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封鎖区~破局の因子~

36.エスクデオ・オー・ニント~闇の子~

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【“封鎖区~破局の因子~”(5/10話)】



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 石畳が泥の沼と化したかのように、荘厳そうごうな彫刻をほどこした石柱がひとつ、またひとつとかしぎ、床に沈んでいく。
 柱が支えていた天井も、壁も、果ては床そのものまで、広間が――“封鎖区セラド”が崩れ、ちて、飲み込まれるように落ちていく、暗黒の底エスクデオへ――


 崩壊を始めた“世界オルト”へと向かって――……


 俺は闇の中に唯一残った、辛うじて原形を保つ祭壇さいだんに腰を低くし、呆然とする。両腕が首に回されていなかったら、ルシウもずり落ちるに任せていただろう。
「ルシウ、これは“封鎖区”を破壊できた……のか?」
「なーふ……いや、そーじゃねえ……」
明るいのか暗いのか、それすら判然としない奈落アビスを、俺とルシウは浮石のような台座の残骸ざんがいに立ち、漂う。ヒトのカタチをした闇は、いつの間にか俺の前にはいない。

 「るああ……“破局の因子”エンデ・イマジカが発動したかな……?」

 滅びの“エンデ”世界観“イマジカ”――……もたらす者、破壊神……過ぎたる力、禁呪……人の愚かさ、古代兵器……いわゆる、そういう類のモノ・・・・・・・・。ある“世界観”において、“世界”そのものを消滅に導く“可能性を持つモノ”、それが“破局の因子”。そいつが発動したのなら、陳腐ちんぷな文句だが、あえて言おう。

 “終わり”の“始まり”だ――と。

 「“核”コルアを始末したのとは違うんだよな?」
 「なーふ。“爆弾処理”と“大爆発”の差だと思え」
 「おおう……」


 崩れかけた祭壇さいだんを残して、広間も城も、何もかも虚空こくうの闇へ落ちていった。ここは装飾を全てぎ取った、“封鎖区”の本質、“その子”の内面世界、この空間の全てが“その子”の中だ……
「うーぷす……どうやら“魔王”とか“災害”なんかの段階すっ飛ばして、ダイレクトに”世界オルト”が崩壊しそうだぞ……」
“核”の内側の“世界”で、何ができる? 何を切ればいい?

 もはや、俺にできることはない……?
 急激な展開に、俺のキャパシティがあふれかけた、その時……


 虚空こくうに、揺らぎ、闇、思念がり、形を作り始めた。

 どうやら、二人の女神オカアサンをぶった切られて、よほど頭に来たらしい。セラドが終わりを迎えようという時になって、俺だけは直接握り潰すつもりのようだ。


 “その子”が、質量のある闇エスクデオでヒトのカタチを成した。

 右の手には黒い女神ネーロ・デオーサを、左の手には白い女神ブラン・デオーサを握っている。人の輪郭の闇は、体形は子どものそれだが、
「……ちっちゃい子って、すぐ大きくなるって聞くけど本当だな……」
凝集した闇の質量は、女神達で人形遊びをするまでに、る。生きた闇と、鬼女カリイ聖母マールの大きさの差の意味するところは、すぐ理解できた。
 好きなように出来る・・・・・・・・・大きさだ……かつて、自分がされていた・・・・・ように。

 終わる“封鎖区”エンデ・セラドの空間に、“その子”の具現化した形が現れた。これで標的は出現した、のではあるけれども。やっぱり俺にどうこうできる相手じゃない気がする。


 “その子”の右手が、閉じ始めた。ゆっくり、ゆっくり、力を込めてゆっくり。まもなく拳からはトマトジュースが滴って、鬼女のしぼかすは開かれた手から捨てられ、“その子”の“世界”をどこまでも無限に、ゆっくり、ゆっくり、堕ちていった。
 左手のマール、大好きなママは“その子”の胸にぎゅうと抱かれた。ゆっくり、ゆっくり、力を込めてゆっくり。サンドイッチの具は、やがて潰れ、それでも闇に挟まれて、“その子”の中へ、ゆっくり、ゆっくり、押し込まれていった。

 “その子”――……“闇の子”が、俺を見た。

 “封鎖区セラド”の”世界観イマジカ”、作り上げた幻想が破れて、“その子”が生きていた頃の、何をどこまで思い出したのかは判らない。少なくとも今のを見る限り、もう“オカアサン”のことはあまり好きじゃないことは確かだ。
 そしてもう一人、間違いなく嫌われている奴がいる。

 「……俺は目玉焼きか、スクランブルエッグってとこか……?」

 こっちもそう易々と、ヘルシーな朝食モーニングセットに加わる気はない。


 足場が更に崩れた。落ちてるか昇ってるかも、もう判らない。彼方の巨影に向けて届かぬ桜花カタナを、片手正眼、人の構えに据えた。



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 不思議と恐怖心は薄い。訳の理解わからない異空間で、訳の理解わからないモノと対峙する構図、現実離れ極まれりだが――ゲームから構築した “封鎖区”の“世界観”で見れば、これこそ極めつけというか、最後の戦いラストバトルの絵面だと思う。

 首に回された手首を軽く叩く。
「ルシウ、次はどうする?」
「次……? うーぷす、次、次なあ……」
片手が離れて、銀色の髪をくしゃくしゃ掻き回す音がする。
「こうなっちまったら、アタシが“核”になるしか手はねーだろ」
俺は左手を肩越しに伸ばすと、
「なーふ。今度は納得してくれよひてふれよユーマあひゅーまあ
少女の柔らかい褐色の頬を指で挟むのに成功した。

 「それは却下だ。“核”コルアを壊せれば、まだ何とかなるか?」

 幼女の頬っぺをぷにぷにしながら、俺はまだ足掻あがき方を探している。
Narfにゃーふ今ならまだひまならまら……離せっ! 今ならまだ、間に合うかもしれねーが、お前、切れねーだろーがあ、あんなデカくてワケワカランの」
「だよなあ。幾ら桜花おうかにチート上乗せしたところで……」


 「「当たらなければ、どうということはない」」


 言ってる場合か。
 後ろの、幼女が頭を掻き、喉を鳴らす不機嫌な音が、ふと止まった。
「なーふ……そうだな、“ウゥルカヌスの鉄敷かなしき”なら……」
「よし、それで行こう」
ルシウが膝を使って、上手いことレバーに蹴りを入れた。
「なーふ、テキトー言うな。いいか、“ウゥルカヌスの鉄敷かなしき”は“切れないモノが切れ”、“切れるモノが切れなく”なる術式アリーテだ」

 「術対象ユーマの“干渉”の性質を反転させる……魔力マギカ精神クオレみてーなモノを断ち切れる代わりに、物理的には切れなくなるから、本来は桜花の長所ウリの切れ味を殺しちまうんだが……なーふ。今の状況にはガチッと噛み合うのか……」

 後ろでぶつぶつ言っていたルシウは、やがて、得心に至ったらしい。
「届く届かないは考えるな。剣を振る動作は、結果を発現させるただの儀式だ。この術式下では、お前が“切る”と思った場所が“切れる”からな」
「なるほど……うん、“世界観”イマジカを使うのに通じるものがある……やれる気がする。時にルシウ、ひとつ気になることがあるんだが……?」
「るあ……?」
「その、何とかの鉄敷かなしきでは、白い女神ブランは切れんかったん?」
「えっ」

 「……えッ?!」

 背中側から、聞きたくなかった響きの声がした。
「う……うーぷす……あの、白いのは”世界観イマジカ”で“不滅属性”が付いてるから、単純に干渉反転しても、たぶん・・・、切れなかったと思ぅょ……」
背中に伝わってくる鼓動がヤバいんですけど。


 と、異世界監視人クストーデが、背中で体を揺すった。
「るああ! そんなことより、いい加減下ろせ!」
うわっ、逆切れした。最悪だ、この子。
「この方が、“がんばれ”るんだけど」
「なーふ! まだ言うか!」
幼女はけ反り、俺の頭を叩き、脇腹を蹴ってさんざ暴れてから、最後に無理くり前に身を乗り出して……

 俺の右頬に小さなちゅっと音を鳴らした。
「ふん……こ、これでもっと“がんばれ”るだろー?」
「おっけぇ、チャラにしてやる」
少女を床に下ろす。お兄ちゃん、もうひと踏ん張り出来そう。
「るああ。いっこ言い訳すっとな……使えるかどうか微妙なんだよなー。こういう事象の性質、“世界”の構文をイジる系の魔法は、“権限”エルーカに近いから」

 「なーふ。でも、ま、いっちょやってみますか……」


 「るああ……“トロヴァ” ”ダオレ“ ”火山ボルカン“ ” れんぜ、鍛冶神ウゥルカヌスの鉄敷・インクゥス“――……」


 手にした桜花の、“何か”が変わった気がした。崩壊する”世界オルト”の内側の、俺の手の中で、桜花の“世界観”イマジカが反転する――……


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