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第1章 セクション1『イソファガス家に届いた縁談』
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第1章 セクション1『イソファガス家に届いた縁談』
「キクコ、お前に王太子殿下から婚姻の申し入れが届いた……いや、それだけではない。すでに“婚約が確定した”との知らせだ」
開口一番、現イソファガス家当主・セシル・イソファガスはそう告げると、深々とため息をついた。
豪奢ながらも落ち着いた執務室には、気品ある書棚が壁一面に並び、領主としての威厳を感じさせる重厚な机が据えられている。その机の向かい——まるで緊張感というものを知らないかのように、一人の少女が腰掛けていた。
「ちょっと、紅茶こぼすから大きな声はやめて。それに“お前”って呼び方も失礼よ、セシルお祖父様」
少女はそう言いながら、何食わぬ顔でスコーンを一口かじる。
金色に近い銀髪は窓から差し込む陽光を受けてきらきらと輝き、瑠璃色の瞳には悪戯っぽい光が宿っていた。見た目の年頃は、どう見ても十七歳前後の可憐な貴族令嬢だ。
しかし——それはあくまで外見の話である。
彼女の名は、キクコ・イソファガス。
三百年以上を生き続ける、伝説の元聖女。
永遠の十七歳という呪いを受け、時は彼女が十七歳に至った瞬間で完全に止まっている。老いることも、成長することもないまま、ただ世界だけが先へ先へと進んでいく。その長い年月の中で積み重ねられた経験と魔力は、もはや一個人の域を遥かに超え、国家をいくつ救ったかすら数え切れないほどだった。
「……なあ、キクコ。冗談ではない。真面目に聞いてくれ。今回の縁談は、本当に厄介なんだ」
セシルはそう言いながら、目の前の少女が本来“孫娘”どころか、“高祖母”にあたる存在であることを思い出す。
それでも彼女は、代々イソファガス家で立場を変えながら「孫娘」として生き続けてきた。その事実を思うたび、セシルは複雑な気持ちを抑えきれなくなる。
しかもこの孫娘は、とにかく気まぐれで自由奔放。
常識や遠慮といったものを、どこかに置き忘れてきたような存在なのだ。
「王太子殿下からの申し出だろうと、なにがそんなに困ってるの?」
キクコは首を傾げ、紅茶を一口含む。
「キクコ……今のイソファガス家は、王家に次ぐ大貴族として扱われている。だが元を辿れば、我が家は王家の分家。その歴史は三百年前——つまり、お前が生まれた時代にまで遡る」
「つまり、うちの血筋を政略的に使いたいってことね。はいはい、分かってます」
彼女はあっさりと言い切り、軽く肩をすくめた。
「で? どうせ断れないんでしょ? ……それにしても、一方的に“婚約確定”って、随分と横暴じゃない?」
「そうだ……王家からの正式な婚姻の通達だ。否定されるなど、最初から想定しておらんのだろう」
セシルは言葉を選びながら続ける。
「……とはいえ、どうしても気が進まないなら、こちらから交渉の余地を探ることも——」
「ふーん、面白そうじゃない」
「……は?」
あまりにも軽い返答に、セシルは思わず聞き返した。
キクコは紅茶をもう一口すすると、悪戯っぽく口元を緩める。
「だって、なんだか不穏な匂いがするもの。でもね、どう転んだって立場的には私の方が格上よ?」
そのまま、さらりと告げる。
「だったら、乗ってあげましょう。その“お遊戯”に」
「……あのな……」
セシルはこめかみを押さえ、深く肩を落とした。
「ちなみに、その王太子ジルベール殿下だが……まあ、色々と噂がある」
「へぇ? 具体的には?」
「“自己陶酔型”“女好き”“目立ちたがり”“突発的に暴走しがち”」
「そりゃまた……見事な地雷原ね」
キクコは頬杖をつき、どこか退屈そうに笑った。
「ま、百聞は一見に如かず。実際に会ってみれば分かることよ。どれだけ“愚か”かって」
「……それで、本当に王都へ行くつもりか?」
「ええ。ちゃんと正装してね。“イソファガス家の孫娘”として」
そう言って、キクコは椅子から立ち上がった。
身長は百五十にも届かない華奢な体躯。しかし、その小さな背中には、長い年月を生き抜いてきた者だけが纏う、揺るぎない風格があった。
セシルは改めて思う。
——やはり、この少女は只者ではない。
「それに、今さら“ひいおばあ様”として扱われたくないしね。ずっと“孫娘”でいた方が、何かと楽なのよ」
「……だが、時も経ち、本当に年齢を知っている者は減ってきている」
「むしろ、真実を知る人がいなくなった方が、自由に生きられるわ」
「……世間が放っておいてくれれば、だがな」
「ところで、その王子って……イケメン?」
「……見た目だけはな。貴族社会での人気も高い。聖女アルシアとも、何度か一緒にいるところを目撃されている」
「ほう?」
その名に、キクコの眉がわずかに動いた。
「現聖女……なるほどね。この縁談、表に見える部分だけじゃなく、裏の思惑もありそう」
「やはり、断った方が……」
「いいえ。受けて立つわ」
キクコは窓の外、王都の方角へと視線を向ける。
光に満ちた空を見つめながら、静かに、しかし確信をもって呟いた。
「“舞台”は整っているみたいだし、さて……どんな劇を見せてくれるのかしら?」
その唇に、妖しくも楽しげな笑みが浮かぶ。
「さあ、お芝居の幕が開くわ。……主演は、もちろん私。観客に後悔させない演技を、たっぷり見せてあげる」
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「キクコ、お前に王太子殿下から婚姻の申し入れが届いた……いや、それだけではない。すでに“婚約が確定した”との知らせだ」
開口一番、現イソファガス家当主・セシル・イソファガスはそう告げると、深々とため息をついた。
豪奢ながらも落ち着いた執務室には、気品ある書棚が壁一面に並び、領主としての威厳を感じさせる重厚な机が据えられている。その机の向かい——まるで緊張感というものを知らないかのように、一人の少女が腰掛けていた。
「ちょっと、紅茶こぼすから大きな声はやめて。それに“お前”って呼び方も失礼よ、セシルお祖父様」
少女はそう言いながら、何食わぬ顔でスコーンを一口かじる。
金色に近い銀髪は窓から差し込む陽光を受けてきらきらと輝き、瑠璃色の瞳には悪戯っぽい光が宿っていた。見た目の年頃は、どう見ても十七歳前後の可憐な貴族令嬢だ。
しかし——それはあくまで外見の話である。
彼女の名は、キクコ・イソファガス。
三百年以上を生き続ける、伝説の元聖女。
永遠の十七歳という呪いを受け、時は彼女が十七歳に至った瞬間で完全に止まっている。老いることも、成長することもないまま、ただ世界だけが先へ先へと進んでいく。その長い年月の中で積み重ねられた経験と魔力は、もはや一個人の域を遥かに超え、国家をいくつ救ったかすら数え切れないほどだった。
「……なあ、キクコ。冗談ではない。真面目に聞いてくれ。今回の縁談は、本当に厄介なんだ」
セシルはそう言いながら、目の前の少女が本来“孫娘”どころか、“高祖母”にあたる存在であることを思い出す。
それでも彼女は、代々イソファガス家で立場を変えながら「孫娘」として生き続けてきた。その事実を思うたび、セシルは複雑な気持ちを抑えきれなくなる。
しかもこの孫娘は、とにかく気まぐれで自由奔放。
常識や遠慮といったものを、どこかに置き忘れてきたような存在なのだ。
「王太子殿下からの申し出だろうと、なにがそんなに困ってるの?」
キクコは首を傾げ、紅茶を一口含む。
「キクコ……今のイソファガス家は、王家に次ぐ大貴族として扱われている。だが元を辿れば、我が家は王家の分家。その歴史は三百年前——つまり、お前が生まれた時代にまで遡る」
「つまり、うちの血筋を政略的に使いたいってことね。はいはい、分かってます」
彼女はあっさりと言い切り、軽く肩をすくめた。
「で? どうせ断れないんでしょ? ……それにしても、一方的に“婚約確定”って、随分と横暴じゃない?」
「そうだ……王家からの正式な婚姻の通達だ。否定されるなど、最初から想定しておらんのだろう」
セシルは言葉を選びながら続ける。
「……とはいえ、どうしても気が進まないなら、こちらから交渉の余地を探ることも——」
「ふーん、面白そうじゃない」
「……は?」
あまりにも軽い返答に、セシルは思わず聞き返した。
キクコは紅茶をもう一口すすると、悪戯っぽく口元を緩める。
「だって、なんだか不穏な匂いがするもの。でもね、どう転んだって立場的には私の方が格上よ?」
そのまま、さらりと告げる。
「だったら、乗ってあげましょう。その“お遊戯”に」
「……あのな……」
セシルはこめかみを押さえ、深く肩を落とした。
「ちなみに、その王太子ジルベール殿下だが……まあ、色々と噂がある」
「へぇ? 具体的には?」
「“自己陶酔型”“女好き”“目立ちたがり”“突発的に暴走しがち”」
「そりゃまた……見事な地雷原ね」
キクコは頬杖をつき、どこか退屈そうに笑った。
「ま、百聞は一見に如かず。実際に会ってみれば分かることよ。どれだけ“愚か”かって」
「……それで、本当に王都へ行くつもりか?」
「ええ。ちゃんと正装してね。“イソファガス家の孫娘”として」
そう言って、キクコは椅子から立ち上がった。
身長は百五十にも届かない華奢な体躯。しかし、その小さな背中には、長い年月を生き抜いてきた者だけが纏う、揺るぎない風格があった。
セシルは改めて思う。
——やはり、この少女は只者ではない。
「それに、今さら“ひいおばあ様”として扱われたくないしね。ずっと“孫娘”でいた方が、何かと楽なのよ」
「……だが、時も経ち、本当に年齢を知っている者は減ってきている」
「むしろ、真実を知る人がいなくなった方が、自由に生きられるわ」
「……世間が放っておいてくれれば、だがな」
「ところで、その王子って……イケメン?」
「……見た目だけはな。貴族社会での人気も高い。聖女アルシアとも、何度か一緒にいるところを目撃されている」
「ほう?」
その名に、キクコの眉がわずかに動いた。
「現聖女……なるほどね。この縁談、表に見える部分だけじゃなく、裏の思惑もありそう」
「やはり、断った方が……」
「いいえ。受けて立つわ」
キクコは窓の外、王都の方角へと視線を向ける。
光に満ちた空を見つめながら、静かに、しかし確信をもって呟いた。
「“舞台”は整っているみたいだし、さて……どんな劇を見せてくれるのかしら?」
その唇に、妖しくも楽しげな笑みが浮かぶ。
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