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第25話 平穏という名の試練
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第25話 平穏という名の試練
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イソファガス領に、珍しく雨が降った。
しとしとと、音も立てずに降る春雨は、庭の花々を濡らし、屋敷の石畳を静かに黒く染めていく。
「……今日は、完全に引きこもり日和ね」
キクコ・イソファガスは書斎の窓辺でそう呟き、湯気の立つ紅茶を手に椅子へ戻った。
王都からの手紙は、ここ数日来ていない。
魔導院からの相談もない。
勇者候補の騒ぎもない。
――静かすぎる。
◆ ◆ ◆
午後。
ファイエルとレオンは、屋敷の別棟で自主稽古をしていた。
「今日は師匠、来ませんね」
剣を納めながら、レオンが言う。
「無理に呼ぶな」
ファイエルは苦笑した。
「師匠は今、“何もしない”訓練中だ」
「……それ、難易度高くないですか?」
「本人が一番苦戦してる」
◆ ◆ ◆
一方その頃。
キクコはというと、書斎で本を開いたまま、まったく文字を追えていなかった。
(……平穏って、こんなに落ち着かないものだったかしら)
思えば三百年。
何かを“しない”という選択を、ほとんどしてこなかった。
戦争。
魔王。
王位争い。
勇者育成。
常に、誰かが彼女を必要とした。
そして――彼女もまた、応えてきた。
◆ ◆ ◆
ふと、ノックの音。
「キクコ様」
老執事ガイウスだった。
「失礼いたします。
領内の村から、相談が一件」
キクコは、反射的に立ち上がりかけ――
そこで、動きを止めた。
「……どんな内容?」
「用水路の崩落です。
人的被害はありませんが、修復の判断に迷っているとのこと」
以前の彼女なら、即答していた。
地形を確認し、最適解を出し、
ついでに補強までしていただろう。
だが、今日は違う。
◆ ◆ ◆
「……現領主は?」
「ご健在です」
「技師は?」
「おります」
「予算は?」
「問題ありません」
キクコは、静かに頷いた。
「なら、任せなさい」
「……よろしいのですか?」
「ええ」
微笑む。
「私が口を出さなくても、
ちゃんと直せる案件よ」
ガイウスは、一瞬驚いた顔をしたあと、
深く頭を下げた。
「……承知しました」
◆ ◆ ◆
執事が去ったあと。
キクコは、椅子に深く座り直した。
「……できた」
誰に言うでもなく、そう呟く。
胸の奥に、少しだけ達成感があった。
◆ ◆ ◆
夕方。
庭で、ファイエルが声をかけてくる。
「師匠、今日は指導しないんですか?」
「しないわ」
「本当に?」
「ええ。本当に」
キクコは、紅茶を揺らしながら言った。
「今日は、“何もしなかった日”なの」
◆ ◆ ◆
レオンが首をかしげる。
「……それ、すごいことですか?」
「私にとってはね」
少し笑う。
「世界を救うより、難しいかもしれない」
◆ ◆ ◆
夜。
日記に、ゆっくりと書き記す。
――今日は、何もしなかった。
――でも、誰も困らなかった。
――少しだけ、安心した。
ペンを置き、窓の外を見る。
雨は、いつの間にか止んでいた。
永遠の十七歳は、
剣も、魔法も、言葉も使わず――
“任せる勇気”を、ひとつ身につけた。
物語は、静かに、
終盤へと歩み続けている。
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イソファガス領に、珍しく雨が降った。
しとしとと、音も立てずに降る春雨は、庭の花々を濡らし、屋敷の石畳を静かに黒く染めていく。
「……今日は、完全に引きこもり日和ね」
キクコ・イソファガスは書斎の窓辺でそう呟き、湯気の立つ紅茶を手に椅子へ戻った。
王都からの手紙は、ここ数日来ていない。
魔導院からの相談もない。
勇者候補の騒ぎもない。
――静かすぎる。
◆ ◆ ◆
午後。
ファイエルとレオンは、屋敷の別棟で自主稽古をしていた。
「今日は師匠、来ませんね」
剣を納めながら、レオンが言う。
「無理に呼ぶな」
ファイエルは苦笑した。
「師匠は今、“何もしない”訓練中だ」
「……それ、難易度高くないですか?」
「本人が一番苦戦してる」
◆ ◆ ◆
一方その頃。
キクコはというと、書斎で本を開いたまま、まったく文字を追えていなかった。
(……平穏って、こんなに落ち着かないものだったかしら)
思えば三百年。
何かを“しない”という選択を、ほとんどしてこなかった。
戦争。
魔王。
王位争い。
勇者育成。
常に、誰かが彼女を必要とした。
そして――彼女もまた、応えてきた。
◆ ◆ ◆
ふと、ノックの音。
「キクコ様」
老執事ガイウスだった。
「失礼いたします。
領内の村から、相談が一件」
キクコは、反射的に立ち上がりかけ――
そこで、動きを止めた。
「……どんな内容?」
「用水路の崩落です。
人的被害はありませんが、修復の判断に迷っているとのこと」
以前の彼女なら、即答していた。
地形を確認し、最適解を出し、
ついでに補強までしていただろう。
だが、今日は違う。
◆ ◆ ◆
「……現領主は?」
「ご健在です」
「技師は?」
「おります」
「予算は?」
「問題ありません」
キクコは、静かに頷いた。
「なら、任せなさい」
「……よろしいのですか?」
「ええ」
微笑む。
「私が口を出さなくても、
ちゃんと直せる案件よ」
ガイウスは、一瞬驚いた顔をしたあと、
深く頭を下げた。
「……承知しました」
◆ ◆ ◆
執事が去ったあと。
キクコは、椅子に深く座り直した。
「……できた」
誰に言うでもなく、そう呟く。
胸の奥に、少しだけ達成感があった。
◆ ◆ ◆
夕方。
庭で、ファイエルが声をかけてくる。
「師匠、今日は指導しないんですか?」
「しないわ」
「本当に?」
「ええ。本当に」
キクコは、紅茶を揺らしながら言った。
「今日は、“何もしなかった日”なの」
◆ ◆ ◆
レオンが首をかしげる。
「……それ、すごいことですか?」
「私にとってはね」
少し笑う。
「世界を救うより、難しいかもしれない」
◆ ◆ ◆
夜。
日記に、ゆっくりと書き記す。
――今日は、何もしなかった。
――でも、誰も困らなかった。
――少しだけ、安心した。
ペンを置き、窓の外を見る。
雨は、いつの間にか止んでいた。
永遠の十七歳は、
剣も、魔法も、言葉も使わず――
“任せる勇気”を、ひとつ身につけた。
物語は、静かに、
終盤へと歩み続けている。
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