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1・卒業
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1.卒業
「テテュス!近衛に進まないって、本当か?!」
宿舎の廊下で同級の生徒達に取り囲まれて、テテュスは戸惑うように微笑った。
「『光の塔』付き連隊に、行く事になりそうだ」
少し離れた場所で、ファントレイユは同じ15才の同級生達に囲まれ、穏やかに微笑む身分の高い、いとこの姿を見つめていた。
一際背が、高かった。
たっぷりの焦げ茶色の巻き毛を背迄垂らし、真っ直ぐで形の良い鼻と綺麗な頬と顎の線をしていて、相変わらず優雅で人好きのする、優しげな微笑を湛えている。
「…どけ!」
取り囲む生徒の群を分って入る更に長身の金の髪の青年が、彼らを乱暴に押し退けるのにふいに気づくと、ファントレイユは自然に歩を進めていた。
「…どうして『光の塔』なんだ?!」
生徒達と同じ疑問を、去年とっくに卒業し、今は故郷東領地ギルムダーゼンの護衛連隊に身を置く、一級上で現在17に成ったばかりのグエン=ドルフが。
いきなりテテュスの前に進み出るなり、怒鳴った。
テテュスは自分も随分背が伸びたと思っていたが、グエンは更にまたその背を伸ばし、教練時代より逞しさを増したしなやかな体を、濃紺の粋な護衛連隊服で包み。
相変わらず乱暴者に不似合いな、冴えた美貌で見下ろしていて。
テテュスはそんな彼に、囁き返す。
「グエン…。どうしてここに?」
「そんな事はどうだって…」
が、その言葉はいきなりテテュスの前に進み出た、綺羅綺羅しさを倍増し、グレーがかったたっぷりの淡い栗毛を軽やかに肩に揺らして優雅この上ない、ファントレイユの美貌の睨み顔で遮(さえぎ)られた。
グエンが途端、長身で大柄なテテュスを庇うように立つ、背の低いその邪魔者を見下ろし怒鳴る。
「…どけ!」
だがファントレイユは一級年上の、顔がそれは綺麗な金髪の野獣を睨み付け、言い放つ。
「グエン=ドルフ。後にしてくれ。
ここは生徒の場所で、あんたはとっくに卒業したろう?」
ファントレイユの声はあくまで冷静だった。
テテュスの低く柔らかく甘い声音と違い、ファントレイユの声はそれよりは少し高く、静かだがどこか響き渡る声色だった。
威嚇されるように睨まれ、グエンは忌々しげにその綺羅綺羅しい美貌を睨み返す。
が、しなやかで獰猛な金の豹を思わせる、射るようなグエンの緑の瞳の輝きにもファントレイユは一向に怯む様子を見せない。
周囲の生徒達は有名な乱暴者の上級生の事を、熟知していたから。
グエンの登場に、一斉に怯んで場を開けたと言うのに。
テテュスは少し、ため息を付くとグエンを見つめ微笑んだ。
「…任務でこちらに出向いたのか?」
グエンは頷こうとし、が、唸った。
「…お前が卒業だと言うから、会いに来た。
お前の父親アイリスは『神聖神殿隊』付きだろう?
どうせ近衛に進まないんなら、どうしてそっちじゃないんだ!」
皆がそれを聞いて、グエンが怒っている理由が、解った。
『神聖神殿隊』付き連隊は国中を駆け回る仕事で、当然グエンの任務地、東領地ギルムダーゼンにはしょっ中出向く事となる。
が『光の塔』付きとなると…城の中にある『光の塔』が勤務地で、都を出る事はおよそ無い。
この、長身で素晴らしい美貌の、去年の学年一の暴れん坊が、テテュスをそれは気に入ってる様子なのを、そこに居た全員が知っていたし、卒業した後も仕事で顔を見られる事を望んでいるのは、ありありだった。
「…『光の塔』ならまだ、近衛の方がよっぽどマシじゃないか!」
そう。
近衛は要請があれば、東領地ギルムダーゼンに出向く事もある。
グエンが怒鳴り、ファントレイユは肩をすくめてテテュスを見つめる。
テテュスはだが、怒っているグエンに穏やかに笑った。
「…グエン。
君と会う為に私は所属を希望する訳じゃないんだ」
グエンは怒りまくった。
「…俺と会いたくないのか?!」
そこに居た全員が、教練時代稀代の遊び人と称され、モテまくった男の直接話法に呆れた。
グエンはたいして口説いたりはしなかった。
が、それでも彼の部屋を訪れる者は後を絶たないくらいのモテぶりだった男にしては…。
このお気に入りの相手の、つれない返事は、確かにあんまりだろう。
だがテテュスの態度は崩れない。
「…グエン。後で時間を作るから…。
これから色々とする事もあるし、みんなともお別れなんだし…」
グエンは肩をいからせた。
「…俺とも、お別れだろう?!」
そこに居た全員が、年上の男の、その駄々っ子のような言い草にきっちり呆れ果てた。
テテュスは困ったように、ファントレイユを見る。
ファントレイユは少し下を向いて頭を揺らすと、それが合図のようにテテュスは生徒達に少し顔を向け、彼らの
『どうぞ、この一級上だった野獣を優先して、奴を何とかなだめてくれ』
という視線を受け止めると、グエンに振り向く。
グエンはテテュスの濃紺の輝く瞳に真っ直ぐ見つめられて一瞬、怒りを緩めると、先に進むその背に付いて行った。
テテュスの部屋は大貴族子息用の広い二部屋ある続き部屋で、ここに同い年のいとこ、ファントレイユと寝泊まりしていた。
グエンが通されて中に入る。
が、部屋には既にファントレイユが居た。
窓辺で腕組みし、彼らからは少し離れた場所で見張るように二人の様子を見つめる姿に、グエンは一瞬、威嚇するように鋭い視線を投げつける。
だが大抵の相手がびびりまくる、ぎらりと光る緑の瞳の、ぞっとする視線を受けてもファントレイユは一向に怯む様子を見せず、どころか気迫籠もる静かなたたずまいに、グエンの方がとうとう短い、タメ息を付いた。
テテュスはいとこのファントレイユをそれは大層大切にしていたし、殴って追い出せるんならそうする。
が、そんな事をしたら一番肝心の、テテュスとの会話すら成り立たなくなってしまう。
テテュスが目前で自分を見つめる姿に視線を戻すと、懐かしいその顔を、魅入るように見つめ返した。
…だがその稀代の美貌のモテ男の視線を浴びても、テテュスはいつも通りで。
頼りになる上級生グエン=ドルフを見つめながら、口を開く。
「でももう変更は出来ないんだ。グエン。
私は必要とされているし、今更別の部署へ志願を出したりしたら、『光の塔』はまた人員を探さなきゃならない。
人手不足になってしまうので」
テテュスの定石道理の答えを聞くが、勿論それで納得するグエンでは無い。
「人を探せばいいだろう?」
テテュスは駄々をこねるその上級生を見上げ、一つ、ため息を吐く。
「…別に、仕事で無くとも会えるじゃないか。
現にこうして会ってるんだし」
グエンが途端、怒った。
「…俺は次期護衛連隊長で、その役職を手に入れるタメ親父に監視も同然で!
仕事をぎちぎちに割り振られ、滅多に都に顔なんか出せないんだぞ?
それに俺が会いに来なきゃ、会えないじゃないか!」
「…じゃあ私も時間が取れたら、東領地ギルムダーゼンに顔を出せば納得するのか?」
グエンは途端その表情を緩めた。
ファントレイユは内心、もう一人のいとこ、レイファスなら相手を知り尽くし、計算しまくって言葉を使うが、テテュスはまさしく天然で。
彼にそんな申し出をされ、野獣で人でなしのこの美貌の男前がどれ程嬉しいか、テテュスはまるで解ってないな、と安堵した。
グエンに下心があるのは毎度見え見えなのに、テテュスときたらそれは純粋に、下級生の面倒を見る頼りになる上級生。
だとグエンの事を思い込んでいて、よりによって尻尾が見えてヨダレを垂らし、自分を喰おうとしている狼に。
あろう事か、尊敬と信頼なんぞを寄せている。
…まあ、テテュスの感情があんまり真っ直ぐグエンに向けられるので、さすがの人でなしもテテュスには迂闊に手を、出せないようだが。
「…テテュス。でも俺はお前の顔を見ないとヘコむんだ」
テテュスはふいに真剣な表情を見せるその上級生に、いかにも意外だと、驚いて見せた。
「…君が?君はだっていつも、凄く元気だろう?」
ファントレイユにはグエンの言葉の意味が良く、解っていた。
が、テテュスの方は、グエンのかつて在学中の、鮮やかに金髪をなびかせ、いつも素晴らしく小憎らしく爽やかで快活な様子を思い出し、思わずそうつぶやく。
グエンは自分の言葉の通じ無さに、チラと監視するファントレイユに視線を向けると、テテュスに向き直る。
大抵グエン=ドルフに、例え気の無い相手ですらそんな風に顔を傾けられ、真剣な緑の瞳で見つめられたりすると。
その顔立ちの美しさも手伝って、野生の煌めくような男っぽさについ、相手はどぎまぎするものだ。
が、テテュスがそうなる様子は見られなかった。
テテュスに、とても穏やかに見つめ返され、そのとても育ちの良さげな色白の端正な顔を切なげに一瞬顔を歪めて見つめ、グエンは俯いた。
「…考えを、変えたりはしないんだな?」
低く落胆するようにそう言う。
テテュスは平静に返す。
「…もう決まって、変えられない事なんだ。グエン」
グエンは一つ、吐息を吐いてテテュスをもう一度、気を入れて見つめる。
そのモテ男の素晴らしい男前のキメ顔を見ても、やっぱりテテュスは静かに見つめ返すだけで、グエンはすっ、と彼に背を向け、挨拶も無しに突然部屋を出て行った。
テテュスは彼のその退場のそっけ無さに、一瞬呆けたようにその背を見送る。
「突然現れて、突然消えた」
ファントレイユは少し下を、向いた。
「…もう現れないといいんだが」
だがテテュスは振り向くと、告げる。
「…グエンが私にその気があると、君は言い続けてるが…」
ファントレイユは内心、それが事実だ。と言いたかった。
が、テテュスの言葉を待った。
「君の、思い過ごしだと思う」
テテュスは相変わらず、ファントレイユの前では非の打ち所の無い騎士だった。
いつもゆったりと構え、いざと言う時には決然と剣を振るう。
テテュスは普段から大らかで優雅で、風流すら感じさせる自然な動作をしていた。
が、剣を振り始めると全く隙が無くなる。
打ち込む時それは鋭く素早く剣を振り入れ、それは天性のものだと、ファントレイユはいつも感じていた。
どうしてか、テテュスには解るのだ。
相手のどこに打ち込めば返せないのか。
現にファントレイユはテテュスとの対戦四本の内、やっと一本討ち取れる程度。
殆どはテテュスが勝っていた。
どれだけ気を付け隙を無くしても、テテュスは返せない場所に決まって剣を、振り入れて来る。
咄嗟の事で、本人も解ってやっている様子なんかじゃなくて、いつも読み切れずに討ち取られていた。
どうしたって、どれだけ鍛錬してもそういう天性の者には勝てない気が、ファントレイユはしていた。
そういう者は、他にもう一人。
前右将軍子息で同じ学年で一番の使い手の、ギデオン。
彼は本当に別格で、テテュスですらギデオンのしなやかな、まるで相手の動きが全て解っているような先読みの早さと俊敏さと気迫に、剣を振り続けても防ぐ事は難しいようだった。
ファントレイユはだが、ため息を付くと、そのゆったりと頼もしく、優しい完璧な騎士に告げる。
「…だってあいつは野獣だから、君がどれ程素晴らしい騎士かなんて、関係無いんだ」
テテュスは少し俯いて、そう言う素晴らしく綺麗ないとこを悲しげに見つめる。
「君だって、それは優れた騎士だろう?」
そう、ファントレイユが望んでいる事を知っていた。
父アイリスに心から焦がれ、素晴らしい騎士たる為に彼が日夜、心を砕き自分を鍛えているのを。
ファントレイユはだが、その整ってまるで光が煌めき零れるような印象的な美貌を、テテュスに向ける。
淡い、グレーがかった栗毛の長髪がふんわりとその美貌の白面の顔を覆い、淡い色のブルー・グレーの瞳は、陽に透けて輝いていた。
彼(ファントレイユ)にそんな風に見つめられると、殆どの相手はその美貌に大抵、魅入られるか怯むものだった。
あまりにも彼が、隙無く完璧に美しくて。
だがファントレイユに、騎士として、剣士として自分より数倍優れている者。
と羨ましげに見つめられ、テテュスは困惑して少し、頭を揺らす。
言葉は見つからなかった。
ファントレイユは、言いたい事は解っている。というように頭を少し傾け、テテュスを見つめた。
テテュスが静かに言葉を放つ。
「…本当に、近衛に進むのか?」
ファントレイユは途端、すまなそうに俯く。
まるで自分に謝罪するようなファントレイユの表情に、テテュスはだが、笑った。
「君が、誰よりも立派な騎士になる為に近衛に進むんなら、それでいいんだ。
『光の塔』はでも、腕の立つ人材を一人はどうしても欲しいらしいし。
望まれて行くんだから栄誉ある事だと思うし、やり甲斐もあるから。
君は気に、しなくたっていい」
テテュスの言葉に、ファントレイユはためらったが言った。
「…でも宮仕えが私に向いてると、アイリスが最初、私に持って来た話なのに」
「…君と一緒に居られないのは残念な気もするけど、何時までも私が君の騎士をしていたら、君は相変わらずお姫様扱いされるだろうし。
それは君の、望む事なんかじゃないんだろう?
お互い成長する為に離れるんなら、それはいい事じゃないのか?」
ファントレイユはそう言う、気遣い溢れた優しげなテテュスの濃紺の瞳を受け、顔を上げる。
綺麗だ。
ファントレイユはいつもそう、思っていた。
テテュスはその心を、そのまま瞳に映していた。
心がとても穏やかで純粋で綺麗だから、彼の濃紺の瞳も同様に美しいんだと。
グエンの事を思った。
奴のようなケダモノに取り囲まれた生粋の野獣は、こんな綺麗な瞳に、それは弱いんだろうな。
が、言った。
「…ずっと私の世話をしてくれたから、少しは『光の塔』で楽をしてくれ。
でもグエンの事は………」
テテュスが呟くファントレイユを見る。
ファントレイユは間を置き、だがきっぱりと静かに言い放った。
「あいつだけは気を付けないと」
テテュスはファントレイユのその心配に、笑って応える。
「…君の心配は心がけるけど」
大丈夫。と笑顔で返答され、ファントレイユはだがまた一つ、まるで解っていないテテュスの様子にタメ息を、付いた。
「テテュス!近衛に進まないって、本当か?!」
宿舎の廊下で同級の生徒達に取り囲まれて、テテュスは戸惑うように微笑った。
「『光の塔』付き連隊に、行く事になりそうだ」
少し離れた場所で、ファントレイユは同じ15才の同級生達に囲まれ、穏やかに微笑む身分の高い、いとこの姿を見つめていた。
一際背が、高かった。
たっぷりの焦げ茶色の巻き毛を背迄垂らし、真っ直ぐで形の良い鼻と綺麗な頬と顎の線をしていて、相変わらず優雅で人好きのする、優しげな微笑を湛えている。
「…どけ!」
取り囲む生徒の群を分って入る更に長身の金の髪の青年が、彼らを乱暴に押し退けるのにふいに気づくと、ファントレイユは自然に歩を進めていた。
「…どうして『光の塔』なんだ?!」
生徒達と同じ疑問を、去年とっくに卒業し、今は故郷東領地ギルムダーゼンの護衛連隊に身を置く、一級上で現在17に成ったばかりのグエン=ドルフが。
いきなりテテュスの前に進み出るなり、怒鳴った。
テテュスは自分も随分背が伸びたと思っていたが、グエンは更にまたその背を伸ばし、教練時代より逞しさを増したしなやかな体を、濃紺の粋な護衛連隊服で包み。
相変わらず乱暴者に不似合いな、冴えた美貌で見下ろしていて。
テテュスはそんな彼に、囁き返す。
「グエン…。どうしてここに?」
「そんな事はどうだって…」
が、その言葉はいきなりテテュスの前に進み出た、綺羅綺羅しさを倍増し、グレーがかったたっぷりの淡い栗毛を軽やかに肩に揺らして優雅この上ない、ファントレイユの美貌の睨み顔で遮(さえぎ)られた。
グエンが途端、長身で大柄なテテュスを庇うように立つ、背の低いその邪魔者を見下ろし怒鳴る。
「…どけ!」
だがファントレイユは一級年上の、顔がそれは綺麗な金髪の野獣を睨み付け、言い放つ。
「グエン=ドルフ。後にしてくれ。
ここは生徒の場所で、あんたはとっくに卒業したろう?」
ファントレイユの声はあくまで冷静だった。
テテュスの低く柔らかく甘い声音と違い、ファントレイユの声はそれよりは少し高く、静かだがどこか響き渡る声色だった。
威嚇されるように睨まれ、グエンは忌々しげにその綺羅綺羅しい美貌を睨み返す。
が、しなやかで獰猛な金の豹を思わせる、射るようなグエンの緑の瞳の輝きにもファントレイユは一向に怯む様子を見せない。
周囲の生徒達は有名な乱暴者の上級生の事を、熟知していたから。
グエンの登場に、一斉に怯んで場を開けたと言うのに。
テテュスは少し、ため息を付くとグエンを見つめ微笑んだ。
「…任務でこちらに出向いたのか?」
グエンは頷こうとし、が、唸った。
「…お前が卒業だと言うから、会いに来た。
お前の父親アイリスは『神聖神殿隊』付きだろう?
どうせ近衛に進まないんなら、どうしてそっちじゃないんだ!」
皆がそれを聞いて、グエンが怒っている理由が、解った。
『神聖神殿隊』付き連隊は国中を駆け回る仕事で、当然グエンの任務地、東領地ギルムダーゼンにはしょっ中出向く事となる。
が『光の塔』付きとなると…城の中にある『光の塔』が勤務地で、都を出る事はおよそ無い。
この、長身で素晴らしい美貌の、去年の学年一の暴れん坊が、テテュスをそれは気に入ってる様子なのを、そこに居た全員が知っていたし、卒業した後も仕事で顔を見られる事を望んでいるのは、ありありだった。
「…『光の塔』ならまだ、近衛の方がよっぽどマシじゃないか!」
そう。
近衛は要請があれば、東領地ギルムダーゼンに出向く事もある。
グエンが怒鳴り、ファントレイユは肩をすくめてテテュスを見つめる。
テテュスはだが、怒っているグエンに穏やかに笑った。
「…グエン。
君と会う為に私は所属を希望する訳じゃないんだ」
グエンは怒りまくった。
「…俺と会いたくないのか?!」
そこに居た全員が、教練時代稀代の遊び人と称され、モテまくった男の直接話法に呆れた。
グエンはたいして口説いたりはしなかった。
が、それでも彼の部屋を訪れる者は後を絶たないくらいのモテぶりだった男にしては…。
このお気に入りの相手の、つれない返事は、確かにあんまりだろう。
だがテテュスの態度は崩れない。
「…グエン。後で時間を作るから…。
これから色々とする事もあるし、みんなともお別れなんだし…」
グエンは肩をいからせた。
「…俺とも、お別れだろう?!」
そこに居た全員が、年上の男の、その駄々っ子のような言い草にきっちり呆れ果てた。
テテュスは困ったように、ファントレイユを見る。
ファントレイユは少し下を向いて頭を揺らすと、それが合図のようにテテュスは生徒達に少し顔を向け、彼らの
『どうぞ、この一級上だった野獣を優先して、奴を何とかなだめてくれ』
という視線を受け止めると、グエンに振り向く。
グエンはテテュスの濃紺の輝く瞳に真っ直ぐ見つめられて一瞬、怒りを緩めると、先に進むその背に付いて行った。
テテュスの部屋は大貴族子息用の広い二部屋ある続き部屋で、ここに同い年のいとこ、ファントレイユと寝泊まりしていた。
グエンが通されて中に入る。
が、部屋には既にファントレイユが居た。
窓辺で腕組みし、彼らからは少し離れた場所で見張るように二人の様子を見つめる姿に、グエンは一瞬、威嚇するように鋭い視線を投げつける。
だが大抵の相手がびびりまくる、ぎらりと光る緑の瞳の、ぞっとする視線を受けてもファントレイユは一向に怯む様子を見せず、どころか気迫籠もる静かなたたずまいに、グエンの方がとうとう短い、タメ息を付いた。
テテュスはいとこのファントレイユをそれは大層大切にしていたし、殴って追い出せるんならそうする。
が、そんな事をしたら一番肝心の、テテュスとの会話すら成り立たなくなってしまう。
テテュスが目前で自分を見つめる姿に視線を戻すと、懐かしいその顔を、魅入るように見つめ返した。
…だがその稀代の美貌のモテ男の視線を浴びても、テテュスはいつも通りで。
頼りになる上級生グエン=ドルフを見つめながら、口を開く。
「でももう変更は出来ないんだ。グエン。
私は必要とされているし、今更別の部署へ志願を出したりしたら、『光の塔』はまた人員を探さなきゃならない。
人手不足になってしまうので」
テテュスの定石道理の答えを聞くが、勿論それで納得するグエンでは無い。
「人を探せばいいだろう?」
テテュスは駄々をこねるその上級生を見上げ、一つ、ため息を吐く。
「…別に、仕事で無くとも会えるじゃないか。
現にこうして会ってるんだし」
グエンが途端、怒った。
「…俺は次期護衛連隊長で、その役職を手に入れるタメ親父に監視も同然で!
仕事をぎちぎちに割り振られ、滅多に都に顔なんか出せないんだぞ?
それに俺が会いに来なきゃ、会えないじゃないか!」
「…じゃあ私も時間が取れたら、東領地ギルムダーゼンに顔を出せば納得するのか?」
グエンは途端その表情を緩めた。
ファントレイユは内心、もう一人のいとこ、レイファスなら相手を知り尽くし、計算しまくって言葉を使うが、テテュスはまさしく天然で。
彼にそんな申し出をされ、野獣で人でなしのこの美貌の男前がどれ程嬉しいか、テテュスはまるで解ってないな、と安堵した。
グエンに下心があるのは毎度見え見えなのに、テテュスときたらそれは純粋に、下級生の面倒を見る頼りになる上級生。
だとグエンの事を思い込んでいて、よりによって尻尾が見えてヨダレを垂らし、自分を喰おうとしている狼に。
あろう事か、尊敬と信頼なんぞを寄せている。
…まあ、テテュスの感情があんまり真っ直ぐグエンに向けられるので、さすがの人でなしもテテュスには迂闊に手を、出せないようだが。
「…テテュス。でも俺はお前の顔を見ないとヘコむんだ」
テテュスはふいに真剣な表情を見せるその上級生に、いかにも意外だと、驚いて見せた。
「…君が?君はだっていつも、凄く元気だろう?」
ファントレイユにはグエンの言葉の意味が良く、解っていた。
が、テテュスの方は、グエンのかつて在学中の、鮮やかに金髪をなびかせ、いつも素晴らしく小憎らしく爽やかで快活な様子を思い出し、思わずそうつぶやく。
グエンは自分の言葉の通じ無さに、チラと監視するファントレイユに視線を向けると、テテュスに向き直る。
大抵グエン=ドルフに、例え気の無い相手ですらそんな風に顔を傾けられ、真剣な緑の瞳で見つめられたりすると。
その顔立ちの美しさも手伝って、野生の煌めくような男っぽさについ、相手はどぎまぎするものだ。
が、テテュスがそうなる様子は見られなかった。
テテュスに、とても穏やかに見つめ返され、そのとても育ちの良さげな色白の端正な顔を切なげに一瞬顔を歪めて見つめ、グエンは俯いた。
「…考えを、変えたりはしないんだな?」
低く落胆するようにそう言う。
テテュスは平静に返す。
「…もう決まって、変えられない事なんだ。グエン」
グエンは一つ、吐息を吐いてテテュスをもう一度、気を入れて見つめる。
そのモテ男の素晴らしい男前のキメ顔を見ても、やっぱりテテュスは静かに見つめ返すだけで、グエンはすっ、と彼に背を向け、挨拶も無しに突然部屋を出て行った。
テテュスは彼のその退場のそっけ無さに、一瞬呆けたようにその背を見送る。
「突然現れて、突然消えた」
ファントレイユは少し下を、向いた。
「…もう現れないといいんだが」
だがテテュスは振り向くと、告げる。
「…グエンが私にその気があると、君は言い続けてるが…」
ファントレイユは内心、それが事実だ。と言いたかった。
が、テテュスの言葉を待った。
「君の、思い過ごしだと思う」
テテュスは相変わらず、ファントレイユの前では非の打ち所の無い騎士だった。
いつもゆったりと構え、いざと言う時には決然と剣を振るう。
テテュスは普段から大らかで優雅で、風流すら感じさせる自然な動作をしていた。
が、剣を振り始めると全く隙が無くなる。
打ち込む時それは鋭く素早く剣を振り入れ、それは天性のものだと、ファントレイユはいつも感じていた。
どうしてか、テテュスには解るのだ。
相手のどこに打ち込めば返せないのか。
現にファントレイユはテテュスとの対戦四本の内、やっと一本討ち取れる程度。
殆どはテテュスが勝っていた。
どれだけ気を付け隙を無くしても、テテュスは返せない場所に決まって剣を、振り入れて来る。
咄嗟の事で、本人も解ってやっている様子なんかじゃなくて、いつも読み切れずに討ち取られていた。
どうしたって、どれだけ鍛錬してもそういう天性の者には勝てない気が、ファントレイユはしていた。
そういう者は、他にもう一人。
前右将軍子息で同じ学年で一番の使い手の、ギデオン。
彼は本当に別格で、テテュスですらギデオンのしなやかな、まるで相手の動きが全て解っているような先読みの早さと俊敏さと気迫に、剣を振り続けても防ぐ事は難しいようだった。
ファントレイユはだが、ため息を付くと、そのゆったりと頼もしく、優しい完璧な騎士に告げる。
「…だってあいつは野獣だから、君がどれ程素晴らしい騎士かなんて、関係無いんだ」
テテュスは少し俯いて、そう言う素晴らしく綺麗ないとこを悲しげに見つめる。
「君だって、それは優れた騎士だろう?」
そう、ファントレイユが望んでいる事を知っていた。
父アイリスに心から焦がれ、素晴らしい騎士たる為に彼が日夜、心を砕き自分を鍛えているのを。
ファントレイユはだが、その整ってまるで光が煌めき零れるような印象的な美貌を、テテュスに向ける。
淡い、グレーがかった栗毛の長髪がふんわりとその美貌の白面の顔を覆い、淡い色のブルー・グレーの瞳は、陽に透けて輝いていた。
彼(ファントレイユ)にそんな風に見つめられると、殆どの相手はその美貌に大抵、魅入られるか怯むものだった。
あまりにも彼が、隙無く完璧に美しくて。
だがファントレイユに、騎士として、剣士として自分より数倍優れている者。
と羨ましげに見つめられ、テテュスは困惑して少し、頭を揺らす。
言葉は見つからなかった。
ファントレイユは、言いたい事は解っている。というように頭を少し傾け、テテュスを見つめた。
テテュスが静かに言葉を放つ。
「…本当に、近衛に進むのか?」
ファントレイユは途端、すまなそうに俯く。
まるで自分に謝罪するようなファントレイユの表情に、テテュスはだが、笑った。
「君が、誰よりも立派な騎士になる為に近衛に進むんなら、それでいいんだ。
『光の塔』はでも、腕の立つ人材を一人はどうしても欲しいらしいし。
望まれて行くんだから栄誉ある事だと思うし、やり甲斐もあるから。
君は気に、しなくたっていい」
テテュスの言葉に、ファントレイユはためらったが言った。
「…でも宮仕えが私に向いてると、アイリスが最初、私に持って来た話なのに」
「…君と一緒に居られないのは残念な気もするけど、何時までも私が君の騎士をしていたら、君は相変わらずお姫様扱いされるだろうし。
それは君の、望む事なんかじゃないんだろう?
お互い成長する為に離れるんなら、それはいい事じゃないのか?」
ファントレイユはそう言う、気遣い溢れた優しげなテテュスの濃紺の瞳を受け、顔を上げる。
綺麗だ。
ファントレイユはいつもそう、思っていた。
テテュスはその心を、そのまま瞳に映していた。
心がとても穏やかで純粋で綺麗だから、彼の濃紺の瞳も同様に美しいんだと。
グエンの事を思った。
奴のようなケダモノに取り囲まれた生粋の野獣は、こんな綺麗な瞳に、それは弱いんだろうな。
が、言った。
「…ずっと私の世話をしてくれたから、少しは『光の塔』で楽をしてくれ。
でもグエンの事は………」
テテュスが呟くファントレイユを見る。
ファントレイユは間を置き、だがきっぱりと静かに言い放った。
「あいつだけは気を付けないと」
テテュスはファントレイユのその心配に、笑って応える。
「…君の心配は心がけるけど」
大丈夫。と笑顔で返答され、ファントレイユはだがまた一つ、まるで解っていないテテュスの様子にタメ息を、付いた。
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