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カランポーのはぐれ狼
45.カランポー、再会の丘
しおりを挟む【“カランポーのはぐれ狼(3/11話)】
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ロボの群れが窮していると、風の噂に聞いた。
はぐれた身ではあるけれど、かつての群れの動向は、時折ロイドの耳に入った。本当のところを言うと、嗅ぎ回りはしないまでも、聞き耳くらいは立てていた。
ロボの群れは、人間と摩擦を起こしつつあった。
三匹の子豚、赤ずきん。子どもでも知っている。狼は悪者だ。
人間は羊を飼い、狼は肉を盗る。人と狼は一緒には暮らせない。
けれど、人は町に。狼は草原に。
お互いが“世界”を侵さない限り、狼は物語の悪役でいられる。赤ずきんの物語は、少女が森に足を踏み入れた時に幕が開ける。
狼の“世界”に人の手が入った。境界線が踏み越えられた。
牧羊――……
先祖代々気の赴くまま支配してきた土地が、ある日柵で囲われ、丸々と太った羊《カルネロ》が放り込まれた。囲われて逃げない羊は、狼達にとってはテーブルの上の料理だ。あいにく誰も、それは食べてはいけない肉だと伝えてはいない。
しかし、人間達は怒った。
狼には、草原の獲物と家畜の区別はない。獲れるところから獲る。
人間には、それは財産だ。境界線を越えた略奪に他ならない。
羊飼いは略奪者の駆除に手を着ける。
罠が仕掛けられる、銃を抱えた狩人が追う。ついには雇われた傭兵が大規模な駆除に乗り出す。草原は元々どちらの領域だったのか、先に境界線を越えたのはどちらだったのか、そんなことはもはや関係ない。
開拓者と先住者の軋轢は、人間同士であっても繰り返される歴史だ。
ましてや人と狼。理解り合えるはずがない。争いの火種はそこここに燻る。
そのひとつが、今しもロボの群れから火の手を上げようとしていた。
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狼王の群れは幾度となく牧場を襲いながら、一匹たりとも群れから脱落させなかった。罠を見破り、追っ手を欺き、仲間の腹を満たし続けた。
群れを率いるボスとしての天賦は、しかしロボの首を絞めていく。
例えば、群れが牧場を襲って、何匹かの狼が捕らわれ、殺されたとしよう。群れはしばらく鳴りを潜める。もちろんほとぼりが醒めれば、また同じことが繰り返される訳で、狼と人間のイタチごっこは続く。
しかし物事には、時に解決より重要なことがある。
それは気が済むということだ。
羊を殺されて、狼を殺して、溜飲が下がれば、ひとまずは気が済む。ひとつの出来事が終わる。次に被害があっても、それは次の話だ。それが“気が済む”。だが、報復が果たされなければ……
カウボーイの怒りは蒸気釜のように、圧力を高めていくだろう。
代償を清算せず奪うロボの群れに、人々の憎しみは募った。
やがて憎しみは王の一身へと集まってく。
“悪魔に知恵を与えられたかのような”、用心深さと統率力。ただのリュコスではない、あれは魔獣化した狼に違いない。いつしか恐怖は偶像となって、独り歩きを始める。されど、狼王の真実は……
狼王ロボは、ひとつひとつの危難を綱渡りし、紙一重で逃れ、死に物狂いに群れを守っていた。人間達がその姿に、老獪な悪党の高笑いを見ていると知ってや、知らずや。
ロボさえいなければ。羊飼い達はそう考えた。
ロボさえ殺せば、何もかも上手くいく。そんな神話が祀り上げられた。人間達の狙いは、ロボ一匹に絞られた。
……――そんな噂を聞いた。ロイドが群れをはぐれて、冬を二つ越えていた。
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前は行き、今は帰り。また夜陰に紛れてこの森を歩く。
二度と戻らないと思っていたが、判らないものだ。
(……そして、存外変わらぬものだな)
長い月日が経ったように思っていた。それなりにいろいろなことがあって、自分も変わったし、周りも変わった。
だが土地というものは、生き物ほどには変わらないものらしい。そこの木立に覚えがあり、向こうの山並みに記憶が蘇る。たまには思い出に浸るのも悪くない。思いがけない感傷を、我ながら可笑しく思う。
が、郷愁を噛み締めるのは、用を片付けてからだ。ロイドは獣道を逸れ、茂みに分け入った。自分とロボだけが知る小道だ。
小道は、群れの縄張りを一望にする小高い崖に続く。
その崖に近づくことを、ロボは群れの誰にも、ブランカにさえも許してはいない。領地を睥睨するそこは王の玉座であり、聖域だった。幼い頃のロイドは、兄の目を盗んでここに来ては、見つかってこっぴどく怒られた。それでもロイドは、また崖を目指した。
そこから草原を渡る風を見ていると、どこまでも行ける気がした。何にでもなれるような気がした。大人になったロイドが怖れたのは、いつか自分がその景色を欲しいと思ってしまうことだった。
今夜、ロイドは久しぶりにあの崖を目指す。
群れの誰にも知られずに、ロボと会いたかった。あの崖でなら、幾夜か通えば上手くすれば二匹で会えるかもしれない。もしかすると、久々に尻のひとつも噛まれるかもしれない。
と、不意打ちのように、森が開けた。ロイドは崖の縁まで足を進めた。
「……おお……」
知らずため息が漏れた。
変わっていない。何も変わっていなかった。二年前の記憶のままに、ずっとその前の思い出のままに。ロイドは瞬きもせず、月明かりに照らされた故郷を眺めていた。今はただ遥か、遠い日の記憶が遊ぶに任せた。
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数刻が過ぎ、月が天頂に掛かる頃、ロボが姿を現した。
巨躯のロボの足音は重々しい。だが久々に見るロボの足取りは、のそりとして精彩を欠いた。背中を丸め、俯き加減で、こちらには気づいていない。兄の姿には、老いの兆しが窺えるように思えた。
ロイドは前足の爪で、小さく地面を掻いた。
途端、ロボの両耳が跳ね起きた。
「誰だ?」
低く低く唸る。眼が爛々と燃え上がる。ロボは即座に威厳の衣を纏い、王の風格を身に鎧った。ロイドの胸に在りし日の敬愛が呼び覚まされた。
「俺だ――……」
ロイドはロボに向かって一歩踏み出し、顔を良く見えるよう上げた。
「久しぶりだな、兄貴」
ロボはしばし訝しげな面持ちで、ロイドの顔を見つめ――息を飲んだ。警戒と敵意が溶け、驚きが顔中に染み渡っていく。
「ロイド? ロイド、お前なのか?」
「たった2年で弟の顔を見忘れたか、兄貴」
「お前っ! ロイド、この野郎!」
ロボは信じられないという笑顔を浮かべて、小走りに駆け寄って来た。
ロイドの目には、その傍らを若き日の幻影がともに駆けて来るのが映る。
目の前で、過去と今が重なった。ロボは乱暴に、ロイドに頬を摺り寄せた。
「わははは、生きていやがったか、この馬鹿野郎め!」
ロイドは圧し掛かられ、あちこちを噛まれた。人間であれば、兄弟からの荒っぽい抱擁に拳骨の洗礼、というところだ。ロイドは少々面食らう。どうやらロボはひどく浮かれているらしい。
(喜んで、くれるのか……)
ロイドの胸中に、驚きと困惑、そして動揺があった。
弟の戸惑いには気づかないまま、兄はやがて少し落ち着いた。
「よく戻ったな。お前の名はちらほらと耳に入っていたぞ」
「どうせ悪名だろう」
ロボがにやりと、赤い舌を出した。
「ふん。随分派手にやっているらしい。“血祭り一匹狼”と言えば、この辺りでも少なからず聞こえてくる名だ」
「血祭り……俺のことなのか、それは?」
呆れると、ロボが高笑いした。
「やられた奴は話を盛るもんさ。お前もどうして一人前ってこった」
何だか、大層な尾鰭が、独り歩きをしているようだ。
そしてロボに迫りつつある危難も、その独り歩きする噂が招こうとしている。思いがけず水が向いた。ロイドは慎重に口を開く。
「話というなら、こっちも兄貴の名前をよく聞いていたよ」
「おお、そうか」
ロイドは僅かに息を吸うと、覚悟と一緒に吐き出した。
「カランポ―の、魔獣――……」
ロボの笑顔が凍りついた。二匹の間の空気が、俄かに張り詰める。それはまるで、ロイドが群れを出るとロボに告げた、あの日のようだった。
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