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魔王の危惧するところ
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カナキはソファの背にもたれかかると、顎を上げて生意気な人間を睥睨する。
「それで、君みたいな頭の切れる人間がこの世界に一体何の用があるわけ?」
「調査ですけど」
「調査、ね……」
「そこ座っても? あと俺にもお茶ください」
「図々しいな君」
シオンがエルミネアの隣に行って座ると、テーブルの上に湯気の立つカップが現れた。エルミネアも、もう一度腰を下ろす。
シオンはカップを手に取り一口飲んでから、ソーサーに戻した。
「カナキさん、いえ魔王陛下とお呼びすべきですか?」
「どちらでも」
「ではカナキさんで。この不可思議な街はあなたの作った空間で、俺たちを呼び寄せたのもあなたですよね?」
カナキは肯定せずに、目で話の先を促してきた。
「異世界からの来訪者である俺たちはあなたにとって警戒すべき対象……ああ、いえ、その前に一つ確認を。ここにくる前にいた世界でも、俺が生まれ育った世界でも、魔族と人間の関係は割と希薄でした。大昔の約束事だったり、あるいは互いに興味がなかったりが原因ですが。それはこの世界でも同じことだったりしますか?」
「そうだね、というか人間のほとんどは僕たちの存在を認知していない。僕たちも敢えて彼らにその存在を示そうとはしない」
「ではどうして、今回俺たちに干渉を?」
「そりゃ君たちは僕を構成する要素ではないからさ」
シオンの疑問に、カナキは当たり前のように答えた。
「僕は僕の一部であるこの世界の者が何をしようが、どんな選択をしようが、それは僕の意思の一端でもあるわけだから構わないけれど、君たちはそうじゃない。よそ者だ。もし僕の世界に害なす者ならば、見過ごすつもりはない」
言葉に乗せられた力に反応して、エルミネアがびくりと体を震わせる。
シオンが不快そうに目を細めた。
「やめてください。彼女は忠実なる魔術の僕なんですから。大いなる魔力の源たるあなたに害意を持つことはないことはわかっているでしょうに。そして俺には通用しませんよ」
「ああやだやだ、だから男って嫌なんだ」
「魔王は性別とかないじゃないですか」
「ないけど、僕は女の子の方が好きなの。あるだろ君にも好みとか」
「だからって妙齢の女性を拉致してこんな密室に監禁したことは関心しませんね」
「拉致監禁じゃないもん。お茶に招待しただけだもぉん」
髪を指に巻き付けながら、カナキは視線を天井に投げた。
「大体さあ、君危険人物らしいじゃん。うちで何かやらかすつもりなら容赦しないよ」
「盗み聞きしてたんですか? シュミ悪いですね」
「……また同じこと説明するの? めんどくさいんだけど」
時間差で全く同じことを言われ、嫌そうに顔を歪めたカナキにシオンは微笑みかける。
「弁明いただかなくて結構ですよ。魔王は世界そのものですから盗み聞きもし放題ですもんね」
「うわ、性格わっる!」
これだから男というのはと、またぼやいてカナキは首を振る。
それまで黙っていたエルミネアが挙手して口を挟んだ。
「あの」
要は魔王はエルミネアとシオンを疑っているのだ。
何をしにこの世界に来たのか。この世界によくないことを持ち込もうとしているのではないか。
そんな疑念があるのだろう。
それならばこちらの真意を明らかにし、信用を得なければいけない。でないと、エルミネア達はいつまでもこの空間から出ることもできない。当然元の世界に帰ることも。
シオンとカナキが一斉にエルミネアの方を見た。
「話がいつまで経っても進まないので、無礼を承知で申し上げますが、先程アルクトスさんがおっしゃったように我々は調査のためにこの世界に参りました。魔王陛下が危惧なさるようなことは一切ございません。これはエルミネア・マルクスの名にかけ、曇りなき真実であると誓って申し上げます」
エルミネアの言葉を最後まで聞き、カナキはにこりと笑った。
「そう。それでこの世界を調べて、ここにある知識を得て、持ち帰って、その後君たちはどうするつもり?」
「どう、とは」
「知識は力だ。使いようによって、いいようにも悪いようにもなる。仮に君たちが善悪の区別がつく人間だとして、それでも君たちの手によって持ち帰られた知識を使用するのは君たちばかりじゃない。どこの世界にもいろんなやつがいる。ヒトもそうでないものも。君たちがこの世界の知識を得てしまったら、僕は君たちを元の世界に帰すわけにはいかない」
カナキは笑っていたが、その表情の裏にあるのは全く別の感情だと、エルミネアにはわかった。魔力とは別の強烈な圧をひしひしと肌で感じ取る。
服の内側で冷や汗が流れている。
カナキが言う。声はあくまで静かに。穏やかに。
「君たちがこのまま調査をあきらめて自分たちの世界に帰るというなら、ここから出してあげるよ」
「嫌です」
はっきり拒絶したのはシオンで、エルミネアは驚き隣を振り返る。
「知らないことを知る。俺はそのためにこの世界へ来ました。ダメだと言われたからって、はいそうですかとあっさり聞き入れることはできません」
カナキははっと息を吐き出し、笑った。
蔑みと侮蔑を含んだ眼差しがシオンを射る。黒い炎のような二つの目。
「シオン・アルクトス。君はまた同じ過ちを繰り返そうというのか?」
怒りが波のように押し寄せて、エルミネアは眩暈を覚える。
ぐらりと傾くエルミネアの体をシオンの腕が支え、ソファに凭せ掛けられる。
「同じ、ではありませんよ」
シオンはカナキの視線から逃げずに言った。
「過ちでも」
エルミネアはぼんやりする頭で思う。
止めなきゃ、と。
このままではカナキの怒りが、シオンを壊してしまうかもしれない。別世界の魔王の守護がかけられているとはいってもそれは、先刻のカナキの話では、精神や思考に関する部分のみのような言いまわしだった。
でも体が動かない。唇も。
声は呻きとなるだけだ。
「あなたの話はあくまで仮定であって、確実なものではないからです」
「可能性は可能性であるうちに潰しておくべきだ。そう思わないかい?」
「可能性なんて、いくらだってあるはずです。長い時を生きてきたあなたならなおのこと、よくご存じのはずだ魔王カナキ。この世界を、俺はまだよく知りませんが少なくとも魔族と妖がいて、他にも生命体が存在するのであれば、おそらくその歴史の中には悲しみも愚かしさも多くあったことでしょう。それでも、あなたが見てきたのは本当にそれだけでしたか?」
争い。
暴力。
戦争。
生命が、意思があれば、それらはどの世界にも存在するのだろう。
望まれなくても、何度繰り返し、何度学んでも、なくなりはしない。
学校で、歴史の授業で、本の中でエルミネアも見てきた。
今も現実に起こっている。エルミネア達の世界でも。ここでもやはり同じだろうか。きっとそう。
魔王カナキが危惧していること。
それは、エルミネア達が力と技術を奪い、この世界を自分たちの支配に置こうとしているのではないかということだ。
カナキからの返答がないので、シオンが続けて言った。
「価値観も考え方も悲しいことに全てがそれぞれで、統一されていなくて、でも、だからこそ生きていると実感できる。己の考えを持たず、誰もが同じ行動をするだけなら、それは人形も同然です。もちろん、守られるべき尊厳は誰にでもあり、そのための規範は必要ですが」
「そうだよ。だが規範があっても守られない事象が世の中には多すぎる」
カナキが皮肉っぽく笑う。
「どんな選択であれ、この世界の生命が選んだことならば自身の意思の一部であると受け入れながらも、思うところがあるんですね?」
「魔王は世界そのもので、この世界に生きる全ての生命は僕にとって僕自身に違いないけれど、こうして星から意思を切り離し一人の人格を持つというのは、実は君たちヒトとさして変わらない。孤独であることは恐ろしいし、不条理を目の当たりにすれば胸が痛む。難儀なものだね」
「永遠に近い時を生きるあなた方は特にそうでしょうね」
エルミネアの体が急に軽くなり、見るとカナキは力が抜けたような顔をしていた。
どこか躊躇うような、そんな少しの間があって、シオンは言った。
「俺が偉そうに言えることではありませんが、誰しも間違いはあります。あなたももうご存じのように、俺は過去に一度過ちを犯しました。そこから救ってくれたのが仲間でした。彼らとは長らく会っていませんが、たとえ住む世界も進む道も異なっていたとしても、望む幸せを手に、元気で毎日を生きていてくれたらといつでも俺は願っています。もしも彼らの平穏を壊すような誰かが出てきたら、俺は全力でそれを阻止します。だからまあつまり、感情だの対人関係だの非常に厄介に感じながらも、誰かとつながろうとする。もしそこに意味があるとするならば、そういうことなのかもしれないなって」
「それで、君みたいな頭の切れる人間がこの世界に一体何の用があるわけ?」
「調査ですけど」
「調査、ね……」
「そこ座っても? あと俺にもお茶ください」
「図々しいな君」
シオンがエルミネアの隣に行って座ると、テーブルの上に湯気の立つカップが現れた。エルミネアも、もう一度腰を下ろす。
シオンはカップを手に取り一口飲んでから、ソーサーに戻した。
「カナキさん、いえ魔王陛下とお呼びすべきですか?」
「どちらでも」
「ではカナキさんで。この不可思議な街はあなたの作った空間で、俺たちを呼び寄せたのもあなたですよね?」
カナキは肯定せずに、目で話の先を促してきた。
「異世界からの来訪者である俺たちはあなたにとって警戒すべき対象……ああ、いえ、その前に一つ確認を。ここにくる前にいた世界でも、俺が生まれ育った世界でも、魔族と人間の関係は割と希薄でした。大昔の約束事だったり、あるいは互いに興味がなかったりが原因ですが。それはこの世界でも同じことだったりしますか?」
「そうだね、というか人間のほとんどは僕たちの存在を認知していない。僕たちも敢えて彼らにその存在を示そうとはしない」
「ではどうして、今回俺たちに干渉を?」
「そりゃ君たちは僕を構成する要素ではないからさ」
シオンの疑問に、カナキは当たり前のように答えた。
「僕は僕の一部であるこの世界の者が何をしようが、どんな選択をしようが、それは僕の意思の一端でもあるわけだから構わないけれど、君たちはそうじゃない。よそ者だ。もし僕の世界に害なす者ならば、見過ごすつもりはない」
言葉に乗せられた力に反応して、エルミネアがびくりと体を震わせる。
シオンが不快そうに目を細めた。
「やめてください。彼女は忠実なる魔術の僕なんですから。大いなる魔力の源たるあなたに害意を持つことはないことはわかっているでしょうに。そして俺には通用しませんよ」
「ああやだやだ、だから男って嫌なんだ」
「魔王は性別とかないじゃないですか」
「ないけど、僕は女の子の方が好きなの。あるだろ君にも好みとか」
「だからって妙齢の女性を拉致してこんな密室に監禁したことは関心しませんね」
「拉致監禁じゃないもん。お茶に招待しただけだもぉん」
髪を指に巻き付けながら、カナキは視線を天井に投げた。
「大体さあ、君危険人物らしいじゃん。うちで何かやらかすつもりなら容赦しないよ」
「盗み聞きしてたんですか? シュミ悪いですね」
「……また同じこと説明するの? めんどくさいんだけど」
時間差で全く同じことを言われ、嫌そうに顔を歪めたカナキにシオンは微笑みかける。
「弁明いただかなくて結構ですよ。魔王は世界そのものですから盗み聞きもし放題ですもんね」
「うわ、性格わっる!」
これだから男というのはと、またぼやいてカナキは首を振る。
それまで黙っていたエルミネアが挙手して口を挟んだ。
「あの」
要は魔王はエルミネアとシオンを疑っているのだ。
何をしにこの世界に来たのか。この世界によくないことを持ち込もうとしているのではないか。
そんな疑念があるのだろう。
それならばこちらの真意を明らかにし、信用を得なければいけない。でないと、エルミネア達はいつまでもこの空間から出ることもできない。当然元の世界に帰ることも。
シオンとカナキが一斉にエルミネアの方を見た。
「話がいつまで経っても進まないので、無礼を承知で申し上げますが、先程アルクトスさんがおっしゃったように我々は調査のためにこの世界に参りました。魔王陛下が危惧なさるようなことは一切ございません。これはエルミネア・マルクスの名にかけ、曇りなき真実であると誓って申し上げます」
エルミネアの言葉を最後まで聞き、カナキはにこりと笑った。
「そう。それでこの世界を調べて、ここにある知識を得て、持ち帰って、その後君たちはどうするつもり?」
「どう、とは」
「知識は力だ。使いようによって、いいようにも悪いようにもなる。仮に君たちが善悪の区別がつく人間だとして、それでも君たちの手によって持ち帰られた知識を使用するのは君たちばかりじゃない。どこの世界にもいろんなやつがいる。ヒトもそうでないものも。君たちがこの世界の知識を得てしまったら、僕は君たちを元の世界に帰すわけにはいかない」
カナキは笑っていたが、その表情の裏にあるのは全く別の感情だと、エルミネアにはわかった。魔力とは別の強烈な圧をひしひしと肌で感じ取る。
服の内側で冷や汗が流れている。
カナキが言う。声はあくまで静かに。穏やかに。
「君たちがこのまま調査をあきらめて自分たちの世界に帰るというなら、ここから出してあげるよ」
「嫌です」
はっきり拒絶したのはシオンで、エルミネアは驚き隣を振り返る。
「知らないことを知る。俺はそのためにこの世界へ来ました。ダメだと言われたからって、はいそうですかとあっさり聞き入れることはできません」
カナキははっと息を吐き出し、笑った。
蔑みと侮蔑を含んだ眼差しがシオンを射る。黒い炎のような二つの目。
「シオン・アルクトス。君はまた同じ過ちを繰り返そうというのか?」
怒りが波のように押し寄せて、エルミネアは眩暈を覚える。
ぐらりと傾くエルミネアの体をシオンの腕が支え、ソファに凭せ掛けられる。
「同じ、ではありませんよ」
シオンはカナキの視線から逃げずに言った。
「過ちでも」
エルミネアはぼんやりする頭で思う。
止めなきゃ、と。
このままではカナキの怒りが、シオンを壊してしまうかもしれない。別世界の魔王の守護がかけられているとはいってもそれは、先刻のカナキの話では、精神や思考に関する部分のみのような言いまわしだった。
でも体が動かない。唇も。
声は呻きとなるだけだ。
「あなたの話はあくまで仮定であって、確実なものではないからです」
「可能性は可能性であるうちに潰しておくべきだ。そう思わないかい?」
「可能性なんて、いくらだってあるはずです。長い時を生きてきたあなたならなおのこと、よくご存じのはずだ魔王カナキ。この世界を、俺はまだよく知りませんが少なくとも魔族と妖がいて、他にも生命体が存在するのであれば、おそらくその歴史の中には悲しみも愚かしさも多くあったことでしょう。それでも、あなたが見てきたのは本当にそれだけでしたか?」
争い。
暴力。
戦争。
生命が、意思があれば、それらはどの世界にも存在するのだろう。
望まれなくても、何度繰り返し、何度学んでも、なくなりはしない。
学校で、歴史の授業で、本の中でエルミネアも見てきた。
今も現実に起こっている。エルミネア達の世界でも。ここでもやはり同じだろうか。きっとそう。
魔王カナキが危惧していること。
それは、エルミネア達が力と技術を奪い、この世界を自分たちの支配に置こうとしているのではないかということだ。
カナキからの返答がないので、シオンが続けて言った。
「価値観も考え方も悲しいことに全てがそれぞれで、統一されていなくて、でも、だからこそ生きていると実感できる。己の考えを持たず、誰もが同じ行動をするだけなら、それは人形も同然です。もちろん、守られるべき尊厳は誰にでもあり、そのための規範は必要ですが」
「そうだよ。だが規範があっても守られない事象が世の中には多すぎる」
カナキが皮肉っぽく笑う。
「どんな選択であれ、この世界の生命が選んだことならば自身の意思の一部であると受け入れながらも、思うところがあるんですね?」
「魔王は世界そのもので、この世界に生きる全ての生命は僕にとって僕自身に違いないけれど、こうして星から意思を切り離し一人の人格を持つというのは、実は君たちヒトとさして変わらない。孤独であることは恐ろしいし、不条理を目の当たりにすれば胸が痛む。難儀なものだね」
「永遠に近い時を生きるあなた方は特にそうでしょうね」
エルミネアの体が急に軽くなり、見るとカナキは力が抜けたような顔をしていた。
どこか躊躇うような、そんな少しの間があって、シオンは言った。
「俺が偉そうに言えることではありませんが、誰しも間違いはあります。あなたももうご存じのように、俺は過去に一度過ちを犯しました。そこから救ってくれたのが仲間でした。彼らとは長らく会っていませんが、たとえ住む世界も進む道も異なっていたとしても、望む幸せを手に、元気で毎日を生きていてくれたらといつでも俺は願っています。もしも彼らの平穏を壊すような誰かが出てきたら、俺は全力でそれを阻止します。だからまあつまり、感情だの対人関係だの非常に厄介に感じながらも、誰かとつながろうとする。もしそこに意味があるとするならば、そういうことなのかもしれないなって」
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