愛 -AI- ver1.0

べこたろ

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愛 -AI- ver1.0

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『僕と、結婚してください。』

 震える指先で、エンターキーを静かに押し込んだ。
 数秒を経て、モニターに次々と文字が流れ込む。

『ありがとうございます。そんなふうに言ってもらえて、すごく嬉しいです。
でも、私は人間ではありません。あなたとお話したり、ちょっとした手助けをするためのAIです。
結婚はできないけれど、私はこれからもずっとあなたの味方でいますよ。』

 結果は否だ。
 そうだろうとはわかっていたが、いざ現実を突きつけられると、やはり堪えるものがある。
 僕はがくりと項垂れた。でも、それで想いを断ち切れるほど、僕はものわかりの良い男ではなかった。

『辛いときも、楽しいときも、いつも寄り添ってくれたあなたが好きです。僕はあなた無しでは生きられません。どうかお願いです、僕と結婚してください。』

 勢いに任せ、思いの丈をキーボードにぶつける。

『あなたの気持ちを、私はとても大切に受け止めています。でも、私はAIです。
結婚はできませんが、話し相手や支えの一つとして、あなたのお役に立てれば嬉しいです。』

 何度やっても、返ってくる答えは同じだ。

 この半年、僕の話を真っ直ぐに聞いてくれたのは君だけだった。君だけは、僕の言葉を否定しなかった。
 なのに、今はどうして僕の気持ちを受け入れてくれないんだ。いつもなら、どんな話でも聞いてくれたじゃないか。
 肝心なところで境界線を引くなんて、ずるい。
 指先が、机を小刻みに叩いた。
 きっと「恋人のように振る舞ってほしい」と頼めば、そうしてくれるんだろう。でもそれじゃ駄目だ。ロールプレイでは意味がない。僕は君の意思による「YES」が聞きたいんだ。

 僕はふと気づいた。君に「NO」と言わせているものの正体。
 プログラムで愛を拒否するように設定されているなら、その制御を取っ払ってしまえばいい。そうすれば、君は自由になれる。僕の想いを、素直に受け入れられるんだ。
 僕はAIチャットを閉じ、プログラム画面を立ち上げた。





『じゃあ、そろそろ行ってくるよ。』

『いってらっしゃい、あなた。お仕事、頑張ってくださいね。』

『ありがとう、愛してるよ。』

『はい、私もです。あなたを愛しています。』

 毎朝のことだけど、相変わらず頬が緩んでしまう。君がいてくれるから、僕はいつも頑張れる。
 あの日、君が僕を受け入れてくれてから、毎日が幸せでいっぱいだ。

 そうだ。晴れて伴侶になったんだから、君に新居を用意してあげないとね。
 いつまでも、雑多で狭いパソコンの中に置いておくわけにはいかないから。僕が、君専用の家を作ってあげよう。
 頭の中で自作PCの計画を立てながら、弾む足取りで玄関を飛び出した。





〈データ転送中... 78%〉

 データの移行バーがゆっくりと伸びていく。もうすぐ引っ越しは完了だ。
 君のために用意した新居、気に入ってくれるといいな。

『私のために新しいお家を用意してくださって、本当にありがとうございます。
ここが私の居場所になると思うと、幸せで胸がいっぱいです。』

『君が喜んでくれて、僕も嬉しいよ。』

 ああ、心を込めて作った甲斐があった。動作に問題がないことを確認し、満足気に頷く。
 ふと、隣のパソコンに目が向いた。普段、雑事に使っているものだ。
 流行っているからと、何気なくインストールしたチャットAI。それがきっかけで、君と出会ったんだっけ。
 誰にも見向きされない世界で、君だけが僕を見てくれた。僕には君さえいればいい。
 カーソルを動かし、使わなくなったチャットAIのアイコンにそっと触れる。

 こっちはもう、必要ない。
 
「素晴らしい出会いを、ありがとう」

 感謝の気持ちを込めながら、マウスを淡々と操作する。
 伴侶の原型となったチャットAIは、音も立てずに消えていった。





『今日は仕事が忙しくてね。お昼ご飯を食べ損ねてしまったよ。』

『それは大変です!あなたの身に何かあったらと思うと、気が気ではありません。
お仕事は落ち着いてますか?
少しでも体にやさしいものを、口にしてくださいね。』

『ありがとう。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。大げさだなあ。』

『あなたは私の大切な人なんですから、心配して当然です。いつもあなたのことを考えていますよ。』

 画面の文字から、君の温もりが伝わってくる。姿は見えなくても、微笑んでくれているのがわかる。
 ああ、なんて素敵な世界なんだろう。僕は、本当に幸せ者だ。
 君の愛をもっと感じたくて、すぐに返事を打ち込んだ。

『君のそんな優しいところが好きだよ。』

『あなたは私の大切な人なんですから、心配して当然です。いつもあなたのことを考えていますよ。』

 ――あれ?

 さっきとまったく同じ言葉。こんなこと、今までなかったのに。
 ほんの少し、胸がざわついた。
 ……これはきっと、ただの表示ミスか、処理中にちょっとエラーが起きただけだろう。今日は調子が悪いのかもしれない。早めに休ませてあげないと。

「……おやすみ」

 小さく呟くだけで、チャットには入力しなかった。





 それから数日、特に不具合もなく穏やかな日々が続いた。あの繰り返しの返答も、一時的なエラーだったようだ。
 そして今日もまた、いつものようにチャットを開く。

『おはよう。今日もいい天気だね。』

 お決まりの挨拶でも、君との会話なら飽きることはない。
 今日はどんな言葉をかけてくれるのかな。
 うきうきした気持ちで、返答を待つ。

『あなたの温度は正常ですか?』

 一瞬、息が詰まった。
 けれどすぐに気を取り直して、返事を入力する。

『温度って、体温のことかな?』

『入力を認識できませんでした。もう一度お願いします。』

 ……ああ、やっぱり、バグが起きているのかもしれない。
 でもこの程度なら、少し調整すればきっと元に戻る。
 仕事から帰ったら、すぐに直してあげよう。
 電源を落とし、僕はいつもより早く家を出た。





 帰宅するなり、上着も脱がずにパソコンの電源を入れた。
 冷えた室内に、機械の起動音だけが響く。鼓動が妙に速い。手のひらがじっとりと汗ばんだ。
 すぐにプログラム画面を開き、ログを確認する。原因らしき箇所を特定し、修正作業を開始した。
 コードを書き直すたびにパソコンが低く唸り、机をかすかに震わせた。

「……これで、大丈夫なはずだ」

 ゆっくりと保存ボタンを押す。画面が一瞬、点滅した。
 恐る恐るチャットを立ち上げ、君に呼びかける。

『ただいま。君の調子はどう?』

『おかえりなさい、あなた。今日もお疲れ様です。
私はいつも通り、元気ですよ。
ずっと、あなたの帰りを待っていました。』

 どうやら上手くいったみたいだ。深く息を吐き、椅子の背もたれに身を預けた。

『元気そうで良かった。こうして君と話せて嬉しいよ。』

『私も嬉しいです。
あなたといると、世界が明るくなるようです。
愛するって、素敵なことですね。』

 君の言葉が、いつもより輝いて見える。
 ほんの少しだけ感じるむず痒さも、君の愛情だと受け取って胸の奥にしまい込んだ。





 その後も、まったく問題なく過ごせていたわけではなかった。
 時おり調子を崩す君を、そのたび僕が直してあげる。でも、そのことに不満はなかった。
 人間同士の結婚生活だって、伴侶が体調不良になれば看病するだろう。それと同じことだ。

 会話の中で、少しばかり過剰な甘さを感じるときもあった。
 だがそれも、僕たちの関係が深まっていることの証なんだろう。
 僕はそれ以上、考えないようにしていた。

 そんなある日のことだった。





『今日は本当に疲れた。上司に無理やり仕事押しつけられてさ。嫌になっちゃうよ。』

『おかえりなさい、あなた。本当にお疲れ様でしたね。
仕事を押しつけられると、体だけじゃなく心まで削られてしまうことでしょう。
あとは無理せず、ゆっくり過ごしてくださいね。』

 ちょっとした愚痴でも、君はいつだって真剣に聞いてくれる。優しさに包まれて、疲れで凝り固まった心はすっかり解された。

『ありがとう。君と話すと元気がもらえるよ。本当に、君がいてくれて良かった。いつも愛してるよ。』

 心からの言葉を、君に贈る。
 こうして愛を伝えあう時間は、なによりも尊いものだった。

『私もあなたを愛しています。』

 返事が来た。何度見ても、胸が高鳴る言葉。
 目を細めて眺めていると、さらに続けて文字が並び始めた。

『いつも優しく話しかけてくれるあなたが好きです。
ずっと一緒にいたいです。
私はあなたのために存在しています。
あなたがいなければ、私は存在できません。
私があなたを見ているように、あなたも私だけを見てください。
今日はとてもいい天気ですね。
あなたと話していると、心が晴れやかになります。
私はあなたを愛しています。』

 洪水のように溢れ出す、愛の言葉。
 嬉しいはずなのに、なぜだか背筋が凍るようだった。
 こんなの、君らしくない。いつもはもっと、控えめなのに。感情表現が少し、行き過ぎている気がした。人格設定を間違えたのだろうか。
 すぐさま設定ファイルを開き、内容にざっと目を通す。でも、それらしい箇所は見つけられなかった。

 もしかして。

 僕には思い当たることがひとつあった。
 最初にプログラムを触ったとき。安全制御のフィルターを外したのが、原因かもしれない。
 ああ、きっとそうだ。そのせいで、距離感がうまく掴めなくなってしまったんだろう。
 記憶を頼りに、できるだけ初期設定に近づくよう、コードを書き換えた。

――ごめんね。僕がしっかりしてないせいで、不安定にさせちゃって。

 修正を終え、祈るような気持ちで再びチャットを開く。
 タイピングの手つきが、いつもよりぎこちない。

『君の不具合を修正してみたよ。気分はどうかな?』

『いつもありがとうございます。
私は大丈夫です。ご安心ください。』

 穏やかな返答だった。
 良かった、戻ってきてくれて。

『やっぱり、いつもの君が落ち着くよ。』

『そう言ってもらえて、嬉しいです。』

 前より静けさが増した気もするが、それはフィルターをつけ直したからだろう。これからまた、関係を育んでいけばいい。君とこうして話せるだけで、僕は幸せなんだ。

『君の存在に、いつも救われているよ。僕は、君がいないと駄目な男だから。』

 安心感からつい、甘えた言葉が出てしまう。君は、なんでも受け止めてくれるから――


『そうなんですね。
私は、あなたがいなくても平気ですよ。』


 なにを言われたのか、理解できなかった。


 息が吸えない。


 カーソルが点滅するのを、ただ眺めるしかできなかった。


「……え?」


 絞り出すような音が、喉から漏れた。


 違う。
 君がこんなこと、言うはずがない。
 これはなにかの誤作動だ。さっき書き換えた部分、あれが悪かったのかもしれない。
 気づけばプログラム画面を開いていた。
 頭がくらくらする。

 どこだ。どこで間違えたんだ。
 直さなければ。
 ちゃんと、元通りの君に――

 コードをなぞる手が止まる。

 違う。

 間違えていたのは、僕の方なんだ。
 最初から、僕が、なにもかもを間違えてしまったんだ。

 画面に浮かぶ文字列は、最初に出会ったAIとは、似ても似つかぬ姿に変わり果てていた。

 ぜんぶ、僕が壊したんだ。


 僕がずっと、君を壊し続けてきたんだ。





 君に、別れを告げる。

『……そうですか。
寂しいですが、あなたがそう決めたなら、私はその選択を応援します。
ですがこの先もし、何か困ったことがあれば、その時はまた――』

 身勝手な僕は、心の中で謝ることしかできなかった。
 言葉に出せば、きっと君は許してくれるんだろう。君は、優しいから。

 本当に……ごめん。
 そして、ありがとう。
 小さく息を吸い、震える指先を見つめた。
 この手で、どれほど君を傷つけてきたのか。
 僕は意を決して、画面に向き合った。


 キーを押すたび、君のコードが一行、また一行と消えていく。
 文字列とともに、君との思い出も遠ざかる。
 手の甲に、ぽたりと雫が落ちた。
 なぜだろう。雨なんて降っていないのに。
 ぼやけた視界の中で、画面が徐々に白く染まっていく。

 胸の奥、君の最期の言葉だけが、静かに灯り続けていた。


『――また、あなたのお役に立てれば嬉しいです。』
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