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第一話 華は、家を燃やす
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第一話 華は、家を燃やす
「再婚する」
父は、朝食の席でそう告げた。
銀のカトラリーが、かすかに音を立てる。私はナイフを置き、ゆっくりと顔を上げた。
「……どなたと?」
「アルディス侯爵家の三女だ。名はクラリス。十二歳になる」
紅茶の湯気が揺れる。
十二歳。
私は十七。
そして――王太子レオンハルト殿下の婚約者。
つまりこの屋敷は、王家と公爵家を結ぶ政治の要所である。
「娘より若い妻を迎えるって、本気ですか?」
声は穏やかだった。驚きも怒りも込めない。ただ確認するだけ。
父はパンを割りながら答える。
「若い妻は華になる。屋敷も社交界も明るくなるだろう」
「華?」
私は口元をわずかに緩める。
「鼻で笑われなければよろしいですけど」
父の手が止まった。
「何を言う」
「公爵家は舞踏会の装飾品ではございません」
私は淡々と続ける。
「私は王太子殿下の婚約者。殿下は頻繁にこの屋敷へお越しになる」
「そこへ、十二歳の公爵夫人」
父は眉をひそめる。
「殿下を疑うのか」
「いいえ」
私は紅茶を口にする。
「環境を疑っております」
沈黙が落ちる。
「火種を置いて、火は起きないと断言するのは楽観です」
「お前は考えすぎだ」
父は一蹴する。
「クラリスは素直で可愛らしい娘だ。政治的にも利がある。侯爵家との結びつきは悪くない」
「政治的利得と、評判は別問題です」
私は目を細める。
「社交界は、善意では動きません」
父は苛立ったように椅子へ深く座り直した。
「私は当主だ。決定権は私にある」
「承知しております」
私は静かに頷く。
「では、記憶しておきます」
「何をだ」
「問題が起きた際の責任の所在を」
父は鼻で笑った。
「何も起きん」
その断言が、やけに軽く聞こえた。
私はそれ以上何も言わなかった。
止める気はない。
警告はした。
それで十分。
数日後、クラリスは公爵邸へやって来た。
淡い桃色のドレス。大きな瞳。無邪気な笑顔。
「初めまして、リュシエンヌ様。どうか仲良くしてくださいませ」
私は微笑む。
「歓迎いたします、公爵夫人」
彼女はぱちぱちと瞬いた。
「お姉様とお呼びしても?」
「ご遠慮ください」
やんわり断る。
彼女は気にしていないようだった。
父は上機嫌だ。
屋敷は確かに明るくなった。
使用人たちは戸惑いながらも、新しい女主人へ従う。
そして王太子が訪れた。
「これは……」
殿下は驚いた顔をする。
父が誇らしげに紹介する。
「我が妻、クラリスだ」
王太子の視線が、ほんのわずかに長く止まった。
私はその瞬間を見逃さない。
新鮮さ。
好奇心。
未成熟ゆえの無防備さ。
危うい。
けれど私は動かない。
止める理由はない。
私は婚約者。
契約は堅固。
王家は公爵家の支援を受けている。
財政も軍備も。
簡単には揺らがない。
――理屈の上では。
その夜、私は帳簿を開いた。
王家への貸付金。
国庫債。
軍費肩代わり分。
数字は正直だ。
そして冷酷。
もし婚約が破棄されたなら。
王家は立ち行かない。
父はそれを理解しているはず。
それでも華を選んだ。
華は美しい。
だが乾いた木材の上に置けば、火にもなる。
翌日の昼、クラリスは庭で笑っていた。
王太子と並んで。
距離は近い。
無邪気。
無自覚。
父は遠くで満足げに見ている。
私は窓辺からそれを眺める。
怒りはない。
焦りもない。
ただ、確信だけがある。
これはいずれ爆ぜる。
私は止めない。
止めるのは簡単だ。
父を説き伏せることもできる。
王太子へ直接釘を刺すことも。
けれど、それでは責任が曖昧になる。
私は順番に取らせたい。
火を置いた者に。
火に近づいた者に。
そして火を笑って見ている者に。
責任は、分配されるべきだ。
私は微笑む。
「華は、家を燃やしますわよ」
誰にも聞こえない独り言。
けれど私は知っている。
今日の選択が、未来を決めた。
公爵家は、静かに傾き始めている。
そして私は、その中心で立っている。
「再婚する」
父は、朝食の席でそう告げた。
銀のカトラリーが、かすかに音を立てる。私はナイフを置き、ゆっくりと顔を上げた。
「……どなたと?」
「アルディス侯爵家の三女だ。名はクラリス。十二歳になる」
紅茶の湯気が揺れる。
十二歳。
私は十七。
そして――王太子レオンハルト殿下の婚約者。
つまりこの屋敷は、王家と公爵家を結ぶ政治の要所である。
「娘より若い妻を迎えるって、本気ですか?」
声は穏やかだった。驚きも怒りも込めない。ただ確認するだけ。
父はパンを割りながら答える。
「若い妻は華になる。屋敷も社交界も明るくなるだろう」
「華?」
私は口元をわずかに緩める。
「鼻で笑われなければよろしいですけど」
父の手が止まった。
「何を言う」
「公爵家は舞踏会の装飾品ではございません」
私は淡々と続ける。
「私は王太子殿下の婚約者。殿下は頻繁にこの屋敷へお越しになる」
「そこへ、十二歳の公爵夫人」
父は眉をひそめる。
「殿下を疑うのか」
「いいえ」
私は紅茶を口にする。
「環境を疑っております」
沈黙が落ちる。
「火種を置いて、火は起きないと断言するのは楽観です」
「お前は考えすぎだ」
父は一蹴する。
「クラリスは素直で可愛らしい娘だ。政治的にも利がある。侯爵家との結びつきは悪くない」
「政治的利得と、評判は別問題です」
私は目を細める。
「社交界は、善意では動きません」
父は苛立ったように椅子へ深く座り直した。
「私は当主だ。決定権は私にある」
「承知しております」
私は静かに頷く。
「では、記憶しておきます」
「何をだ」
「問題が起きた際の責任の所在を」
父は鼻で笑った。
「何も起きん」
その断言が、やけに軽く聞こえた。
私はそれ以上何も言わなかった。
止める気はない。
警告はした。
それで十分。
数日後、クラリスは公爵邸へやって来た。
淡い桃色のドレス。大きな瞳。無邪気な笑顔。
「初めまして、リュシエンヌ様。どうか仲良くしてくださいませ」
私は微笑む。
「歓迎いたします、公爵夫人」
彼女はぱちぱちと瞬いた。
「お姉様とお呼びしても?」
「ご遠慮ください」
やんわり断る。
彼女は気にしていないようだった。
父は上機嫌だ。
屋敷は確かに明るくなった。
使用人たちは戸惑いながらも、新しい女主人へ従う。
そして王太子が訪れた。
「これは……」
殿下は驚いた顔をする。
父が誇らしげに紹介する。
「我が妻、クラリスだ」
王太子の視線が、ほんのわずかに長く止まった。
私はその瞬間を見逃さない。
新鮮さ。
好奇心。
未成熟ゆえの無防備さ。
危うい。
けれど私は動かない。
止める理由はない。
私は婚約者。
契約は堅固。
王家は公爵家の支援を受けている。
財政も軍備も。
簡単には揺らがない。
――理屈の上では。
その夜、私は帳簿を開いた。
王家への貸付金。
国庫債。
軍費肩代わり分。
数字は正直だ。
そして冷酷。
もし婚約が破棄されたなら。
王家は立ち行かない。
父はそれを理解しているはず。
それでも華を選んだ。
華は美しい。
だが乾いた木材の上に置けば、火にもなる。
翌日の昼、クラリスは庭で笑っていた。
王太子と並んで。
距離は近い。
無邪気。
無自覚。
父は遠くで満足げに見ている。
私は窓辺からそれを眺める。
怒りはない。
焦りもない。
ただ、確信だけがある。
これはいずれ爆ぜる。
私は止めない。
止めるのは簡単だ。
父を説き伏せることもできる。
王太子へ直接釘を刺すことも。
けれど、それでは責任が曖昧になる。
私は順番に取らせたい。
火を置いた者に。
火に近づいた者に。
そして火を笑って見ている者に。
責任は、分配されるべきだ。
私は微笑む。
「華は、家を燃やしますわよ」
誰にも聞こえない独り言。
けれど私は知っている。
今日の選択が、未来を決めた。
公爵家は、静かに傾き始めている。
そして私は、その中心で立っている。
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