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第16話 線を引くという選択
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第16話 線を引くという選択
ヴェルティア・フォン・グラナートは、朝の光が差し込む書斎で、一通の書類を見つめていた。
そこに書かれているのは、ただの予定表だ。
公爵領の定例会議、視察、文官との打ち合わせ。
――だが、その配置が、いつの間にか変わっている。
(……私を前提に組まれている)
以前は、必要な場面にのみ名があった。
今は違う。
彼女が“同席する”ことが、最初から組み込まれている。
(これは……)
不快ではない。
拒絶したいわけでもない。
けれど。
(白い結婚の、前提から外れている)
ヴェルティアは、ゆっくりと息を吐いた。
逃げるために選んだ結婚ではない。
自由を守るために結んだ契約だ。
だからこそ――
曖昧にしてはいけない。
朝食の席。
向かいに座るセーブルは、いつもと変わらない表情で紅茶を口にしている。
「……本日の予定ですが」
ヴェルティアは、静かに切り出した。
「午後の会議、私は同席しません」
ナイフとフォークの音が、一瞬だけ止まった。
「……理由は」
声は低く、平静を装っている。
だが、彼女には分かる。
(動揺している)
「私の意見が必要な案件ではありません」
「判断は、早い方がいい」
「それは、私がいなくても変わりません」
きっぱりと言い切る。
沈黙が落ちた。
「……これまでは、問題なかった」
セーブルの言葉は、事実だ。
だが、それは理由にはならない。
「ええ。
だからこそ、今ここで線を引きます」
ヴェルティアは、視線を逸らさずに続ける。
「私は、あなたの補佐役ではありません。
契約相手です」
その一言は、穏やかだが、はっきりとした境界線だった。
セーブルは、しばらく黙っていた。
(……想定外だ)
彼の中で、そういう思考が渦巻いているのが分かる。
「……必要だと思った」
ぽつりと、彼は言った。
「君がいる方が、判断が正確になる」
「それは、あなたの判断です」
「合理的だ」
「合理的でも、依存になれば話は別です」
その言葉に、セーブルの眉がわずかに動いた。
「……依存?」
初めて聞く言葉、というような声音。
「はい」
ヴェルティアは、淡々と頷いた。
「私は、誰かの判断を支えるために、ここにいるわけではありません」
それは、拒絶ではない。
自己主張だ。
セーブルは、しばらく考え込むように視線を落とした。
(……拒まれている、のか)
いや、違う。
(距離を、調整されている)
それが分かるからこそ、余計に胸がざわつく。
「……分かった」
彼は、低く答えた。
「今日は、単独で行く」
その言葉に、ヴェルティアは小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
だが、その声音には、どこか硬さが残っていた。
午後。
ヴェルティアは、自室で書類整理をしていた。
(……これで、いい)
感情に流されるつもりはない。
この結婚は、あくまで“白い”。
それを守るのは、自分の責任だ。
だが。
いつもより静かな屋敷の空気に、胸の奥が微かに疼く。
(……静かすぎる)
その頃、セーブルは会議室にいた。
集まる文官たち。
いつもと同じ顔ぶれ。
――だが、何かが違う。
「では、この件ですが……」
報告が進む中、彼は無意識に、ある席を見る。
(……いない)
当然だ。
自分が了承した。
それでも。
(……判断が、遅れる)
正確には、遅れていない。
これまで通りだ。
だが、“確信”が足りない。
(……彼女なら、ここを指摘する)
そう思った瞬間、セーブルははっきりと理解した。
(……依存、か)
ヴェルティアの言葉が、遅れて胸に落ちる。
会議後。
一人執務室に戻り、彼は椅子に深く腰を下ろした。
(線を引かれた)
怒りはない。
理屈も、理解できる。
だが、心は別だった。
(……拒絶されたわけではない)
それが、余計に厄介だ。
夜。
廊下で、二人は偶然すれ違った。
「……会議は、いかがでしたか」
ヴェルティアが、自然に声をかける。
「問題はなかった」
「そうですか」
それだけの会話。
だが、空気はどこかぎこちない。
「……今日の判断」
セーブルが、低く言った。
「理解している」
ヴェルティアは、足を止めた。
「でも、納得はしていない」
正直な言葉。
「それでも、守ります」
彼女は、少し驚いたように目を見開いた。
「……ありがとうございます」
「契約だからな」
そう言い切る声は、少しだけ硬かった。
部屋に戻ったヴェルティアは、扉にもたれ、目を閉じた。
(……これでいい)
自分で選んだ距離。
自分で引いた線。
それなのに。
(……どうして、こんなに苦しいの)
一方、セーブルもまた、書斎で一人、考えていた。
(合理性を、優先した結果だ)
そう結論づけながらも、胸の奥に残るのは、明確な喪失感だった。
――線を引くという選択。
それは、関係を守るためのものだった。
だが同時に、
二人が互いを“意識している”ことを、
これ以上ないほど明確にしてしまった選択でもあった。
---
ヴェルティア・フォン・グラナートは、朝の光が差し込む書斎で、一通の書類を見つめていた。
そこに書かれているのは、ただの予定表だ。
公爵領の定例会議、視察、文官との打ち合わせ。
――だが、その配置が、いつの間にか変わっている。
(……私を前提に組まれている)
以前は、必要な場面にのみ名があった。
今は違う。
彼女が“同席する”ことが、最初から組み込まれている。
(これは……)
不快ではない。
拒絶したいわけでもない。
けれど。
(白い結婚の、前提から外れている)
ヴェルティアは、ゆっくりと息を吐いた。
逃げるために選んだ結婚ではない。
自由を守るために結んだ契約だ。
だからこそ――
曖昧にしてはいけない。
朝食の席。
向かいに座るセーブルは、いつもと変わらない表情で紅茶を口にしている。
「……本日の予定ですが」
ヴェルティアは、静かに切り出した。
「午後の会議、私は同席しません」
ナイフとフォークの音が、一瞬だけ止まった。
「……理由は」
声は低く、平静を装っている。
だが、彼女には分かる。
(動揺している)
「私の意見が必要な案件ではありません」
「判断は、早い方がいい」
「それは、私がいなくても変わりません」
きっぱりと言い切る。
沈黙が落ちた。
「……これまでは、問題なかった」
セーブルの言葉は、事実だ。
だが、それは理由にはならない。
「ええ。
だからこそ、今ここで線を引きます」
ヴェルティアは、視線を逸らさずに続ける。
「私は、あなたの補佐役ではありません。
契約相手です」
その一言は、穏やかだが、はっきりとした境界線だった。
セーブルは、しばらく黙っていた。
(……想定外だ)
彼の中で、そういう思考が渦巻いているのが分かる。
「……必要だと思った」
ぽつりと、彼は言った。
「君がいる方が、判断が正確になる」
「それは、あなたの判断です」
「合理的だ」
「合理的でも、依存になれば話は別です」
その言葉に、セーブルの眉がわずかに動いた。
「……依存?」
初めて聞く言葉、というような声音。
「はい」
ヴェルティアは、淡々と頷いた。
「私は、誰かの判断を支えるために、ここにいるわけではありません」
それは、拒絶ではない。
自己主張だ。
セーブルは、しばらく考え込むように視線を落とした。
(……拒まれている、のか)
いや、違う。
(距離を、調整されている)
それが分かるからこそ、余計に胸がざわつく。
「……分かった」
彼は、低く答えた。
「今日は、単独で行く」
その言葉に、ヴェルティアは小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
だが、その声音には、どこか硬さが残っていた。
午後。
ヴェルティアは、自室で書類整理をしていた。
(……これで、いい)
感情に流されるつもりはない。
この結婚は、あくまで“白い”。
それを守るのは、自分の責任だ。
だが。
いつもより静かな屋敷の空気に、胸の奥が微かに疼く。
(……静かすぎる)
その頃、セーブルは会議室にいた。
集まる文官たち。
いつもと同じ顔ぶれ。
――だが、何かが違う。
「では、この件ですが……」
報告が進む中、彼は無意識に、ある席を見る。
(……いない)
当然だ。
自分が了承した。
それでも。
(……判断が、遅れる)
正確には、遅れていない。
これまで通りだ。
だが、“確信”が足りない。
(……彼女なら、ここを指摘する)
そう思った瞬間、セーブルははっきりと理解した。
(……依存、か)
ヴェルティアの言葉が、遅れて胸に落ちる。
会議後。
一人執務室に戻り、彼は椅子に深く腰を下ろした。
(線を引かれた)
怒りはない。
理屈も、理解できる。
だが、心は別だった。
(……拒絶されたわけではない)
それが、余計に厄介だ。
夜。
廊下で、二人は偶然すれ違った。
「……会議は、いかがでしたか」
ヴェルティアが、自然に声をかける。
「問題はなかった」
「そうですか」
それだけの会話。
だが、空気はどこかぎこちない。
「……今日の判断」
セーブルが、低く言った。
「理解している」
ヴェルティアは、足を止めた。
「でも、納得はしていない」
正直な言葉。
「それでも、守ります」
彼女は、少し驚いたように目を見開いた。
「……ありがとうございます」
「契約だからな」
そう言い切る声は、少しだけ硬かった。
部屋に戻ったヴェルティアは、扉にもたれ、目を閉じた。
(……これでいい)
自分で選んだ距離。
自分で引いた線。
それなのに。
(……どうして、こんなに苦しいの)
一方、セーブルもまた、書斎で一人、考えていた。
(合理性を、優先した結果だ)
そう結論づけながらも、胸の奥に残るのは、明確な喪失感だった。
――線を引くという選択。
それは、関係を守るためのものだった。
だが同時に、
二人が互いを“意識している”ことを、
これ以上ないほど明確にしてしまった選択でもあった。
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