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20.敵か味方か

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「小僧、言ってくれるものだな…」
 低く唸るような声が間近に聞こえて、俺はほっとする。

 ちらと横目で見れば、将臣マサオミの守護霊であるナギリよりも先に、ナギリが構えた刀が目に入った。
 光を弾く、鋼の刀身。


 もしかすると、空気が変わったのは、ナギリのおかげなのかもしれない、と思った。
 将臣の部屋と、外界とを隔てていた、見えない壁のようなものを、ナギリが破って乗り込んできたのではないかと。
 その、ナギリが構えた刀の切っ先が、わずかに上下した。


 俺がナギリを見上げると、ナギリは瞠目していた。
 微かに唇が開き、喉が生唾を飲み込むように上下する。


 何に、そんなに驚いているのか。


 俺が、ナギリの視線を辿ると、ナギリの視線の先には、将臣のベッドがあった。
 将臣を、異形から隠すように覆いかぶさっている、女のひとを見ていたのだ。
 女のひとの顔も、ナギリを見ていた。
 だが、女のひとは、ナギリの存在に驚いてはいない。


「姫…?」


 微かに届いた、微かな音。
 それは、ナギリの声だったのだが、一拍のちに歯ぎしりのような音が聞こえ、ドンッと足を大きく踏み出す音が聞こえた。


「姫、姫といえど、殿に何かなされば…!」
 どうやら、ナギリは、その【姫】が将臣を襲っていると誤解したらしい。
 だから、俺は慌てて声を上げた。
「違う!」


 何が違う、とでも言うかのように、眉間に深い皺を刻んだナギリが俺を見た。
 舌打ちでもしそうな表情である。
 ひるみそうになりながらも、俺は首を横に振った。
「違う、ナギリ。 あのひとは、将臣を守ってるんだ」
「…殿を」


 ナギリは、ひとまずは俺の言葉に耳を貸してくれたようで、もう一度、ベッドを見た。
 一応、刀を持った腕を身体の脇に垂らしはしたものの、刀を収める気配はない。
 女のひとを睨みつけるように凝視したままで、呟いた。
「…何、から」

 そこで、俺はいぶかしく思う。
 ナギリは、鈍くはない。
 将臣に害をなしうる霊や人間には、過剰なまでの反応をする。
 だが、そのナギリが、どうしてこの距離で、あの【異形いぎょう】に気づかない?
 まるで、そこだけ見えない、盲点でもあるかのように。


 違和感を拭えないながらも、俺は床を指さした。
「…あれ」


 将臣の上の【姫】を気にしながらも、仏頂面のままのナギリは俺が指さした方向を見る。
 見て、瞠目し、息を詰めた。


「…殿…?」


 ほとんど、吐息のような音が、ナギリの唇から漏れた。
 俺の中に、「やはり」という思いと、「どうして」という思いが生まれる。
 そして、「どうして」と思ったのは、俺だけではなかったらしい。
 目の前の、ナギリが、瞬きひとつの間に消えた。
 次の瞬間にはナギリは刀を鞘に収めていて、数珠に拘束されて床に転がる異形の傍らに膝をついている。


「殿、どうして、そのような姿に、おなりに」
「やっぱり、お前の、元の主君か」
 俺は、ふっと息を吐いて、音を立てないようにしながら移動する。
 どの程度の効果があるのかはわからないが、将臣と、将臣を隠している【姫】を、異形とナギリから隠すようにして、立った。
 本当に、この状況でよく眠っていられるものだ、と将臣には感心するしかない。
 だが、逆を言えば、その、超弩級ちょうどきゅうの鈍感将臣が、何か感じずにはおれないほどの存在なのだろう、この異形は。


 異形は、将臣を探してきょろきょろと動かしていた顔を、ナギリに固定する。
 そして、ただでさえ大きな、何もはまっていないのに光っているように見える眼窩で、ナギリを凝視した。


「…ナギリ」
 しわがれて、ひしゃげた声が、ナギリを呼んだ。


「はい、殿。 百鬼ナギリです」
 片膝をついて、異形の傍らに控えたナギリが、ひとつ頷く。
 すると、異形の全身が、ブルブルッと震えた。
 興奮のためか、歓喜のためかはわからない。
 カッと目を見開き、口を耳まで開くと、耳障りな声で喚きたてる。


「ナギリ。 私ノ肉体カラダニ、余所者ガ入ツテヰル! 何処ドコダ! 何処ニヰル! 探セ!アヰツヲ追ヰ出セ! 私ヲ自由ニシロ!!」
 息つく暇もないほど、立て続けに命じられる言葉に、俺は全身を緊張させる。


 例えば、ナギリが、あの異形の言葉に従うようなことがあったら?


 ナギリの持つ刀は、人間を害することはできないが、将臣を守っている【姫】は、あの刀で消滅させられてしまう。
 あの異形が、どれほどのことができるかというのも、未知数だ。


 俺は、将臣を守れるだろうか。


 胸の中に芽生えた小さな不安を払拭するべく、俺はナギリを睨みつけた。
「将臣に手ぇ出しやがったら、俺がお前を消滅させる」


 否、将臣に手を出す前に、ナギリを消滅させてやる。
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