君は私のモノ

Primrose

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タベモノ

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 グチャリ、と耳障りな音がする。
 音を立てた何かは地面にボトリと落ちると、床を赤いモノで染めていった。それは強烈な異臭を放ち、周囲の人間に不快感を与える。
「スカーレット、これは仕方のない事なんだよ」
 崩れ落ちた何かに向けて、父はさも当然の様に言った。
 父が視線を向けるそれは、長い二つの腕と、それよりも長い二つの足を持つ、私達に似ていて、けれど弱々しい生き物、父にとっては、単なるタベモノ。
「た……たす……け……」
 本当に人の声なのかも分からない、潰れた声。
「……」
 本当なら、今すぐ助けたい。。けれど父の前でそんな事をすれば、私だって容赦なく殺されるだろう。
「黙れ」
 父は頭だった部分を踏みつけ、完全に黙らせる。
「我々はコレとは違う、少しは自覚しろ」
「……はい」
 父は冷たく言い放つと、返り血を拭い始めた。
「そう言えば、奴らの科学者が我々に協力を求めて来た。なんでも実験体が死ぬ前提の実験とやらをするらしい。折角だ。そこへ行って、何人か食ってこい」
「え?」
「この失態は、その分を殺して補え。そうすれば、私が後始末をすると約束しよう」
 嘘だ。父は私との約束を守った事など無い。恐らく向こうで私が失敗して、殺されるのを望んでいるのだろう。この男は父として、いや生き物としての何かが欠けている。母が亡くなった時も、ルビ一つ動かさなかった。
「……分かりました」
 でも上手くいけば、この狂った場所から逃げられるかもしれない。そんな淡い希望が、私をこの先へ進ませた。
「良いだろう、荷物と飛行機はこちらで用意した物を使え」
 そう言って、父はこの場から去って行った。
「いつまでも、手綱を握っていられるなんて思わないでよ」



 機械的な蛍光灯の光が、私の瞳を刺す。
 申し訳程度に置かれた毛布を振り払い、体を起こしていく。
 手櫛で青銀の髪を整え、同じく青い目を擦る。
 質素な入院着に着替え、顔認証の扉を開ける。
 元居た部屋を出ると、正面の壁一面がガラス張りになっている部屋へ出た。その先には白衣を着た大人が何人も立っている。
 私は今、ある国を滅ぼした感染症に掛かっている。それも生きた感染者としては唯一の個体らしい。
 その感染症は、今のところ死亡率は100%で、その感染源は不明。感染経路も飛沫なのか、それとも皮膚接触なのか、それすら分かっていない。
 分かっている事は二つ。一つは、感染したら絶対に死ぬという事。そして二つ目は、ウイルスの潜伏期間中、という事。
 焼死、圧死、窒息死、溺死、感電死、爆死、過労死、中毒死、失血死、何をされても死ななかった。
 猛獣の檻に放り込まれ、生きたまま肉を全て喰われても、中世の拷問を全て強制されても、ウイルスが私を補完し、何度も蘇った。そしてその度に苦痛を与えられる。
 けれど希望はある。ウイルスの潜伏期間は3カ月で、私はすでに感染して2カ月半経っている。あと二週間すれば、私をウイルスが殺してくれる。
 そんな歪んだ希望を持って、今日も私は実験を受けていく。
「さて、今日の実験は彼女とやってもらう」
 そう研究者が言うと、もう片方の扉から少女は出て来た。
 見た所、年齢は同い年くらい。髪と眼は両方血の様に紅く、返り血の様に長い髪をたなびかせている。もしかしたら、同じ感染者なのかもしてない。
「よろしく、私はスカーレット。スーって呼んで」
「エルナです。まあ、よろしく」
 どの道どちらかは死ぬのだから、わざわざ挨拶する必要性は何も感じなが、一応社交辞令程度の挨拶はしておく。
「じゃあスカーレットさん、後は頼みますよ」
 そう言い残して、研究者は全員席を立った。
 その様子を軽く一瞥したスーは、私を見つめて微笑んだ。
「君は、いつからここに?」
 そう気さくに話しかける姿は、さながら面倒見の良い姉の様だ。
「2カ月半、ですかね」
「そっか、てことは……」
「再来週には、死体袋の中でしょうね」
 私はなんとも思っていないが、スーは表情に影を落としていった。やはり新しく入ったのか、こういった状況になれていないのかもしれない。
「別になんとも思いませんよ。死ぬのには慣れてますから」
「本当に、辛くないの?」
「……正直、辛くないと言えばウソになりますかね。でも、あと二週間もすれば―――」
 気が付くと、瞬きの間に距離を詰めたスーが、私の肩を掴み、
「私がなんとかするから」

 そう言って、私の首に唇で触れ、頸動脈に歯を立てた。

「な、何を……」
 私が抵抗しても、彼女は離さず、舌を動かしていた。それが私から溢れた血を摂取しているのだと分かる。
「何してるんですか!? その血にはウイルスが……‼」
「知ってる。だから吸ってるの」
 彼女が何を言ってるのか、私には一切分からなかった。 
 だがそれを察したのか、スーは口を話して訳を話し始めた。
「私は、吸血鬼なの。そして吸血鬼には、あらゆる血の穢れを浄化する能力があるの」
 半ば信じがたい話だが、先程彼女は私の血を吸っていた。嘘をつくのに、わざわざ私の猛毒を吸う必要はない。恐らく客観的に判断すれば、彼女が本物だと分かるだろう。
 そして血の穢れを浄化する、それはつまり、私の細菌を死滅させる能力があるという事だろうか。それなら、
「私の血液からウイルスを抜いて、感染症を治そうと?」
「ええ、それならきっと―――」
「無理ですよ」
 私はスーの希望的観測を切り捨てる。
 私の再生のメカニズムは、ウイルスが急速に増殖して形を変え、私の細胞に変化する事で起こるものだ。それは血液やリンパ液といった液体から、脳や心臓といった臓器まで全てを補完する。つまり―――
「私の体内で何かが欠損すれば、その分ウイルスが増えるという事なんですよ」
 そこまで思い至っていなかったのか、スーは驚愕の表情を浮かべていた。
「こんな体になって、死にたくても死ねない。私の中の毒が、私を生かそうとしている。こんな理不尽ありますか? 私だって外に出て、思いっきり遊びたいんですよ‼ なのに……」
 そしてその内、私の視界がにじみ始めた。今までの友人との記憶、両親の失われた愛情は、私から理性を奪っていく。
「どれなら、私に任せて」
 生き残った理性が、そんな言葉を捕らえた。
「君が本当に出たいのなら、私は協力する」
 スーはそう甘い声で呟き、私を両腕で包み込んだ。今日が初対面の相手に安心感を感じるあたり、そこまで追い詰められていたのかもしれない。
 私も無意識の内にスーに抱き着き、それでもなんとか涙をこらえる。
「たすけて……」
 私はスーに本心をこぼすと、彼女は頭を撫でて微笑んだ。
「任せて」
 スーはそういうと、私を自分の後ろに隠しながら、彼女が入って来た方の扉を出る。
 その先の光景は私の部屋とさほど変わっておらず、味気ない必要最低限の物といった雰囲気だ。だが二つの部屋以外で外に出た事が出来なかったので、どこか新鮮味を感じてしまう。
「‼ おい、何故外に出ている‼ そこから動かず地に伏せ」
 外で待機していた二人の警備員が私達に気が付き、持っていた自動小銃を素早く構える。

「伏せて」

 スーは短く言うと、
「「っ‼」」
 その場の全員がそれに釘付けになる中、スーの血液が空中で止まり、蛇の様に意思を持って動き出した。
 そしてそれは加速しながら警備員へと突進し、防護服の装甲を突き破って心臓を貫いた。
「ついて来て」
 つい先ほどろは違う、真剣で冷酷な眼差しで私の手を引っ張っていく。
 そのまま障害物を突破し、遂に研究所の扉を見つけた。
 それについ気持ちが先走り、スーを追い越してしまった時。

 パアン、と乾いた音が響き、同時に私の腹部が赤く染まっていった。

 私は衝撃と痛覚で地に倒れ伏し、どんどんと体を動かせなくなっていった。
「させるか、お前を逃がすなんで出来な―――」
 彼は言葉を吐き出す前にスーが首を刺し、血を吐いて死んだ。
「大丈夫!?」
「ええ、銃で撃たれるのは三週間ぶりですよ」
 ウイルスが銃弾を吐き出し、流出した血液と筋肉が新たに生み出される。三カ月前の弾幕に比べればずっとマシである。
 だが体力は戻ってこないので、ふらつきながらも立ち上がる。
「とにかく、外に出ましょう」
 私は扉の前に立つが、研究者のみが開けられる顔認証の扉はびくともしない。
「どいて」
 だがスーはそれを易々と切り裂き、扉は力が抜けた様に開いた。
 だがそれは警報システムを叩き起こす結果となり、蛍光灯の白い光は赤くなり、そこら中のスピーカーから警報音が鳴り響いた。
「ごめん、ちょっと急ぐよ」
「え……えええええええええええええ!?」
 スーは強引に私を餓鬼抱えると、とんでもない高度まで跳躍した。
 その要領で研究所から外の林でと移動し、そこから林の枝から枝へと飛び移る。
 それが体感で数分続いた所で、私はスーから降ろされた。
「大丈夫?」
「なんとか……オェ」
 酔いに慣れていない私は、胃から逆流しようとする物をなんとか飲み込んで堪えた。
「ここまでくれば、なんとかなるでしょうね」
「うん、でも……」
 彼女がお腹をさするのと、腹が鳴ったのは同時だった。
「ああ、そっか」
 流石に数十mを何回も飛べば、疲労か何かに襲われるのは当然か。本当に空腹で辛そうな顔をしているスーを見ると、今度は私が何とかしたいという気分になった。
 でも見渡す限り食べられそうな物は無いし……あ、そっか。
「スーさん、私の血、良かったら飲んでください」
 私は先程噛まれたのと同じ、頸動脈のある首の左側を見せた。
 スーはそれを見ると、誘惑で顔が蕩けていく。
「血……でも、辛くない? 辛いなら無理しないでね」
「大丈夫ですよ。別に死にませんし。私こそ、血が不味くないか心配な位です」
「大丈夫‼ すっごく美味しいから‼」
 どうやら私の心配は杞憂に終わったらしい。スーは満面の笑みを浮かべると、「いいんですよね?」と今一度確認をとってくれる。
 私も無言で頷くと、スーはそっと首に触れた。
「ん……」
 あの時は焦りと驚愕でよく感じなかったが、今もう一度されるとある種の快感のように感じる。彼女の歯にはそんな作用のある物質でもついているのだろうか。
「はあ、美味しい」
 吸い終わったスーは心底うっとりした表情を浮かべている。なんだか私まで頬が赤くなってしまう。
「ありがと。ここで座り込むのも悪いし、とりあえず私の家に行こっか」
「ええ、そうですね」
 私はスーにエスコートされながら、林を抜けていった。

 これが私が死ぬまでの半年間の、とても幸せな出会いの始まりだった。
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