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封鎖区~虚構の城~
30.エスクデオ・エ・ルーチェ~暗闇の部屋とその先の光~
しおりを挟む【“封鎖区~虚構の城~”(4/9話)】
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固い地に足が着いた、が、俺は依然闇の中にいた。
どんな場所に来たのか、完全に真っ暗で、何も見えない。
「ルシウ?」
一緒に空間転移したはずの監視人に声を掛ける。返事はない。俺の声は全く反響せずに、ただ取り囲む黒に吸い込まれていく。
「ルシウ、いるのか?」
周囲を手で探るが、何にも触れない。いつもなら、幼女のあらぬところを触って怒られるくだりがあるはずなのに。手を突き出したまま少し動いてみる。しばらく進んだが、壁に行き当たることもなかった。
「ルシウ? ルシウ!」
答えはなく、自分の声もただ虚しく溶けるだけだった。
慎重に桜花を抜いて、警戒しながら、再び歩き出す。
ひと筋の光もない真闇の中では、桜花の刃の輝きもない。ルシウを傷つけることを恐れ、刀身を背中に回し、柄を取る拳をしっかり腰に押し付けて、なお進む。見えるものは皆無、聞こえるのは自身の靴音と息遣いだけ……
闇がねっとりとした液体の質感を帯び、次第に自分との境界線が薄れていく気がする。このままじゃ、暗闇の中で自分を見失いそうだ。
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たぶんそのまま、数時間は歩いた――……
ふと、小さい頃の出来事を思い出していた。
たぶん、小学校に入る前の記憶だと思う。
母親に買い物に連れられて行った、ショッピングモールで迷子になったことがある。ガチャガチャとかの前で一瞬立ち止まったのに、気づかれなかったのだろう。
顔を上げると、そこに母さんの姿がなかった。
もちろん母さんはすぐに戻ってきただろうけど、俺も下手に動いたんだと思う。そう言えば、エレベーターに乗っている記憶がある。とにかく俺と母さんは行き違ってしまった。
強く覚えていることがある。誰も助けてくれないと、思ったことだ。
大人がたくさんいて、でもどれも知らない顔で。誰も助けてくれずに歩いていくんだ。父さんや母さんや、幼稚園の先生は、俺が困っていたら必ず声を掛けてくれるのに。ここには知らんぷりの大人しかいない、そう思ったのを覚えている。
結局は無事母さんに見つけられて、怒られたか、抱き締められたかは覚えていないけれど、本当に心の底から安心した気持ちは、純粋な感情の結晶として、今でも心の中に残っている。
実際どれだけ迷子になっていたかは判らない。長くても30分程度のことなんだろう。けれど泣きながら数時間は歩き回った気がするし、主観的にはたぶん永遠を彷徨った。大げさなようだが、あれはいわゆる原体験、最初の“絶望”と“救い”の記憶《リコルド》だ。
子どもの頃の記憶とはそういうもので、そういう記憶だってひとつの真実だ。
俺は今……迷子なのか?
桜花を持つ手を背に、もう片方で暗闇を探りながら、時折少女の名を呼んで、歩き続けている。指も声も、どこにも届くことはなく、ただ俺は歩く、歩く――……
闇の中を、ただ、前へ前へ……
進め、進め……どこへ? 目指せ、目指せ……何を?
やがて俺の“世界”には、鼓動と、足を前に出すことだけが残った。
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もう、数日はこうして歩き続けている――……
俺はいつからこうしているんだっけ……或いは数十年は、歩いているのかもしれない、どこかを目指して……進まなくちゃ……それは――……
だって、あいつが……あいつって――……?
ついに俺は立ち止まった。
疲れた。
飲まず食わずで歩き続けてきたんだ、くたびれもする。
だから俺は待つことにした。
足を止めて、ここで待とう。そう決めると――
そこに壁が生まれた。
左手に触れた固い感触。確かめながら指先を滑らせると、ノブに触れて、それで壁がドアなのだと判った。ノブを回す。回らない。何度かがちゃがちゃやったけど、どうやら鍵が掛かっている。
壁に触りながら右に進むと、数歩で別の壁に行き当たる。その面に沿って歩く、またすぐに、ドアに向かって背後の壁。そのままひと巡りして扉の前に戻ってくる。俺は、そう広くない部屋の中にいるらしい。
閉じ込められている、というべきか。
出られないなら仕方がない。俺は床に腰を下ろして待つことにした。
そもそも、俺はどうやってここに来たんだっけ? 判らない。何かをしようとしていた気がするけど、それも思い出せなかった。俺は桜花を傍らに置き、膝を抱えて、ただ待っているしかなかった。
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長いことそうしていた。
やがて俺は、置いて行かれたのだと気づいた。
そうだ、俺はこの部屋に置いて行かれたんだ。途端にひどく悲しく、心細くなった。だけど、俺が置いて行かれたのは、僕が悪い子だったからだ。だから僕はここで待っていなくちゃいけない。ただじっと座って、僕は待つ。
帰って来てくれるのを。
暗い部屋は怖くてしょうがないんだけれど、僕は知っている。
この部屋を出ても、外も真っ暗なのだと。それは…………だからだ。
だからこの部屋を出てはいけないし、出ては行けないんだ。
こうして待っていれば、きっと来てくれる……誰が?
それは……僕が大好きな人だ。
思い出せないけど、僕が大好きな人だ。綺麗で、悪戯|《いたずら》っぽく笑って、強くて、時々どこか寂しそうに見える……あの人は……いったい誰だっただろう……?
大切なことを忘れている気がする。床に着いた手に何かが触れて、「しっかりしろ」と音を立てた。
「お……おおか……?」
おうか……そう、これは“桜花”だ。僕は柄を取る。僕はこの桜花で、何かすごいことをしたんだ。何かすごいことを、誰か大好きな人と二人で……二人で?……二人で――……
僕は暗闇に来る前、誰かのことが好きだった。
誰かに好きだと伝えた。その人の声が、どこか遠いところから……頭の隅っこから……心の奥底から、聞こえてくる……
『うーぷす。“好きかな、ルシウが”……だってさ! きゃー!』
る、しう……? ルシウ……!
「ルシウ!」
俺が伸ばしたその手を、誰かの手が強く掴んだ。
その瞬間、暗闇が、切り裂かれ、引き裂かれ、砕け散って――……
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俺は光に包まれて真っ白な場所にいた。
いや、“俺は”じゃない――“俺達は”だ。
「るああ。やっと会えた――……」
淡い銀色の髪、磨かれた銅の頬、赤く濡れた瞳を輝かせ、真っ白な歯を見せて笑う少女が、俺の手をしっかりと握り締めていた。
その顔を見た瞬間――思わずルシウを引き寄せ、抱き締めていた。誓って言うが、下心は全くない。年単位の孤独を経験してきた今なら、目の前にいたのがマッチョなオッサンでも、勢いでハグしていたと思う。
それを理解ってか、ルシウも軽く抱き返し、背中を叩いてくれた。
しばらくして俺は身を離したが、左手の指は少女の指に絡めたままだ。誰が何と言おうと、今はこの手を離したくない。
「ありがとう。もう、二度とあの暗闇から出られないかと思った」
これは俺にとって最も強い、“絶望”と“救い”の記憶になった。すると、
「うーぷす。そりゃあお互い様さー。アタシも、ユーマの手を見つけて、ようやく戻って来られたんだからなー」
にっと微笑んだルシウの体から――
不意に力が抜けた。
咄嗟に抱き止めると、手を放した得物が地面に突き立った。済まん、桜花。間近に見るとルシウの顔が、ひどく憔悴している。
「大丈夫か?」
「なーふ。えげつねー真似しやがって……」
「あの祭壇、触れた奴の精神を別々の領域に、すっ飛ばす仕掛けになっていたんだ。もしお互いを見つけられなかったら、あのまま心が擦り切れるまで、暗黒の中に閉じ込められていたところだぜ」
「るああ。人は相手を通して、自分を認識するもんだ。もし、お前が一緒に来てくれてなかったら、アタシもたぶん正気に返れてねえ。最初っから詰んでたぞ」
引っ張り上げたのやら、上げられたのやら。
「何だか、ものすごく長い間、あの暗いところにいたみたいだ」
「るああ。精神的なもんだ。祭壇に触れてから、戻ってくるまで、実際は一瞬のはずだ。まあ、アタシはあの辛気臭えとこに体感……」
ルシウが額に冷汗を浮かべながら、力なく笑った。
「少なくとも、10年くれーはいたよ」
じゅう……この小さな女の子が、あの暗い部屋に置いて行かれて、10年の孤独に震えていたなんて。
俺の心だったら、とっくに壊れていただろう、あの闇の中で。俺は少女の背中を支える腕で、また華奢な体を引き寄せた。
「……済まない……」
「る、るあ? 何がだよ??」
「俺がもっと早く、お前の手を見つけていれば」
思わず身を固くしていた幼女が、拳をきゅうと丸め、俺の頭をぽこんと叩いた。
「なーふ! だからお互い様だっつってんだろ! お前の方が短かったんなら、アタシがユーマを見つけるのに時間掛かったってことなんだ。それに……」
「別々の“魂の檻”に閉じ込められてて、それでも手と手が触れあったんだ。それってすげーことなんだぜ」
ルシウがにぎにぎと、小さな掌を結んで開いた。
「アタシらが飛ばされたのは、自分自身の心ん中に在る“暗えところ”だ」
「アタシらはばらばらにされて、闇に囚われて、それでもお互いのことを思った。同じことを考えた。それが二つの心を引き寄せて、重なり合った領域でアタシはユーマの、ユーマはアタシの手を見つけた。“権限”を使った時にアタシとユーマの“世界観”が近づいた、あれと同じよーなことが起きたんだよ」
「同じことを考えた……あ」
あの暗い“世界《オルト》”が砕け散った、その直前のことを思い出した。
『うーぷす。“好きかな、ルシウが”……だってさ! きゃー!』
異世界監視人の赤銅色の顔に、不意に血が昇った。ルシウは俺の革服とミスリル銀の鎖衣を一緒に捲り、レバーを打ってくる。
「るああっ! 具体的に思い出すなっ!」
「ちょ……何てことをするの、この子は」
「うるせー、ユーマのことなんて考えてねーし。ばーか」
ルシウが両手をきゅうと丸めて、頭から黒頭巾を被った。そしてフードの陰から、赤いジト目が睨み上げてくる。
「だ、だいたい、お前の方が暗闇にいた時間短かったし。先にアタシのこと考えたんだし。うーぷす。どんだけアタシのことが好きなんだよ―?」
「え? すごく“好きかな、ルシウが”」
「るああああああああああああっっ!!」
ルシウがフードを抱えて、ひと頻りのたうった。
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赤銅色ならぬ朱に染まった顔で、ルシウが肩で息をする。
「うーぷす……とっとと先に進もう……」
「ま、再会も祝したことだしな。お次はどっちだ……?」
「るああ。後ろだ、後ろ」
振り向くと、そこに扉があった。
見渡す限り真っ白な空間空間に、扉と戸枠だけがぽつんと立っている前衛アートのオブジェ、いや、見る者の10人中9人までが、それを思い浮かべると思う。
てってれー。猫型メカの秘密のアレ。
この白い領域に在るものは、このドアと、俺達二人だけだ。扉のノブを見ただけで、あの暗い部屋で握ったそれだと判った。白い地面に聖剣宜しく突き立った桜花を引き抜き、鞘に。腰を揺すって剣帯の据わりを正す。
「じゃあ、行きますか」
「るあ。ちょっと待て」
扉を開こうとした俺に、ルシウが呼び掛けた。
振り向くと、少女の小さな手が差し出されていた。
俺はその手を取って、ぎゅっと握る。
強く、握り返してくる。
だから俺は躊躇うことなくノブを回して、その扉を開け放った。
~“封鎖区~虚構の城~”・完、次章へ続く~
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【次章“封鎖区~破局の因子~”】
闇を抜けた、その先は更に深い“闇”――……ついに辿り着いた“封鎖区”の最深部、二柱の女神に護られた“封鎖区の核”に刃が届く時、“世界”の真実が明かされる。
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