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第34話 決めないという決断
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第34話 決めないという決断
朝の王宮は、久しぶりに晴れていた。
空の青さは澄み、
中庭の石畳には、はっきりと影が落ちている。
それなのに、人々の表情は、どこか慎重だった。
「……今日は、
決めない日になる」
クロエは、理由もなくそう確信していた。
昨日の沈黙は、
考えるための沈黙だった。
そして今日は、
その沈黙を無理に破らないための一日になる。
*
午前の会合は、いつもより短い予定だった。
議題は一つ。
現地側に一定の裁量を正式に委ねるかどうか。
普通なら、
ここで結論を出す。
それが、会合というものだ。
*
「……今日で、
方向を決める必要がありますか」
進行役の文官が、
慎重に問いを置いた。
誰も、すぐには答えない。
昨日の沈黙が、
まだ場に残っている。
*
地方代表の一人が、
ゆっくりと口を開く。
「……正直に言います」
視線を伏せたまま、続けた。
「昨日は、
“決めなくていい”と言われて、
少し安心しました」
「ですが……
それと同時に、
自分が、
どこかで答えを
他人に預けようとしていたことにも、
気づきました」
*
その言葉に、
誰かが小さく息を吸う。
「……今日は、
決めたい気持ちもあります」
地方代表は、
正直にそう言った。
「ですが、
決めきれない理由も、
まだ残っています」
*
王宮側の文官が、
頷きながら続ける。
「こちらも、
同じです」
「責任を渡す準備は、
進んでいます」
「しかし……
その責任を、
本当に支えきれる体制が、
整ったかと問われると」
言葉が止まる。
*
クロエは、
そのやり取りを静かに聞いていた。
どちらも、
逃げていない。
だが、
踏み切れてもいない。
*
「……今日は、
決めないという選択も、
あります」
クロエは、
ゆっくりと口を開いた。
視線が集まる。
「決めない、というのは、
先延ばしとは違います」
言葉を選びながら続ける。
「今、
決められない理由を、
全員が把握しているなら」
「それは、
立ち止まっているのではなく、
同じ場所で足場を確かめている、
という状態です」
*
進行役の文官が、
少し考え込む。
「……決めない、
という判断を、
記録に残す、
ということですね」
「はい」
クロエは頷いた。
「“今日は決めない”
と、
意図して選ぶことが、
重要です」
*
場に、
小さなざわめきが広がる。
誰かが、
少し苦笑した。
「……それは、
勇気がいりますね」
「ええ」
クロエは、
否定しなかった。
「決断しない、
という決断は、
評価されにくいです」
「でも——」
一拍置く。
「間違った決断より、
ずっと誠実です」
*
最終的に、
会合はこう締めくくられた。
・本日は結論を出さない
・決められない理由を整理する
・次回、それを前提に再検討する
議事録には、
はっきりとそう記された。
*
会合が終わった後、
若手の文官が、
クロエに声をかける。
「……正直、
ほっとしました」
「決められなかったことを、
失敗だと思わずに済んだので」
クロエは、
小さく微笑んだ。
「失敗ではありません」
「考え続ける、
という選択です」
*
午後、
クロエは中庭を歩いていた。
人々は、
いつも通り仕事をしている。
だが、
誰かを急かす声は、
聞こえなかった。
「……決めない、
という余白」
それが、
場を少しだけ柔らかくしている。
*
夕刻、
アストールが隣に立つ。
「今日は、
何も決めなかったな」
「……はい」
「後悔は」
クロエは、
首を振った。
「ありません」
「理由は」
「決めなかったことを、
全員が理解しているからです」
アストールは、
短く頷く。
「共有された未決は、
混乱にならない」
*
夜。
クロエは自室で、
今日の議事録を見返していた。
そこには、
結論の代わりに、
理由が並んでいる。
——準備不足
——不安の残存
——体制の検証が必要
「……逃げていない」
そう、
胸を張って言えた。
決めないという決断は、
曖昧さを受け入れる勇気だ。
早さより、
確かさを選ぶという意思だ。
クロエは灯りを落とし、
静かな夜の中で、
次に進むための余白を、
そのまま抱きしめるように目を閉じた。
朝の王宮は、久しぶりに晴れていた。
空の青さは澄み、
中庭の石畳には、はっきりと影が落ちている。
それなのに、人々の表情は、どこか慎重だった。
「……今日は、
決めない日になる」
クロエは、理由もなくそう確信していた。
昨日の沈黙は、
考えるための沈黙だった。
そして今日は、
その沈黙を無理に破らないための一日になる。
*
午前の会合は、いつもより短い予定だった。
議題は一つ。
現地側に一定の裁量を正式に委ねるかどうか。
普通なら、
ここで結論を出す。
それが、会合というものだ。
*
「……今日で、
方向を決める必要がありますか」
進行役の文官が、
慎重に問いを置いた。
誰も、すぐには答えない。
昨日の沈黙が、
まだ場に残っている。
*
地方代表の一人が、
ゆっくりと口を開く。
「……正直に言います」
視線を伏せたまま、続けた。
「昨日は、
“決めなくていい”と言われて、
少し安心しました」
「ですが……
それと同時に、
自分が、
どこかで答えを
他人に預けようとしていたことにも、
気づきました」
*
その言葉に、
誰かが小さく息を吸う。
「……今日は、
決めたい気持ちもあります」
地方代表は、
正直にそう言った。
「ですが、
決めきれない理由も、
まだ残っています」
*
王宮側の文官が、
頷きながら続ける。
「こちらも、
同じです」
「責任を渡す準備は、
進んでいます」
「しかし……
その責任を、
本当に支えきれる体制が、
整ったかと問われると」
言葉が止まる。
*
クロエは、
そのやり取りを静かに聞いていた。
どちらも、
逃げていない。
だが、
踏み切れてもいない。
*
「……今日は、
決めないという選択も、
あります」
クロエは、
ゆっくりと口を開いた。
視線が集まる。
「決めない、というのは、
先延ばしとは違います」
言葉を選びながら続ける。
「今、
決められない理由を、
全員が把握しているなら」
「それは、
立ち止まっているのではなく、
同じ場所で足場を確かめている、
という状態です」
*
進行役の文官が、
少し考え込む。
「……決めない、
という判断を、
記録に残す、
ということですね」
「はい」
クロエは頷いた。
「“今日は決めない”
と、
意図して選ぶことが、
重要です」
*
場に、
小さなざわめきが広がる。
誰かが、
少し苦笑した。
「……それは、
勇気がいりますね」
「ええ」
クロエは、
否定しなかった。
「決断しない、
という決断は、
評価されにくいです」
「でも——」
一拍置く。
「間違った決断より、
ずっと誠実です」
*
最終的に、
会合はこう締めくくられた。
・本日は結論を出さない
・決められない理由を整理する
・次回、それを前提に再検討する
議事録には、
はっきりとそう記された。
*
会合が終わった後、
若手の文官が、
クロエに声をかける。
「……正直、
ほっとしました」
「決められなかったことを、
失敗だと思わずに済んだので」
クロエは、
小さく微笑んだ。
「失敗ではありません」
「考え続ける、
という選択です」
*
午後、
クロエは中庭を歩いていた。
人々は、
いつも通り仕事をしている。
だが、
誰かを急かす声は、
聞こえなかった。
「……決めない、
という余白」
それが、
場を少しだけ柔らかくしている。
*
夕刻、
アストールが隣に立つ。
「今日は、
何も決めなかったな」
「……はい」
「後悔は」
クロエは、
首を振った。
「ありません」
「理由は」
「決めなかったことを、
全員が理解しているからです」
アストールは、
短く頷く。
「共有された未決は、
混乱にならない」
*
夜。
クロエは自室で、
今日の議事録を見返していた。
そこには、
結論の代わりに、
理由が並んでいる。
——準備不足
——不安の残存
——体制の検証が必要
「……逃げていない」
そう、
胸を張って言えた。
決めないという決断は、
曖昧さを受け入れる勇気だ。
早さより、
確かさを選ぶという意思だ。
クロエは灯りを落とし、
静かな夜の中で、
次に進むための余白を、
そのまま抱きしめるように目を閉じた。
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