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第一章.帰還
19.意匠
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「紅女帝の長いスピーチが始まる前に帰ろう」
ヴェルドライトに急かされたリーファは、静かに足を止めた。
「リーファ?」
「やっぱり、陛下のスピーチは聞いて行かない?」
そう、提案してみる。
最高権力者の就任10周年のお祝いに来て、本当に来ただけで帰るなんて、翠一族がどんなものか、と言われてしまう。
それをリーファは危惧したのだが、ヴェルドライトはきょとんとしている。
「どうして?」
どうして、ではない。
ヴェルドライトは頭がいいのに、紅女帝に関することとなると、途端に計算ができなくなるらしい。
「貴方が、陛下と不仲と思われるわ」
リーファは懸念を正直に伝えたというのに、ヴェルドライトは、ふはっと噴き出した。
「僕が紅女帝と不仲なのは、周知の事実だよ。 リーファが、紅女帝のお気に入りなのも。 …だから、僕は紅女帝にリーファを近づけたくないんだけど」
今度は、リーファがきょとんとしてしまった。
リーファが紅女帝のお気に入りだから、リーファを紅女帝に近づけたくない、とはどういう意味か。
「? どういう意味?」
「知らないの? 僕がリーファを紅女帝に差し出して、便宜を図ってもらうつもりだと噂する者もいること」
リーファが想像もしなかった内容が、ヴェルドライトの口から出た。
信じられない内容だった。
「ひどい。 ヴェルは絶対、そんなことしないのに」
リーファは、鼻息荒く、言い切る。
リーファの婚姻にずっと反対し続けたヴェルドライトだ。
リーファが望めば別だと思うが、ヴェルドライトがリーファの意に反して、リーファを何かの取引材料として利用することや差し出すことは、ありえない。
リーファが断言すれば、ヴェルドライトは、そっと静かに零すように微笑む。
目元を、うっすらと染めて。
「そう。 僕は絶対に、そんなことはしない」
ヴェルドライトのことを何も知らないくせに、ひどいことを考える者がいるようだ。
翠一族の当主候補でなくなったからといって、気を抜きすぎていたかもしれない。
立ち居振る舞いには、気をつけないと。
「…わたし、陛下とのお付き合いの仕方、よく考えるから」
リーファが決意を新たに、表明すれば、ヴェルドライトは目を丸くする。
そしてまた、微笑んだ。
「…それは、とてもいいことだね」
再び歩き始めたヴェルドライトとリーファだったが、リーファはまた、あることに気づく。
「あ、でも、衣装」
今、リーファが身に着けているのは、紅女帝が用意してくれた衣装なのだ。
元の衣装に着替えて、お返ししなければ、と思ったのだが、ヴェルドライトはまた笑った。
「紅女帝は、僕が用意してリーファに着せてる衣装なんか、不愉快で処分してると思うよ」
「どうしてそう思うの?」
「僕が今、同じ心境だから」
ヴェルドライトの答えは、簡潔にして明快。
不仲ではあっても、やはりヴェルドライトと紅女帝は考え方がよく似ているし、ヴェルドライトに関しては、その自覚はあるらしい。
同族嫌悪というものだろうか、とリーファはこっそりと思った。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
屋敷に着いたリーファは、そのままヴェルドライトに手を引かれるままに、進む。
リーファは自室に戻るつもりだったのだが、ヴェルドライトはリーファの手を引いたまま、リーファの部屋の前を通り過ぎようとした。
「え、ヴェル、どこ行くの」
リーファは、ささやかな抵抗で、立ち止まった。
「色々面倒だから、僕の部屋」
ヴェルドライトはリーファの疑問に答えたつもりなのだろうが、全く答えになっていない。
だから、質問を重ねざるを得なかった。
「どうして?」
「気になることがあるんだ。 大浴場と行ったり来たりしてたんじゃ話にならないから、僕の部屋の浴室を使ってもらったほうがいいかと」
リーファの理解力不足なのだろうか。
先程から、ヴェルドライトは返答をしてくれてはいるが、リーファの質問に対する答えとしては不十分に感じる。
「旦那様、こちらを」
「ああ、ありがとう」
近づいてきたロビンが、ヴェルドライトに何か衣類を渡している。
あれは、気のせいでなければ、リーファの部屋着だ。
帰宅直後に出迎えてくれたロビンに対し、ヴェルドライトが何か短い指示を出していたが、それがこれだったのだろうか。
いや、それよりも、リーファはまだ、納得できるような――正確には、理解の及ぶ――答えを得られていないので、更に問いを重ねた。
「どうして、ヴェルが大浴場と行ったり来たりしなきゃいけないの?」
ヴェルドライトは、ジッとリーファを見つめた後で、不思議そうに首を揺らした。
「自分の格好、わかってない?」
「え?」
自分の、格好?
指摘されて、リーファは自分の衣装を見下ろす。
「その衣装、独りで着られなかったはずだよ。 独りで脱げるはずがないでしょう?」
「!!!」
ヴェルドライトの言葉で、リーファは思い出した。
そういえば、この衣装は背中にボタンがあって、それを紅女帝お付きの女性体が留めてくれたのだ。
「で、でも、それをヴェルがしなくても」
「ほかに誰がするの? 屋敷に女性体はいないよ。 ロビンだって、無性体だけど、男性体寄りの個体だし」
このとき初めて、リーファは紅女帝を恨んだ。
どうして、ひとりで脱ぎ着できないような衣装を、選んでくれたのだろう。
衣装は意匠性だけではないのだ。 肝に銘じておこう。
「僕にされるのと、僕以外の誰かにされるの、どっちがいい? リーファが選んでいいよ」
ヴェルドライトは優しく「選んでいいよ」と言っているけれど、選択の余地なんて、どこにあるのだろう。
「ヴェルが、いい」
「ほら、ね?」
それ以外に返せる言葉を持たなかったからそう口にしただけなのだが、ヴェルドライトは非常に満足そうに笑った。
ヴェルドライトに急かされたリーファは、静かに足を止めた。
「リーファ?」
「やっぱり、陛下のスピーチは聞いて行かない?」
そう、提案してみる。
最高権力者の就任10周年のお祝いに来て、本当に来ただけで帰るなんて、翠一族がどんなものか、と言われてしまう。
それをリーファは危惧したのだが、ヴェルドライトはきょとんとしている。
「どうして?」
どうして、ではない。
ヴェルドライトは頭がいいのに、紅女帝に関することとなると、途端に計算ができなくなるらしい。
「貴方が、陛下と不仲と思われるわ」
リーファは懸念を正直に伝えたというのに、ヴェルドライトは、ふはっと噴き出した。
「僕が紅女帝と不仲なのは、周知の事実だよ。 リーファが、紅女帝のお気に入りなのも。 …だから、僕は紅女帝にリーファを近づけたくないんだけど」
今度は、リーファがきょとんとしてしまった。
リーファが紅女帝のお気に入りだから、リーファを紅女帝に近づけたくない、とはどういう意味か。
「? どういう意味?」
「知らないの? 僕がリーファを紅女帝に差し出して、便宜を図ってもらうつもりだと噂する者もいること」
リーファが想像もしなかった内容が、ヴェルドライトの口から出た。
信じられない内容だった。
「ひどい。 ヴェルは絶対、そんなことしないのに」
リーファは、鼻息荒く、言い切る。
リーファの婚姻にずっと反対し続けたヴェルドライトだ。
リーファが望めば別だと思うが、ヴェルドライトがリーファの意に反して、リーファを何かの取引材料として利用することや差し出すことは、ありえない。
リーファが断言すれば、ヴェルドライトは、そっと静かに零すように微笑む。
目元を、うっすらと染めて。
「そう。 僕は絶対に、そんなことはしない」
ヴェルドライトのことを何も知らないくせに、ひどいことを考える者がいるようだ。
翠一族の当主候補でなくなったからといって、気を抜きすぎていたかもしれない。
立ち居振る舞いには、気をつけないと。
「…わたし、陛下とのお付き合いの仕方、よく考えるから」
リーファが決意を新たに、表明すれば、ヴェルドライトは目を丸くする。
そしてまた、微笑んだ。
「…それは、とてもいいことだね」
再び歩き始めたヴェルドライトとリーファだったが、リーファはまた、あることに気づく。
「あ、でも、衣装」
今、リーファが身に着けているのは、紅女帝が用意してくれた衣装なのだ。
元の衣装に着替えて、お返ししなければ、と思ったのだが、ヴェルドライトはまた笑った。
「紅女帝は、僕が用意してリーファに着せてる衣装なんか、不愉快で処分してると思うよ」
「どうしてそう思うの?」
「僕が今、同じ心境だから」
ヴェルドライトの答えは、簡潔にして明快。
不仲ではあっても、やはりヴェルドライトと紅女帝は考え方がよく似ているし、ヴェルドライトに関しては、その自覚はあるらしい。
同族嫌悪というものだろうか、とリーファはこっそりと思った。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
屋敷に着いたリーファは、そのままヴェルドライトに手を引かれるままに、進む。
リーファは自室に戻るつもりだったのだが、ヴェルドライトはリーファの手を引いたまま、リーファの部屋の前を通り過ぎようとした。
「え、ヴェル、どこ行くの」
リーファは、ささやかな抵抗で、立ち止まった。
「色々面倒だから、僕の部屋」
ヴェルドライトはリーファの疑問に答えたつもりなのだろうが、全く答えになっていない。
だから、質問を重ねざるを得なかった。
「どうして?」
「気になることがあるんだ。 大浴場と行ったり来たりしてたんじゃ話にならないから、僕の部屋の浴室を使ってもらったほうがいいかと」
リーファの理解力不足なのだろうか。
先程から、ヴェルドライトは返答をしてくれてはいるが、リーファの質問に対する答えとしては不十分に感じる。
「旦那様、こちらを」
「ああ、ありがとう」
近づいてきたロビンが、ヴェルドライトに何か衣類を渡している。
あれは、気のせいでなければ、リーファの部屋着だ。
帰宅直後に出迎えてくれたロビンに対し、ヴェルドライトが何か短い指示を出していたが、それがこれだったのだろうか。
いや、それよりも、リーファはまだ、納得できるような――正確には、理解の及ぶ――答えを得られていないので、更に問いを重ねた。
「どうして、ヴェルが大浴場と行ったり来たりしなきゃいけないの?」
ヴェルドライトは、ジッとリーファを見つめた後で、不思議そうに首を揺らした。
「自分の格好、わかってない?」
「え?」
自分の、格好?
指摘されて、リーファは自分の衣装を見下ろす。
「その衣装、独りで着られなかったはずだよ。 独りで脱げるはずがないでしょう?」
「!!!」
ヴェルドライトの言葉で、リーファは思い出した。
そういえば、この衣装は背中にボタンがあって、それを紅女帝お付きの女性体が留めてくれたのだ。
「で、でも、それをヴェルがしなくても」
「ほかに誰がするの? 屋敷に女性体はいないよ。 ロビンだって、無性体だけど、男性体寄りの個体だし」
このとき初めて、リーファは紅女帝を恨んだ。
どうして、ひとりで脱ぎ着できないような衣装を、選んでくれたのだろう。
衣装は意匠性だけではないのだ。 肝に銘じておこう。
「僕にされるのと、僕以外の誰かにされるの、どっちがいい? リーファが選んでいいよ」
ヴェルドライトは優しく「選んでいいよ」と言っているけれど、選択の余地なんて、どこにあるのだろう。
「ヴェルが、いい」
「ほら、ね?」
それ以外に返せる言葉を持たなかったからそう口にしただけなのだが、ヴェルドライトは非常に満足そうに笑った。
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