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大食要塞
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意識が戻ったとき、海辺千里の第一の反応は――
痛くない。
おかしい。
この結論は、「まだ生きている」より先に浮かんだ。痛みは残っているはずだ。少なくともわずかにでも、借金のように身体に残っているはず。しかし今は、何もない。あまりにもきれいで、不安になるほどだ。
千里は目を開ける。
視界は石造の天井で埋め尽くされていた。低く、重厚な構造。隙間には見慣れない苔がはさまれ、空気には灯油と塩、長く保存された肉の混じった匂いが漂う。牢獄でも地下室でもない――倉庫?それとも兵舎か。
身体が動く。
脚も、動く。
千里は飛び起き、そして呆然とする。
身の傷が消えていたのだ。
痂皮になったとか、軽減されたのではなく、完全に消滅している。消化液に焼かれた肌は元通りに滑らかで、叩き割られた骨の鈍痛も跡形もなく消え、縄痕や火傷の暗い痕まで一切残っていない。
服も新しいものに替わっていた。粗末だが清潔だ。
「……」
千里はまばたきし、思い切り自分をつねる。
痛い。
「……待遇、良すぎじゃねえか」
千里は呟く。「俺、死んだのか?ここは天国か?地獄に嫌われて、外注されたのか?」
「ここは『大食要塞』だ」
隣から声がした。
声の主は、木箱の陰から現れた男。半ば古びた鎧を纏い、肩当ては何度も修繕されている。歩くたび金属が軽く鳴るが、どこか過剰に張り切った印象がある。背筋はまっすぐで、誰にでも状況報告する癖がありそうな立ち姿だ。
「食の天国だ!」
騎士は声を上げ、まるで大規模なお祭りを宣伝するように言った。「ここは食物が豊富で……」
男は一瞬、声をほとんど息に変えた。
「……毒も豊富だがな」
千里は二秒間沈黙した。
「……お前らの天国宣伝、正直すぎるだろ」
男は豪快に笑い、気に留めず、話題を切り替えた。
「君は何者だ?」男は千里を上下から見渡す。「俺は輸送ルートの護衛だ。歩道の端で君を見つけた。傷はひどかった。正直、そのまま転生させちまおうかと思ったくらいだ、もう苦しませる必要もないしな」
「……待て」
千里は半拍遅れて理解する。「つまり、さっき俺は、あなたの手で順当に始末されかけたってことか?」
騎士はわずかに申し訳なさそうな表情を浮かべるが、後悔はしていない。
「正確には、『新生』を得たということだ」
千里は眉をひそめ、騎士をじっと見つめる。
「新生?ロマンチックに聞こえるが、俺は神の儀式に参加した覚えも契約した覚えもない。死んだら本当に死ぬぞ。復活とか……人の口で言われて納得できるもんか?」
男は頷き、まるで既定の規則を確認するかのように素早く動作する。
「その通り」
男は言った。「俺のところでは、手順はそれだけで完了だ」
その確信が、逆に千里の不安を煽る。狂信的な熱意も布教者の自己満足もなく、ただ長年実証された事実を淡々と述べる口調。
危険だ。
千里は瞬時に判断した。詐欺師でも、ただの狂人でもない。この人は文字通り、『転生』を信じている。そしてそれを行動で証明している。
――信仰に目が眩んでいる。
千里はそう心で評価したが、口には出さなかった。
「わかった」
千里は肩をすくめ、軽い口調を装う。「じゃあ、君たちの言う『応急処置』はちょっと詩的ってことで」
騎士は頷いた。「でも生き残った君は、サービスは必要ない」
千里は感謝すべきか迷い、乾いた笑いを漏らして話題をスルーした。
「俺の名前は……えっと、海、海里三千」
千里は真面目な顔でそう言った。
自分が追われる立場かもしれないことに気づき、とっさに作り上げた名前だった。
「道中、見えない怪物に襲われたんだ。あれは……理不尽極まりない液体を吐く、礼儀知らずなやつだ。あれ、いったい何なの?」
「ああ、あれか」男の声は急に興奮した。「君が地球にいない証拠だ」
男は壁にもたれ、新人からの質問を待っていたかのように言葉を続ける。
「君も俺も、ここにいる人間は地球から来たんだ。君には何か異常があったに違いない」
「異常?」
「そう」男は頷く。「その異常が、地球の空間に誤差を生んだ。空間が一時的に崩壊し、回復したときに人がずれて、この異常だらけの世界に来てしまった」
男は熱中している。
「君が遭遇したものは、この世界の生態異常によって進化した結果だ。ここでは生物の進化が、地球より凶暴で巨大で、型も見たことのないものになる」
「聞いてくれ」男は声を落とし、誇らしげに続けた。「俺は以前、巨竜に出会ったことがある。本当に、火を吹き、人語を話す。あの知能――くっ」
男はすぐに嫌そうな顔に変える。
「でも話は通じない。人を食うだけだ。やっぱり獣は獣だな」
千里は呆れた。
「つまり……ここは本当に地球じゃない?」
「うん」
「じゃあ、もう追われなくていいんだな?」
男は一瞬固まった後、咳払いした。
「君は過去に悪事を犯した」男は千里を上から下まで見渡し、声を伸ばす。「まあ……そういうことだ」
そして、何かを思い出したように頭の後ろを掻き、急に態度が緩んだ。
「だが安心しろ。ここでは地球での過ちを問わない」
「ただし――」
男の表情が引き締まり、半空で拳を示す。指導のデモンストレーションのように、動作は完璧だ。
「ここでは二度と悪さをするな」
「もし悪さをしたら」男は笑みを浮かべ、暴力的な誠意を隠さず示す。「叩きのめす」
空気が一瞬、静まり返る。
千里は鼻先にある拳を二秒間見つめた。
「……じゃあ確認しておく」
「ん?」
「俺、口が悪い。ここの“違反”って」
真剣に聞く。「制度へのツッコミも含まれる?」
男は半拍沈黙し、拳を下ろした。
「場合による」
「あまりにプロすぎると……」男はため息。「残業覚悟だ」
「うっかり言いすぎたな」男は手を振る。「新人だろ?《再造之国》の規則で、新人には五百の金券を支給する」
男は懐から封筒を取り出し、中身を見せる。材質不明の紙片に数字が書かれている。どれだけ重ねても薄い。
「説明しておく、新人が騙されないようにな」
「十数枚で一食」
「五十枚で宿泊」
「百枚以上で良い武器が買える」
「色々な方法で稼ぐことも可能」男は笑う。「でも、自分の特技を活かすのが一番だ」
男の視線が千里に落ちた。
ゆっくり口を開く。「で……ここに来る前、君は何をしていた?」
千里は口を歪め、首をかしげて答えた。「地球?ちょうど……尋問されてた」
男は二秒間固まった後、低く哼した。憐憫フィルターがかかっているようだ。「尋問……その程度で異常が出るのか?やりすぎだな」
「でも拷問と言えば……痛みに耐える訓練?」
「なら君は傭兵やハンター、あるいは――」
男は胸当てを軽く叩いた。
「俺のように、騎士。再造之国の命令に従い、要塞の治安を守り、突発事態に対処し、規則違反者を追う」
「その顔やめろ」男は付け加えた。「言ってることは自由だ。今こうして話もできるし、《再造之国》の保護も受けられる」
そのとき、廊下の向こうから呼び声がした。
「ロベルト!こちらに状況あり!」
声の主は耳が尖った小麦色の肌の女性。横顔だけでも目立つ。
騎士、ロベルトは数秒間立ち止まり、頭を掻いた。
「なるほど」男は千里に向き直る。「海里三千だな?」
男は千里を出口へと導きながら、手を振る。
「俺はロベルトだ。この間はずっとここにいるはずだ。……まあ、考えといてもいいし、飯くらい奢ってくれてもいいぞ、ははっ」
痛くない。
おかしい。
この結論は、「まだ生きている」より先に浮かんだ。痛みは残っているはずだ。少なくともわずかにでも、借金のように身体に残っているはず。しかし今は、何もない。あまりにもきれいで、不安になるほどだ。
千里は目を開ける。
視界は石造の天井で埋め尽くされていた。低く、重厚な構造。隙間には見慣れない苔がはさまれ、空気には灯油と塩、長く保存された肉の混じった匂いが漂う。牢獄でも地下室でもない――倉庫?それとも兵舎か。
身体が動く。
脚も、動く。
千里は飛び起き、そして呆然とする。
身の傷が消えていたのだ。
痂皮になったとか、軽減されたのではなく、完全に消滅している。消化液に焼かれた肌は元通りに滑らかで、叩き割られた骨の鈍痛も跡形もなく消え、縄痕や火傷の暗い痕まで一切残っていない。
服も新しいものに替わっていた。粗末だが清潔だ。
「……」
千里はまばたきし、思い切り自分をつねる。
痛い。
「……待遇、良すぎじゃねえか」
千里は呟く。「俺、死んだのか?ここは天国か?地獄に嫌われて、外注されたのか?」
「ここは『大食要塞』だ」
隣から声がした。
声の主は、木箱の陰から現れた男。半ば古びた鎧を纏い、肩当ては何度も修繕されている。歩くたび金属が軽く鳴るが、どこか過剰に張り切った印象がある。背筋はまっすぐで、誰にでも状況報告する癖がありそうな立ち姿だ。
「食の天国だ!」
騎士は声を上げ、まるで大規模なお祭りを宣伝するように言った。「ここは食物が豊富で……」
男は一瞬、声をほとんど息に変えた。
「……毒も豊富だがな」
千里は二秒間沈黙した。
「……お前らの天国宣伝、正直すぎるだろ」
男は豪快に笑い、気に留めず、話題を切り替えた。
「君は何者だ?」男は千里を上下から見渡す。「俺は輸送ルートの護衛だ。歩道の端で君を見つけた。傷はひどかった。正直、そのまま転生させちまおうかと思ったくらいだ、もう苦しませる必要もないしな」
「……待て」
千里は半拍遅れて理解する。「つまり、さっき俺は、あなたの手で順当に始末されかけたってことか?」
騎士はわずかに申し訳なさそうな表情を浮かべるが、後悔はしていない。
「正確には、『新生』を得たということだ」
千里は眉をひそめ、騎士をじっと見つめる。
「新生?ロマンチックに聞こえるが、俺は神の儀式に参加した覚えも契約した覚えもない。死んだら本当に死ぬぞ。復活とか……人の口で言われて納得できるもんか?」
男は頷き、まるで既定の規則を確認するかのように素早く動作する。
「その通り」
男は言った。「俺のところでは、手順はそれだけで完了だ」
その確信が、逆に千里の不安を煽る。狂信的な熱意も布教者の自己満足もなく、ただ長年実証された事実を淡々と述べる口調。
危険だ。
千里は瞬時に判断した。詐欺師でも、ただの狂人でもない。この人は文字通り、『転生』を信じている。そしてそれを行動で証明している。
――信仰に目が眩んでいる。
千里はそう心で評価したが、口には出さなかった。
「わかった」
千里は肩をすくめ、軽い口調を装う。「じゃあ、君たちの言う『応急処置』はちょっと詩的ってことで」
騎士は頷いた。「でも生き残った君は、サービスは必要ない」
千里は感謝すべきか迷い、乾いた笑いを漏らして話題をスルーした。
「俺の名前は……えっと、海、海里三千」
千里は真面目な顔でそう言った。
自分が追われる立場かもしれないことに気づき、とっさに作り上げた名前だった。
「道中、見えない怪物に襲われたんだ。あれは……理不尽極まりない液体を吐く、礼儀知らずなやつだ。あれ、いったい何なの?」
「ああ、あれか」男の声は急に興奮した。「君が地球にいない証拠だ」
男は壁にもたれ、新人からの質問を待っていたかのように言葉を続ける。
「君も俺も、ここにいる人間は地球から来たんだ。君には何か異常があったに違いない」
「異常?」
「そう」男は頷く。「その異常が、地球の空間に誤差を生んだ。空間が一時的に崩壊し、回復したときに人がずれて、この異常だらけの世界に来てしまった」
男は熱中している。
「君が遭遇したものは、この世界の生態異常によって進化した結果だ。ここでは生物の進化が、地球より凶暴で巨大で、型も見たことのないものになる」
「聞いてくれ」男は声を落とし、誇らしげに続けた。「俺は以前、巨竜に出会ったことがある。本当に、火を吹き、人語を話す。あの知能――くっ」
男はすぐに嫌そうな顔に変える。
「でも話は通じない。人を食うだけだ。やっぱり獣は獣だな」
千里は呆れた。
「つまり……ここは本当に地球じゃない?」
「うん」
「じゃあ、もう追われなくていいんだな?」
男は一瞬固まった後、咳払いした。
「君は過去に悪事を犯した」男は千里を上から下まで見渡し、声を伸ばす。「まあ……そういうことだ」
そして、何かを思い出したように頭の後ろを掻き、急に態度が緩んだ。
「だが安心しろ。ここでは地球での過ちを問わない」
「ただし――」
男の表情が引き締まり、半空で拳を示す。指導のデモンストレーションのように、動作は完璧だ。
「ここでは二度と悪さをするな」
「もし悪さをしたら」男は笑みを浮かべ、暴力的な誠意を隠さず示す。「叩きのめす」
空気が一瞬、静まり返る。
千里は鼻先にある拳を二秒間見つめた。
「……じゃあ確認しておく」
「ん?」
「俺、口が悪い。ここの“違反”って」
真剣に聞く。「制度へのツッコミも含まれる?」
男は半拍沈黙し、拳を下ろした。
「場合による」
「あまりにプロすぎると……」男はため息。「残業覚悟だ」
「うっかり言いすぎたな」男は手を振る。「新人だろ?《再造之国》の規則で、新人には五百の金券を支給する」
男は懐から封筒を取り出し、中身を見せる。材質不明の紙片に数字が書かれている。どれだけ重ねても薄い。
「説明しておく、新人が騙されないようにな」
「十数枚で一食」
「五十枚で宿泊」
「百枚以上で良い武器が買える」
「色々な方法で稼ぐことも可能」男は笑う。「でも、自分の特技を活かすのが一番だ」
男の視線が千里に落ちた。
ゆっくり口を開く。「で……ここに来る前、君は何をしていた?」
千里は口を歪め、首をかしげて答えた。「地球?ちょうど……尋問されてた」
男は二秒間固まった後、低く哼した。憐憫フィルターがかかっているようだ。「尋問……その程度で異常が出るのか?やりすぎだな」
「でも拷問と言えば……痛みに耐える訓練?」
「なら君は傭兵やハンター、あるいは――」
男は胸当てを軽く叩いた。
「俺のように、騎士。再造之国の命令に従い、要塞の治安を守り、突発事態に対処し、規則違反者を追う」
「その顔やめろ」男は付け加えた。「言ってることは自由だ。今こうして話もできるし、《再造之国》の保護も受けられる」
そのとき、廊下の向こうから呼び声がした。
「ロベルト!こちらに状況あり!」
声の主は耳が尖った小麦色の肌の女性。横顔だけでも目立つ。
騎士、ロベルトは数秒間立ち止まり、頭を掻いた。
「なるほど」男は千里に向き直る。「海里三千だな?」
男は千里を出口へと導きながら、手を振る。
「俺はロベルトだ。この間はずっとここにいるはずだ。……まあ、考えといてもいいし、飯くらい奢ってくれてもいいぞ、ははっ」
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