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第19話 狙われる天秤
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第19話 狙われる天秤
王都の空気が、わずかに変わったのはその翌日だった。
ローマン公爵邸の朝は、いつも通り静かに始まったはずだった。庭師が露を払う音、厨房から漂う焼き立てのパンの香り、使用人たちの控えめな足音――だが、そのすべてが、どこか“よそよそしい”。
「……来ましたね」
ミント・マリーベルは、朝の書簡を仕分けしながら、淡々と呟いた。
机の上に並ぶ封筒は、昨日までの倍近い。
しかも、その半数以上が匿名、あるいは遠回しな差出人名義だった。
「ヒヒン」
(意訳:匂う)
足元のロシナンテが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ええ。
“確認”の段階は終わりました」
「次は」
ミントは、封を切らずに一通を脇へ退けた。
「天秤にかける段階です」
そこへ、グレイ・ローマン公爵が入室してくる。
「……例の三家の動きか?」
「直接ではありません」
ミントは、冷静に答えた。
「ですが」
「彼らに影響されやすい家が、
動き始めています」
「具体的には?」
「学園への圧力」
「評議会での発言操作」
「そして――」
一拍置く。
「“善意”を装った接触」
その言葉に、グレイの眉がわずかに動いた。
「善意、か」
「はい」
「“君を守りたい”」
「“年齢に見合った立場を用意したい”」
「“公爵家は重すぎる”」
ミントは、小さく息を吐いた。
「とても、親切な言葉です」
「……だが」
グレイは、低く言う。
「裏がある」
「もちろんです」
その日の午後。
ミントは、王都中心部にある慈善団体の集会へと向かった。名目は“若年貴族への支援制度説明会”。
同行は、最低限。
グレイも、子供たちもいない。
「……一人で?」
出発前、ナンシーが不安そうに尋ねた。
「はい」
「一人の方が、
“本音”が見えます」
会場は、柔らかな雰囲気に包まれていた。
白い壁、花、穏やかな音楽。
集まっているのは、主に女性貴族と文官。
そして。
中心に立つのは、温和な笑みを浮かべた中年貴族――
評議会所属の準男爵だった。
「ようこそ、ミント様」
「お越しいただき、光栄です」
「こちらこそ」
ミントは、礼を返す。
説明会は、終始“優しかった”。
若年貴族の負担。
過剰な期待の危険性。
保護という名の配慮。
そして、最後に。
「……正直に申し上げましょう」
準男爵は、声を落とす。
「あなたは、
あまりにも早く“大人の世界”に
引き上げられています」
「王都防衛の功績は、確かです」
「ですが」
「それを理由に、
公爵夫人という重責を背負う必要はありません」
ミントは、静かに聞いていた。
「私たちは」
「あなたを、
“守られるべき才能”として扱いたい」
「王宮、あるいは評議会の後援のもとで」
「段階的に――」
「……つまり」
ミントは、そこで言葉を挟んだ。
「ローマン公爵家から、
私を切り離したい」
準男爵の笑みが、一瞬だけ固まる。
「いえ、そういう言い方は――」
「十分です」
ミントは、穏やかに微笑んだ。
「お気遣い、感謝します」
「ですが」
その声は、はっきりしていた。
「私は、
“守られる才能”として生きるつもりはありません」
「私は」
「選びました」
「ローマン公爵家を」
「そして」
「選ばれた責任を、
引き受けています」
場の空気が、わずかに冷える。
準男爵は、慎重に言葉を選んだ。
「……後悔する可能性は?」
「あります」
即答だった。
「ですが」
「後悔するかもしれない選択を、
他人に委ねる方が」
「私は、怖い」
沈黙。
やがて、準男爵は深く息を吐いた。
「……分かりました」
「本日の話は、
“なかったこと”にしましょう」
「ありがとうございます」
会場を出た後。
ミントは、人気のない通りで立ち止まった。
「……やはり」
「始まりましたね」
ロシナンテが、静かに隣に並ぶ。
「ヒヒン」
(意訳:分断)
「ええ」
「家と、私を」
「切り離そうとしています」
その瞬間。
遠くで、誰かの視線を感じた。
気配は薄いが、確かにある。
「……尾行ですね」
ミントは、歩調を変えずに言った。
「護衛ではありません」
「おそらく」
「“評価役”」
ロシナンテの耳が、ぴくりと動く。
「ヒヒン」
(意訳:飛ぶか)
「いいえ」
ミントは、静かに首を振った。
「今は、
“見せる”段階ではありません」
「帰りましょう」
公爵邸に戻ると、グレイがすぐに状況を把握した。
「……予想通りだな」
「はい」
ミントは、淡々と報告する。
「次は」
「もっと直接的になります」
「例えば?」
「失言を誘う」
「孤立させる」
「あるいは――」
一瞬、言葉を切る。
「事故に見せかける」
部屋の空気が、凍る。
ジョーが、低く言った。
「……そこまで行くか」
「ええ」
「私を、
“危険な駒”と見始めていますから」
ナンシーが、拳を握る。
「だったら」
「守るしかないでしょ」
ミントは、ゆっくりと首を振った。
「いいえ」
「守られるだけでは、
終わりません」
「私は」
「天秤の上に乗せられる存在です」
「なら」
「天秤そのものを、
傾けます」
グレイは、彼女をじっと見つめ――
静かに言った。
「……覚悟は、できているな」
「はい」
ミントの瞳には、迷いがなかった。
こうして。
“善意”という名の圧力は、退けられた。
だが、それは同時に――
敵対の合図でもあった。
王都は、次の段階へ進む。
ミント・マリーベルを、
排除するか。
利用するか。
あるいは――
真正面から、対峙するか。
その天秤は、すでに揺れ始めていた。
王都の空気が、わずかに変わったのはその翌日だった。
ローマン公爵邸の朝は、いつも通り静かに始まったはずだった。庭師が露を払う音、厨房から漂う焼き立てのパンの香り、使用人たちの控えめな足音――だが、そのすべてが、どこか“よそよそしい”。
「……来ましたね」
ミント・マリーベルは、朝の書簡を仕分けしながら、淡々と呟いた。
机の上に並ぶ封筒は、昨日までの倍近い。
しかも、その半数以上が匿名、あるいは遠回しな差出人名義だった。
「ヒヒン」
(意訳:匂う)
足元のロシナンテが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ええ。
“確認”の段階は終わりました」
「次は」
ミントは、封を切らずに一通を脇へ退けた。
「天秤にかける段階です」
そこへ、グレイ・ローマン公爵が入室してくる。
「……例の三家の動きか?」
「直接ではありません」
ミントは、冷静に答えた。
「ですが」
「彼らに影響されやすい家が、
動き始めています」
「具体的には?」
「学園への圧力」
「評議会での発言操作」
「そして――」
一拍置く。
「“善意”を装った接触」
その言葉に、グレイの眉がわずかに動いた。
「善意、か」
「はい」
「“君を守りたい”」
「“年齢に見合った立場を用意したい”」
「“公爵家は重すぎる”」
ミントは、小さく息を吐いた。
「とても、親切な言葉です」
「……だが」
グレイは、低く言う。
「裏がある」
「もちろんです」
その日の午後。
ミントは、王都中心部にある慈善団体の集会へと向かった。名目は“若年貴族への支援制度説明会”。
同行は、最低限。
グレイも、子供たちもいない。
「……一人で?」
出発前、ナンシーが不安そうに尋ねた。
「はい」
「一人の方が、
“本音”が見えます」
会場は、柔らかな雰囲気に包まれていた。
白い壁、花、穏やかな音楽。
集まっているのは、主に女性貴族と文官。
そして。
中心に立つのは、温和な笑みを浮かべた中年貴族――
評議会所属の準男爵だった。
「ようこそ、ミント様」
「お越しいただき、光栄です」
「こちらこそ」
ミントは、礼を返す。
説明会は、終始“優しかった”。
若年貴族の負担。
過剰な期待の危険性。
保護という名の配慮。
そして、最後に。
「……正直に申し上げましょう」
準男爵は、声を落とす。
「あなたは、
あまりにも早く“大人の世界”に
引き上げられています」
「王都防衛の功績は、確かです」
「ですが」
「それを理由に、
公爵夫人という重責を背負う必要はありません」
ミントは、静かに聞いていた。
「私たちは」
「あなたを、
“守られるべき才能”として扱いたい」
「王宮、あるいは評議会の後援のもとで」
「段階的に――」
「……つまり」
ミントは、そこで言葉を挟んだ。
「ローマン公爵家から、
私を切り離したい」
準男爵の笑みが、一瞬だけ固まる。
「いえ、そういう言い方は――」
「十分です」
ミントは、穏やかに微笑んだ。
「お気遣い、感謝します」
「ですが」
その声は、はっきりしていた。
「私は、
“守られる才能”として生きるつもりはありません」
「私は」
「選びました」
「ローマン公爵家を」
「そして」
「選ばれた責任を、
引き受けています」
場の空気が、わずかに冷える。
準男爵は、慎重に言葉を選んだ。
「……後悔する可能性は?」
「あります」
即答だった。
「ですが」
「後悔するかもしれない選択を、
他人に委ねる方が」
「私は、怖い」
沈黙。
やがて、準男爵は深く息を吐いた。
「……分かりました」
「本日の話は、
“なかったこと”にしましょう」
「ありがとうございます」
会場を出た後。
ミントは、人気のない通りで立ち止まった。
「……やはり」
「始まりましたね」
ロシナンテが、静かに隣に並ぶ。
「ヒヒン」
(意訳:分断)
「ええ」
「家と、私を」
「切り離そうとしています」
その瞬間。
遠くで、誰かの視線を感じた。
気配は薄いが、確かにある。
「……尾行ですね」
ミントは、歩調を変えずに言った。
「護衛ではありません」
「おそらく」
「“評価役”」
ロシナンテの耳が、ぴくりと動く。
「ヒヒン」
(意訳:飛ぶか)
「いいえ」
ミントは、静かに首を振った。
「今は、
“見せる”段階ではありません」
「帰りましょう」
公爵邸に戻ると、グレイがすぐに状況を把握した。
「……予想通りだな」
「はい」
ミントは、淡々と報告する。
「次は」
「もっと直接的になります」
「例えば?」
「失言を誘う」
「孤立させる」
「あるいは――」
一瞬、言葉を切る。
「事故に見せかける」
部屋の空気が、凍る。
ジョーが、低く言った。
「……そこまで行くか」
「ええ」
「私を、
“危険な駒”と見始めていますから」
ナンシーが、拳を握る。
「だったら」
「守るしかないでしょ」
ミントは、ゆっくりと首を振った。
「いいえ」
「守られるだけでは、
終わりません」
「私は」
「天秤の上に乗せられる存在です」
「なら」
「天秤そのものを、
傾けます」
グレイは、彼女をじっと見つめ――
静かに言った。
「……覚悟は、できているな」
「はい」
ミントの瞳には、迷いがなかった。
こうして。
“善意”という名の圧力は、退けられた。
だが、それは同時に――
敵対の合図でもあった。
王都は、次の段階へ進む。
ミント・マリーベルを、
排除するか。
利用するか。
あるいは――
真正面から、対峙するか。
その天秤は、すでに揺れ始めていた。
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