私の大切な人

ゆい

文字の大きさ
上 下
11 / 13

闇は私とあなたを隠してくれる

しおりを挟む
「作戦はこう!私が彼らをひきつけるから、山本さんは家に帰る」
「なんで帰るんだよ」
「君がいたら死ぬかもしれないでしょ?」
「自分の命助けてもらうのに、のこのこ帰れるかよ!」
私はため息をついて空を仰ぐ。



  プールの設営が始まったのは夏休みに入ってすぐ、イベントの二日前。彼らがいつ仕掛けてくるか分からない。でも人がいるときはきっとやらない。そう考えて夜張ってみることにした。そこまでは良かったのだが。
「見張りと言えばアンパンと牛乳ってイメージあるよね」
楽しそうに少年のような目をした彼が隣に座っているのは計算外だった。多分過去の私もこんな経験してないんだろう。この鳴りやまない心臓がそれを物語っている。
「ねぇ。いいの?こんな時間に家出てきて」
「大丈夫。寝てる部屋をのぞく人はいない。横山さんこそ、大丈夫なの?」
「家族みんな私より寝るの早いから。外に出たって気付かない」
といいつつちょっとだけ不安だったりする。彼がコンビニで買ってきたコーヒー牛乳を飲みながら海を眺める。まだ二日あるのにもう膨らまされた巨大な風船みたいなエアー遊具は今にも海を漂ってどこかへ行ってしまいそうだ。



「あのさ。こないだ俺が死ぬのを知ってるって言ってたじゃん。どうやって死ぬのか分かってるんなら、そこを当日までになんとかすればいいんじゃない?わざわざ張らなくても」
「死ぬことは知ってるの。安全ベルトがうんぬんて……でも直接見たわけじゃないし、何があって死ぬのかを知らないの。気付いたらもう溺れていて」
そっか。と彼は悔しそうにエアー遊具を見た。
「中ってどんな風になってるの?そんな海に落ちそうな設計?子どもも行くのに危ないね」
「私も入ってないから知らないけど確かに変だよね。自然に落ちはしないはずだし、彼らに押されてもそう簡単に落ちるような作りになってるとも考えにくいね」
言われてみればそうだ。全国でやってるような大きなイベントだ。安全対策が行われていないとも考えにくい。
「中入ってみない?」
「え?さすがにそれはまずいよ」
私は両手を胸の前で振る。でも彼はもう腰を浮かしている。
「だってあいつらも入るんだろ。入れたってことじゃん。つかまらずに。防犯カメラとかもないってことだし」
彼が私に手を伸ばす。私は意思とは反対に手が勝手に伸びていく。



「意外と広いね」
彼がスマホのライトで地面を照らしながら言った。大きいとはいえやはり海に浮いているだけあって揺れる。2人でこれなら実際はもっと歩きにくいだろうな。まぁそれよりずっと歩きにくい原因はこっちなのだが。
「ねぇ。いつまで手つないで行くの?」
さっき私を立たせてからずっとつなぎっぱなしだ。私の心臓はもう持たない。今にも張り裂けそうだ。
「暗いしはぐれるかもしれないだろ」
「私を何歳だと思ってる?もういい歳した大人だから」
「いい歳って、17歳でもういい歳なんだ。30歳くらいの人が言うセリフみたいだ」
彼はふっと笑ってゆっくりと先に進む。私はその手を離したくなくてそのままついていく。まだ心のどこかで柊さんに対する申し訳ない気持ちがある。
「いいの?私と手をつないで。ほら、こういうのって好きな人とするものじゃん」
「そう?俺別に男とでも手つなぐけど」
彼は奥を見ながら淡々と答えた。そうか。彼からすると日常的なものなのか。なんだか意識している方がおかしい気がしてきた。
「分かった。もう何も言わない」
そう言って小走りで彼の横に追いつく。彼の手の握る力が少し強くなったような気がした。
「あそこにカメラがある」
彼がライトをカメラの少し下に向けた。直接向けるのは流石にリスクがある。
「ほんとだ。電源入ってるかな」
「分かんない。とりあえずライト消すよ」
彼がスマホの懐中電灯を消すと、あたりは真っ暗になった。そっとカメラの下を潜り抜けるように壁伝いに歩く。まだ彼は手を離さない。
「あそこから外が見えるようになってる」
奥を見ると月光がさしている。この部屋と向こうの部屋の間に数メートル隙間がある。こちらの位置が少し高いので、おそらく命綱である安全ベルトを頼りにすべって向こうへ渡る設計なのだろう。近づいて下をのぞくと網がはってあり、万が一落ちても助かる設計にはなっている。
「うわ、いたっ!」
「大丈夫?」
思わず彼の手を離す。彼の足元を見ると白い蜘蛛の糸玉みたいなのが転がっていた。
「PP紐だよ。多分これを明日どこかにはるんじゃないかな」
「あぁそっか。にしてもこんなところ置くなよな」
「夜中に真っ暗な中ここを歩く想定なんてしないのよ、きっと」
「そりゃそうだ」
彼は参ったなと頭をかく。その仕草すらかっこいいと思えるのは、もはやおかしい。
彼はふと外に目をやる。
 暗く深い鉛のような色をした海に、色を与える白い月。満月を先日すぎたばかりの月は、これから新月に向かってその姿を細めていく。穏やかな波の動きに合わせるように私たちの体は揺れ、2人は海の一部になったかのようだ。陸にうちつける波の音は遠くて、私たちはもう関係ないと言いたげで、物寂しくなる。この海で彼はその命を二度も絶やしたのだ。そう考えると美しさだけではなく冷たさのようなものも感じる。
「まだ向こうのつくりを知らないから確定ではないけど、もし落ちるとすればここの可能性が高いと思う」
私は彼の目を見てまっすぐ言った。彼は携帯のライトを海のほうに向ける。
「意外と浅いんじゃないかな。岸壁にそこそこ近いし。この辺の下が固い岩な可能性が捨てきれないと思う」
「でも俺らが歩くと波に揺られるんだ。てことは浮いてるってことだろ?そう考えるとある程度深さがあると思うんだけど」
私は彼の手から携帯を落とさないように慎重に取ると、ライトを向こうのエアー遊具の下に向ける。海の中に続く光る縄がかろうじて見えた気がした。
「動かないように固定しているのかも。例えば碇みたいなもので」
「確かに……」
彼はじっと海中を見つめてライトを振っている。碇を探しているんだろうか。
「この海は、冷たそうだね。いや、この時期じゃむしろ気持ちいいかもしれない」
「そうかな。いや、そうかも。こないだ足をつけた時、結構いい感じだった」
「へー。海入ったんだ」
「うん。あなたもね」
「え?」
「前の世界での話だよ」
「あぁそっか」
彼は納得してまた海をライトで照らし始める。
「そのときは、私が助けてもらったんだ」
「どういうこと?」
こちらに顔を向ける。目を丸くして首をかしげる。
「私が死のうとしてたんだよ。そしたら止めてくれた」
彼は立ち上がってにこりと笑うと、
「そうなんだ。良かった。横山さんには死んでほしくないよ」


 彼は大きく一息ついてまた私の手をとった。その手は少し震えていた。でも何も言ってはくれない。何を考えているのかがその横顔からは読み取れない。でももう私の心臓は、このドキドキを抑えられない。耐えられない。
「ねぇ、もういいから……」
そういいかけたとき、彼が走り出した。私は前につんのめったがなんとか持ち直し走りだす。流石陸上部だ、などと関心する間もなく、彼は全力で走り角を曲がると壁と壁の間の小さな隙間に私の体を滑り込ませ、自分もそこにはまる。
「何?」
「静かに」
懐中電灯の光が近づいてくる。私たちの前をゆっくりと通り過ぎる。彼の体と壁の間から見えたのは警備員だった。幸いこちらに気付かず通り過ぎた。どうしてこういうときは時間が過ぎるのが遅く感じるのだろう。彼と手を繋いでいる時間は一瞬なのに。懐中電灯の光が見えなくなるまでが永遠に感じられた。
「オッケー。今のうちに外に出るぞ」
彼は私の手をとって、今度はなるべく地面を揺らさないように抜き足差し足で外まで出る。砂浜に足を取られてうまく歩けなかったが、もう外まで出ると追いかけられる心配がないと踏んだのか、彼はもう走らなかった。


「危なー。まじでつかまると思った」
「よくあんな細い隙間に気付いたね」
「来るときに隠れられそうなところ確認しながら歩いてたから。気にしながら行ってて良かったよ」
私が恋に溺れている間、彼はしっかり見ていたのだ。自分たちの身を守れる場所を。なんだか恥ずかしくなる。
「ごめん、思いっきり走っちゃった。意外と横山さんて走れるね。陸上部入らない?」
冗談ぽく言って笑う。また気を遣わせる。
「入ろうかな。あなたが一緒に走ってくれたら、私も勝てる気がするよ」
ははっと笑う。彼に負けずに冗談っぽく笑う。
「じゃあ夏休み明けたら入ってよ」
彼はそう言いながら靴に入った砂を落とした。夏休みを生きて過ごせるかも分からないのに、そんな約束をする。普通なら簡単に返事をして忘れ去られるような何気ない一言が、実はこんなにも重かったなんて知らないまま。でも彼は生きる気満々だ。私はそんな彼の背中を見る。
「考えておくよ」
彼は口元に綺麗なえくぼを作って静かに笑った。
「とりあえずこれで分かった。多分あそこから落ちる」
「でも安全管理はちゃんとしてそうな気がするんだ。まだ明日からなんかするのかも」
「どうする?明日も来る?」
彼は少しワクワクした顔で言った。誰のために来てるのか分からなくなってくる。
「もういいよ。大丈夫。なんとなく分かった」
「何が分かったの?」
理解できないと言った顔で私に答えを求めてくる。
「安全面も十分配慮されているつくりだった。てことは多分彼らが何かを仕掛けたんだ。明後日、私は彼らをつけるわ。そしたら現場が押さえられると思う」
彼は大きく頷いた。
「分かった。じゃあまた明後日会おう」
「うん」
私たちは笑顔で手を振り合った。


そして運命の二日後がやってくる。



しおりを挟む

処理中です...