおであった。
「妾(わらわ)の葬祭殿の名前はどうしようかのう?」
「あの辺りはジェセルウ𓂦𓂋𓈉(聖地)と呼ばれております。ジェセル・ジェセルウ𓂦𓂦𓂋𓅱𓉐(聖地の中の聖地)ではいかがでしょうか?」
「ふむ、聖地の中の聖地か。お前も良いことを言うな」
「ありがたきお言葉」
ウアセト𓌀𓏏𓊖(テーベ;現在のルクソール市のナイル川西岸)にあるジェセルウ𓂦𓂋𓈉(現在のデル・エル=バハリDeir el-Bahari)の垂直に切り立つ岩山の麓を、ハトシェプストは自分の葬祭殿を造営する地に定めた(図11)。
デル・エル=バハリはハトシェプストの実父・トトメス1世を含む過去の偉大なファラオ達の息吹を感じられる土地であり、彼女にとって葬祭殿を建造するのに理想的な場所であった。
この地には、エジプトを再統一した偉大なファラオ・メンチュヘテプ2世(在位:紀元前2060年~2010年頃または紀元前2046年~1995年頃)がハトシェプストよりも500年以上前に葬祭殿を既に建てており、聖地としてみなされていた(図12)。メンチュヘテプ2世は、中王国時代の幕開けとなった第11王朝の中興の祖として知られている。
更にデル・エル=バハリの崖の向こう側には、ハトシェプストの敬愛する父・トトメス1世が永眠するワジ(涸れ川)(現在の王家の谷)がある。葬祭殿の工事開始前にハトシェプストは、トトメス3世の反対を押し切って王家の谷第38号墓(KV38)から自分のために造営させた第20号墓(KV20)へ父のミイラを移した。
ハトシェプスト女王葬祭殿(図13)の設計はセンエンムウトに任せられた。彼は元々、ネフェルウラーの教育係を賜ったことでハトシェプストの身近に仕えるようになったが、建築家としても活躍していた。
老臣イネニに教育係として推薦されるまでセンエンムウトは、常に増改築されるカルナック神殿で労働者の監督をしており、建築現場で監督任務をするうちに建築に関する知識を獲得していった。更にセンエンムウトは、その現場の建築を担当していた建築家に個人的に教えを得て、ハトシェプストに取り立てられる前に既に神殿から小さな増改築や建造物なら任せられるようになっていた。
ハトシェプストが初めてセンエンムウトのその経歴を知った時、太陽神アメン・ラーの聖舟祠堂の設計を任せた。今日、赤い祠堂と呼ばれるこの聖舟祠堂(図14)は、カルナック神殿内のアメン・ラー神殿の中心にある至聖所に建てられ、オペト祭や(美しき)谷の祭の行列で担がれるアメン神の聖なる舟が納められた。
センエンムウトは、初めて敬愛するハトシェプストに重要な仕事を任せてもらえた時、感激のあまり気絶しそうになった。彼は張り切って装飾を担当する芸術家達も統括し、見事にこの仕事をやり遂げた。
この聖舟祠堂には、ハトシェプストとトトメス3世が参列するオペト祭や(美しき)谷の祭や、ハトシェプストによるアメン神への供物奉納、両者の即位、王位更新祭であるセド祭などの場面のレリーフが施された。ファラオ2人が登場する場面では、ハトシェプストは自分をトトメス3世の前に、セド祭の場面では自らのみ描写させた。
赤い祠堂での成功をハトシェプストに評価され、センエンムウトは彼女の建築プロジェクトに積極的に起用された。そして遂にはファラオとして最も重要な建造物である葬祭殿の建築まで任せられるようになった。
そればかりではなく、センエンムウトはなんと葬祭殿の参道のすぐ脇に自らの墓を造営する許可もハトシェプストに賜り、葬祭殿とほぼ同時に工事を始めた(図12参照)。その許可を得た時、センエンムウトは正に天にも昇るような夢心地だった。敬愛する女王に今だけでなく、死後も寄り添って仕えることができる。こんな光栄で晴れがましいことはない。
センエンムウトは、ハトシェプストが満足げに葬祭殿のプランを眺めている様子を見て、完成した葬祭殿の荘厳なテラスに彼女と共に立ち、自らの墓にも彼女を案内して見せる――そんな未来に思いを馳せた。
***
【図版】
このエピソードを第6(旧5)話「プント遠征」の前に挿入したので、第6(旧5)話の図版番号もそれに従ってずらしてあります。
なお、図13と図22の間の番号は、次に投稿する解説(第5’話)で出てくる図版の番号となります。第5’話の公開はもう少々お待ち下さい。
https://collezioni.museoegizio.it/en-GB/material/Cat_1885
図10:ラムセス4世の墓の平面図を描いたパピルス(recto=表側)
Cat. 1885, Museo Egizio, Turino; ラムセス4世治世、紀元前1156–1150年; デル・エル=メディーナ(Deir el-Medina)出土
図11:テーベ(ルクソール両岸)の地図
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Karte_grabst%C3%A4tten_theben_west.png; © Christoph Lingg, CC BY-SA 2.0 DE; 著者による改変あり
図12:デル・エル=バハリの3葬祭殿の位置関係(左:メンチュヘテプ2世、中:トトメス3世、右:ハトシェプスト)
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Deir_el_Bahari-map.png; © Gérard Ducher, CC BY-SA 2.5; 著者による改変あり
※トトメス3世葬祭殿がデル・エル=バハリに建てられたのは治世の最後10年間だったので、ハトシェプストの生前にはまだ影も形もなかった。
図13:南方から見下ろしたハトシェプスト女王葬祭殿(右)とメンチュヘテプ2世葬祭殿(左)
出典:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Templo_funerario_de_Hatshepsut,_Luxor,_Egipto,_2022-04-03,_DD_13.jpg; © Diego Delso, CC BY-SA 4.0
図22:カルナック神殿敷地内の野外博物館で1997年に再建された赤い祠堂(アメン神の聖舟祠堂)
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Karnak_Rote_Kapelle_05.JPG; © Olaf Tausch, CC BY 3.0
------
センエンムウトが建築知識をどのように獲得したのかは実際には知られていません。
また、聖舟祠堂は実際にはこんなに早く建造されていません。センエンムウトが突然記録に出なくなった辺り(治世17年頃)に建造開始され、ハトシェプストはレリーフが完成するまで生きていませんでした。
ハトシェプストの実父トトメス1世の最初の墓が王家の谷第20号墓(KV20)なのか第38号墓(KV38)なのかは、結論が出ていませんが、本文では後者をトトメス1世の最初の墓という説を採用しました。
「いよいよ着工だな、センエンムウト」
「御意」
治世5年、ようやく葬祭殿の工事が始まる。ハトシェプストもセンエンムウトも感慨深かった。特にセンエンムウトは、敬愛する女王からこんなに重要な建造物の工事の総責任者を任せられ、彼女からの信頼を感じられて感激もひとしおであった。
「妾(わらわ)の葬祭殿の名前はどうしようかのう?」
「あの辺りはジェセルウ𓂦𓂋𓈉(聖地)と呼ばれております。ジェセル・ジェセルウ𓂦𓂦𓂋𓅱𓉐(聖地の中の聖地)ではいかがでしょうか?」
「ふむ、聖地の中の聖地か。お前も良いことを言うな」
「ありがたきお言葉」
ウアセト𓌀𓏏𓊖(テーベ;現在のルクソール市のナイル川西岸)にあるジェセルウ𓂦𓂋𓈉(現在のデル・エル=バハリDeir el-Bahari)の垂直に切り立つ岩山の麓を、ハトシェプストは自分の葬祭殿を造営する地に定めた(図11)。
デル・エル=バハリはハトシェプストの実父・トトメス1世を含む過去の偉大なファラオ達の息吹を感じられる土地であり、彼女にとって葬祭殿を建造するのに理想的な場所であった。
この地には、エジプトを再統一した偉大なファラオ・メンチュヘテプ2世(在位:紀元前2060年~2010年頃または紀元前2046年~1995年頃)がハトシェプストよりも500年以上前に葬祭殿を既に建てており、聖地としてみなされていた(図12)。メンチュヘテプ2世は、中王国時代の幕開けとなった第11王朝の中興の祖として知られている。
更にデル・エル=バハリの崖の向こう側には、ハトシェプストの敬愛する父・トトメス1世が永眠するワジ(涸れ川)(現在の王家の谷)がある。葬祭殿の工事開始前にハトシェプストは、トトメス3世の反対を押し切って王家の谷第38号墓(KV38)から自分のために造営させた第20号墓(KV20)へ父のミイラを移した。
ハトシェプスト女王葬祭殿(図13)の設計はセンエンムウトに任せられた。彼は元々、ネフェルウラーの教育係を賜ったことでハトシェプストの身近に仕えるようになったが、建築家としても活躍していた。
老臣イネニに教育係として推薦されるまでセンエンムウトは、常に増改築されるカルナック神殿で労働者の監督をしており、建築現場で監督任務をするうちに建築に関する知識を獲得していった。更にセンエンムウトは、その現場の建築を担当していた建築家に個人的に教えを得て、ハトシェプストに取り立てられる前に既に神殿から小さな増改築や建造物なら任せられるようになっていた。
ハトシェプストが初めてセンエンムウトのその経歴を知った時、太陽神アメン・ラーの聖舟祠堂の設計を任せた。今日、赤い祠堂と呼ばれるこの聖舟祠堂(図14)は、カルナック神殿内のアメン・ラー神殿の中心にある至聖所に建てられ、オペト祭や(美しき)谷の祭の行列で担がれるアメン神の聖なる舟が納められた。
センエンムウトは、初めて敬愛するハトシェプストに重要な仕事を任せてもらえた時、感激のあまり気絶しそうになった。彼は張り切って装飾を担当する芸術家達も統括し、見事にこの仕事をやり遂げた。
この聖舟祠堂には、ハトシェプストとトトメス3世が参列するオペト祭や(美しき)谷の祭や、ハトシェプストによるアメン神への供物奉納、両者の即位、王位更新祭であるセド祭などの場面のレリーフが施された。ファラオ2人が登場する場面では、ハトシェプストは自分をトトメス3世の前に、セド祭の場面では自らのみ描写させた。
赤い祠堂での成功をハトシェプストに評価され、センエンムウトは彼女の建築プロジェクトに積極的に起用された。そして遂にはファラオとして最も重要な建造物である葬祭殿の建築まで任せられるようになった。
そればかりではなく、センエンムウトはなんと葬祭殿の参道のすぐ脇に自らの墓を造営する許可もハトシェプストに賜り、葬祭殿とほぼ同時に工事を始めた(図12参照)。その許可を得た時、センエンムウトは正に天にも昇るような夢心地だった。敬愛する女王に今だけでなく、死後も寄り添って仕えることができる。こんな光栄で晴れがましいことはない。
センエンムウトは、ハトシェプストが満足げに葬祭殿のプランを眺めている様子を見て、完成した葬祭殿の荘厳なテラスに彼女と共に立ち、自らの墓にも彼女を案内して見せる――そんな未来に思いを馳せた。
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【図版】
このエピソードを第6(旧5)話「プント遠征」の前に挿入したので、第6(旧5)話の図版番号もそれに従ってずらしてあります。
なお、図13と図22の間の番号は、次に投稿する解説(第5’話)で出てくる図版の番号となります。第5’話の公開はもう少々お待ち下さい。
https://collezioni.museoegizio.it/en-GB/material/Cat_1885
図10:ラムセス4世の墓の平面図を描いたパピルス(recto=表側)
Cat. 1885, Museo Egizio, Turino; ラムセス4世治世、紀元前1156–1150年; デル・エル=メディーナ(Deir el-Medina)出土
図11:テーベ(ルクソール両岸)の地図
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Karte_grabst%C3%A4tten_theben_west.png; © Christoph Lingg, CC BY-SA 2.0 DE; 著者による改変あり
図12:デル・エル=バハリの3葬祭殿の位置関係(左:メンチュヘテプ2世、中:トトメス3世、右:ハトシェプスト)
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Deir_el_Bahari-map.png; © Gérard Ducher, CC BY-SA 2.5; 著者による改変あり
※トトメス3世葬祭殿がデル・エル=バハリに建てられたのは治世の最後10年間だったので、ハトシェプストの生前にはまだ影も形もなかった。
図13:南方から見下ろしたハトシェプスト女王葬祭殿(右)とメンチュヘテプ2世葬祭殿(左)
出典:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Templo_funerario_de_Hatshepsut,_Luxor,_Egipto,_2022-04-03,_DD_13.jpg; © Diego Delso, CC BY-SA 4.0
図22:カルナック神殿敷地内の野外博物館で1997年に再建された赤い祠堂(アメン神の聖舟祠堂)
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Karnak_Rote_Kapelle_05.JPG; © Olaf Tausch, CC BY 3.0
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センエンムウトが建築知識をどのように獲得したのかは実際には知られていません。
また、聖舟祠堂は実際にはこんなに早く建造されていません。センエンムウトが突然記録に出なくなった辺り(治世17年頃)に建造開始され、ハトシェプストはレリーフが完成するまで生きていませんでした。
ハトシェプストの実父トトメス1世の最初の墓が王家の谷第20号墓(KV20)なのか第38号墓(KV38)なのかは、結論が出ていませんが、本文では後者をトトメス1世の最初の墓という説を採用しました。
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