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第30話 告げない真実、見逃す覚悟
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第30話 告げない真実、見逃す覚悟
その日は、雨が降っていた。
王城の高窓を叩く雨音が、執務室に静かなリズムを刻んでいる。
アルフェリットは書類に目を落としたまま、長く息を吐いた。
「……報告は以上です」
近衛騎士が一礼し、静かに下がっていく。
扉が閉じた瞬間、室内には雨音だけが残った。
机の端には、一冊の古い写本が置かれている。
昨日、資料庫で偶然――いや、必然のように見つけたものだ。
『三百年前、聖女キクコは――』
そこまで読んだところで、アルフェリットはページを閉じた。
「……偶然だ」
自分に言い聞かせるように呟く。
だが、胸の奥で小さな警鐘が鳴り続けていた。
顔立ち、言葉遣い、剣の型、魔術理論への理解。
すべてが、記録に残る“彼女”と一致している。
(もし、あれが同一人物だとしたら)
思考は、そこから先へ進まない。
進んではいけない、と理性が制止していた。
――知ってしまえば、戻れない。
◆ ◆ ◆
その頃。
イソファガス邸の書斎で、キクコは紅茶を注ぎ直していた。
雨の日は好きだ。音が多く、人の気配が薄れる。
「……完全に、勘づいてるわね」
独り言のように呟き、カップを手に取る。
アルフェリットの視線。
最近、ほんのわずかに変わった。
問い詰めるほど鋭くはない。
だが、逃がさない距離感。
「王としては優秀すぎるのよ……」
扇子で額を軽く叩き、ため息をつく。
「気づかないふりが、一番難しい選択だって分かってるのかしら」
彼は、知る機会をいくつも手にしている。
それでも踏み込まない。
それが、キクコにははっきり分かっていた。
◆ ◆ ◆
夕刻。
雨が小降りになった頃、王城の回廊で二人は顔を合わせた。
「陛下」
「……キクコ」
短い沈黙。
「今日は、雨が強いわね」
「ああ。視察が中止になる程度には」
「残念? それとも助かった?」
「……半々だ」
何気ない会話。
だが互いに、言葉の裏を探っている。
「ねえ、アルフェリット」
「なんだ」
キクコは立ち止まり、彼を見上げた。
「人は、知らない方が幸せなこともあると思う?」
その問いは、あまりにも唐突で――
あまりにも核心だった。
アルフェリットは、すぐには答えなかった。
「……あると思う」
慎重に言葉を選ぶ。
「知ることで、壊れる関係もある」
「そう」
キクコは小さく微笑んだ。
「あなたは、賢いわ」
「……褒めているのか?」
「ええ。珍しく、本気で」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
◆ ◆ ◆
回廊の窓から、雲の切れ間が覗く。
雨はもう、止みかけていた。
「キクコ」
「なに?」
「……もし」
言いかけて、止める。
「いや。やめておこう」
キクコは何も言わず、ただ待っていた。
急かさない。答えを強要しない。
その沈黙が、彼の覚悟を決定づけた。
「私は、今の君を信じる」
真実ではなく、現在を。
「過去が何であれ、君がここにいる理由を、私は疑わない」
キクコは一瞬、目を見開き――
すぐに、困ったように笑った。
「……それ、本当に重い言葉よ?」
「承知の上だ」
「もう……」
彼女は扇子で顔を仰ぎ、少しだけ視線を逸らした。
「だったら、私も一つだけ約束するわ」
「約束?」
「あなたの王国を、壊さない」
守る、とも言わない。
救う、とも言わない。
ただ、壊さない。
それが彼女なりの、最大限の誠意だった。
◆ ◆ ◆
その夜。
アルフェリットは、あの写本を再び開くことはなかった。
代わりに、窓を開け、夜気を吸い込む。
(知らないまま、進む未来もある)
それは逃避ではない。
選択だ。
永遠の十七歳と、若き国王。
互いに真実を抱えたまま、
それでも同じ時間を歩くことを選んだ。
その関係は、危うく、だが確かに――
信頼と呼べるものへと変わり始めていた。
その日は、雨が降っていた。
王城の高窓を叩く雨音が、執務室に静かなリズムを刻んでいる。
アルフェリットは書類に目を落としたまま、長く息を吐いた。
「……報告は以上です」
近衛騎士が一礼し、静かに下がっていく。
扉が閉じた瞬間、室内には雨音だけが残った。
机の端には、一冊の古い写本が置かれている。
昨日、資料庫で偶然――いや、必然のように見つけたものだ。
『三百年前、聖女キクコは――』
そこまで読んだところで、アルフェリットはページを閉じた。
「……偶然だ」
自分に言い聞かせるように呟く。
だが、胸の奥で小さな警鐘が鳴り続けていた。
顔立ち、言葉遣い、剣の型、魔術理論への理解。
すべてが、記録に残る“彼女”と一致している。
(もし、あれが同一人物だとしたら)
思考は、そこから先へ進まない。
進んではいけない、と理性が制止していた。
――知ってしまえば、戻れない。
◆ ◆ ◆
その頃。
イソファガス邸の書斎で、キクコは紅茶を注ぎ直していた。
雨の日は好きだ。音が多く、人の気配が薄れる。
「……完全に、勘づいてるわね」
独り言のように呟き、カップを手に取る。
アルフェリットの視線。
最近、ほんのわずかに変わった。
問い詰めるほど鋭くはない。
だが、逃がさない距離感。
「王としては優秀すぎるのよ……」
扇子で額を軽く叩き、ため息をつく。
「気づかないふりが、一番難しい選択だって分かってるのかしら」
彼は、知る機会をいくつも手にしている。
それでも踏み込まない。
それが、キクコにははっきり分かっていた。
◆ ◆ ◆
夕刻。
雨が小降りになった頃、王城の回廊で二人は顔を合わせた。
「陛下」
「……キクコ」
短い沈黙。
「今日は、雨が強いわね」
「ああ。視察が中止になる程度には」
「残念? それとも助かった?」
「……半々だ」
何気ない会話。
だが互いに、言葉の裏を探っている。
「ねえ、アルフェリット」
「なんだ」
キクコは立ち止まり、彼を見上げた。
「人は、知らない方が幸せなこともあると思う?」
その問いは、あまりにも唐突で――
あまりにも核心だった。
アルフェリットは、すぐには答えなかった。
「……あると思う」
慎重に言葉を選ぶ。
「知ることで、壊れる関係もある」
「そう」
キクコは小さく微笑んだ。
「あなたは、賢いわ」
「……褒めているのか?」
「ええ。珍しく、本気で」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
◆ ◆ ◆
回廊の窓から、雲の切れ間が覗く。
雨はもう、止みかけていた。
「キクコ」
「なに?」
「……もし」
言いかけて、止める。
「いや。やめておこう」
キクコは何も言わず、ただ待っていた。
急かさない。答えを強要しない。
その沈黙が、彼の覚悟を決定づけた。
「私は、今の君を信じる」
真実ではなく、現在を。
「過去が何であれ、君がここにいる理由を、私は疑わない」
キクコは一瞬、目を見開き――
すぐに、困ったように笑った。
「……それ、本当に重い言葉よ?」
「承知の上だ」
「もう……」
彼女は扇子で顔を仰ぎ、少しだけ視線を逸らした。
「だったら、私も一つだけ約束するわ」
「約束?」
「あなたの王国を、壊さない」
守る、とも言わない。
救う、とも言わない。
ただ、壊さない。
それが彼女なりの、最大限の誠意だった。
◆ ◆ ◆
その夜。
アルフェリットは、あの写本を再び開くことはなかった。
代わりに、窓を開け、夜気を吸い込む。
(知らないまま、進む未来もある)
それは逃避ではない。
選択だ。
永遠の十七歳と、若き国王。
互いに真実を抱えたまま、
それでも同じ時間を歩くことを選んだ。
その関係は、危うく、だが確かに――
信頼と呼べるものへと変わり始めていた。
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