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おっさん、カルーシアに行く
57.マリーゴールドの夢
しおりを挟む【おっさん、カルーシアに行く(1/4)】
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メリーゴーランドに乗って、娘の笑顔が遠ざかる――……戻ってくる。柵のこちらの俺に手を振りながら、去っていく……やって来る。木馬のペンキもニスも、ところどころ剥げかけているが、娘の笑顔はぴかぴかしている。
「めいごうらん、のるのよ」
娘の舌足らずな発音では、メリーゴーランドはどこかマリーゴールドに語感が似ていて、俺にオレンジ色を思い起こさせる。
オレンジ――暖かな、何となく“幸せ”を連想させる色。
また遠ざかるめいごうらんを見送り、俺は――……
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「上戸さん……上戸さん、寝てます?」
事務椅子で組んだ腕に首を落としていた俺は、
「ん……安田か。いや、ちょっと15分だけな……」
後輩の安田の声にうたた寝の夢から覚めた。デスクのスマホに目をやると、4分20秒をカウントダウンしていくところだった……何か少し損をした気分だ。
時刻は8時半を少し過ぎたところ。言うまでもなく、夜の、である。
……――懐かしい夢を見たな。
俺は椅子に座り直すと、肩甲骨をぐいっと寄せて解した。
「上がりか?」
「ええ、まあ、そろそろ。上戸さんはまだ……?」
「ああ……っても、見積もり2件放り込みゃあ終いだが」
その2件に仮眠が要るのが、おっさんってやつなんだ。
俺の名は……まあ、別に興味ないだろうが、上戸大祐。産業資材を扱う中小企業で営業やってる、しがねえ月給取りって奴だ。歳はいつに間にやら37――今喋ってる安田とは社歴10年差だから、ま、自他ともに認める“おっさん”って奴だな。
会話が途切れても安田の奴が突っ立ってるので、振り向いて、
「気ぃ遣わんと帰れよ、俺は自分で休憩しもってやってんだから」
そう言うと、相手はほっとしたような顔で頭を下げた。
「あ、じゃあ、申し訳ないですけど、お先です」
自分の仕事が終わりゃ、別に堂々と帰ればいいんだが、上の人間が残ってると帰りにくい空気は、日本の会社の悪しき慣習だよな。
と、安田がコピー複合機の前で振り返った。
「そう言えば、上戸さん、前から思ってたんすけど、何でウチって未だに見積もりFAXで入れてんですかね。今時、メールでもいいと思うんですけど」
「ずっとそーしてるからだろうな」
俺はそう言って肩を竦めた。
「年寄りはやり方変えるの嫌うんだよ。新しい便利なモン出ても、慣れてる方がいい。俺より上の世代のガラケー率見てみろよ」
「ああー……」
「それと、一定より上の人間は、ちゃんと紙の現物がないとダメなんだ。データだけだと不安らしい」
「マジすかー」
「まあ、そう言う俺も、子どもの頃にはシールとかカード集めてたけど、パ●ドラとかのデータに課金するのはちょっと抵抗あるクチだ」
「マジすかー……」
話していてもきりがない、手で追い払う仕草をすると安田は笑い、
「じゃ、お疲れ様っす」
頭をひとつ下げて出て行った。これでいつものごとく、社内には俺と、同期入社のコピー機君の二人だけが取り残されたのだった。
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こうしてデフォルト残業で半ば会社の戸締り係を任じているのは、何も俺の仕事が遅いからではない。担当エリアが一番遠場なんだ。誰より遠くから社内に戻ってきて、そっから事務仕事するんだから、そりゃあ遅くもなるってぇの。
PCで見積もり叩きながら、我知らず深く深くいつまでも息を吐いている。大学出てこの会社に入って、結婚して、娘も生まれて――……
気づけば37歳で。何なんだ、この“行き詰まり感”は……?
何で未だに見積もりFAXで入れてんですかね――……それに尽きるんだよな。
つーかさ、営業って――……商社って、要らねえよな。
ウチに社是ってのがね、“顧客満足”とかね、“感動を創造する”とかそーゆー系でさ、お客さんとの人間関係云々を吹いてんだけど、営業でする話なんざ結局8割方どんだけ値引きできるかだぞ。
普通に考えてさ、スーパーとかコンビニでよ、店員が気に入ったからって高いとこで買わんでしょ。ウチは所謂 “工具屋”って言われる業種だけど、俺から買うのとネットで買うのと、正直そんな差はねーと思うぜ?
たぶん俺のやってる仕事って、見積もりFAXで入れるのと同様の、古き悪しき無駄な慣習でしかない。一定より上の人間が消えたら、その時は……
生き残るには、誰かがやり方を変えていかなくちゃならねえ――……
が、組織の体質ってのは、俺一人が何したところで変わるもんじゃねえ。特に“変えたくねえ”って連中が“上”で踏ん張ってるなら尚更だ。それに俺自身、やる気も愛社精神も、とっくの昔に尽きて0よ。
ウチの社長ってのは二代目で、その“上で踏ん張ってる世代”だ。“顧客満足”や“感動を創造する”はこの社長の旗印で、「営業は足で稼いで心で売れ」を金科玉条に戴いている。
その上、自己啓発系が大好きで、“人を動かす”とか“問題解決シート”とか“ジョハリの窓”とかを聞き齧ってきては、俺らに講釈を垂れるのが大好きだ。どうも、やりがいとかお客様の笑顔が“報酬”だとか、社員にいいことを教えてやってるとか、マジで思ってそうなのがちょっと怖い。
まあ、ぶっちゃけ邪魔っけなオジサンだよ。古い考え方にくだらねえ金科玉条ぶら下げてんだから。
たぶん俺らのいっこ上の世代が癌で、俺らの世代がクソだ。
企業戦士なんて言われていた世代の方々は、確かに今は面倒くさい爺さん達になったけど、じゃんじゃんばりばりこの国の礎築いてきただけあって、それでも存在に重みがあるよ。
始末に悪いのは、若い頃に尾崎豊(笑)に共感して、異常景気の真っただ中に新卒社員になった奴らな。何の努力もせずに“甘い泡”のお零れ舐めた経験だけあるから、妙にカンチガイしてて、古い価値観で偉そうに語るのよ。
俺達ゃお祭り騒ぎの去った後の人間だからな、浮かれた連中をしらーっと見てた、就職氷河期の生き残りよ。
上はバブルで下はゆとりで、どーしろってーのよ。冷めた目で世の中斜に見て、何の期待もせずに生きてくしかねーじゃん。
ちゅう訳で、若者たちよ。俺らの上の世代が死んじまうまで我慢しな。俺達世代は無気力で腐ってるけど、上の世代みたいに邪魔をすることはしねーからさ。
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ほい、と言ってる間に、1件目の見積もり終わり。これ送って値引き要請が返って、予め乗せた引き代削ってお幾ら万円でFAかな。
いや、そのやり取り要るか? 最初から一発価格出しゃいいじゃねえかよ…… まあ、いいや。もう一枚打つ前に、ちょいと一服するか。
この禁煙分煙のご時世、多分に漏れずウチでもデスクで吸うのは禁止だ。と言っても廊下の隅に灰皿置いて、分煙のつもりだからウチらしいわ。
娘が生まれて一時ヤメた煙草も、また本数が増えてきた。
家庭もまた仕事と同様に、10年を目途に何らかの結果が出ると言える。さっきの居眠りの夢は、もう何年も昔の記憶で、娘の香菜は今もまだ小さいが、と言ってメリーゴーランドをはっきり発音できないような齢でもない。
家庭か――……何か問題があるかっちゃあそんなことはねえが、円満かっちゃあ胸張ってそうだとも言えない気がするな。
とにかく一緒に過ごす時間が少ないのよ。俺が寄り道ひとつせず真っすぐ家に帰っても、同じ食卓に着くどころか、起きてる娘の顔を見る日のほうが少ない。オネーチャンのいるとこで飲むでもなし――まあ、“俺ら世代”はその手の遊びにそんな興味ないんだが――嫁さんも悪い旦那じゃねーとは思ってくれてるはずだけど、理想のダーリンにゃあ程遠かろう。
嫁さんとは、仲が悪いってこともないけれど……
あいつ、最近話す時、あまり俺の方を向かないんだよなあ――……
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ああ、ヤだねえ――……
“おっさん”てぇのは、別に年齢のことじゃないね。人生の見通しっつうか、終点っちゅうか――そういうモンが薄ぼんやりと見える場所に辿り着いちまった奴のことを、そう呼ぶんだろうなァ……
俺は抽斗を開けてマルボロの箱を取り、事務椅子から立ち上がる――
「は――……?」
そして俺は、半端な中腰のまま固まってしまった。
この事務室の、愛想もクソもねえクリーム色の樹脂の、曇りガラスの嵌った見慣れた扉――その隣、あんな位置に、もうひとつ扉ってあったけ……?
1.上戸さん、あなた、疲れているのよ。
2.ガチで超常的な何かが現在進行形。
3.現実の俺は過労で床に倒れてて、最後の夢を見ている。
椅子に座り直し、くるっと体を扉の方に向け、しばらく睨みつける。そいつが幻覚にしろ何にしろ、とりあえず俺の主観的には消えずにそこに在る。
問題は、それを開くべきか否か――……だろう。
もし、その扉が俺には理解の及ばない理由で、本当の現実にそこにあるとして、開けば間違いなく、取り返しのつかない……後戻りのできないことになるはずだ。
何故なら――……
あの扉のデザイン、そして塗られたピンク色……
誰がどう見たって、某猫型ロボットの“どこにでも行けるドア”だからな。
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