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コイの病~Zombies are similar to carps~

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 冷蔵棚からビールを取り出そうとして、思わぬ冷たさに不意打ちされた。
「おー、めっちゃキンキンに冷えとんなあ」
俺が呟くと、通路の向こうから、
「まあ、客も少ないやろしなあ
関目正弘“まーちん”の声が返った。

 確かに、コンビニの店内に客は俺達二人、駐車場にも我々の乗って来た日産ニッサンが1台停まっているっきりだ。
鶴見健太郎“ツルケン”もビールでええんかな」
車に残っている友人の飲み物を、もう一人の友達に問うと、
「あー、あいつは甘い系のチューハイのほうがええかなー」
カゴにスナック菓子やら珍味のたぐいを手当たり次第突っ込んだまーちんが、陳列棚の角から姿を現した。
「こんなもんかな、門真弘和“モンマ”あ
「多過ぎへんか? まあ、ええけど」


 30過ぎアラサーの男三人、何だかんだで小学生の頃からここまで切れずに続いた友達で、久々に飲もうかという話になった。
 コンビニで酒とさかなを買い込んで、行き先を決めずにぐだぐだ喋りながら車を走らせ、どこか適当なところで宴会にしよう。まだお互い若かった頃のように、なんて、そういう他愛もない計画だ。

 俺が連絡を入れると、まーちんもツルケンも二つ返事で乗って来た。それぞれ結婚してたり子どもがいたりひとり身だったり、仕事もぼちぼちだったりそうでなかったり、人生それなりに別々の道を歩いているし、それなりに差があったりもするのだけど、顔を合わすと“まーちん”・“ツルケン”・“モンマ”に戻る。

 そういう奴は、齢を重ねるごとに一人消え、二人消えて……そろそろオッサンになって三人生き残ってりゃ、まあ御の字だと俺は思う。


 レジカウンターにどんどんとカゴを二つ置く。バイトの、俺らと一周くらい歳の違いそうなあんちゃんは、大量の商品に嫌な顔ひとつせず、急ぐでもなくピッピッとバーコードを読み込んでいく。
「えー、18点4,278円になりますー」
財布か万券を引き抜き、小銭入れを開けて揺さぶる。
「あー……まーちん、細かいん300円ない?」
「300円? ちょっとちょお待ちや」
まーちんがジーパンの尻ポケットから財布を出そうとする、と――……

 「お客さん……細かいん、ええですよ」

 バイトの兄ちゃんが笑いながら手を振り、
「何やったら、大きい方ももう別にええんですけど」
そう言って、商品をレジ袋に詰め込み始めた。俺とまーちんは顔を見合わせる。
「いやいや、それはアカンやろ」
「ええんですよ、実はねえ、お客さん……」
兄ちゃんはレジ袋を差し出し、やや姿勢と口調を崩して肩をすくめた。


 「ここの店長、一昨日おとつい亡くのうなりましてね」


 兄ちゃんは、ちょっと沈痛そうな顔をして、また爽やかな笑顔に戻る。
「バイトも、もう僕しか出てきてへんのですわ。商品も入ってうへんし、実質この店僕のモン状態でね。せやけど……」
そう言うと、兄ちゃんはコンビニの制服のボタンを二つ外し、ぐっと襟元を引き下げた。その首筋から胸元に掛けて――……


 ……――赤と黒、鮮やかなあざが大きく広がっていた。


 俺とまーちんは兄ちゃんの派手な痣に、しかしそれほどの驚きは感じない。
「おー……結構進んでしまってるもうとるな、兄ちゃん」
まーちんがそう言うと、兄ちゃんは微笑み、軽く襟を正した。
「そうなんすよ。たぶん、ここ二三日中には“金魚”が出るやろ思います」
「いや、と言うちゅうか、何でこのに及んでバイトしとん?」

 俺が半ば呆れてそう問うと、
「何て言うか、変に生活変えるん逆に怖いんですよ。いよいよアカン感じがしますでしょ? 僕はここでえへんお客さん待ちながら、雑誌でもめくってる方が気い紛れていいんです」
若いのにやけに達観したような答えが返って来た。
「ここやと飲むもん食べるもんにも困らへんし。せやから、それは僕のおごりでかまへんですよ。せや、良かったらお弁当とかも日持ちせんから持ってってください」
「せやったら、煙草もろてええかな。34番の」
「おいおい……」
まーちんが図々しく言うのを咎めると、兄ちゃんは笑って、
「ええです、ええです。僕吸わんから、どうぞお好きなだけ」
後ろの棚からひと掴み4箱ほどマルボロのライトをカウンターに置いた。
「いやあ、それにしても……」

 「僕もゾンビもんのゲームとか結構やってたんですけど、まさかこんな感じになるとは思いませんでしたねえ」



 ***********************************

 今この国は、世界は俗に言うゾンビ・パニック下にある。

 いや、パニックではない。発生から2年、当初はパニックに近い状況におちいりもしたけど、今では落ち着いたというか、既に誰もが諦めきってしまった。我々人類は、比較的穏やかーに静かーに滅亡しようとしていた。

 ゾンビというのも実は語弊ごへいがある。

 この原因不明・対処不能の感染症、確かに症状はゾンビを思わせるものだし、誰もが当然のようにその言葉を使ったが、別に感染者が町にあふれてもいないし、人を襲いもしなければ、死体を食ったりもしない。

 ただ、ちょっと見た感じがゾンビっぽくなる。


 この病気が発症すると、代謝や免疫に異常を来たし、生きながらに体が腐敗し始める。脳の機能低下に伴って、一時的な錯乱や異常行動を起こすものの、その内自我を失って所謂いわゆるゾンビ状態になり、やがて身体機能も失うに至る。

 そして発症者は、その状態でかなりの長期間生命活動が持続する。もちろん生きているとは言えない、死んでいないアンデットなだけだ。


 おそらく既に人類の大半が――もちろん、この俺も――感染者キャリアだが、発症や進行にはかなり個人差があるようだ。この2年で日本の人口は1/3程度になったと言うが、どの程度正確な数字かは判らない。

 発症の初期症状は、コンビニの兄ちゃんのように肌に炎症の赤みと壊死の黒変が現れることだ。この鮮やかな体の変色が、まるで錦鯉の模様のようだと、ついた俗称が“コイのやまい”だってんだから笑うしかない。

 お医者様でも草津の湯でも――……も一緒だってこともな。

 この赤黒の模様のお陰で、ゾンビ化の時期がだいたい予測できる。顔に赤斑――“金魚痣きんぎょあざ”と呼ばれる症状が出て、それが黒い“出目金”に色が色を変えるともういよいよだ。
 そうなると家に落ち着く人が多いようで、外を徘徊するゾンビはあまりいない。だた、屋内でどうなっているのか、町中に仄かに死臭が漂うのは否めない。

 ちなみに病院でも安楽死用の薬品を、当人か、家族に、処方してくれる。


 まあ、こんな塩梅あんばいで兄ちゃんの言う通り、我ら人類がついに直面したゾンビ・パンデミックは思いのほか地味で盛り上がらない、何とも締まらない終末を迎えようとしていた。



 ***********************************

 「じゃあ、遠慮なくのうもろてくわ」
俺はそう言うと、財布から出していた1万円札を四つにたたみ、レジ横の募金箱にぐいっと押し込んだ。

 バイトの兄ちゃんが手を叩いて笑った。


 気さくな兄ちゃんに別れを告げ、まーちんが車の後部座席のドアを開け、買い出しの山を放り込む。
「……お茶ある?」
「何本か買ったから適当に飲みい……ほんで自分、大丈夫か」
上半身を車内に突っ込んで様子をうかがうと、
「なあ、まーちん」
「うん?」
ツルケンが中身の入った注射器を差し出した。
「始まったら、頼んでええか?」
「あ……」
動揺したまーちんの代わりに、運転席からひょいと注射器をつまみ上げる。
「任しとき。二三発打ち込んでやるだるわ」
ツルケンは赤黒ツートンカラーの顔で、力なく笑った。

 ツルケンが“いよいよ”らしい。それで最後にもういっぺん三人で、というのが今日集まった理由だった。


 まーちんが助手席に乗り込んで、後ろのツルケンに声を掛ける。
辛くしんどなったら、すぐ言えよ」
今では懐メロになった、当時最新ヒットだったCDをセットする。アラサーの悪ガキ三人。最後のドライブが始まった。


 目的地は、特にないのだが、俺は何となく西へ西へ車を走らせた。なるほど、どうやら俺は漠然と海を目指しているらしい。辿たどり着いても都会の工業地域、オーディオから流れてくる歌の、サーフィンの似合いそうな海を見ることはできないけれど、まあ贅沢は言うまい。

 まーちんが缶ビールを開け、俺の手に押しつけた。古いアメリカ映画では、不良少年達がボロいオープンカーでビールを飲みながらドライブするシーンがあって、悪っぽくてカッコいいと思ったもんだ。
 まあ、堂々と飲酒運転をしている訳だが、映画当時のアメリカ、そして今の日本、ビール片手に運転してもそれほどとがめられる時代ではなかった。

 もはや日本は終了のお知らせという事実に反して、町はまだ6分通り機能している。さっきのバイトの兄ちゃんのように、“日常”を維持していたい人々が少なからずいて、仕事してたり店を開けてたりする。気持ちは理解わからないでもない。
 それでもさすがに、車の数も人通りも随分減った。飲みながら運転するのはめられたことじゃいないけど、以前ほど危険な行為でもなかった。警察に見つかったとしても、
「気ぃつけなはれやあなさいよ
と声を掛けられるが関の山だろう。
 この国はまだ形を保っているけれど、端っこから少しずつ崩れ始めていて、社会も法律も緩々と曖昧あいまい有耶無耶うやむやになっていく。


 そんなことを考えていると――

 「あ……う、う、う……」

 後部座席から、ツルケンのうめき声が聞こえ始めた。



 ***********************************

 まーちんがシートベルトを外し、体をひねって後ろを覗き込んだ。
「う、あ、あ……あ、あ、あ……」
「モンマ、ツルケン始まって・・・・しまったもうたらしいぞ」
そう言う声が震えている。後部座席で、ツルケンが大きく身動きする気配が伝わって来る。
「そうか、結構早かったな」
俺は路肩に車を寄せ、停めた。
「海まで行きたかったなあ」
そう呟いて、俺もツルケンを振り返った。

 コイの病のゾンビは、人を襲うこともなくただフラフラするだけの、おとなしいゾンビだ。ただ、脳がやられるその時にだけは、錯乱状態になることがある。運転中に暴れられてはかなわない。
「モンマ、打つんか?」
まーちんは痙攣するツルケン、俺の顔、速度計の出っ張りに置いた注射器を見比べながら問う。
「いや、それは使わん」
俺はズボンの腹の辺りに突っ込んでおいた、拳銃M360Jを抜くと――……


 ぱん、ぱん、ぱん。

 ツルケンの顔に向けて、3回引き金を引いた。


 車内に立ち込めた煙の向こうで、まーちんは驚きに口をぽかんと開け、息をするのも忘れている。10秒ほど過ぎて、ようやく言葉が戻って来たらしく、
「お前、そんなモンどこで……いや、お前、何してるんだしとんねん……?」
「まーちん……」
俺は運転席に座り直し、握った拳銃に目を落とした。

 「俺、今日出てくる時、これで真由美と翔太を看取って・・・・来てん」

 まーちんは息を引き取ったツルケンから、ゆっくり俺に目を向けた。
「真由美ちゃんと、翔太君を……」
俺は頷いた。真由美は俺の嫁はん、翔太は3才になる息子の名前だ。
「二人ともな、もうだいぶ前からアカンようなってたんや。そんで今日までは俺が面倒うか、傍おったんやけど、言うたかて俺も“そろそろ”や」
シャツを捲り上げ、多少脂肪がつき、鮮やかな錦鯉模様の浮かんだ腹を見せる。
じつ言うと俺、今日お前らと会った後、もう帰るつもりないんや。と言うて、二人放っとく訳にもいかん。せやから、ちゃんとお別れしてきた」


 速度メーターの前から、注射器を取ってまーちんに差し出す。
「これ、使つこてんの見たことあるか?」
「いや……」
俺は注射器を、ペン回しの要領でくるくる回した。
「これな、意外と効くまで時間掛かんねん。前に見てんけど、亡くのうなるまで結構苦しそうなんよ。ゾンビなったら苦しないんかもしらんけど、真由美と翔太に使うんは抵抗あってな。なるべく苦しまんよう死なしてやりたいけど、言うてお前、自分の手で首絞めて……とか、とてもできないようせえへんやろ」
ひょいっと拳銃を投げると、まーちんは慌ててお手玉した。
「交番で亡くのうなってたお巡りポリさんから拝借してん。言うても、もう弾カラや。真由美と翔太に1発ずつ、ツルケンに3発」
俺は乾いた笑いを漏らした。
「自分の分、1発残すん忘れてたわ」
まーちんはしばらく拳銃を見つめていたが、黙って俺の手に戻した。俺はシートの股の間にそいつを落とし、ハンドルを握り直した。
「さて、ほな出すで」

 「折角やからな、海まで行こうや。ツルケンも一緒にな」



 ***********************************

 俺達二人……いや三人はドライブを再開した。後ろに死んだツルケンを乗せて走っている訳だけど、不思議と死体を運んでいるという感覚はなく、それは俺にとってはまだ友達のツルケンに変わりなかった。
 日常に死が溶け込んで、ゾンビが正と死の境を曖昧あいまいにして、どんどん死に対して鈍感になっていく。俺だけかもしれないが。


 二缶目の350mlを、握り潰して足元へ。まーちんは角のポケット瓶ウイスキーを、ストレートでちびちび舐めている。二人とも口を開くことなく、車は西へ、西へ、海へ。
 やがて、CDアルバムの最後の曲が終わり、また最初の曲に戻った。


 「なあ、モンマ」
 「…………」
 「その、俺と真由美さんな……」
 「知ってたよ」


 俺は両手でハンドルを握り、前を向いたまま笑った。
「モンマ……」
謝ろうすっきりしようとはすんなや」
俺は、自分を裏切った友人の言葉をさえぎった。
「それは、ちゃんと持って行けや」
「……すまん」

 俺は右手で拳銃を取り上げ、銃口をまーちんに向けた。
「やっぱ、1発残しとかんとアカンかったなあ」
「すまん、モンマ。ほんまに、すまん」
俺は銃口を突きつけて、幼馴染の顔に目をやった。
「ふっ……俺が何でツルケンに3発・・使つこたか考えーや」
真っ暗な銃口を覗き込んで、まーちんが笑った。


 ぱん――……助手席の窓に、血が飛び散った。

 「それでも後1発残るからやで」


 嫁はんと、友人の裏切りにはずっと前から気づいていた。

 それは、コイの病が人類を滅ぼそうとする前に、俺の心の一部分を壊した二人の恋の病だった。まったく、お医者さんでも草津の湯でも、ソッチのビョーキは治りゃせぬ、だ。

 さて、生きているのは俺だけになったが、男三人――……いや、四人の道中はもう少し続く。トランクは少し狭いだろうが、もう少しの我慢だ、翔太。
「俺も海を見たらすぐ行くから、みんなちょっとだけ待っててや」
アクセルを踏み直して緩んだスピードを戻すと、まーちんの首がかくんと頷いた。俺は思わず笑ってしまう。
「せやけど、まーちん……真由美はまだしばらくえへんと思うで」


 翔太には1発、ツルケンに3発、まーちんに1発。
 真由美に弾は使っていない。妻はまだ生きている。いや、死んでいないだけか。

 コイの病が末期症状を迎え、心臓が動いているだけのしかばねになっても、放っておけば数か月は生き続ける。さようなら、真由美。悪いけど、俺はお前のことを看取って・・・・やる気には、ちょっとなれない。

 だからもうしばらく、そこでひとりでいて欲しい。


 ループしたCDに合わせて口遊くちずさみながら、西へ、西へ。後部座席の飲み物を取ろうとした拍子に、バックミラーに映る自分の顔が目に入る。
 額に浮かぶ、幾つもの赤い痣模様。ひとつ二つと黒く色を変えているのもある。まるで縁日の金魚掬いだ。和金の群れに、出目金がちらほら。

 海に着いたらみんなで、金魚達も一緒に思い切り飛び込もうか。突堤からアクセル踏み込んで車ごとダイブ! なんて、悪ガキどもの最後の冒険に相応ふさわしい、ヤンチャなラストだと思わないか。

 そうすりゃ俺の心だって……


 もしかして救われるかもしれないな、金魚だけに――……
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