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第一章.帰還
7.提案
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「お帰りなさいませ」
屋敷の玄関で待ち構えていたロビンは、リーファがヴェルドライトの腕に腕を絡ませて、支えられながら帰ってきたことに、何の違和感も覚えなかったらしい。
いや、もしかすると、違和感を覚えつつも、それを全く顔に出さなかっただけかもしれない。
ロビンは無成体であり、きれいな一重のすっきりとした顔立ちをしているのだが、表情筋が壊滅的に死んでいる。
今日も相変わらずの、何を思っているか全くわからないポーカーフェイスだ。
「ただいま、ロビン」
「もう休んでいいよ。僕が部屋まで付き添うから」
ヴェルドライトの言葉に、ロビンは一礼をして姿を消す。
それを見届けて、ヴェルドライトはリーファの背に手を添えて、促した。
「行こう」
「ごめんね、付き合わせて。 ありがとう」
リーファはゆっくりと足を進め、螺旋階段の手すりに手を置いた。
ヴェルドライトが頼りないわけではないが、どれだけリーファが体重をかけても、倒れたり崩れたりしようのない手すりの安心感には敵わない。
「…ゆっくりでいいからね。 手すりをしっかり握って。 僕が支えているから、大丈夫だよ」
ヴェルドライトは、リーファの後方、一段遅れのところをついてきてくれているようだ。
そっと、腰のあたりを支えてくれてもいる。
なんだか、介護をしてもらっているようで、申し訳ない気分になる。
時間をかけて、一段、一段、階段を上り、壁づたいに、廊下を進む。
儘ならない身体を無理矢理に動かしているせいか、身体はずっと熱いままだし、変な汗まで出てきた気がする。
あと、少し。 もう、少し。
ヴェルドライトの手に、腕に抱かれている腰が、妙に居心地が悪い。
でも、振り払うわけにもいかなくて。
あと、少し。 もう、少し。
やっと部屋に辿り着いて、リーファはほっと息をついた。
まだ、身体が熱いし、肌が汗ばんでいる気もするし、何がどう、と言えないけれど、妙に落ち着かなくて、変な感じだ。
冷たいシャワーを浴びて、頭をすっきりさせた方がいいかもしれない。
部屋の扉を開けて、自分の領域に逃げ込もうとしたリーファだったが、思い直してヴェルドライトに向き直る。
このとき、どうして思い直してしまったのか。
リーファは後々後悔することになるのだが、このときは知るよしもなかったのだ。
「ヴェル、今日はありがとう。 おやすみな、っ」
ひやりとした手に首筋を触られて、反射的に目を閉じたし、思わずビクリと震えてしまった。
次に目を開いたときには、思いがけず、ヴェルドライトの身体が近くにあって、リーファは困惑する。
ヴェルドライトの身体と、自分の部屋の扉の板挟みだ。
ドアノブに少し力を込めれば、扉が開いて自室に逃げ込めるが、きっと床に倒れ込む形になる。
そして、尻餅をつくように倒れたリーファの上に、ヴェルドライトが倒れる。
結果、今の状態より格段に落ち着かなくなるのは目に見えている。
色々と計算をするリーファをよそに、ヴェルドライトはさわさわとリーファの肌を撫でる。
「何、ヴェル…」
なぜか、ヴェルドライトの顔を――、その瞳を見るのが怖い気がして、顔は上げられない。
「まだ、熱いね、落ち着かないでしょう?」
ヴェルドライトの言葉に、リーファはドキリ、とした。
彼の翠柘榴石の瞳に、内側を見透かされたようで。
「あそこの空気に当てられたね」
ヴェルドライトの、確信めいた言葉につられて、リーファは思わず顔を上げた。
ヴェルドライトの目を見て、リーファは、ほっとした。
何にほっとしたのかはわからない、が。
きっと、リーファが恐れていた何かが、そこになかったことにほっとしたのだと思う。
「空気…?」
「甘い香りが、したんじゃない? 今夜は満月だから、本性をさらけ出して、解放的になる者もいる。 フェロモンで誘う者も」
「あ…、そう、いう」
あの、甘い香りを、嬌声を思い出してしまい、頬が更に熱を持つような気がした。
きっと、顔は赤くなっているだろう。
ヴェルドライトに顔を見られたくなくて、リーファはまた、顔を伏せる。
「…僕と、する?」
思いがけず近くで――、左耳のすぐそばで、ヴェルドライトの甘い声がした。
「…え…?」
彼の発した言葉に、リーファはまた、顔を上げる。
瞬間、目の前に、ヴェルドライトの顔が迫った。
唇の左端、口角のあたりに、少し濡れた、あたたかくて、やわらかい感触。
ちゅ…、と小さな音を立てて離れて行ったぬくもりが何か、リーファはすぐに分かった。
「ヴェル…」
照れるよりも、困るよりも、信じられない思いで、ヴェルドライトを見る。
リーファと彼は、実の姉と弟ではないけれど、今、このタイミングで、キスをするような仲でもない。
一体、彼は、何を。
「…きっと、熱いのも、治まるし…、すっきり、するよ?」
ヴェルドライトは、リーファの首筋を撫でていた右手で左頬を包み、左手では右頬を包み、リーファの顔を固定させた。
リーファが、彼から、顔を背けられないように。
目を逸らすことは、できるはずなのに、なぜかヴェルドライトの翠柘榴石の瞳から、目が逸らせない。
「…それとも…僕とは、嫌?」
また、ヴェルドライトの瞳孔が、拡大する。
そのとき、突如として、リーファの頭にある考えが閃いた。
平気そうに見えていたけれど、実は、ヴェルドライトもあの空気に当てられていたのだろうか。
それを隠して、何でもないふりをして、リーファの介護をしてくれていた?
浮かんだ考えを払拭できなくなったので、リーファは訊ねることにした。
「…ヴェルも、そういう気分なの? …影響、されている?」
ヴェルドライトは目を丸くし、唇をきゅっとすぼませる。
驚いた顔、に見えたのだけれど。
彼は、少し長めの瞬きをしたあとで、苦笑いした。
「…そう、かも。 …触りたい」
「…触る、だけ?」
どうしてそんなこと、訊いたのだろう。
触るだけで、それ以上はしないよね? という確認だったのか。
触るだけで、終わらないよね? という確認だったのか。
牽制したのか。
期待をしたのか。
自分でも、何を訊きたいのか、わからなかった。
「…うん。 …あ、いや、…欲を言えば、…キスも、したい」
そして、ヴェルドライトはリーファの問いを、「触るだけで、それ以上はしないよね?」という確認だと受け取ったらしかった。
ヴェルドライトの「欲を言えば」「キスも、したい」という言葉に、リーファはそう、理解する。
そのことに、ほっとしたのか、がっかりしたのか、わからないままに。
リーファは、自室の扉を開いた。
彼の提案を、受け容れるために。
屋敷の玄関で待ち構えていたロビンは、リーファがヴェルドライトの腕に腕を絡ませて、支えられながら帰ってきたことに、何の違和感も覚えなかったらしい。
いや、もしかすると、違和感を覚えつつも、それを全く顔に出さなかっただけかもしれない。
ロビンは無成体であり、きれいな一重のすっきりとした顔立ちをしているのだが、表情筋が壊滅的に死んでいる。
今日も相変わらずの、何を思っているか全くわからないポーカーフェイスだ。
「ただいま、ロビン」
「もう休んでいいよ。僕が部屋まで付き添うから」
ヴェルドライトの言葉に、ロビンは一礼をして姿を消す。
それを見届けて、ヴェルドライトはリーファの背に手を添えて、促した。
「行こう」
「ごめんね、付き合わせて。 ありがとう」
リーファはゆっくりと足を進め、螺旋階段の手すりに手を置いた。
ヴェルドライトが頼りないわけではないが、どれだけリーファが体重をかけても、倒れたり崩れたりしようのない手すりの安心感には敵わない。
「…ゆっくりでいいからね。 手すりをしっかり握って。 僕が支えているから、大丈夫だよ」
ヴェルドライトは、リーファの後方、一段遅れのところをついてきてくれているようだ。
そっと、腰のあたりを支えてくれてもいる。
なんだか、介護をしてもらっているようで、申し訳ない気分になる。
時間をかけて、一段、一段、階段を上り、壁づたいに、廊下を進む。
儘ならない身体を無理矢理に動かしているせいか、身体はずっと熱いままだし、変な汗まで出てきた気がする。
あと、少し。 もう、少し。
ヴェルドライトの手に、腕に抱かれている腰が、妙に居心地が悪い。
でも、振り払うわけにもいかなくて。
あと、少し。 もう、少し。
やっと部屋に辿り着いて、リーファはほっと息をついた。
まだ、身体が熱いし、肌が汗ばんでいる気もするし、何がどう、と言えないけれど、妙に落ち着かなくて、変な感じだ。
冷たいシャワーを浴びて、頭をすっきりさせた方がいいかもしれない。
部屋の扉を開けて、自分の領域に逃げ込もうとしたリーファだったが、思い直してヴェルドライトに向き直る。
このとき、どうして思い直してしまったのか。
リーファは後々後悔することになるのだが、このときは知るよしもなかったのだ。
「ヴェル、今日はありがとう。 おやすみな、っ」
ひやりとした手に首筋を触られて、反射的に目を閉じたし、思わずビクリと震えてしまった。
次に目を開いたときには、思いがけず、ヴェルドライトの身体が近くにあって、リーファは困惑する。
ヴェルドライトの身体と、自分の部屋の扉の板挟みだ。
ドアノブに少し力を込めれば、扉が開いて自室に逃げ込めるが、きっと床に倒れ込む形になる。
そして、尻餅をつくように倒れたリーファの上に、ヴェルドライトが倒れる。
結果、今の状態より格段に落ち着かなくなるのは目に見えている。
色々と計算をするリーファをよそに、ヴェルドライトはさわさわとリーファの肌を撫でる。
「何、ヴェル…」
なぜか、ヴェルドライトの顔を――、その瞳を見るのが怖い気がして、顔は上げられない。
「まだ、熱いね、落ち着かないでしょう?」
ヴェルドライトの言葉に、リーファはドキリ、とした。
彼の翠柘榴石の瞳に、内側を見透かされたようで。
「あそこの空気に当てられたね」
ヴェルドライトの、確信めいた言葉につられて、リーファは思わず顔を上げた。
ヴェルドライトの目を見て、リーファは、ほっとした。
何にほっとしたのかはわからない、が。
きっと、リーファが恐れていた何かが、そこになかったことにほっとしたのだと思う。
「空気…?」
「甘い香りが、したんじゃない? 今夜は満月だから、本性をさらけ出して、解放的になる者もいる。 フェロモンで誘う者も」
「あ…、そう、いう」
あの、甘い香りを、嬌声を思い出してしまい、頬が更に熱を持つような気がした。
きっと、顔は赤くなっているだろう。
ヴェルドライトに顔を見られたくなくて、リーファはまた、顔を伏せる。
「…僕と、する?」
思いがけず近くで――、左耳のすぐそばで、ヴェルドライトの甘い声がした。
「…え…?」
彼の発した言葉に、リーファはまた、顔を上げる。
瞬間、目の前に、ヴェルドライトの顔が迫った。
唇の左端、口角のあたりに、少し濡れた、あたたかくて、やわらかい感触。
ちゅ…、と小さな音を立てて離れて行ったぬくもりが何か、リーファはすぐに分かった。
「ヴェル…」
照れるよりも、困るよりも、信じられない思いで、ヴェルドライトを見る。
リーファと彼は、実の姉と弟ではないけれど、今、このタイミングで、キスをするような仲でもない。
一体、彼は、何を。
「…きっと、熱いのも、治まるし…、すっきり、するよ?」
ヴェルドライトは、リーファの首筋を撫でていた右手で左頬を包み、左手では右頬を包み、リーファの顔を固定させた。
リーファが、彼から、顔を背けられないように。
目を逸らすことは、できるはずなのに、なぜかヴェルドライトの翠柘榴石の瞳から、目が逸らせない。
「…それとも…僕とは、嫌?」
また、ヴェルドライトの瞳孔が、拡大する。
そのとき、突如として、リーファの頭にある考えが閃いた。
平気そうに見えていたけれど、実は、ヴェルドライトもあの空気に当てられていたのだろうか。
それを隠して、何でもないふりをして、リーファの介護をしてくれていた?
浮かんだ考えを払拭できなくなったので、リーファは訊ねることにした。
「…ヴェルも、そういう気分なの? …影響、されている?」
ヴェルドライトは目を丸くし、唇をきゅっとすぼませる。
驚いた顔、に見えたのだけれど。
彼は、少し長めの瞬きをしたあとで、苦笑いした。
「…そう、かも。 …触りたい」
「…触る、だけ?」
どうしてそんなこと、訊いたのだろう。
触るだけで、それ以上はしないよね? という確認だったのか。
触るだけで、終わらないよね? という確認だったのか。
牽制したのか。
期待をしたのか。
自分でも、何を訊きたいのか、わからなかった。
「…うん。 …あ、いや、…欲を言えば、…キスも、したい」
そして、ヴェルドライトはリーファの問いを、「触るだけで、それ以上はしないよね?」という確認だと受け取ったらしかった。
ヴェルドライトの「欲を言えば」「キスも、したい」という言葉に、リーファはそう、理解する。
そのことに、ほっとしたのか、がっかりしたのか、わからないままに。
リーファは、自室の扉を開いた。
彼の提案を、受け容れるために。
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