緋の英雄王 白銀の賢者

冴木黒

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湖の古城

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 カーテンの滑る音、窓から差し込む白い光。鳥の謳う声。
 それらが朝の訪れを告げ、ベッドの上で青年は瞼を持ち上げる。

「おはようございます。今日はいい天気ですよ」

 青年は上半身を起こして伸びをし、それからあくびを一つこぼした。
 微笑んで言う。

「おはよう」

 朝食の支度をして、青年が食堂にやってくるのを待ち、紅茶をカップに注ぐ。
 庭の散策をしたいと言う主のために、上から羽織るものを持ってきて。付き添い、庭を歩く。
 春のやわらかな陽射し。
 木蓮の花の蕾が膨らんでいるのを目にして、嬉しそうに微笑む姿。
 あれ?
 そこで彼は何か違和感のようなものを感じた。
 前にもこんなことがあったような。
 彼の違和感を置き去りにしたまま、穏やかな時間は過ぎていく。

「これ、使い古しで悪いけど。おまえに」

 差し出されたのは長方形の箱だ。歴史を感じさせるようなくすんだ色合いの、なめした革で作られた箱。
 蓋を開く前から、彼はその中身を知っていた。

「昔、親父にもらったものでな。本当なら、もっとちゃんとしたものを用意したかったんだけど」

 箱の中身は、思っていた通りのものだった。
 古い、あかがね色の懐中時計。
 戸惑う彼の衣服の釦穴に、青年はチェーンを通して言う。

「誕生日、おめでとう」

 やはりそうだ。
 これは以前にも起こった出来事。
 そしてこの青年は、この数日後……
 彼は、ルフスは数度瞬きをし、僅かに目を伏せて、それからもう一度青年を見据えると言った。

「ちがう。今日はおれの誕生日なんかじゃない。これはなんだ? おれは、あんたは一体誰だ?」



***



 時間を遡ること、一日前。
 ルフスとティランは森の中で道に迷っていた。
 そもそもこの場所に森があること自体がおかしい。
 そう言い出したのはティランの方で、彼は確かに森に入る前から違和感を訴えていた。

「おい待て、メルクーアはまだ先のはずやろ? それまでに森なんかあったか?」

 しかし地図を取り出して確認すると、確かにそこには森を示す印が描かれていて、ティランは妙な顔つきで首を捻った。

「おかしいな、おれの記憶違いか?」

 それからしばらく道なりに歩いていたが、途中で雨が降り始めた。雨は弱く小粒で大したことはなかったが、困ったことに今度は霧が出てきた。早く森を抜けないとと思い、二人は急ぎ足に進んだが、唐突に道と木々が途切れた。
 そこには大きな湖と、ほとりには荘厳な石積みの城が建っていた。
 二人は頷き合うと、半分開いた門をくぐって城の扉を叩いた。
 霧で視界が悪く、足元も悪い。それに雨で濡れた体は冷えている。
 できれば雨が止むまでの間、休ませてもらえるとありがたいが、それが無理でもメルクーアまでの道を教えてもらえればと思ってのことだった。
 ところが応じる声はなく、中から人の気配もしない。
 門から扉までの庭園も、あちこち草や木も伸びきっていて、長年手入れされていないように見えた。
 ティランが言う。

「ハズレやな。しゃあない、まだ日は高いし、もっかい地図で方角確認して、っておい」

 慌てるティランの前で、ルフスが扉のノブを回して城の中に入った。
 鍵が開いていることにも驚いたが、ルフスの躊躇いのない行動にもティランは戸惑う。

「平気平気、雨宿りだけでもさせてもらおうぜ」
「おまえなあ」

 呆れながらも、その方が得策だと思って、ティランはルフスの案にのることにした。
 城の中は暗く、埃っぽかった。灯りになりそうなものはなく、窓から入る光だけが頼りだ。
 調度品は少ない。かつての主がこの城を手放す際に持ち出したか、処分されたのだろうとティランは考える。奥の方から呼ばれた。

「ティラン、こっち。ここすげぇ」

 正面階段横の右手側の部屋。そこは書庫で、吹き抜けになっていて、四方の壁には天井近くまである高さの書棚が設置されていた。本のジャンルは様々だ。呪いや魔法に関するものはないだろうかと探してみる。
 ルフスは廊下に出ると、近くにある扉から順に開いていく。

「こっちの部屋は寝室だったのかな。後は食堂と……埃は被ってるけど、なんだろ、この辺りだけ生活感があるな」
「放置されて、もう何十年かは経ってそうな感じやけどな」
「食い物とか、なんか使えそうなものないかな?」
「あっても腐っとるやろ。わかっとると思うけど、うかつになんでも口にするんやないぞ」
「あ、そうか」

 ルフスは階段を上がると、同じように一つ一つ扉を開き中を覗いていった。
 二階の、どの部屋もやはり広くて、がらんとしていた。その中で家具が残されていたのは一室だけだ。
 天蓋付きの大きなベッドと洋服ダンス、テーブルと椅子。それから天井に吊られたシャンデリア、バルコニーに続く窓に掛けられたカーテン。窓が開いているのだろうか、カーテンは風に揺れていた。
 室内に足を踏みいれる。
 
「え」

 窓から突風が吹きこんで、香りが運ばれてきた。
 花の、緑の、土埃の。
 それからそれらに混じって干したシーツや何か人の、身近な生活の中にある匂い。
 かちりと、どこかで音がした気がした。
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