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[二巻]

二限、群雄割拠……3

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 彼女は用意された座席に着席していない。
 もっと言えば、一階のフロアにいなかった。
 二階のフロア。
 屋内部の備品が収納されたスペースは、後方から場内を見渡すのには打ってつけであった。
 この場所からの奇襲を、放送を受けて即座に画策していたのである。
 物陰で屈み込むルーシーは、第一視聴覚室にいる女子部員へと電話をかける。
『姫、どうします。想定外の展開過ぎて出番失った感ありますけど』
「あの西極眼鏡と陰険女のせいね」
『ここは大人しく階段降りてった方が早いんじゃ』
「ノッケディン(No kidding)。冗談きついわ。言ったでしょ。合図したらワイヤーの操作をしてって」
『でも、二階からですかぁ。エリー部長なら無茶って』
「御姉様と一緒にしないでよ。私には私のやり方があるんだから」
 その時であった。
 場内に聞き覚えのある楽曲が流れ始めた。
 よくサッカー中継のオープニングで流れるあれだ。
 すぐさまルーシーは電話越しに叱責した。
「ヘイ! 私の選んだ曲以外使わないでって、練習中にも言ってるでしょ」
『ち、違いますよ。あたしじゃないですって。音源は第二視聴覚室からです』
 これを受けてルーシーは通話を切ると、すぐに端末の連絡帳から該当者に電話をかけた。
「ワラユドゥーイン(What are you doing)? ちょっとあんた。何してくれてんの!」
『姫ぇ、助けて下さい。ドアの鍵閉め忘れたら、昨日捨てた馬の被り物がぁ……』
「馬ぁ?」
 ルーシーは記憶を遡行させてみた。
(一年部員が誤って発注をかけたラバー製の覆面があった。昨日、いらない備品を捨てるように指示したはずだけど)
 今にも泣き出しそうな女子部員の声が遠退いたかと思うと、取ってつけたような馬の怨念が端末を通して漏れてきた。声は男子のそれに相違なかった。
『ヒヒーン。捨てられた恨みだヒヒーン。最近、お前達女子は調子に乗り過ぎだヒヒーン。俺達、馬と鹿の力を思い知るヒヒーン』
 馬がこう告げると、通話は途切れた。
 誰に相談することもなく、前屈みのままルーシーは黙考した。
(馬と鹿の力。馬、鹿。バカ。二年の大馬鹿者。変態香川。サッカー部の……)
「まさか」
 おもむろに口を開けると、ルーシーは携帯端末を持ったまま手すりに身を乗り出した。
 その連想通り。一階のフロアでは馬と鹿に囲まれたサッカー少年が軽快な楽曲に合わせ、颯爽と入場している最中だった。肝を抜く異様な取り巻きに場内の人々は唖然としていた。
 ユニホーム姿から察するに、彼も自身同様にこの総会にかこつけたパフォーマンスを計画していたと考えられる。
 徐々に奇襲が陳腐化していくことに、ルーシーは焦燥していた。
 自らの華麗なボール捌きを壇下で見せつけた少年は、楽曲がやむなり二階のフロアに向けて豪快なロングシュートを決め込んだ。
「きゃっ!」
 床と天井を弾んだボールは勢いそのまま、ルーシーの後頭部に激突した。
 これには、彼女も怒りを右拳に溜め込んだ。
「シット(Shit)! あんの、変態角刈り坊主ぅ!」
 そんなことは露も知らず。
 ブブゼラを咥えた馬と鹿から歓迎された少年は、マイクを片手に天井を指差した。
「二年七組、サッカー部次期部長。世界のKこと香川圭佑。俺は全校の男子諸君に代わり、この女帝学校に新たな風を吹かせてやる。つまり、男から女に対するクーデターだ」
 圭佑は鹿の覆面男子にマイクを向けた。
「鹿くん、男の三大欲求とは何かね」
「はっ。金、食欲、それからセクシーだシカ!」
 こちらも同じく取ってつけたような語尾。
 しかし、圭佑にとってそんなことは重要でもなんでもない。
「そうだ。セクシーだ。金も食も、男のセクシー欲のため。だからこそ、俺はここに宣言しよう。統領になった暁には、煤掛中女子生徒の水着着用授業を実施すると!」
「おおおお!」
 これには選挙に無関心だった、主に世代交代を間近に控えた三年の男子は大きな拍手を送った。彼らは形式ばった他の候補者の公約には眠気すら催していたからである。
 教職員の塊では、羞恥心に耐え切れず武藤が壁に頭を強打していた。
 沙良は胸を片手で隠しつつ蔑む。
「武藤先生……そういうタイプだったんですか」
「諦めなよ。男ってのはどうしようもない生き物さ」
 榛名の擁護にすら良心が痛む。
「違う……違うんだ。山崎先生が、春に岡田を引っ張るから……くぅぅ!」
「岡田だけの問題じゃなかろうに」
 一方、生徒達の秩序はまたも崩壊しつつあった。
「変態香川!」「さっさと帰れ!」という女子のブーイングが噴出したのである。しかし、どれほど鬱憤を吐出しようとも投票は数。それを圭佑は知ってか知らずか、全校生徒に見せつけたのである。次第にKコールは大きくなっていく。その様に圭佑が陶酔し始めていた矢先、悲劇は起きた。
「角刈りチェリー、覚悟ぉ!」
 後方の二階フロアから突如として現れたのは、渦中のルーシー。彼女がアクション用のワイヤーにぶら下がり、一気に壇下に飛来してきたのだ。
 そのままでは衝撃に耐えられないであろう彼女が緩衝材に選んだのは。
 生身の圭佑その人。

 ――ドカンッ!

 ルーシーは着地と同時に強烈な蹴りを圭佑に見舞わせる。
 直前に彼の目に飛び込んできたのは、スカートの内側に秘められた少女らしからぬレース付きの下着。
 一撃の重みからか、はたまた刺激の強さからか。圭佑はその場に大の字に倒れ込んだ。
「……ぐっ、モーレツだぜ……」
 男の欲望の塊を気にすること無く、ルーシーは転がるマイクを手に取った。
 彼女は会場の生徒、馬鹿軍団に担がれる圭佑、さらに壇上を指差すと、こう意気込んだ。
「私はこんな奴らには負けるわけにはいかない。あんたも、あんたにも、そして、御姉様にも。誰にも出来なかったことをやってみせる。私は、御姉様とは違うんだから!」
 ブロンドの毛髪を逆立てる彼女の姿に、おおかたの人間は声を失っていた。
 それを見ても、平然としていた者が三人ほど。
 教職員の塊から阿左美が指図をすると、壇上の傀儡は里見に進行を促す。
「まだ一人残っている」
「あ、そうだった。いやぁ……何もかもが想定外だったもので」
 里見は額の脂汗を拭うと、鉄也に発言を求めた。
「では、最後に。二年五組の西極くん。お願いしましょうか」
 しかし、既にマイクを保有していた鉄也は高鍋同様に首を振った。
「俺じゃねぇんだな」
 ここまでのパフォーマンスからは想像だにしない鉄也の発言に、二番煎じとは言え場内はざわついた。
「うちのクラスが選んだのは、あいつだ」
 ビシッと指差しを決められたのは、なおも座席で観覧していた舞子であった。
 委員の女子は、玉のような汗をバンダナで拭う丸山を煙たがりながらも、舞子にマイクを手渡す。
 彼女は躊躇していた。
 そもそも、クラス以上の規模の人前で何かを言う機会がほぼなく、常に頼みの綱だった鉄也は遥か遠い壇上。
「ええっと」
「気にするな。昨日決めた通り、演台だと思ってみろ」
 鉄也の軽い助言を受けた彼女は、大きく深呼吸をするとこう述べた。
「二年五組の矢崎舞子です。ボランティア部の部長です。舞ちゃんって呼んでね。えっと、私は……うん、煤掛中を今よりいい学校にします。みんなが学校に来たいって思う。そういう学校作りを統領になったらします。舞ちゃんを宜しくお願いします!」
 抽象的内容。
 語彙力の崩壊。
 その他諸々。
 ボロボロと。
 場内は静まり返った。それは唖然や驚愕に由来するものではない。
 一瀬騒動のそれにも似た閑が際立っていたがそれとも違う。
 ただ、あまりにも他候補者が人並み以上の施策を練っていたがために起きた反応。
 メディアすら動じない。すなわち無関心だった。
 しかし、鉄也はそれでも構わないと考えていた。
 聴衆を振り向かせる目玉はそこではない。
「全候補者揃ったな。委員長、この場で選挙戦の内容に触れていいか」
 里見は困惑していた。すべてが段取りを超越していると。
 また、背後に立つ杏奈も首を傾げていた。彼女は莉帆に問う。
「何か決まってるの?」
「ええ。昨日、彼と一瀬が密談をしていたという情報は入ってきておりますが」
 苦しそうに演台で悶絶する里見に英梨が近づく。
「フェーズは移行されたわ。彼は選挙運営補佐役。里見、従って頂戴」
「なんだかなぁ……ええい、分かった。許可します。西極くん、前へ」
 指名を受けた鉄也は里見にマイクを返すと、演台の前に立った。
「昨日、一瀬統領の要請で選挙運営補佐役を承った西極鉄也だ。俺は別に一瀬統領の肩を持つつもりでも、選挙管理委員会に保護してもらいたいわけでもない。俺が問題と思うのは昨年の統領選でもあった無効票、つまりは白紙票の存在だ。自分の心と相談してみろ。おかしいと思わないか。俺みたいな自称部を語る無所属ならまだしも、所属部の代表が人を選ばずに白紙を纏めたケースが昨年ですらあったなんて。このドタバタを見てもまだ他人事だと思ってる奴はいるはずだ。そんな奴らに、統領の振る舞いに文句言う資格があるのか?」
 場内の生徒達は口々に言う。「そうは言っても」「あまり」「今回のもな」「つまんないし」「誰がなんても一緒だろ」。耳に入り込んでくる言葉一つ一つが鉄也の思惑通りであった。
もっとも、その代名詞とも称せるのが彼のクラスだったのかもしれない。
「つまんねぇ。そうだ。選挙は型に嵌ったやり方だ。これは、大人になってもほとんど変わりやしない。けど、そんなやり方は煤掛中に似合わねぇと俺は思う。そこで、昨日から進めているのが缶蹴り合戦だ。選挙はトーナメント方式。候補者は支持者を率いて相手の缶を狙いにいく。野蛮なことはしたくねぇって奴は観覧するもよし。ただ、それで候補者が負けても文句は言わないお約束だ。勝った候補者が敗者を支持者ごと取り込み、決勝選挙は学内を二分してみんなには戦ってもらう。これを最後の派手事と切り捨てるもよし。自身の腕の見せ所と気合い入れるもよし。けど、俺は知ってるぜ。この学校は祭りが大好きなのをな!」
 場内は静けさを取り戻す。そして徐々に湧き出す囁き声。
(スベったか。やっぱりネーミングを考えておくべきだったな)
 こう鉄也が冷や汗を垂らした時だった。
 会場端で横になっていた圭佑が起き上がり、高らかにこう言い放った。
「戦争と祭りは……男の浪漫だ!」
 これを皮切りにして、生徒達は喝采を送り始めた(半分は悲鳴に近い)。
 壇下のルーシーは手櫛をかけながら、
「フェスティバル(Festival)なら負けないわよ、西極眼鏡」
「勝手にどうぞ、御姫様」
 この反応にかこつけた形で、杏奈もマイクを手にした。
「こちらも他候補者の要望に沿った方式に従うこととします。いいですね、委員長?」
 頭を抱えていた里見であるが、一瀬の囁きに同意すると態度を一変させた。
「許可します。来週末より、本案に則った選挙トーナメントを開始します!」
 こうして、大歓声の中で緊急総会は幕を閉じた。
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