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第一章.帰還
1.再会
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だって、生まれたときから、僕には、貴女だけだったから。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
ようやく、終わった。
真っ黒な衣装に身を包み、同じく黒いヴェールをつけたリーファは、ほっと胸をなでおろす。
今日は、リーファと婚姻関係にあった男性体の葬儀だった。
とはいっても、リーファたち悪魔族は、死ぬと形が残らない。 消滅、するのだ。
だから、葬儀といっても、遺された者を案じて見舞う儀、という意味合いが強い。
リーファには、義理の、を含めれば六体の両親がいるのだが、そのうちの四体はリーファを案じて来てくれた。
リーファは、ちらりと時計を見る。
もう、女性体が一体しかいない家を訪うのに、適した時間とは言えない。
ということは、彼はやっぱり来ないのだろう。
少し寂しく感じながら、玄関の扉に近づいて、施錠をしようとしたときだ。
来訪を告げるノックの音もなく、扉が、開いて、影が、落ちた。
「リーファ」
耳に届いた声に、リーファは目を見張る。
のろのろと、顔を上げれば、信じられない存在が、そこにいた。
疎遠になっていた弟――ヴェルドライトだ。
「…ヴェル…。 来てくれたの」
驚きに、声が掠れた。
来てくれるとは、思わなかった。
彼に、案じてもらえるとは、思わなかったのだ。
「大丈夫?」
ほぼ頭一つ分背の高いヴェルドライトは、リーファの瞳を間近に覗き込みながら、尋ねてくれる。
翠一族の特徴が、顕著に表れた、翠柘榴石の如き瞳で。
その瞳を見れば、彼が彼以外でありえないことを頭では理解できるのだが、やはりどこかで信じられなくて、リーファはヴェルドライトに手を伸ばし、その白皙の頬に触れる。
「何?」
黒い、絹の手袋をはめていたから、感触はよくわからないけれど、目の前に彼がいることは、確かだ。
リーファの願望でも、夢幻の類でもなく。
彼は、嫌がらなかったが、不思議そうにゆったりと首を揺らした。
本物だ、と納得して、リーファは手を下げる。
一緒に、視線も下げながら。
「よくわからない、けれど。 …もう、怒っていないの?」
「僕が?」
問いに問いで返されて、リーファの中に、理不尽ではないか、という思いが湧いた。
その想いのままに、リーファは真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。
若干の非難を込めて。
「怒って、いると思った。 わたしが、アンジェに嫁いだこと」
怒っていないとは言わせない、と言外に告げたつもりだった。
事実、彼は、リーファとアンジェの縁談が持ち上がったとき、猛反対した。
そして、縁談がまとまった後も、猛反対し続け、婚儀にも出席しなかった。
リーファとアンジェが婚姻関係となってから、2年が経つが、その間、彼はリーファとの接触を、一切絶っていたのだ。
おかげで、翠一族のなかで有力と目されていたアンジェの一家は、当主に見放されたと噂され、俗な言い方をすれば、落ちぶれてしまった。
アンジェの一家は、更なる繁栄を求めて、翠一族の当主・ヴェルドライトの姉であるリーファとの縁談を求めたというのに、それが裏目に出たのである。
リーファは、彼の家族には疫病神のように言われ、リーファと彼の家族との関係は、険悪なものとなった。
その証拠に、今日の葬儀にも彼の家族は一体として現れていない。
それを、ヴェルドライトのせいとは言わない。
全部、自分の選択だ。
けれど、一番の理解者で、一番の味方だと思っていたヴェルドライトと疎遠になってしまったことは、リーファにはとても堪えた。
それでも、リーファは無理に連絡を取ろうとはしなかったし、彼に近づこうともしなかった。
彼が、自分に対して怒っていると思っていたから。
なのに、怒っていない、なんて。
そんな言葉で片づけないで欲しい。
リーファの思いが全部伝わったとは思わないけれど、少しは表情や言葉から、感じ取れたのだろう。
ヴェルドライトは、気まずそうにスイと目を逸らし、もごもごと口の中で呟いた。
「それは、怒っていた、けど」
そこで言葉を切ったヴェルドライトは、そっとリーファの手を取った。
そして、逸らした目を、リーファの瞳へと、戻す。
「怒りに任せて、ひどい態度を取ったこと、ごめんなさい。 …リーファも、僕の態度に、怒っていると思う。 …許して、くれる?」
そう問われて、リーファ瞬きを繰り返してしまった。
つまり、何か?
リーファは、ヴェルドライトの怒りが継続していると思って、ヴェルドライトから距離を置いていたが、ヴェルドライトも、リーファが怒っていると思っていた、と?
だから、今まで、ひとつも連絡を寄越さなかった?
脱力しそうな気がしたが、リーファは何とか踏みとどまる。
そういえば、昔から、ヴェルドライトは、リーファに対しては、確かにそういうところがあった。
リーファを怒らせたかも、と思うと、リーファに近づいて来ないのだ。
そして決まって、リーファが「怒ってないよ?」と言うと、嬉しそうに近づいてくる。
怒らせた、悪いことをした、と彼が自覚しているときほど、距離の置き方は顕著だった。
つまり、今までリーファと絶縁状態にあったのは、そういうことだったのだろう。
身体は大きくなっても、幼いころから、何も変わっていないらしい。
リーファが知っている昔の行動パターンから言えば、ヴェルドライトは、リーファのお許し――という言い方はあれだが――がなければ、近づいて来ない。
それなのに、彼は、リーファのところへ来た。
リーファのことを案じて、相当の勇気を振り絞って、様子を見に来てくれたのだろう。
彼の行動をリーファの目を通して見ればそうなるので、リーファは微笑んだ。
「…許すも何も、怒っていないもの」
リーファが告げると、ヴェルドライトは呆けたような表情になった。
まずいことでも言ったのだろうか?
「ヴェル?」
先を促す意味を込めて、リーファが呼ぶ、彼の愛称を口にすれば、彼はハッとしたようだ。
そして、ひとつ、頷いた。
「…そっか」
不思議な、表情だった。
後悔と、安堵、だろうか。
だが、その表情を一瞬で消して、ヴェルドライトは真摯な光の浮かぶ、翠柘榴石の瞳を真っ直ぐに、リーファへ向けた。
「…それから、お悔やみを」
その言葉を、リーファは複雑な気持ちで聞く。
「貴方にそう言ってもらえただけで、アンジェは浮かばれたと思う」
認めたくない、けれど。
これはきっと、嫉妬と羨望。
それから、理不尽さと不条理さを感じ、消化できない気持ちの悪さ。
そして、それを隠しておきたい、知られたくない、とリーファは思う。
感情とは本当に、複雑だ。
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ようやく、終わった。
真っ黒な衣装に身を包み、同じく黒いヴェールをつけたリーファは、ほっと胸をなでおろす。
今日は、リーファと婚姻関係にあった男性体の葬儀だった。
とはいっても、リーファたち悪魔族は、死ぬと形が残らない。 消滅、するのだ。
だから、葬儀といっても、遺された者を案じて見舞う儀、という意味合いが強い。
リーファには、義理の、を含めれば六体の両親がいるのだが、そのうちの四体はリーファを案じて来てくれた。
リーファは、ちらりと時計を見る。
もう、女性体が一体しかいない家を訪うのに、適した時間とは言えない。
ということは、彼はやっぱり来ないのだろう。
少し寂しく感じながら、玄関の扉に近づいて、施錠をしようとしたときだ。
来訪を告げるノックの音もなく、扉が、開いて、影が、落ちた。
「リーファ」
耳に届いた声に、リーファは目を見張る。
のろのろと、顔を上げれば、信じられない存在が、そこにいた。
疎遠になっていた弟――ヴェルドライトだ。
「…ヴェル…。 来てくれたの」
驚きに、声が掠れた。
来てくれるとは、思わなかった。
彼に、案じてもらえるとは、思わなかったのだ。
「大丈夫?」
ほぼ頭一つ分背の高いヴェルドライトは、リーファの瞳を間近に覗き込みながら、尋ねてくれる。
翠一族の特徴が、顕著に表れた、翠柘榴石の如き瞳で。
その瞳を見れば、彼が彼以外でありえないことを頭では理解できるのだが、やはりどこかで信じられなくて、リーファはヴェルドライトに手を伸ばし、その白皙の頬に触れる。
「何?」
黒い、絹の手袋をはめていたから、感触はよくわからないけれど、目の前に彼がいることは、確かだ。
リーファの願望でも、夢幻の類でもなく。
彼は、嫌がらなかったが、不思議そうにゆったりと首を揺らした。
本物だ、と納得して、リーファは手を下げる。
一緒に、視線も下げながら。
「よくわからない、けれど。 …もう、怒っていないの?」
「僕が?」
問いに問いで返されて、リーファの中に、理不尽ではないか、という思いが湧いた。
その想いのままに、リーファは真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。
若干の非難を込めて。
「怒って、いると思った。 わたしが、アンジェに嫁いだこと」
怒っていないとは言わせない、と言外に告げたつもりだった。
事実、彼は、リーファとアンジェの縁談が持ち上がったとき、猛反対した。
そして、縁談がまとまった後も、猛反対し続け、婚儀にも出席しなかった。
リーファとアンジェが婚姻関係となってから、2年が経つが、その間、彼はリーファとの接触を、一切絶っていたのだ。
おかげで、翠一族のなかで有力と目されていたアンジェの一家は、当主に見放されたと噂され、俗な言い方をすれば、落ちぶれてしまった。
アンジェの一家は、更なる繁栄を求めて、翠一族の当主・ヴェルドライトの姉であるリーファとの縁談を求めたというのに、それが裏目に出たのである。
リーファは、彼の家族には疫病神のように言われ、リーファと彼の家族との関係は、険悪なものとなった。
その証拠に、今日の葬儀にも彼の家族は一体として現れていない。
それを、ヴェルドライトのせいとは言わない。
全部、自分の選択だ。
けれど、一番の理解者で、一番の味方だと思っていたヴェルドライトと疎遠になってしまったことは、リーファにはとても堪えた。
それでも、リーファは無理に連絡を取ろうとはしなかったし、彼に近づこうともしなかった。
彼が、自分に対して怒っていると思っていたから。
なのに、怒っていない、なんて。
そんな言葉で片づけないで欲しい。
リーファの思いが全部伝わったとは思わないけれど、少しは表情や言葉から、感じ取れたのだろう。
ヴェルドライトは、気まずそうにスイと目を逸らし、もごもごと口の中で呟いた。
「それは、怒っていた、けど」
そこで言葉を切ったヴェルドライトは、そっとリーファの手を取った。
そして、逸らした目を、リーファの瞳へと、戻す。
「怒りに任せて、ひどい態度を取ったこと、ごめんなさい。 …リーファも、僕の態度に、怒っていると思う。 …許して、くれる?」
そう問われて、リーファ瞬きを繰り返してしまった。
つまり、何か?
リーファは、ヴェルドライトの怒りが継続していると思って、ヴェルドライトから距離を置いていたが、ヴェルドライトも、リーファが怒っていると思っていた、と?
だから、今まで、ひとつも連絡を寄越さなかった?
脱力しそうな気がしたが、リーファは何とか踏みとどまる。
そういえば、昔から、ヴェルドライトは、リーファに対しては、確かにそういうところがあった。
リーファを怒らせたかも、と思うと、リーファに近づいて来ないのだ。
そして決まって、リーファが「怒ってないよ?」と言うと、嬉しそうに近づいてくる。
怒らせた、悪いことをした、と彼が自覚しているときほど、距離の置き方は顕著だった。
つまり、今までリーファと絶縁状態にあったのは、そういうことだったのだろう。
身体は大きくなっても、幼いころから、何も変わっていないらしい。
リーファが知っている昔の行動パターンから言えば、ヴェルドライトは、リーファのお許し――という言い方はあれだが――がなければ、近づいて来ない。
それなのに、彼は、リーファのところへ来た。
リーファのことを案じて、相当の勇気を振り絞って、様子を見に来てくれたのだろう。
彼の行動をリーファの目を通して見ればそうなるので、リーファは微笑んだ。
「…許すも何も、怒っていないもの」
リーファが告げると、ヴェルドライトは呆けたような表情になった。
まずいことでも言ったのだろうか?
「ヴェル?」
先を促す意味を込めて、リーファが呼ぶ、彼の愛称を口にすれば、彼はハッとしたようだ。
そして、ひとつ、頷いた。
「…そっか」
不思議な、表情だった。
後悔と、安堵、だろうか。
だが、その表情を一瞬で消して、ヴェルドライトは真摯な光の浮かぶ、翠柘榴石の瞳を真っ直ぐに、リーファへ向けた。
「…それから、お悔やみを」
その言葉を、リーファは複雑な気持ちで聞く。
「貴方にそう言ってもらえただけで、アンジェは浮かばれたと思う」
認めたくない、けれど。
これはきっと、嫉妬と羨望。
それから、理不尽さと不条理さを感じ、消化できない気持ちの悪さ。
そして、それを隠しておきたい、知られたくない、とリーファは思う。
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