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4、初音3
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朝食を終え一息ついた明久は、少しばかり困ったように俯いた。
「……さて、これからどうするか」
「暇なの?」
「ああ、お前の話によると、残りの妖刀を探し回るよりも、ここで待機している方が都合が良さそうだからな。今日の予定は潰れた」
「ふーん……じゃあ私と遊ぼうよ」
「嫌だ」
「えー、なんでー?」
「疲れそうだから」
「ちょっとだけっ、ちょっとだけでいいからー」
「ダメだと言っている。大人しくそこで座っておけ」
「えー……」
抗議のつもりかばたばたと足を動かす初音を尻目に、明久は食後の片づけをはじめた。
すると初音は、まるで拾われた子犬のように明久の後をしつこくついてくる。食器を洗っている最中も彼のまわりを歩き回り続けていた。
話しかけたりちょっかいをかけてはこないが、邪魔といえば邪魔に思える。しかし明久はつとめて気にしないように振る舞った。
しかしそれもやがて限界を迎える。一通り片づけをすまして居間に座った明久の傍に、初音が寄り添うようにちょこんと座ったのだ。
更に邪気のない笑顔を向けられては、無視することはできなかった。
「お前、落ち着きがないな」
「うんっ」
「……妖刀と言えば、そのほとんどが百年以上前の物だと聞く。お前も出来て百年くらいなのか?」
「ん? 私たちはねぇ、いつくらいだったかなぁ……永禄? だったかそれくらいに打たれた物だよ」
「永禄……戦国時代か? もう五百年近く前だぞ」
「じゃあ私五百歳くらいだね」
「……ならもっと落ち着きを持て」
初音は五百歳というよりも、五歳とも思える落ち着きのなさだった。見た目は十代頃のようでもあるし、どうにも違和感が拭えない。
妖刀とはいえ、そこに宿る精神性は大の大人のような立派なものという訳でもないらしい。
明久は少しばかり溜息をついて立ち上がった。
「どこに行くの?」
「庭だ。剣の修練でもする」
「ええー? 私と遊ぶって約束は―?」
「そんな約束はしてない。大人しくしていろ」
明久は駄々をこねる初音を無視して、普段鍛錬に使う庭に向かった。
一応笹雪邸にはこじんまりとした道場がありはしたが、実戦ともなると野外での斬り合いが多い。日の光に慣れるため外で鍛錬をするのが明久の常のことだった。
縁側から庭に降り、愛用の刀を抜き払う。
ほのかに暑い日差しを一身に浴びながら明久は刀を構えた。明久の流派は一色流。戦国、江戸時代ともに影に隠れる必要があったため無名の流派である。
通常剣術とは、人が人に対して使用する物であり、人が妖に対して使用する物ではない。一色流は、そんな剣術を様々な妖に通用するものとして工夫を編み込んだ流派だった。
明久は右肩担ぎの構えから一歩踏み込み、剣を振るっていく。斬り下ろし、切り上げ、薙ぎ払い、突き。様々な円を描きながら刀が舞い踊る。これは鍛錬を行う前の準備運動のようなもので、基本的な運剣を学ぶためのものだった。
次に明久が見せた打ち込みこそが、一色流に伝わる型であった。身を屈めたり、大胆な足運びで素早く立ち回ったりして、通常の素肌剣術と比べるとやや独特な動きを良く見せている。
これらは全て対妖を想定した動きであった。
例えば、自分よりも長身な妖と対峙した時は、身を屈めてまずは足を切りに行く。人に対する素肌剣術では一撃必殺を心がけるのが常だが、対妖で一撃必殺を望むのは自殺行為にも等しい。
相手は人間よりも身体能力や特殊な能力で優れている生物なのだ。まずは相手の優れている部分を奪うのが常道。足切りを狙うのもそういう考えからだった。
そういった色々な妖を想定した剣舞は、はたから見ると不思議なものだった。身を屈め深く足元を斬りにいったと思えば、跳ね上がり梨割りに頭部を断ち切ろうとする大胆な動きも見せる。機敏に足を動かしすれ違い様に切り抜ける運剣もよく見せた。
一通り一色流に伝わる対妖用の運剣を行った後、明久は思案するように刀を右肩担ぎに構えた。
――秘剣は、どうすれば身に着けられるのか。
一色流には秘剣と呼ばれるものがあった。かつて父から剣を習っていた時、そう漏らされたのだ。
それを聞いた当時、明久はまだ十を超えたくらいだった。父はまだ明久には早いと言い、教える素振りを見せなかったが、明久は興味本位でせめてどのような剣か教えて欲しいと願った。
明久はこの当時、笹雪家を継ぐという自覚が無かったものの、剣術については割と真面目だった。年若いせいもあって、刀の操法というものがどこか特別な物のように思えていたのだ。
そんな当時の彼が秘剣と聞けば、食指が動くのは当然だろう。秘剣という響きは、フィクションの世界では敵無しの必殺剣をあらわしている。きっと必勝の剣なのだろうと明久も期待していた。
しかし父は、そんな明久の幼い考えを見通していたのか、熱心に秘剣の詳細を聞く明久に苦笑していた。
秘剣とは言うが、そう大層な物ではない。明久の過剰な期待を削ぐように父はそう言っていた。
秘剣とは、一連の攻防の中で動きや形であらわす技ではなく、心法に近いものだ。一色流の勝ち口を存分に発揮した剣は、皆秘剣と呼ぶ。先代いわく、一色流の秘剣は扱う者の数だけ存在するが、それら全ては一つの法に従っているゆえ、全にして一つ。形ではなく心に現れる剣……それが一色流の秘剣なのだ。
そんな父の言葉は当時の明久には理解できなかった。だがこの二年、剣を頼りに生きてきた明久は、少しだけこの言葉の意味が理解できかけていた。
勝ち口とは、どう勝つかということである。相手の動きに乗じて勝つのか、あるいは鍛錬を重ねた肉体を持って受けも避けるも不可能な剛剣で相手を圧し勝つのか……これ以外にも、流派によって勝ち口というのは様々ある。この勝ち口によって構えから刀の握り方、果ては斬り方まで千差万別を描くのだ。
一色流は、妖を斬るということを目的にしているため、必然その勝ち口は相手の動きに対応することに重点を置いている。
対する妖の長所を見切り、短所を把握し、相手の良き所を発揮させず相手の隙を突く……秘剣というのは、そういったことを十分に満たした剣のことを言うのだろう。
秘剣の正体がそれならば、父の言葉にも頷ける。そしてその秘剣に至るのは、果ての無い道程に思えた。
とある流派には一刀両段という勢法がある。両断ではなく両段と記すこの型は、その流派の勝ち口を存分に発揮した一刀だった。
とある流派には切落しと呼ばれる技がある。刀の構造を生かしたこの技もまた、その流派の勝ち口を存分に発揮しているといえた。
どちらも一見静かで地味な、まるで澄み渡る湖面のような技法ではあるが、洗練され精妙なその技は、一目で並々ならぬ研鑽が見て取れる。
あれほどの剣に至れるまでに、どれほどの修練が必要か。明久は、すでに存在するその技法にではなく、その技法が生み出される過程に心を向けた。
それはきっと、頂上が見えない暗闇の山を登るのにも等しい過程だったのだろう。明かりが灯り頂上が分かるのは、そこにたどり着いてからのはずだ。
早くに父を亡くしたせいで、明久は一色流の全てを学んだわけではなかった。この二年、笹雪家に伝わる文献を読みながらようよう剣術の修練に励んでなお、一色流の底は見えない。
秘剣とやらに到達するのは遠い未来だろうと明久は思った。その想いを乗せて、一刀を斬り下ろす。
そのまま明久は再度先ほどの対妖を想定した動きを行っていく。身を沈め足を斬りに行き、跳ねあがっての兜割り。そのほか多くの技。
それら一連の技を何度となく繰り返していく。
――だが、こんな剣術が今の時代に役立つのか?
ふとそんな思いを抱いて明久の動きが止まった。彼の呼吸は少し荒くなっている。
現代に妖などそうそういるはずがなく、退魔の剣客として二年を過ごした明久ですら、妖を見たのは初音が初めてだった。半妖と斬り合ったことは何度かあったものの、彼らは人より少しばかり身体能力に勝っているというだけである。このような剣術が有効かと言えば、首をふりたくなる。
「すごいねー、今の剣」
だがそんな明久の迷いを振り払う初音の明るい声が、背後から聞こえた。
思わず明久は初音に振り返る。どうやら彼女は暇を持て余して明久の鍛錬を見ていたようだ。
「何がすごいんだ?」
「だって、今の全部妖と戦う時の剣法でしょ?」
「……分かるのか?」
「うん、私も刀だから、ちょっとくらいは剣術のこと理解できるよ」
くすりと笑いながら、初音は言った。
――そうか、こいつは妖刀と言えど妖の一員でもあるのか。
打たれたのが五百年前。その時代は戦国時代と呼ばれた戦乱の世である。荒れた世であるならば、妖や魑魅魍魎が最盛期を迎えていたことだろう。
妖を斬るための刀として生まれたという彼女たちなら、実際誰かに使用され妖を斬ったことがあるのではないだろうか。そう考えた時、思わず明久の口が開いた。
「俺の剣は、妖という存在に通用すると思うか?」
「えー? 私には分かんないよ。だって私たち、人間に使われたことなんて一度もないんだもん」
すげない返答をうけ、少しばかり肩を落とす。
初音は神社に奉納されていたと言っていたが、どうやらそこから誰にも使われることなく、妖刀として退魔の家に収集されたらしかった。
「あ、でもお兄ちゃんの腕前ならきっと妖にも通じるよ。だって私が認めた主だもん」
根拠もなにもないだろうに自信に満ちた声でそういう初音を見て、明久は軽く笑みを零した。
「そうだといいんだがな」
なんとなくこのまま鍛錬を続ける気にはなれなくなり、明久は刀を納めた。
「止めちゃうの?」
「ああ、鍛錬はもういい。篝という妖刀がいつやってくるかも分からないし、体を休めたほうがいいだろう」
「じゃあ私と遊ぼ……」
「疲れそうだから嫌だ」
きっぱりと言われ、初音が残念そうな顔をする。
「……だが、話相手にならなってもいい」
気が付けばそんなことを言っている自分に、明久は驚く。
「本当?」
初音の顔が花開くように明るくなった。その姿が、かつて見た光景と重なり合う。
明久はようやく気付く。初音という少女の姿をした妖刀に、どうして嫌気を抱かないのか。
なぜか彼女と共に過ごす時間は、かつて家族と一緒に暮らしていた時間と似たような空気なのだ。
その思いを抱いた時、ひどいむなしさを感じた。
「……正直に言うと、妖が跋扈していた時代のことを聞いてみたいんだ。お前が五百年前の生まれだというなら、一度も人間に扱われたことがないといっても少しは記憶にあるだろう?」
「うーん、神社に奉納されてたし、おぼろげにだけどね。でも、どうしてそんなことが聞きたいの?」
「笹雪家は妖を斬る家系だと聞くが、実際の所その歴史はほとんど伝わっていないんだ。おそらく江戸や明治の変革や平和になっていく時代につれ、妖という存在がいなくなったせいだろう」
時代の節目節目に大規模な争いが起きるのは珍しいことではない。その際のごたごたに巻き込まれて消失する過去の文献もまた、珍しくもないのだ。
笹雪家に伝わる伝承や文献もその例に漏れず、百年ごろ前のことならまだしも、笹雪家発祥の頃や戦国時代までさかのぼるとほぼ情報などないようなものであった。
「今、俺の目の前には、信じられないことに人に化けられる妖刀がいる。ならば妖がありふれた当時の話を聞くことで、現状を受け入れる切欠になるかもしれん」
正直に言うと、明久の目的はそれだけではなかった。その話の中で初音ら妖刀三振りが倉本家から逃げ出した理由、その欠片でも知ることができれば……と考えていたのだ。
どうしてもその理由にこだわってしまうのは、ひとえに倉本への不審によるせいだった。
「……昔の話は好きじゃないけど、お兄ちゃんが聞きたいなら別にいいよ?」
初音は明久の言葉を理解したのかしてないのか、軽く小首を傾げてそう言った。
「そうか、助かる」
「じゃあさっそくお喋りしようよ!」
「その前に、お茶でも入れるとしよう。汗も拭きたい」
日はそろそろ中天に昇ろうかとしている頃だった。ふと、今日は長い一日になりそうだと明久は思った。
「……さて、これからどうするか」
「暇なの?」
「ああ、お前の話によると、残りの妖刀を探し回るよりも、ここで待機している方が都合が良さそうだからな。今日の予定は潰れた」
「ふーん……じゃあ私と遊ぼうよ」
「嫌だ」
「えー、なんでー?」
「疲れそうだから」
「ちょっとだけっ、ちょっとだけでいいからー」
「ダメだと言っている。大人しくそこで座っておけ」
「えー……」
抗議のつもりかばたばたと足を動かす初音を尻目に、明久は食後の片づけをはじめた。
すると初音は、まるで拾われた子犬のように明久の後をしつこくついてくる。食器を洗っている最中も彼のまわりを歩き回り続けていた。
話しかけたりちょっかいをかけてはこないが、邪魔といえば邪魔に思える。しかし明久はつとめて気にしないように振る舞った。
しかしそれもやがて限界を迎える。一通り片づけをすまして居間に座った明久の傍に、初音が寄り添うようにちょこんと座ったのだ。
更に邪気のない笑顔を向けられては、無視することはできなかった。
「お前、落ち着きがないな」
「うんっ」
「……妖刀と言えば、そのほとんどが百年以上前の物だと聞く。お前も出来て百年くらいなのか?」
「ん? 私たちはねぇ、いつくらいだったかなぁ……永禄? だったかそれくらいに打たれた物だよ」
「永禄……戦国時代か? もう五百年近く前だぞ」
「じゃあ私五百歳くらいだね」
「……ならもっと落ち着きを持て」
初音は五百歳というよりも、五歳とも思える落ち着きのなさだった。見た目は十代頃のようでもあるし、どうにも違和感が拭えない。
妖刀とはいえ、そこに宿る精神性は大の大人のような立派なものという訳でもないらしい。
明久は少しばかり溜息をついて立ち上がった。
「どこに行くの?」
「庭だ。剣の修練でもする」
「ええー? 私と遊ぶって約束は―?」
「そんな約束はしてない。大人しくしていろ」
明久は駄々をこねる初音を無視して、普段鍛錬に使う庭に向かった。
一応笹雪邸にはこじんまりとした道場がありはしたが、実戦ともなると野外での斬り合いが多い。日の光に慣れるため外で鍛錬をするのが明久の常のことだった。
縁側から庭に降り、愛用の刀を抜き払う。
ほのかに暑い日差しを一身に浴びながら明久は刀を構えた。明久の流派は一色流。戦国、江戸時代ともに影に隠れる必要があったため無名の流派である。
通常剣術とは、人が人に対して使用する物であり、人が妖に対して使用する物ではない。一色流は、そんな剣術を様々な妖に通用するものとして工夫を編み込んだ流派だった。
明久は右肩担ぎの構えから一歩踏み込み、剣を振るっていく。斬り下ろし、切り上げ、薙ぎ払い、突き。様々な円を描きながら刀が舞い踊る。これは鍛錬を行う前の準備運動のようなもので、基本的な運剣を学ぶためのものだった。
次に明久が見せた打ち込みこそが、一色流に伝わる型であった。身を屈めたり、大胆な足運びで素早く立ち回ったりして、通常の素肌剣術と比べるとやや独特な動きを良く見せている。
これらは全て対妖を想定した動きであった。
例えば、自分よりも長身な妖と対峙した時は、身を屈めてまずは足を切りに行く。人に対する素肌剣術では一撃必殺を心がけるのが常だが、対妖で一撃必殺を望むのは自殺行為にも等しい。
相手は人間よりも身体能力や特殊な能力で優れている生物なのだ。まずは相手の優れている部分を奪うのが常道。足切りを狙うのもそういう考えからだった。
そういった色々な妖を想定した剣舞は、はたから見ると不思議なものだった。身を屈め深く足元を斬りにいったと思えば、跳ね上がり梨割りに頭部を断ち切ろうとする大胆な動きも見せる。機敏に足を動かしすれ違い様に切り抜ける運剣もよく見せた。
一通り一色流に伝わる対妖用の運剣を行った後、明久は思案するように刀を右肩担ぎに構えた。
――秘剣は、どうすれば身に着けられるのか。
一色流には秘剣と呼ばれるものがあった。かつて父から剣を習っていた時、そう漏らされたのだ。
それを聞いた当時、明久はまだ十を超えたくらいだった。父はまだ明久には早いと言い、教える素振りを見せなかったが、明久は興味本位でせめてどのような剣か教えて欲しいと願った。
明久はこの当時、笹雪家を継ぐという自覚が無かったものの、剣術については割と真面目だった。年若いせいもあって、刀の操法というものがどこか特別な物のように思えていたのだ。
そんな当時の彼が秘剣と聞けば、食指が動くのは当然だろう。秘剣という響きは、フィクションの世界では敵無しの必殺剣をあらわしている。きっと必勝の剣なのだろうと明久も期待していた。
しかし父は、そんな明久の幼い考えを見通していたのか、熱心に秘剣の詳細を聞く明久に苦笑していた。
秘剣とは言うが、そう大層な物ではない。明久の過剰な期待を削ぐように父はそう言っていた。
秘剣とは、一連の攻防の中で動きや形であらわす技ではなく、心法に近いものだ。一色流の勝ち口を存分に発揮した剣は、皆秘剣と呼ぶ。先代いわく、一色流の秘剣は扱う者の数だけ存在するが、それら全ては一つの法に従っているゆえ、全にして一つ。形ではなく心に現れる剣……それが一色流の秘剣なのだ。
そんな父の言葉は当時の明久には理解できなかった。だがこの二年、剣を頼りに生きてきた明久は、少しだけこの言葉の意味が理解できかけていた。
勝ち口とは、どう勝つかということである。相手の動きに乗じて勝つのか、あるいは鍛錬を重ねた肉体を持って受けも避けるも不可能な剛剣で相手を圧し勝つのか……これ以外にも、流派によって勝ち口というのは様々ある。この勝ち口によって構えから刀の握り方、果ては斬り方まで千差万別を描くのだ。
一色流は、妖を斬るということを目的にしているため、必然その勝ち口は相手の動きに対応することに重点を置いている。
対する妖の長所を見切り、短所を把握し、相手の良き所を発揮させず相手の隙を突く……秘剣というのは、そういったことを十分に満たした剣のことを言うのだろう。
秘剣の正体がそれならば、父の言葉にも頷ける。そしてその秘剣に至るのは、果ての無い道程に思えた。
とある流派には一刀両段という勢法がある。両断ではなく両段と記すこの型は、その流派の勝ち口を存分に発揮した一刀だった。
とある流派には切落しと呼ばれる技がある。刀の構造を生かしたこの技もまた、その流派の勝ち口を存分に発揮しているといえた。
どちらも一見静かで地味な、まるで澄み渡る湖面のような技法ではあるが、洗練され精妙なその技は、一目で並々ならぬ研鑽が見て取れる。
あれほどの剣に至れるまでに、どれほどの修練が必要か。明久は、すでに存在するその技法にではなく、その技法が生み出される過程に心を向けた。
それはきっと、頂上が見えない暗闇の山を登るのにも等しい過程だったのだろう。明かりが灯り頂上が分かるのは、そこにたどり着いてからのはずだ。
早くに父を亡くしたせいで、明久は一色流の全てを学んだわけではなかった。この二年、笹雪家に伝わる文献を読みながらようよう剣術の修練に励んでなお、一色流の底は見えない。
秘剣とやらに到達するのは遠い未来だろうと明久は思った。その想いを乗せて、一刀を斬り下ろす。
そのまま明久は再度先ほどの対妖を想定した動きを行っていく。身を沈め足を斬りに行き、跳ねあがっての兜割り。そのほか多くの技。
それら一連の技を何度となく繰り返していく。
――だが、こんな剣術が今の時代に役立つのか?
ふとそんな思いを抱いて明久の動きが止まった。彼の呼吸は少し荒くなっている。
現代に妖などそうそういるはずがなく、退魔の剣客として二年を過ごした明久ですら、妖を見たのは初音が初めてだった。半妖と斬り合ったことは何度かあったものの、彼らは人より少しばかり身体能力に勝っているというだけである。このような剣術が有効かと言えば、首をふりたくなる。
「すごいねー、今の剣」
だがそんな明久の迷いを振り払う初音の明るい声が、背後から聞こえた。
思わず明久は初音に振り返る。どうやら彼女は暇を持て余して明久の鍛錬を見ていたようだ。
「何がすごいんだ?」
「だって、今の全部妖と戦う時の剣法でしょ?」
「……分かるのか?」
「うん、私も刀だから、ちょっとくらいは剣術のこと理解できるよ」
くすりと笑いながら、初音は言った。
――そうか、こいつは妖刀と言えど妖の一員でもあるのか。
打たれたのが五百年前。その時代は戦国時代と呼ばれた戦乱の世である。荒れた世であるならば、妖や魑魅魍魎が最盛期を迎えていたことだろう。
妖を斬るための刀として生まれたという彼女たちなら、実際誰かに使用され妖を斬ったことがあるのではないだろうか。そう考えた時、思わず明久の口が開いた。
「俺の剣は、妖という存在に通用すると思うか?」
「えー? 私には分かんないよ。だって私たち、人間に使われたことなんて一度もないんだもん」
すげない返答をうけ、少しばかり肩を落とす。
初音は神社に奉納されていたと言っていたが、どうやらそこから誰にも使われることなく、妖刀として退魔の家に収集されたらしかった。
「あ、でもお兄ちゃんの腕前ならきっと妖にも通じるよ。だって私が認めた主だもん」
根拠もなにもないだろうに自信に満ちた声でそういう初音を見て、明久は軽く笑みを零した。
「そうだといいんだがな」
なんとなくこのまま鍛錬を続ける気にはなれなくなり、明久は刀を納めた。
「止めちゃうの?」
「ああ、鍛錬はもういい。篝という妖刀がいつやってくるかも分からないし、体を休めたほうがいいだろう」
「じゃあ私と遊ぼ……」
「疲れそうだから嫌だ」
きっぱりと言われ、初音が残念そうな顔をする。
「……だが、話相手にならなってもいい」
気が付けばそんなことを言っている自分に、明久は驚く。
「本当?」
初音の顔が花開くように明るくなった。その姿が、かつて見た光景と重なり合う。
明久はようやく気付く。初音という少女の姿をした妖刀に、どうして嫌気を抱かないのか。
なぜか彼女と共に過ごす時間は、かつて家族と一緒に暮らしていた時間と似たような空気なのだ。
その思いを抱いた時、ひどいむなしさを感じた。
「……正直に言うと、妖が跋扈していた時代のことを聞いてみたいんだ。お前が五百年前の生まれだというなら、一度も人間に扱われたことがないといっても少しは記憶にあるだろう?」
「うーん、神社に奉納されてたし、おぼろげにだけどね。でも、どうしてそんなことが聞きたいの?」
「笹雪家は妖を斬る家系だと聞くが、実際の所その歴史はほとんど伝わっていないんだ。おそらく江戸や明治の変革や平和になっていく時代につれ、妖という存在がいなくなったせいだろう」
時代の節目節目に大規模な争いが起きるのは珍しいことではない。その際のごたごたに巻き込まれて消失する過去の文献もまた、珍しくもないのだ。
笹雪家に伝わる伝承や文献もその例に漏れず、百年ごろ前のことならまだしも、笹雪家発祥の頃や戦国時代までさかのぼるとほぼ情報などないようなものであった。
「今、俺の目の前には、信じられないことに人に化けられる妖刀がいる。ならば妖がありふれた当時の話を聞くことで、現状を受け入れる切欠になるかもしれん」
正直に言うと、明久の目的はそれだけではなかった。その話の中で初音ら妖刀三振りが倉本家から逃げ出した理由、その欠片でも知ることができれば……と考えていたのだ。
どうしてもその理由にこだわってしまうのは、ひとえに倉本への不審によるせいだった。
「……昔の話は好きじゃないけど、お兄ちゃんが聞きたいなら別にいいよ?」
初音は明久の言葉を理解したのかしてないのか、軽く小首を傾げてそう言った。
「そうか、助かる」
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たしかに私は王妃になった。
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夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
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