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第三話 笑われているのは誰か
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第三話 笑われているのは誰か
噂は、風よりも早い。
王城の廊下を歩けば、言葉は止まる。
振り返れば、視線が逸れる。
それでも私は聞いている。
「公爵夫人と殿下、庭で随分と親しげだったとか」 「婚約者は、あの冷たい令嬢でしょう?」 「若い花の方が、殿方はお好みでしょうね」
愚か。
けれど、愚かさは武器になる。
私は笑わない。
否定もしない。
放っておく。
火種は、空気に触れてこそ燃える。
その日の夜会。
私は王太子の隣に立つ。
婚約者としての位置。
当然の場所。
だが視線は、私ではなく背後へ流れる。
淡い桃色のドレス。
クラリス。
父の若妻。
十二歳。
「今宵も美しい」
王太子は言うが、目は揺れている。
「恐れ入ります」
私は柔らかく返す。
「殿下もご機嫌のようで」
「何か言いたいことがあるのか」
「ございません」
私は微笑む。
「ただ、社交界は目が多いと申し上げているだけです」
「嫉妬か?」
ああ。
そこへ行きますか。
「いいえ」
私は首を傾げる。
「王太子殿下が、婚約者のいる場で公爵夫人と頻繁に言葉を交わす。その構図が、どう見えるかを考えているだけです」
「見たいように見るのは周囲の問題だ」
「王となる方が、そう仰いますか」
殿下の眉が寄る。
「どういう意味だ」
「王は、見られる存在です」
私は視線を逸らさない。
「見られ方を管理できぬ者が、何を治めるのでしょう」
殿下は黙る。
その沈黙が、答え。
父が近づいてきた。
「何を険悪な空気にしている」
「険悪ではございません」
私は軽く頭を下げる。
「確認をしているだけです」
「確認?」
「公爵家の評判が、現在どの位置にあるかを」
父は不機嫌になる。
「過敏だ」
「そうであれば幸いです」
私は静かに笑う。
「ただ一つ、申し上げておきます」
父を見る。
「華は、鑑賞物である間は美しい」
「ですが、主役の座を奪い始めれば、それは毒になります」
「何を大袈裟な」
父は一蹴する。
理解していない。
いや、理解したくない。
夜会が進む。
クラリスは無邪気に笑い、王太子はそれに応じる。
距離は近い。
まだ触れていない。
だが“親しさ”は演出されている。
私はそれを止めない。
止めれば、私が嫉妬深い女になる。
止めなければ、彼らは自分で一線を越える。
私は選ぶ。
後者を。
翌朝、王城から書簡が届く。
王太子名義。
“公爵夫人への感謝”。
個人的な贈り物。
私は封を閉じ直す。
父へ渡す。
「これは?」
父は眉をひそめる。
「殿下からクラリス様への贈答品」
「礼儀だ」
「婚約者のいる立場で?」
父は黙る。
「些細なことだ」
「些細?」
私は微笑む。
「些細な綻びから、家は崩れます」
父は不快そうに視線を逸らす。
その夜、社交界で噂が決定的になる。
“王太子は、公爵令嬢よりも若き公爵夫人を寵愛している”
まだ事実ではない。
だが真実よりも強い。
噂は、既成事実を作る。
私は部屋で帳簿を閉じる。
王家への貸付額。
国庫債。
軍費支援。
数字は積み上がっている。
そして今、評判は崩れ始めている。
王家が公爵家を軽んじているという印象。
それは致命的。
私は窓を開ける。
夜風が冷たい。
「笑われているのは、誰かしら」
クラリス?
王太子?
いいえ。
今、最も滑稽なのは――
慢心している父。
華を誇り、火種を抱き、
それを祝福している。
私は椅子に座り直す。
まだ刺さない。
まだ、だ。
越境は進んでいる。
噂は育っている。
そして私は、待っている。
言い逃れのできない瞬間を。
その時こそ、責任を問う。
順番に。
確実に。
公爵家は、もう笑われている。
だが父は気づかない。
私は知っている。
崩れ始めた家は、
音もなく軋むのだ。
噂は、風よりも早い。
王城の廊下を歩けば、言葉は止まる。
振り返れば、視線が逸れる。
それでも私は聞いている。
「公爵夫人と殿下、庭で随分と親しげだったとか」 「婚約者は、あの冷たい令嬢でしょう?」 「若い花の方が、殿方はお好みでしょうね」
愚か。
けれど、愚かさは武器になる。
私は笑わない。
否定もしない。
放っておく。
火種は、空気に触れてこそ燃える。
その日の夜会。
私は王太子の隣に立つ。
婚約者としての位置。
当然の場所。
だが視線は、私ではなく背後へ流れる。
淡い桃色のドレス。
クラリス。
父の若妻。
十二歳。
「今宵も美しい」
王太子は言うが、目は揺れている。
「恐れ入ります」
私は柔らかく返す。
「殿下もご機嫌のようで」
「何か言いたいことがあるのか」
「ございません」
私は微笑む。
「ただ、社交界は目が多いと申し上げているだけです」
「嫉妬か?」
ああ。
そこへ行きますか。
「いいえ」
私は首を傾げる。
「王太子殿下が、婚約者のいる場で公爵夫人と頻繁に言葉を交わす。その構図が、どう見えるかを考えているだけです」
「見たいように見るのは周囲の問題だ」
「王となる方が、そう仰いますか」
殿下の眉が寄る。
「どういう意味だ」
「王は、見られる存在です」
私は視線を逸らさない。
「見られ方を管理できぬ者が、何を治めるのでしょう」
殿下は黙る。
その沈黙が、答え。
父が近づいてきた。
「何を険悪な空気にしている」
「険悪ではございません」
私は軽く頭を下げる。
「確認をしているだけです」
「確認?」
「公爵家の評判が、現在どの位置にあるかを」
父は不機嫌になる。
「過敏だ」
「そうであれば幸いです」
私は静かに笑う。
「ただ一つ、申し上げておきます」
父を見る。
「華は、鑑賞物である間は美しい」
「ですが、主役の座を奪い始めれば、それは毒になります」
「何を大袈裟な」
父は一蹴する。
理解していない。
いや、理解したくない。
夜会が進む。
クラリスは無邪気に笑い、王太子はそれに応じる。
距離は近い。
まだ触れていない。
だが“親しさ”は演出されている。
私はそれを止めない。
止めれば、私が嫉妬深い女になる。
止めなければ、彼らは自分で一線を越える。
私は選ぶ。
後者を。
翌朝、王城から書簡が届く。
王太子名義。
“公爵夫人への感謝”。
個人的な贈り物。
私は封を閉じ直す。
父へ渡す。
「これは?」
父は眉をひそめる。
「殿下からクラリス様への贈答品」
「礼儀だ」
「婚約者のいる立場で?」
父は黙る。
「些細なことだ」
「些細?」
私は微笑む。
「些細な綻びから、家は崩れます」
父は不快そうに視線を逸らす。
その夜、社交界で噂が決定的になる。
“王太子は、公爵令嬢よりも若き公爵夫人を寵愛している”
まだ事実ではない。
だが真実よりも強い。
噂は、既成事実を作る。
私は部屋で帳簿を閉じる。
王家への貸付額。
国庫債。
軍費支援。
数字は積み上がっている。
そして今、評判は崩れ始めている。
王家が公爵家を軽んじているという印象。
それは致命的。
私は窓を開ける。
夜風が冷たい。
「笑われているのは、誰かしら」
クラリス?
王太子?
いいえ。
今、最も滑稽なのは――
慢心している父。
華を誇り、火種を抱き、
それを祝福している。
私は椅子に座り直す。
まだ刺さない。
まだ、だ。
越境は進んでいる。
噂は育っている。
そして私は、待っている。
言い逃れのできない瞬間を。
その時こそ、責任を問う。
順番に。
確実に。
公爵家は、もう笑われている。
だが父は気づかない。
私は知っている。
崩れ始めた家は、
音もなく軋むのだ。
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