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まっくろくらいの白雪姫・上巻
64.【上巻】白雪姫ト悪イ魔女
しおりを挟む【まっくろくらいの白雪姫・上巻(4/6)】
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誰も知らない、戸を叩くまで。扉を叩いた、その手はだあれ?
とんとんとん、“幸せ”かしら? とんとんとん、“不幸せ”なの?
騒動の幕開けは、白雪姫の寝所の前が舞台でした。
白雪姫の猫、片前足のない黒猫が、姫の寝所の扉に磔にされたのです。
可哀そうな黒猫を見つけたのは、姫の朝の支度のためにやって来た侍女でした。運の悪い侍女は、死んだ猫を見た途端ひっくり返り、頭に大きなこぶをこさえてしまいました。
猫は胴を断たれ、お腹の中身を解けたリボンようにぶら下げて、噛みつこうとするように歯を剥いたまま、手首を釘で扉板に打ち付けられておりました。そして、片方の目玉が抉られておりました。
けれども、侍女を人事不省にしたのは、猫のむごい死に様ばかりではありませんでした。あろうことか、扉に猫の血で呪いの印が描かれてあったのです。
城の人々は驚くやら怖れるやら。むかしむかしのあるところでは、呪いは向けられた者に不幸を、ことによれば死をさえ招くと、信じられておりました。
白雪姫は●●●者と言えど、この国の王女。姫へ呪いを掛ける、ということは、姫に刃で切りつけるのと同じこと。
それは王家への反逆に他ならなかったのです。
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さて、その夜、夕餉の席でのこと。
王様は白雪姫を好いてはおりませんでしたし、料理番も給仕役も姫を蔑み、お后も姫が傍らに居ては心地が良くありませんでしたが、今朝の恐ろしい出来事のために、みな少しなりと白雪姫を気遣わしく思い、重苦しい時を過ごしておりました。
沈黙は前触れもなく、豚のような叫びに破られました。
心臓が喉までせり上がり、振り向いた途端、お后は悲鳴を上げ、王様さえ驚きの声を漏らしました、それは、驚きと恐怖に、真ん丸に開かれた白雪姫の口、舌の上に――
目の玉が乗っかっていたからでした。
それは翡翠の緑の目、抉られていたカッツェの目の玉でした。白雪姫が吐き出した猫の目は、スープ皿にぷかぷか浮かんで、テーブルの一同を見返しておりました。まるで、「僕はどこにいるんだろう?」と不思議がっているようでした。
白雪姫はじっとスープの目玉を見つめていたかと思うと、雪の白い顔からなおのこと血の気が失せ、椅子から転げ落ちてしまいました。
けれども白雪姫は、絨毯に伏せて気を失う前に、居合わせた誰もが心から震え上がる言葉を口にしておりました。
「魔女の仕業……」と――……
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床に臥せた白雪姫の下には、お城の人々が、次から次に見舞いに来ました。お城の人々が白雪姫を好いていないとは言え、あの呪われた悪魔の情婦である魔女を前にすれば、●●●者とて立派な国教会の徒でした。
●●●者は忌まわしいだけでしたが、魔女は忌まわしい敵なのです。
白雪姫が生まれてから今まで誰一人姫のために祈ったことはありませんでしたが、今は誰もが姫の(そしてその十倍も自分達の)身を案じておりました。
白雪姫は雪の肌もなお青白く、結んだ●●●●の唇ばかり赤く、怯えて力ない様子でした。そして部屋に来た人々に、必ず――
「ああ。こんなに恐ろしいことは、今まで起きたことがない」
そう嘆いて聞かせるのでした。
白雪姫の身を襲った不吉は、本当に魔女の仕業かもしれない。
お城では、上は大臣や隊長、下は女中や馬飼いまで、それはもうカオリンチュの尻を蹴飛ばしたような大騒ぎで、口さがない噂が、至るところでひそひそ交わされておりました。
あれは、本当に魔女の仕業だろうか?
侍女「そうに決まっているわ」
では、いったい誰が魔女なのだろう?
大臣「誰ぞが、姫様と王家に仇をなせと、命じておるのやもしれませんぞ」
では、いったい誰の差し金だろう?
隊長「それは我が国の領地を狙う、他国の王に決まっておる」
姫様は、こんなに恐ろしいことは、今まで起きたことがないと言う。
牢番「へえ、それは確かです。こんなこと、今まで聞いたこともない……」
では、誰が来てから、こんなことが起きるようになったのか?
その時、指先に刺さった小さな棘のように、人々の心に刺さった小さな棘、白雪姫がいつかさりげなく打った楔が、みんなの胸をちくりと刺しました。
お后様は、魔女かもしれない――……
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お后はお城の中で、不意に吹いた北風(魔女はお前だ)に気づきました。
お城の人々は、うわべこそ恭しくも、今までのようにお后に優しく、親切にしてくれなく(魔女はお前だ)なりました。そればかりか、お后の部屋から(マ女はお前ダ)品物がなくなったり、知らないうちに壊れていたり、下女達の(おマエダ)陰口が聞こえてきたりしました。
誰からも愛され、讃えられることが(オマえが)当り前だったレジナは戸惑い、怯え、まるで冬の寒空に扉を閉ざされた気持ちでした。誰の目にも疑い(猫を殺シタ)と怖れがあり、お后はいつでも、幾つもの(白ユキ姫の猫)目に見張られているように思え(……異端)ました。
やがて(イ端者……)お后は、会う人がみな、口々に自分(マじょ!)のあらぬ告発していると信じる(マ女!)ようになりました。程なく声は、一人っきりの時(魔ジョ!)にも、誰もいない部屋でも(魔ジョハオ前ダ!)聞こえるようになりました。
ある朝、レジナが広間に行くと、そこにいる人々はみな、あの恐ろしい白雪姫の顔をしておりました。そしてたくさんの白雪姫は一斉に振り向くと、翡翠の緑色の目と血の赤色の目で、お后を指差して叫び出したのです。
マジョハオマエダ――
十字架を持て、松明を掲げよ――
魔女は、異端者は火炙り――……
お后は悲鳴を上げ続け、倒れ、とうとう心を壊してしまいました。
蜂蜜のような髪は枯れ、エメラルドの瞳は曇り、林檎のような頬もやせ衰え、木漏れ日の微笑は雲に隠されたように、お后の美しさは失われました。お后は人を怖れるようになり、祖国から仕える侍女の他の者が近づくと、泣いて部屋の隅に蹲りました。
レジナは寝所に閉じこもり、父上の王様からの婚礼祝いの品、黄金の鏡に向かって繰り言をするばかりでした。この鏡は偽りを映さず真実を映す、魔法の鏡と伝えられており、女達が映った自分の姿を真実と信じないことから、“信じずの鏡”と呼ばれておりました。
「鏡よ、鏡。この世で一番恐ろしいのは誰か」
『お后様、魔女のそなたは恐ろしい』
『けれども白雪姫は、その千倍も恐ろしい――……』
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さて、継母の様子を見ていた白雪姫は、ふと目論みの端っこがほつれているのではないか、と気掛かりになりました。
さてさて、あの間抜けがこうも早く目を回すとは、どうにも見当違い……そしてブラネージュはふと気づきました。お城の人々の心に打ち込んで、思うように仕向けた言葉の楔。
たった一人、打ち忘れていた相手がいたことに……
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