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第35話 余白を守るという仕事
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第35話 余白を守るという仕事
違和感共有会が始まってから、一週間が経った。
城内の雰囲気は、目に見えて変わったわけではない。
相変わらず業務は滞りなく進み、数字も安定している。
だが――
言葉の流れが、変わった。
午前の廊下で、二人の官吏が立ち止まって話している。
「これ、決めきる前に一回置いておこう」
「うん、違和感共有の枠に出してみる?」
その会話は、以前なら存在しなかったものだ。
(……いい兆候)
私は執務室へ向かいながら、胸の奥で小さく息を吐いた。
余白は、勝手には生まれない。
守ろうとしなければ、真っ先に削られる。
午前の定例会議では、いつも通り数字と進捗が報告された。
だが、最後に私はあえて問いを投げる。
「今日、判断に迷ったことはありますか」
一瞬、沈黙。
それから、部門長の一人が手を挙げた。
「あります」
彼は、少しだけ言いにくそうに続ける。
「案件自体は問題ありません。
ただ、進め方について、微妙な引っかかりがありまして」
「結論は?」
「出しています」
「では、その引っかかりを共有してください」
彼は、言葉を探しながら話し始めた。
「……合理的ではないのですが、
“人の動線が、気持ち悪い”と感じました」
以前なら、そこで言葉が止まっていたはずだ。
だが、今は違う。
「分かります」
「似た感覚を持ったことがあります」
複数の声が、自然と重なった。
「では、その違和感はどこから来ると思いますか」
私は、結論を急がせない。
「経験、かもしれません」
「過去に似た状況で、問題が出たことが……」
会議は、いつもより少し長引いた。
だが、誰も不満を漏らさない。
(判断を遅らせているのではない)
(判断の質を、底上げしている)
昼過ぎ、私はノアール公爵に呼ばれた。
「最近、会議が増えたな」
「ええ。ただし、結論を出さない会議です」
公爵は、片眉を上げる。
「無駄ではないのか」
「無駄に見える余白を、意図的に残しています」
「……それが、今の仕事か」
私は、静かに頷いた。
「はい。
決断を下す仕事は、以前より減りました」
「だが――」
「決断できる状態を保つ仕事は、増えています」
公爵は、しばらく黙っていたが、やがて短く笑った。
「なるほどな」
午後、違和感共有会の二回目が開かれた。
前回よりも、参加者が増えている。
だが、誰も積極的に仕切ろうとはしない。
「今日は、どこからでも」
そう告げると、若い官吏が口を開いた。
「……判断が分散されたことで、
自分の仕事が“どこまでか”は分かりました」
「ですが、その先――
誰かの判断にどう繋がるのかが、
見えなくなる瞬間があります」
「それは、不安ですか?」
「……少し」
その言葉に、別の者が頷く。
「責任の輪郭がはっきりした分、
輪郭の外が、急に暗くなった気がします」
私は、その言葉を心に留めた。
(余白は、安心と同時に、不安も生む)
だが、不安があるということは、
思考が止まっていない証拠でもある。
「皆さん」
私は、穏やかに口を開いた。
「余白とは、
“正解が見えない状態”を許すことです」
「それは、怖い」
「ええ。
ですが、正解が最初から見える仕事など、
ほとんどありません」
誰も反論しなかった。
「だから、余白を守る仕事は、
成果を生みません」
一瞬、空気が止まる。
「ですが――」
言葉を続ける。
「成果が生まれ続ける土台を、守ります」
夕方、私は城下を歩いた。
市場では、商人たちが立ち話をしている。
「最近、話す時間が増えたな」
「忙しいのに、不思議だよな」
その声に、私は立ち止まらず、心の中で微笑んだ。
夜、執務室で日誌を開く。
今日は、大きな決断を一つもしていない。
誰かを叱りも、称えもしていない。
だが――
この静かな一日は、確実に意味を持っている。
余白は、放っておけば消える。
成果、効率、正しさに押し潰されて。
だから、
余白を守ること自体が、仕事になる段階がある。
私は、日誌の最後にこう記した。
――組織が強くなるほど、
余白は「不要」に見える。
だからこそ、守らなければならない。
窓の外では、城下の灯りが穏やかに続いている。
この光の下で、
人々は今日も判断し、迷い、語り合っている。
そのすべてが、
明日の決断を支えるための準備だ。
私は、静かに灯りを落とした。
余白を守るという仕事が、
確かに、この領を支えていると感じながら。
違和感共有会が始まってから、一週間が経った。
城内の雰囲気は、目に見えて変わったわけではない。
相変わらず業務は滞りなく進み、数字も安定している。
だが――
言葉の流れが、変わった。
午前の廊下で、二人の官吏が立ち止まって話している。
「これ、決めきる前に一回置いておこう」
「うん、違和感共有の枠に出してみる?」
その会話は、以前なら存在しなかったものだ。
(……いい兆候)
私は執務室へ向かいながら、胸の奥で小さく息を吐いた。
余白は、勝手には生まれない。
守ろうとしなければ、真っ先に削られる。
午前の定例会議では、いつも通り数字と進捗が報告された。
だが、最後に私はあえて問いを投げる。
「今日、判断に迷ったことはありますか」
一瞬、沈黙。
それから、部門長の一人が手を挙げた。
「あります」
彼は、少しだけ言いにくそうに続ける。
「案件自体は問題ありません。
ただ、進め方について、微妙な引っかかりがありまして」
「結論は?」
「出しています」
「では、その引っかかりを共有してください」
彼は、言葉を探しながら話し始めた。
「……合理的ではないのですが、
“人の動線が、気持ち悪い”と感じました」
以前なら、そこで言葉が止まっていたはずだ。
だが、今は違う。
「分かります」
「似た感覚を持ったことがあります」
複数の声が、自然と重なった。
「では、その違和感はどこから来ると思いますか」
私は、結論を急がせない。
「経験、かもしれません」
「過去に似た状況で、問題が出たことが……」
会議は、いつもより少し長引いた。
だが、誰も不満を漏らさない。
(判断を遅らせているのではない)
(判断の質を、底上げしている)
昼過ぎ、私はノアール公爵に呼ばれた。
「最近、会議が増えたな」
「ええ。ただし、結論を出さない会議です」
公爵は、片眉を上げる。
「無駄ではないのか」
「無駄に見える余白を、意図的に残しています」
「……それが、今の仕事か」
私は、静かに頷いた。
「はい。
決断を下す仕事は、以前より減りました」
「だが――」
「決断できる状態を保つ仕事は、増えています」
公爵は、しばらく黙っていたが、やがて短く笑った。
「なるほどな」
午後、違和感共有会の二回目が開かれた。
前回よりも、参加者が増えている。
だが、誰も積極的に仕切ろうとはしない。
「今日は、どこからでも」
そう告げると、若い官吏が口を開いた。
「……判断が分散されたことで、
自分の仕事が“どこまでか”は分かりました」
「ですが、その先――
誰かの判断にどう繋がるのかが、
見えなくなる瞬間があります」
「それは、不安ですか?」
「……少し」
その言葉に、別の者が頷く。
「責任の輪郭がはっきりした分、
輪郭の外が、急に暗くなった気がします」
私は、その言葉を心に留めた。
(余白は、安心と同時に、不安も生む)
だが、不安があるということは、
思考が止まっていない証拠でもある。
「皆さん」
私は、穏やかに口を開いた。
「余白とは、
“正解が見えない状態”を許すことです」
「それは、怖い」
「ええ。
ですが、正解が最初から見える仕事など、
ほとんどありません」
誰も反論しなかった。
「だから、余白を守る仕事は、
成果を生みません」
一瞬、空気が止まる。
「ですが――」
言葉を続ける。
「成果が生まれ続ける土台を、守ります」
夕方、私は城下を歩いた。
市場では、商人たちが立ち話をしている。
「最近、話す時間が増えたな」
「忙しいのに、不思議だよな」
その声に、私は立ち止まらず、心の中で微笑んだ。
夜、執務室で日誌を開く。
今日は、大きな決断を一つもしていない。
誰かを叱りも、称えもしていない。
だが――
この静かな一日は、確実に意味を持っている。
余白は、放っておけば消える。
成果、効率、正しさに押し潰されて。
だから、
余白を守ること自体が、仕事になる段階がある。
私は、日誌の最後にこう記した。
――組織が強くなるほど、
余白は「不要」に見える。
だからこそ、守らなければならない。
窓の外では、城下の灯りが穏やかに続いている。
この光の下で、
人々は今日も判断し、迷い、語り合っている。
そのすべてが、
明日の決断を支えるための準備だ。
私は、静かに灯りを落とした。
余白を守るという仕事が、
確かに、この領を支えていると感じながら。
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