正解を出さない私たちが、それでも前に進めた理由

鷹 綾

文字の大きさ
22 / 40

第22話 揺れの中に立つ

しおりを挟む
第22話 揺れの中に立つ

 その日は、朝から空が低かった。

 雲が垂れ込めているわけではないのに、
 音が吸われるような静けさが、王宮を包んでいた。

 クロエは回廊の窓から中庭を見下ろし、小さく息を吐いた。

「……揺れてる」

 外ではなく、内側が。

 昨日、文官たちが自ら前に立った。
 それは確かな一歩だった。

 だが、一歩進めば、
 次に来るのは——揺れだ。

     *

 午前、非公式の連絡がクロエのもとに届いた。

 差出人は、地方支援を担当する部署。
 内容は短い。

 ――内部で、意見が割れています。
 ――修正案を出すべきか、現行を維持すべきか。
 ――判断に、時間がかかっています。

 クロエは、その文面を静かに読み終えた。

「……迷ってる」

 それは、悪い兆候ではない。

 むしろ——。

「ちゃんと、
 自分たちの判断として、
 悩いてる」

     *

 昼前、クロエは呼ばれたわけでもなく、
 その部署の会議室の前に立っていた。

 扉の向こうから、声が漏れる。

「修正すれば、
 “間違っていた”と
 認めることになる」

「だが、
 現地の反応を無視するわけにも……」

「ここで変えれば、
 場当たり的だと言われる」

 重なり合う不安。

 クロエは、扉に手をかけ——
 止めた。

「……入らない」

 ここで前に出れば、
 揺れは止まる。

 だが、それは——
 彼らの足元を、
 固めてしまうことでもある。

     *

 クロエは、少し離れた場所に移動し、
 椅子に腰を下ろした。

 何もしない。
 ただ、待つ。

 胸の奥が、ざわつく。

「……間違えたら、
 どうするんだろう」

 問いは、自分自身にも向けられていた。

 もし、彼らが判断を誤れば。
 被害が広がれば。

 その責任は、
 “踏み出さなかった自分”にも、
 かかってくるのではないか。

     *

 午後、会議室の扉が開いた。

 中から出てきたのは、
 昨日、前に立っていた年配の文官だった。

 目が合う。

「……クロエ様」

「……結論は」

 自然と、そう聞いていた。

「修正案を、
 正式に出すことにしました」

 一瞬、胸が詰まる。

「……理由は」

「現地の声を、
 “後出し”ではなく、
 判断材料として
 組み込むべきだと」

 彼は、少し苦く笑った。

「……正直、
 怖かったです」

「……何が」

「決めた自分たちを、
 否定することが」

 クロエは、静かに頷いた。

「……でも」

 文官は、続ける。

「決め直すことを、
 逃げだとは思わなくなりました」

 その言葉に、
 クロエの胸が、
 静かに熱くなる。

     *

 その後、修正案は正式に提出され、
 王宮内で再調整が始まった。

 反発はあった。
 批判も、あった。

 だが——
 説明の場には、
 必ず、判断した文官たちが立っていた。

 クロエは、
 一歩下がった場所から、
 それを見ていた。

「……揺れてるけど」

 崩れてはいない。

     *

 夕刻、クロエはアストールと中庭を歩いていた。

「……今日は、
 入らなかったな」

「はい」

「迷いは」

 クロエは、正直に答えた。

「……ありました」

「それでも、
 立ち続けた」

「……立った、
 というより」

 少し考える。

「……倒れない位置に、
 いただけです」

 アストールは、短く息を吐いた。

「それでいい」

     *

 夜。

 クロエは、自室で灯りを落とす前、
 机に置かれた書類を一枚、見つめていた。

 それは、修正案の写し。

 自分の名前は、どこにもない。

「……私が、
 やったわけじゃない」

 でも。

「……起きた」

 それでいい。

 揺れは、
 悪いものじゃない。

 揺れるから、
 足場の弱さが見える。

 揺れるから、
 立ち方を覚える。

 クロエは、静かに書類を閉じた。

 第22話は、
 “正しさ”よりも先に訪れる
 揺れの時間を、
 否定せずに立ち続けるという選択を、
 確かに描いていた。

 踏み出さず、
 逃げず、
 揺れの中に立つ。

 それは、
 成長のただ中にいる者だけが、
 選べる場所だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

虐げられた皇女は父の愛人とその娘に復讐する

ましゅぺちーの
恋愛
大陸一の大国ライドーン帝国の皇帝が崩御した。 その皇帝の子供である第一皇女シャーロットはこの時をずっと待っていた。 シャーロットの母親は今は亡き皇后陛下で皇帝とは政略結婚だった。 皇帝は皇后を蔑ろにし身分の低い女を愛妾として囲った。 やがてその愛妾には子供が生まれた。それが第二皇女プリシラである。 愛妾は皇帝の寵愛を笠に着てやりたい放題でプリシラも両親に甘やかされて我儘に育った。 今までは皇帝の寵愛があったからこそ好きにさせていたが、これからはそうもいかない。 シャーロットは愛妾とプリシラに対する復讐を実行に移す― 一部タイトルを変更しました。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

あなただけが私を信じてくれたから

樹里
恋愛
王太子殿下の婚約者であるアリシア・トラヴィス侯爵令嬢は、茶会において王女殺害を企てたとして冤罪で投獄される。それは王太子殿下と恋仲であるアリシアの妹が彼女を排除するために計画した犯行だと思われた。 一方、自分を信じてくれるシメオン・バーナード卿の調査の甲斐もなく、アリシアは結局そのまま断罪されてしまう。 しかし彼女が次に目を覚ますと、茶会の日に戻っていた。その日を境に、冤罪をかけられ、断罪されるたびに茶会前に回帰するようになってしまった。 処刑を免れようとそのたびに違った行動を起こしてきたアリシアが、最後に下した決断は。

君といるのは疲れると言われたので、婚約者を追いかけるのはやめてみました

水谷繭
恋愛
メイベル・ホワイトは目立たない平凡な少女で、美人な姉といつも比べられてきた。 求婚者の殺到する姉とは反対に、全く縁談のなかったメイベル。 そんなある日、ブラッドという美少年が婚約を持ちかけてくる。姉より自分を選んでくれたブラッドに感謝したメイベルは、彼のために何でもしようとひたすら努力する。 しかしそんな態度を重いと告げられ、君といると疲れると言われてしまう。 ショックを受けたメイベルは、ブラッドばかりの生活を改め、好きだった魔法に打ち込むために魔術院に入ることを決意するが…… ◆なろうにも掲載しています

処理中です...