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第10話 言葉を選ぶ勇気
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第10話 言葉を選ぶ勇気
決意は、した。
けれど——決意したからといって、すぐに何かが変わるわけではない。
クロエは翌朝、自室の椅子に腰掛けたまま、しばらく動けずにいた。
窓から差し込む光は穏やかで、王宮の一日はいつも通り始まっている。
けれど、胸の奥だけが落ち着かなかった。
「……橋をかける、か」
昨夜、鏡に映った言葉。
恐怖と誤解のあいだに立つ存在。
簡単に言えば、聞こえはいい。
だが実際にそれをやろうとすれば——人の感情の渦中に、身を置くことになる。
守られる側にいる限り、矢面に立つ必要はない。
沈黙していれば、誰かが代わりに判断してくれる。
それでも。
「……逃げたままじゃ、意味がない」
クロエは、静かに立ち上がった。
*
最初に向かったのは、図書室だった。
知識を得るため、というよりも、考えを整理するためだ。
人の少ない時間帯を選び、奥の席に腰を下ろす。
分厚い本を開くが、文字が頭に入ってこない。
——言葉。
自分が使える、唯一の武器。
剣も、権力も、強制力もない。
あるのは、「見えてしまうこと」と、「考えてしまうこと」だけ。
「……それでも、やるなら」
呟きながら、クロエは本を閉じた。
知識を振りかざすのではなく。
力を示すのでもなく。
——言葉を選ぶ。
それが、自分にできることだ。
*
昼前、クロエはセリアに声をかけた。
「セリア。お願いがあるんです」
「はい?」
「小さな集まりを、開けませんか」
セリアは、一瞬目を瞬かせる。
「……集まり、ですか?」
「形式ばったものじゃなくていいんです。
お茶を飲みながら話すだけで」
「どなたを?」
「……王宮で働く人たちを、数人だけ」
セリアの表情が、少し引き締まった。
「それは……噂のことと、関係がありますか」
クロエは、頷いた。
「逃げ続けるより、
誤解されたままでいるより……」
少しだけ、息を吸う。
「ちゃんと、話したいんです」
セリアは、しばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「……わかりました。
無理のない範囲で、声をかけてみます」
「ありがとうございます」
クロエは、深く頭を下げた。
*
その話は、思ったよりも早く伝わった。
午後、回廊を歩いていると、アストールに呼び止められる。
「……何をするつもりだ」
低い声。
だが、責める色はない。
「お茶会、です」
クロエは、正直に答えた。
「王宮で働く方々と、少し話をしたくて」
アストールの眉が、わずかに寄る。
「危険だ」
「わかっています」
即答だった。
「でも、黙っているほうが……
もっと危険だと思いました」
彼は、しばらくクロエを見つめていた。
その視線は、評価とも警戒ともつかない。
「……噂を、否定するつもりか」
「いいえ」
クロエは、首を振る。
「否定しても、信じてもらえません」
アストールの目が、わずかに揺れた。
「だから、説明します」
「……説明?」
「私にできることと、できないことを。
それから……私が、何を怖がっているのかを」
一瞬、沈黙。
「……脆いな」
アストールが、低く言った。
「そのやり方は」
「はい」
クロエは、微笑む。
「でも、脆いからこそ、
伝わることもあると思うんです」
アストールは、ため息をついた。
「……止めはしない」
クロエの胸が、少し跳ねる。
「だが」
一歩近づき、低い声で続ける。
「必ず、私の目の届く場所でやれ」
「……それは」
「忠告だ」
また、その言い方。
クロエは、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
*
夕刻。
小さな応接室に、数人の使用人と下級官吏が集まっていた。
人数は多くない。だが、緊張が漂っている。
クロエは、皆と同じ椅子に腰を下ろした。
上座には、座らない。
「今日は、来てくださってありがとうございます」
そう切り出すと、数人が驚いたように顔を上げた。
「……えっと」
クロエは、一度言葉を止める。
——言葉を、選ぶ。
「私は、皆さんが私を怖がっていることを、知っています」
空気が、ぴんと張り詰める。
「噂のことも。
鏡のことも」
誰かが、息を呑む音がした。
「……全部、事実ではありません」
そう言い切らず、続ける。
「でも、全部が嘘だとも言えません」
ざわめきが起きる。
クロエは、慌てずに言葉を重ねた。
「私は、人の心が“見えてしまうこと”があります。
でも、それは——」
一人ひとりを、ゆっくりと見渡す。
「知りたいと思わなければ、見えません。
そして、見えたからといって、
それを利用する力も、権利も、ありません」
沈黙。
「……私は」
声が、少しだけ震える。
「ここに来てから、ずっと怖かったです。
見られることも、疑われることも」
正直な言葉。
「だから……皆さんが怖がる気持ちも、
少しだけ、わかります」
応接室の空気が、わずかに変わった。
警戒の中に、戸惑いが混じる。
「お願いがあります」
クロエは、頭を下げた。
「完璧に理解してほしいとは、思いません。
ただ……噂だけで、私を決めないでください」
しばらくして、年配の使用人が口を開いた。
「……怖くない、と言われても」
「はい」
クロエは、頷く。
「怖いままで、構いません。
でも、話す機会だけは……奪わないでください」
その言葉に、誰かが小さく息を吐いた。
*
お茶会が終わった後。
クロエは、深く息をついていた。
成功とは言えない。
けれど、拒絶一色でもなかった。
「……疲れたな」
小さく呟く。
「当然だ」
背後から、低い声。
振り返ると、アストールが立っていた。
「無謀だが……」
一拍置いて、続ける。
「逃げなかったのは、評価する」
その言葉に、クロエは少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
アストールは、視線を逸らす。
「……言葉を選ぶのは、剣を振るうより難しい」
「はい」
クロエは、静かに頷いた。
「でも……選ばないよりは、いいと思います」
彼は、何も言わなかった。
ただ、クロエの歩幅に合わせて、隣を歩く。
守られる側の決意は、
今日、初めて“行動”になった。
まだ小さく、不安定で、
すぐに折れてしまいそうな決意。
それでも。
クロエは知っていた。
——言葉を選ぶ勇気こそが、
この場所で生きるための、最初の一歩なのだと。
決意は、した。
けれど——決意したからといって、すぐに何かが変わるわけではない。
クロエは翌朝、自室の椅子に腰掛けたまま、しばらく動けずにいた。
窓から差し込む光は穏やかで、王宮の一日はいつも通り始まっている。
けれど、胸の奥だけが落ち着かなかった。
「……橋をかける、か」
昨夜、鏡に映った言葉。
恐怖と誤解のあいだに立つ存在。
簡単に言えば、聞こえはいい。
だが実際にそれをやろうとすれば——人の感情の渦中に、身を置くことになる。
守られる側にいる限り、矢面に立つ必要はない。
沈黙していれば、誰かが代わりに判断してくれる。
それでも。
「……逃げたままじゃ、意味がない」
クロエは、静かに立ち上がった。
*
最初に向かったのは、図書室だった。
知識を得るため、というよりも、考えを整理するためだ。
人の少ない時間帯を選び、奥の席に腰を下ろす。
分厚い本を開くが、文字が頭に入ってこない。
——言葉。
自分が使える、唯一の武器。
剣も、権力も、強制力もない。
あるのは、「見えてしまうこと」と、「考えてしまうこと」だけ。
「……それでも、やるなら」
呟きながら、クロエは本を閉じた。
知識を振りかざすのではなく。
力を示すのでもなく。
——言葉を選ぶ。
それが、自分にできることだ。
*
昼前、クロエはセリアに声をかけた。
「セリア。お願いがあるんです」
「はい?」
「小さな集まりを、開けませんか」
セリアは、一瞬目を瞬かせる。
「……集まり、ですか?」
「形式ばったものじゃなくていいんです。
お茶を飲みながら話すだけで」
「どなたを?」
「……王宮で働く人たちを、数人だけ」
セリアの表情が、少し引き締まった。
「それは……噂のことと、関係がありますか」
クロエは、頷いた。
「逃げ続けるより、
誤解されたままでいるより……」
少しだけ、息を吸う。
「ちゃんと、話したいんです」
セリアは、しばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「……わかりました。
無理のない範囲で、声をかけてみます」
「ありがとうございます」
クロエは、深く頭を下げた。
*
その話は、思ったよりも早く伝わった。
午後、回廊を歩いていると、アストールに呼び止められる。
「……何をするつもりだ」
低い声。
だが、責める色はない。
「お茶会、です」
クロエは、正直に答えた。
「王宮で働く方々と、少し話をしたくて」
アストールの眉が、わずかに寄る。
「危険だ」
「わかっています」
即答だった。
「でも、黙っているほうが……
もっと危険だと思いました」
彼は、しばらくクロエを見つめていた。
その視線は、評価とも警戒ともつかない。
「……噂を、否定するつもりか」
「いいえ」
クロエは、首を振る。
「否定しても、信じてもらえません」
アストールの目が、わずかに揺れた。
「だから、説明します」
「……説明?」
「私にできることと、できないことを。
それから……私が、何を怖がっているのかを」
一瞬、沈黙。
「……脆いな」
アストールが、低く言った。
「そのやり方は」
「はい」
クロエは、微笑む。
「でも、脆いからこそ、
伝わることもあると思うんです」
アストールは、ため息をついた。
「……止めはしない」
クロエの胸が、少し跳ねる。
「だが」
一歩近づき、低い声で続ける。
「必ず、私の目の届く場所でやれ」
「……それは」
「忠告だ」
また、その言い方。
クロエは、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
*
夕刻。
小さな応接室に、数人の使用人と下級官吏が集まっていた。
人数は多くない。だが、緊張が漂っている。
クロエは、皆と同じ椅子に腰を下ろした。
上座には、座らない。
「今日は、来てくださってありがとうございます」
そう切り出すと、数人が驚いたように顔を上げた。
「……えっと」
クロエは、一度言葉を止める。
——言葉を、選ぶ。
「私は、皆さんが私を怖がっていることを、知っています」
空気が、ぴんと張り詰める。
「噂のことも。
鏡のことも」
誰かが、息を呑む音がした。
「……全部、事実ではありません」
そう言い切らず、続ける。
「でも、全部が嘘だとも言えません」
ざわめきが起きる。
クロエは、慌てずに言葉を重ねた。
「私は、人の心が“見えてしまうこと”があります。
でも、それは——」
一人ひとりを、ゆっくりと見渡す。
「知りたいと思わなければ、見えません。
そして、見えたからといって、
それを利用する力も、権利も、ありません」
沈黙。
「……私は」
声が、少しだけ震える。
「ここに来てから、ずっと怖かったです。
見られることも、疑われることも」
正直な言葉。
「だから……皆さんが怖がる気持ちも、
少しだけ、わかります」
応接室の空気が、わずかに変わった。
警戒の中に、戸惑いが混じる。
「お願いがあります」
クロエは、頭を下げた。
「完璧に理解してほしいとは、思いません。
ただ……噂だけで、私を決めないでください」
しばらくして、年配の使用人が口を開いた。
「……怖くない、と言われても」
「はい」
クロエは、頷く。
「怖いままで、構いません。
でも、話す機会だけは……奪わないでください」
その言葉に、誰かが小さく息を吐いた。
*
お茶会が終わった後。
クロエは、深く息をついていた。
成功とは言えない。
けれど、拒絶一色でもなかった。
「……疲れたな」
小さく呟く。
「当然だ」
背後から、低い声。
振り返ると、アストールが立っていた。
「無謀だが……」
一拍置いて、続ける。
「逃げなかったのは、評価する」
その言葉に、クロエは少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
アストールは、視線を逸らす。
「……言葉を選ぶのは、剣を振るうより難しい」
「はい」
クロエは、静かに頷いた。
「でも……選ばないよりは、いいと思います」
彼は、何も言わなかった。
ただ、クロエの歩幅に合わせて、隣を歩く。
守られる側の決意は、
今日、初めて“行動”になった。
まだ小さく、不安定で、
すぐに折れてしまいそうな決意。
それでも。
クロエは知っていた。
——言葉を選ぶ勇気こそが、
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