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トキノハカリ
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花々が咲き乱れる王宮の中庭を散歩する。公務に追われる日々のほんの少しの息抜きにと始めてみたが、これが思ったよりも効果的だった。ずっと部屋に閉じこもるよりは陽の光を浴びて身体を動かすことがこんなにも心地よいなんて。
「ジェラルド様。向こうの木の枝に鳥の巣が出来ておりましたよ」
護衛騎士のエミールが笑みを浮かべ俺の手を取る。
「雛が居るのか?」
「ええ。下から少し見えますよ」
ピィピィと小さな声が聞こえる。親鳥からエサをもらっているようだ。
俺はこの国の第一王子のジェラルドだ。母譲りの黒髪で青い瞳のせいか、周りからは冷酷で陰気な性格だと思われている。俺からしたら余計なことを言わなくても睨みが利くなら悪評も良いと思う。対照的に俺のふたつ下の金髪緑眼の第二王子のドミニクは社交的でまわりの評判も良いらしい。俺の母である王妃は俺を産んですぐに亡くなり、ドミニクは隣国から来た第二王妃が産んだ子である。こいつは何かと俺と張り合い、最近では公務の事まで手を出してきている。だが、そのおかげで俺もこうしてのんびりできる時間がとれてはいるのだからありがたいと思ってはいる。
庭師が蒔いた水が太陽に照らされて綺麗な虹を作る。まるで幻想のような光景だ。実際俺がいるこの場所も直ぐに足元が崩れていきそうなもろいものである。ぼんやりと見ていたら弟のドミニクがやってきた。
「兄上。こんなところにいらっしゃったのですね」
金色のくせ毛が風にふわふわと揺れる。俺を探していたのだと言う。
「すまないな。少し散歩をしていたのだよ」
「探し疲れてしまいましたよ。お茶でもいたしましょう」
そのまま近くにある東屋まで連れて行かれた。公務で俺のサインが必要な書類があるらしい。
「では私がお茶の手配をいたしましょう」
俺の侍従兼護衛騎士であるエミールがメイドを手招きし、お茶の用意を始める。
「相変わらずエミールを傍に侍らせておいでなのですね」
「エミールは俺の騎士だからな」
「ですが散歩の時ぐらい自由にさせてやってもいいのでは?」
「護衛騎士は常に一緒にあるべきだ」
「まったく、兄上の警護にあたるのは大変だ」
ドミニクから数枚の書類を受け取り、俺はサインをしていく。
「兄上もそろそろ婚約者を選ばないといけないのではないですか? エミールもそう思うはずだよ」
「王家の義務としてはわかっている。だがまだそのつもりはない」
ガゼボの中は日陰のせいかそれほど暑くはない。なのに息苦しく感じるのは何故だろうか。 このドミニクの探るような物言いが俺はどうも好きになれない。
「どうかされたのですか? お茶が冷めてしまいますよ」
考え事をしていたせいか目の前にはすでにティーカップが並んでいた。甘い香りがしているが、気にせず俺がカップに口をつけるとドミニクが微笑んだ。早くこの場を離れたくてそのままぐっと一気に飲み干すと喉の奥が焼けるように熱くなる。
「ぐはぁっ!」
なんだ? 一体? ぐらりと視界が回転し、俺はその場に倒れ込んだ。
「兄上! しっかりして!」
俺の手を取り叫ぶのはドミニクだ。口元が歪んで見える?
「ジェラルド様っ」
離れた位置で立っていたエミールが駆け寄る。
「お前の仕業だな! 兄上に毒を盛ったな!」
ドミニクがエミールを睨みつけた。何を言ってるんだ? エミールはそんなことをする奴ではない。否定しようとするが身体がしびれてなかなか声が出ない。
「違います! 私はそのような事はしない!」
「いや、前々からエミールはジェラルド兄上からひどい仕打ちをされていて憎んでいたのはわかっているぞ」
何故エミールが俺を憎むのだ? 俺が今一番信頼している男だというのに。それにエミールは国の事を一番に考えているヤツだ。俺に危害を加えて混乱を招くようなことなどするはずがない。
「エ……ミ……」
エミールじゃないと彼に向かって震える手を伸ばす。
「ほ、ほらっ! お前が犯人だって兄上も指さしてるじゃないか!」
「違う! 私はジェラルド様を……」
「皆来てくれ! エミールを捕えろ!」
すぐさま近衛騎士が現れ、エミールが捕縛されていく。まるでその場に待機していたかのように。
「離せ! ジェラルド様っ」
「ま……て……」
最後はエミールが俺を呼ぶ声を遠くで聞いた気がした。
次の日から俺はベッドから起き上がることも出来なくなる。使われたのは神経性の毒で俺の手足と舌の動きを奪った。だが、公務のほとんどはドミニクが代行しており、俺がいなくても何も困ることはないのだという。しばらくして俺の回復が見込めないとわかった途端に、俺は後継者から外された。もともと金髪碧眼である王は俺の髪色や容姿から母の浮気を疑っていたらしい。
何をする気力もなくベッドで寝かされる日々。そんなある日ドミニクがやってきた。
「兄上。久しぶりだね。明日はエミールの処刑だよ。心臓が弱っている兄上には刺激が強いかもしれないね。でも最後になるから兄上も見学に連れて行ってあげるよ」
なんだと! 明日はエミールの処刑だと?
「ぁ……ぐ……エミ……う」
「ふん。無様だね。いいことを教えてあげるよ。僕は父上の子じゃないのさ。母上は父上の寵愛が欲しくて同じ金髪碧眼の相手と浮気をしたんだとさ。僕はずっと兄上の影だったんだ。いつかきっと表に出てやると機会を窺っていたんだよ」
うそだ。誰からも愛されていたお前がなんで俺なんかを? しかも俺の公務を手伝っていたのも、俺から仕事を取り上げるつもりだったのか。すでに何人かの貴族達にも根回しが済んでいるという。
翌日は晴天で処刑台のある広場にエミールが引きずり出されていた。俺は処刑台の真ん前の椅子に固定されている。久しぶりに見るエミールはやつれてボロボロだったが、俺の姿を見つけると安堵と絶望の入り混じった表情を見せた。
「エミ……ル……」
涙がとめどなく溢れ頬を流れる。何故だ。何故こんな事に?
「ジェラルド様……」
エミールがそんな俺を見て困ったように笑う。胸が裂かれるほどに苦しい。
「やめ……ろ……っ……ダメだぁああっ!」
俺が叫び声を上げると同時に世界は反転した。
――――暗い闇の中を歩いていた。
「ここはどこだ。俺はこんなところで何をしているんだ?」
早く戻らないと。エミールが危ない。
「どうしてこんな事に! なぜだ!」
ドミニクの仕業だったのか? 俺は何も期待せずにただ政務をこなしていただけなのに。何故だ!
【おやおや。こんなところで迷子になってるのかのぉ。おぬしがここに来るのはまだ早いはずなんじゃがな】
どこからともなく老人の声がする。
「誰だ? 俺は……迷子ではない。誰でもいい、頼む! このままだとエミールが冤罪で処刑されてしまう。助けなくては!」
【ほっほっほ。これはまた。自分が置かれていた立場というものを理解していなかったと見える】
「理解してなかったとは?」
【目に見えている物事や見えていないモノから目をそらしてやり過ごそうとしていたという事じゃよ】
「どういう意味かわからない」
【逃げていたんじゃよ。本来ならそのような者は自業自得なのだが、おぬしの母君はワシのお気に入りじゃったのでな。その望みを叶えてやってもよいぞ】
「母上をご存じなのか?」
【とても美しい魂の持ち主じゃったからな。もしもここにおぬしが迷い込んだら、一度だけ手を貸してほしいと頼まれていたのでな】
「母上もここに来られたのか」
【そうじゃ。ここはあの世とこの世の境目なのじゃよ】
「そうなのか……ならば俺はもう……」
【まあ。そういうことじゃわい。よいか。これを使えば時間は戻るが、真実も知ることになる。その衝撃に耐えることができるかの? それでも良ければ使うがいい】
「かまわない。真実はどうであれ、俺は救わなければならない相手がいる」
【ふむ。その気持ちは本物のようじゃの】
闇の中にぽうっと光に包まれて現れたのは金の懐中時計だった。俺がそれを手に取ると時計の針がグルグルと回りだす。
「これは?」
【トキノハカリじゃよ】
「時の計り?」
【ほっほっほ。うまくいけばおぬしは誠の愛も手に入れるだろうよ】
老人の声が消えると同時に俺は意識を失った。
◇◆◇
「ジェラルド様。朝ですよ。起きてください」
俺を起こす声に目を開けるとエミールが立っていた。無事だったのか。良かった。話しかけようとするが声にならない。
「いつまで目ぼけてらっしゃるのですか?」
「あぁ、昨夜は公爵家の娘たちに囲まれて閉口したのだ」
そう言って起き上がったのは「俺」だった。エミールにされるがままに着替えをしている。
(え! 俺じゃないか? なんだ? どうなっている)目の前には「俺」がいる。だが俺自身はここにいるのに。手を伸ばそうとして自分の身体が透けていることに気づく。
(なんだこれは? 俺はどうなってしまったのだ?)
「またそんなことをおっしゃって。これも王族の務めですよ」
エミールには俺が見えてないようだ。それにこの場面自体に覚えがある。ならば今エミールに上着を着せてもらっているのが過去の「俺」というわけか?
「ああ。わかっているさ」
そうだ。国を支えていくために俺は王族として生きていかなければならない。王家の血統を残すために有力な貴族から伴侶を得なければならないのだ。……なのに。なぜ過去の「俺」はこんなに苦しそうな顔をしているのだ?
「エミール」
「はい。どうなされました?」
「令嬢達が居ても俺の側から離れるな」
「それは……令嬢方に嫌がられるかと?」
エミールが苦笑する。
「かまわぬ。お前は私の護衛騎士なのだから」
「かしこまりました」
「俺」の後をついてくるエミールがなんだか嬉しそうだ。こんな風に客観的に周りを見たことがなかった。そうか、いつも俺は自分を中心としてしか物事を見ていなかったのか。
――――チクタクチクタク……。急に時計の針の音が大きくなると場面が変わる。
「兄上。父上からまたお褒めの言葉をいただいたのです」
ドミニクが笑顔で「俺」に話しかけていた。やはり今の俺の姿は誰にも見えていないようだ。
「そうか。よかったな」
書類整理に忙しい「俺」はほとんどドミニクの話を聞いていなかった。
「兄上も父上にお会いに行かれるのですか?」
「いや、俺は呼ばれていないから」
「そうだったのですね。今日は父上の信頼の置ける者しかお呼びにならないと聞いてましたよ?」
張り付いた笑顔を「俺」に向けるドミニク。何故そんな話を「俺」に振ってくるのかが分からなかった。だがこうして客観的に見てみるとドミニクは俺にライバル心をむき出しにしていたのかもしれない。
「……悪いがこれで失礼する」
だが、誰が誰に褒められようが「俺」にとってはどうでも良いことだったのだ。王太子教育が始まり、国を背負う義務という言葉が重く圧し掛かっていて周りを見る余裕などなかった。この頃の「俺」には覚悟がなかったのだ。
「ちっ……。無視しやがって」
「俺」が部屋を出た途端に笑顔の仮面を剥がしたドミニクは憎々しそうに呟く。
「あんたには野心がない。敷かれたレールを当たり前のように歩いているのが恨めしい。僕のこの目が父親似だとわかる前に僕の立場を固めないと……」
まさか。本当に父上の子供じゃないのか? ドミニクの母親である第二王妃は王である父上と同じく金髪碧眼だ。ドミニクの目は母方の身内に多い色だと聞かされていた。
「ドミニク!」
金色の巻き毛を揺らしながら派手な化粧に豪華なドレスをひるがえし部屋に入ってきたのは第二王妃だった。
「母上? どうなされたの……」
バシィンっ。義母はドミニクの頬をいきなり張り倒した。
「どうなされたのですって! ジェラルドが王に代わって公務をやり始めたそうじゃないの!」
バシッバシッと扇が折れるまで叩きつけられたドミニクが床に倒れ込む。
「お前がまぬけだからまたジェラルドに先を越されたのよ!」
「ぐっ。母上! 落ち着いて下さい」
「ああ……ドミニク。わたしの可愛いドミニク。どうすればいいかわかるわよね?」
義母がドミニクを起こし抱きしめながら何度も繰り返しその耳に囁き続ける。
「王はジェラルドを疎ましく思っているくせに才能だけは評価しているっていうのよ。きっとあの女の子供だからよ。王の心を奪うあの女の息子なぞ蹴倒してやりなさい。貴方がこの国の王太子になるのよ」
(なんだこれは?)
俺は唖然とした。透明になった俺の目の前で、くり広げられる光景が信じられない。これがドミニクの日常なのか。俺は第二王妃にこんなにも嫌われていたのか。父上が俺を嫌っているのはわかっていた。俺を産んだせいで母上を亡くしたと思っているからだ。
「わかっております。兄上よりも僕の方がうまく立ち回れる」
「私を人質同様に迎え入れたこの国の王家の血など継がせてたまるものか!」
――――チクタクチクタク……。また時計の針の音が大きくなり、今度は俺の部屋に切り替わる。現れた場面に思わず息をのんだ。
「……あっ。ジェラルドさま……んっ……」
「閨ではジェラルドと呼べ」
「あっ……ジェラ……ル……ぁあっ」
ベッドの上にはエミールと「俺」が居た。俺の閨房教育の相手はエミールだったのだ。その後も世継ぎ問題もあり、女性を相手にするよりは孕むことのない男性であるエミールを俺は選んだ。無防備な裸になるからには信頼できる相手の方がよかったからだ。
「ぁ……っ……んぁあ……ぁっ……」
控えめなエミールの声と荒い息遣いだけが部屋に響く。エミールの筋肉質な身体が淫らに乱れる。なんて妖艶なんだ。こんな風に乱れて「俺」にしがみついて。見ているこっちの股間が熱くなってくる。それに「俺」の顔があんなにも熱を帯びているのは何故だ。これはただの性欲処理だったのではないのか?
「エミール。もっと……締めつけろ」
「っ……ジェラ……ルドっ」
びくびくと痙攣しながらも艶めかしい痴態を見せるエミールを腕に抱き自分本位に腰を打ち付ける「俺」。いつもその日の気分で夜伽を命じていた。
(くそっ。もっと大事に扱え。俺はこんなに身勝手な抱き方をしていたのか!)エミールは騎士らしく鍛え上げられた身体であった。多少無理をしても壊れることはない。それをわかっていて「俺」は自分の欲望を優先していた。……最低な男じゃないか。
事が終わり、「俺」が寝静まったのを見てエミールがそっとベッドから抜け出す。眠りに落ちた「俺」の額にかかる髪をかき上げ、声を出さずに口を動かした。あ・い・し・て・い・ま・すと。
胸が苦しい。エミールが俺を? 臣下として義務だけで務めてくれてるのかと思っていた。俺はなんて馬鹿だったのだろう。エミールの気持ちをわかってやれてなかった。こんなに毎日一緒に居て俺を支えてくれていたのに。
王妃が亡くなり、俺を庇護してくれる者はごくわずかしかいなかった。父である王はすぐに側室の元に行き子作りに励んだそうだ。俺のスペアが必要だと考えたのだろう。乳母や側近は俺に疑心を教え、王族として生き抜く知恵と心構えを教えた。つまりは何事も深く考えずにやり過ごせという事だ。
本当はわかっていた。俺がお飾りの王太子だってことは。王宮を牛耳っているのはドミニクの母親である第二王妃だ。彼女が我が子の後ろ盾を有力者で固めようとしているって事も。すべてをやり過ごそうと俺は見ないふりをしてきた。
エミールの事もそうだ。常に俺の傍に居てくれるのは使命感からだと勝手に思い込んでいた。俺のこの気持ちが報われないなら、ずっと俺の傍に縛り付けてしまおうと。
……俺の気持ち? なんだそれは? 俺はエミールの事を?
【ほっほっほっ。見えてきたかの? トキノハカリはおぬしが過ごしてきた時間を量るものでもある。さてそろそろ返してもらうかの。この後はおぬし次第じゃよ。幸運を】
――――チクタクチクタク……キィィイン! 耳をつんざく高音に思わず目をつぶる。
「ジェラルド様。大丈夫ですか?」
「……エミール?」
声が出る! 俺は急いで目を開くと自分の手が透けてないことを確認する。身体の感覚も戻ってきていた。俺はようやく帰ってきたのだ。
「お顔の色がよくありません。体調が悪いのではありませんか?」
そこには俺の騎士が居た。俺が唯一信頼できる最愛の人物が。
「エミール! もう二度と俺の傍から離れるな」
大丈夫だ。まだ俺は生きている。エミールも無事だ。何があっても助けてみせる。
「っ! ジェラルド様?」
いきなり俺に抱きつかれたエミールが驚いたように目を見開く。
「どうされたのですか?」
「今更だが気づいたのだ。お前が俺にとってどれほど大切なのかを」
「……なっ……何を」
「こんな馬鹿な俺にお前は忠誠心以上のものを捧げてくれていた」
エミールが動揺したように俺を見る。エミールの手に口づけをすると更に慌てだした。
「じぇ……ジェラルド様……?」
真っ赤になったエミールが可愛い。精悍な顔つきなのだが、眉が下がり困惑気味だ。
「こ、こんな場所で……その……」
言われて初めて辺りを見回した。花々が咲き乱れる王宮の中庭だと気付くのが遅かったようだ。庭師が手元に持った水をポタポタとこぼしながら固まっていた。
「コホン。作業の邪魔をしたな」
「はっ。はい。いや、いいえ。滅相もありません! 仕事に戻ります」
庭師が深々と頭を下げると勢いよく水をまき始める。まるで何も見てませんでしたと言うように。まいた水が太陽に照らされて綺麗な虹を作ると俺はこの場面を思い出した。
そうだ、元凶となる奴が現れる時間だ。
「エミール。この後、俺がどんな行動や言動を取ろうがお前はそのまま俺の傍から離れるなよ」
「はい。……何をなさるおつもりなのですか?」
「これまでの精算かな?」
「精算?……何があっても私は貴方について行きます」
俺の言葉に何かを感じたのだろう。エミールはぐっと顎を引いた。
「兄上。こんなところにいらっしゃったのですね」
ドミニクが金色のくせ毛を風に揺らして現れた。俺を探していたのだという。張り付いた笑顔が今は歪んだ笑みのようにしか見えない。
「ドミニクこそどうして俺を探しているのだ? お茶でも誘うつもりだったのかな?」
一瞬、ドミニクが俺の言葉に顔を引きつかせたがすぐに笑みを浮かべた。
「はい。探し疲れてしまいました。お茶を所望したいですね」
「奇遇だな。俺もエミールと共に散歩をしていたからな、そこのガゼボで休もうか」
俺が隣に視線を移すとエミールがうなずいた。
「相変わらずエミールを傍に侍らせておいでなのですね」
「エミールは俺の騎士だからな。一緒に居るのが当たり前だ」
「ははは。兄上の警護にあたる者は大変だね」
「ああ。そうだ。だからそこの影にいるメイド達にはドミニクからお茶を持ってくるように命じてくれ」
「……よくメイドがいるってわかりましたね」
「俺は目が良いのでね」
緊迫した空気を感じてかエミールが俺の後ろに立った。
「なんだお前はぶしつけな奴だな。騎士風情が僕たちと同席できると思っているのか」
ドミニクが眉を寄せてエミールを睨みつける。
「かまわない。エミールは俺の騎士だ。俺が行くところすべてに同席を許している。それより早くお茶を用意してくれないか」
俺の言葉にエミールが喜んでいるのが分かる。本当なら俺の隣に座らせたいがこの後のことがあるから背後にいてもらってるだけなのだ。
すぐにメイドがお茶を運んできた。じっと見つめていると震える手で俺の前にティーカップを置いた。
「兄上。お茶が冷めてしまう前に。書類にサインを……」
「おや? そちらのお茶に何か浮いているようだね」
「え?」
俺は素早くドミニクのカップを掴むと自分のカップと入れ替える。
「俺のと交換してあげよう」
「いっ、いえ。それはっ」
「さあ、冷めないうちにどうぞ。まさか俺のお茶を君は飲めないなんて言わないよな?」
「くそ……毒だ! この茶には毒が入ってる!」
「どうして飲んでもいないのに毒が入っていると思うのかな?」
「そ、それは……エミールだ! エミールが毒を入れているところを私が見たのです」
こいつはどうしてもエミールを犯人にしたいのか?
「私は、そんな事は致しません!」
「わかっている。エミールはずっと俺と一緒に居たからね」
「め、メイドに命令していたのです! エミールはずっと貴方に慰み者にされてるのを恨んでたんですよ!」
閨の事を知っていたのか。側近達も誰も驚かないところを見ると俺とエミールのことは暗黙の了解のように周知されていたというのか?
「私はジェラルド様を恨んでなどおりません! ジェラルド様は立場上女性を相手になされるよりは男性の私の方が都合がよかっただけで……」
「エミール」
俺はエミールの手を握るとその身体を引き寄せた。
「すまない。俺の口からはっきりと皆に言おう。俺はエミールをとても大事に思っている。確かに最初は男性の方が都合が良いという理由だった。だが今は違う! 公私ともども俺を支えて欲しいとそう思っているのだ」
「ジェラルド様……」
エミールの目が潤んで見える。伝えるのが今頃になってすまない。
「は……なんだ。兄上は世継ぎを作る気はないのか? それでは後継者にはなれないではないか。ふぁははは」
ドミニクが笑い転げ出した。
「それはお前も同じではないか? 王太子に毒を盛ったのだぞ。謀反人ではないか」
「なっ、何を言い出すのです!」
「ではそこのメイドよ。この茶を飲み干して見せよ」
「そ、それは……」
「どのみち、ドミニク側についたとしてもお前はエミールに命じられて毒を入れたことになるのではないのか?」
メイドが青い顔をしてぶるぶると震えだす。
「このっ……」
ドミニクが剣を抜こうとするのをエミールが押さえ込んだ。
「わ、私はちょっと体調が悪くなるだけだって第二王妃様に頼まれて……」
メイドの告発にドミニクが暴れだす。
「黙れ! 黙れ!」
「周辺に控えている騎士たちよ。今一度その忠誠心に問おう。お前達はどちらの言葉を信じるのだ?」
俺の問いかけにぞろぞろと周辺から近衛騎士たちが現れた。皆困惑気味のようだ。
「エミール。ドミニクの持つ書類を見せろ」
「はい。」
その書類がどういうものかは最初からわかっていた。俺が王位継承を辞退するという書類とエミールに処罰を与えると言う同意書だ。前回の時はドミニクの言葉に動揺した俺は中身をよく確認せずにサインをしてしまったのだった。
「俺は今までは、王族として生まれたことに対して、ただ義務として受け入れていた。周りから見ればそれはやる気のない態度だったように思う。だが今は違う。見て見ぬふりはせず、俺は責任をもってお前達と対峙していきたい」
「「「ジェラルド様!」」」
宮廷騎士たちによってメイドとドミニクが捕えられ、ドミニクは謹慎処分。メイドは牢へと連れて行かれた。
その後俺のティーカップには致死量の毒が混入されていることがわかった。
「メイドは毒が致死量とは思っていなかったようだったな」
「ですが毒を盛った時点で謀反です!」
「まあそうだが。俺にも悪いところがある。義務的な事しか考えず肝心なものを見ようとしてこなかった。あのメイドは第二王妃に脅されたのであろう」
「ジェラルド様はとてもカッコよかったです。ですが、これからどうなさるおつもりですか?」
「今から第二王妃に会いに行く」
「こちらからでございますか?」
「ああ。今度は俺から仕掛けるのだ」
「しかし……。あちらは王宮の半数を掌握していると思われます」
エミールが眉間にしわを寄せた。
「エミール。その前に聞いておきたいことがある」
「はい。なんなりとお聞きください」
「お前は俺が王太子でなくても俺についてくる気はあるか?」
「もちろんです! 私はジェラルド様を……お慕いしております」
「ありがとう。今回の事で俺は王太子の座を捨てても良いと思っているのだ」
「何をおっしゃられるのです!」
「まあ、聞け。わかったのだよ。俺にとって何が一番大事なのか。俺はどうやらお前が居ないとダメなようだ。お前と一緒に居られる場所を作るために今後は動くつもりだ」
「……っそんな。私など」
「私などと言うな。俺が愛したエミールのことを例えお前自身であっても卑下することは許さない」
「ジェラルド様……」
「さて。女狐との話し合いに出向こうか」
「はい!」
こちらの切り札はドミニクの出生の秘密。おそらく父親は緑眼の持ち主の宰相あたりだろう。決定打はないが匂わせることは出来る。すでに貴族間にその噂をバラまいておいた。それに毒殺が失敗し俺が反撃ででたことまで。これ以上はほっておいても尾ひれがついて膨らむだろう。
最終的には王太子の地位を放棄してもかまわない。ドミニクを傀儡の王に仕立て上げ、それを操る裏方に回ればいいだけだ。
エミールには悪いが俺は自分の執着心の強さに気付いてしまった。今よりも甘く魅了して絡め取ってもう二度と俺は彼を離す気はない。そのためにはどんな手も打って見せる。
俺の未来は俺の手で切り開くのだ。
おわり
「ジェラルド様。向こうの木の枝に鳥の巣が出来ておりましたよ」
護衛騎士のエミールが笑みを浮かべ俺の手を取る。
「雛が居るのか?」
「ええ。下から少し見えますよ」
ピィピィと小さな声が聞こえる。親鳥からエサをもらっているようだ。
俺はこの国の第一王子のジェラルドだ。母譲りの黒髪で青い瞳のせいか、周りからは冷酷で陰気な性格だと思われている。俺からしたら余計なことを言わなくても睨みが利くなら悪評も良いと思う。対照的に俺のふたつ下の金髪緑眼の第二王子のドミニクは社交的でまわりの評判も良いらしい。俺の母である王妃は俺を産んですぐに亡くなり、ドミニクは隣国から来た第二王妃が産んだ子である。こいつは何かと俺と張り合い、最近では公務の事まで手を出してきている。だが、そのおかげで俺もこうしてのんびりできる時間がとれてはいるのだからありがたいと思ってはいる。
庭師が蒔いた水が太陽に照らされて綺麗な虹を作る。まるで幻想のような光景だ。実際俺がいるこの場所も直ぐに足元が崩れていきそうなもろいものである。ぼんやりと見ていたら弟のドミニクがやってきた。
「兄上。こんなところにいらっしゃったのですね」
金色のくせ毛が風にふわふわと揺れる。俺を探していたのだと言う。
「すまないな。少し散歩をしていたのだよ」
「探し疲れてしまいましたよ。お茶でもいたしましょう」
そのまま近くにある東屋まで連れて行かれた。公務で俺のサインが必要な書類があるらしい。
「では私がお茶の手配をいたしましょう」
俺の侍従兼護衛騎士であるエミールがメイドを手招きし、お茶の用意を始める。
「相変わらずエミールを傍に侍らせておいでなのですね」
「エミールは俺の騎士だからな」
「ですが散歩の時ぐらい自由にさせてやってもいいのでは?」
「護衛騎士は常に一緒にあるべきだ」
「まったく、兄上の警護にあたるのは大変だ」
ドミニクから数枚の書類を受け取り、俺はサインをしていく。
「兄上もそろそろ婚約者を選ばないといけないのではないですか? エミールもそう思うはずだよ」
「王家の義務としてはわかっている。だがまだそのつもりはない」
ガゼボの中は日陰のせいかそれほど暑くはない。なのに息苦しく感じるのは何故だろうか。 このドミニクの探るような物言いが俺はどうも好きになれない。
「どうかされたのですか? お茶が冷めてしまいますよ」
考え事をしていたせいか目の前にはすでにティーカップが並んでいた。甘い香りがしているが、気にせず俺がカップに口をつけるとドミニクが微笑んだ。早くこの場を離れたくてそのままぐっと一気に飲み干すと喉の奥が焼けるように熱くなる。
「ぐはぁっ!」
なんだ? 一体? ぐらりと視界が回転し、俺はその場に倒れ込んだ。
「兄上! しっかりして!」
俺の手を取り叫ぶのはドミニクだ。口元が歪んで見える?
「ジェラルド様っ」
離れた位置で立っていたエミールが駆け寄る。
「お前の仕業だな! 兄上に毒を盛ったな!」
ドミニクがエミールを睨みつけた。何を言ってるんだ? エミールはそんなことをする奴ではない。否定しようとするが身体がしびれてなかなか声が出ない。
「違います! 私はそのような事はしない!」
「いや、前々からエミールはジェラルド兄上からひどい仕打ちをされていて憎んでいたのはわかっているぞ」
何故エミールが俺を憎むのだ? 俺が今一番信頼している男だというのに。それにエミールは国の事を一番に考えているヤツだ。俺に危害を加えて混乱を招くようなことなどするはずがない。
「エ……ミ……」
エミールじゃないと彼に向かって震える手を伸ばす。
「ほ、ほらっ! お前が犯人だって兄上も指さしてるじゃないか!」
「違う! 私はジェラルド様を……」
「皆来てくれ! エミールを捕えろ!」
すぐさま近衛騎士が現れ、エミールが捕縛されていく。まるでその場に待機していたかのように。
「離せ! ジェラルド様っ」
「ま……て……」
最後はエミールが俺を呼ぶ声を遠くで聞いた気がした。
次の日から俺はベッドから起き上がることも出来なくなる。使われたのは神経性の毒で俺の手足と舌の動きを奪った。だが、公務のほとんどはドミニクが代行しており、俺がいなくても何も困ることはないのだという。しばらくして俺の回復が見込めないとわかった途端に、俺は後継者から外された。もともと金髪碧眼である王は俺の髪色や容姿から母の浮気を疑っていたらしい。
何をする気力もなくベッドで寝かされる日々。そんなある日ドミニクがやってきた。
「兄上。久しぶりだね。明日はエミールの処刑だよ。心臓が弱っている兄上には刺激が強いかもしれないね。でも最後になるから兄上も見学に連れて行ってあげるよ」
なんだと! 明日はエミールの処刑だと?
「ぁ……ぐ……エミ……う」
「ふん。無様だね。いいことを教えてあげるよ。僕は父上の子じゃないのさ。母上は父上の寵愛が欲しくて同じ金髪碧眼の相手と浮気をしたんだとさ。僕はずっと兄上の影だったんだ。いつかきっと表に出てやると機会を窺っていたんだよ」
うそだ。誰からも愛されていたお前がなんで俺なんかを? しかも俺の公務を手伝っていたのも、俺から仕事を取り上げるつもりだったのか。すでに何人かの貴族達にも根回しが済んでいるという。
翌日は晴天で処刑台のある広場にエミールが引きずり出されていた。俺は処刑台の真ん前の椅子に固定されている。久しぶりに見るエミールはやつれてボロボロだったが、俺の姿を見つけると安堵と絶望の入り混じった表情を見せた。
「エミ……ル……」
涙がとめどなく溢れ頬を流れる。何故だ。何故こんな事に?
「ジェラルド様……」
エミールがそんな俺を見て困ったように笑う。胸が裂かれるほどに苦しい。
「やめ……ろ……っ……ダメだぁああっ!」
俺が叫び声を上げると同時に世界は反転した。
――――暗い闇の中を歩いていた。
「ここはどこだ。俺はこんなところで何をしているんだ?」
早く戻らないと。エミールが危ない。
「どうしてこんな事に! なぜだ!」
ドミニクの仕業だったのか? 俺は何も期待せずにただ政務をこなしていただけなのに。何故だ!
【おやおや。こんなところで迷子になってるのかのぉ。おぬしがここに来るのはまだ早いはずなんじゃがな】
どこからともなく老人の声がする。
「誰だ? 俺は……迷子ではない。誰でもいい、頼む! このままだとエミールが冤罪で処刑されてしまう。助けなくては!」
【ほっほっほ。これはまた。自分が置かれていた立場というものを理解していなかったと見える】
「理解してなかったとは?」
【目に見えている物事や見えていないモノから目をそらしてやり過ごそうとしていたという事じゃよ】
「どういう意味かわからない」
【逃げていたんじゃよ。本来ならそのような者は自業自得なのだが、おぬしの母君はワシのお気に入りじゃったのでな。その望みを叶えてやってもよいぞ】
「母上をご存じなのか?」
【とても美しい魂の持ち主じゃったからな。もしもここにおぬしが迷い込んだら、一度だけ手を貸してほしいと頼まれていたのでな】
「母上もここに来られたのか」
【そうじゃ。ここはあの世とこの世の境目なのじゃよ】
「そうなのか……ならば俺はもう……」
【まあ。そういうことじゃわい。よいか。これを使えば時間は戻るが、真実も知ることになる。その衝撃に耐えることができるかの? それでも良ければ使うがいい】
「かまわない。真実はどうであれ、俺は救わなければならない相手がいる」
【ふむ。その気持ちは本物のようじゃの】
闇の中にぽうっと光に包まれて現れたのは金の懐中時計だった。俺がそれを手に取ると時計の針がグルグルと回りだす。
「これは?」
【トキノハカリじゃよ】
「時の計り?」
【ほっほっほ。うまくいけばおぬしは誠の愛も手に入れるだろうよ】
老人の声が消えると同時に俺は意識を失った。
◇◆◇
「ジェラルド様。朝ですよ。起きてください」
俺を起こす声に目を開けるとエミールが立っていた。無事だったのか。良かった。話しかけようとするが声にならない。
「いつまで目ぼけてらっしゃるのですか?」
「あぁ、昨夜は公爵家の娘たちに囲まれて閉口したのだ」
そう言って起き上がったのは「俺」だった。エミールにされるがままに着替えをしている。
(え! 俺じゃないか? なんだ? どうなっている)目の前には「俺」がいる。だが俺自身はここにいるのに。手を伸ばそうとして自分の身体が透けていることに気づく。
(なんだこれは? 俺はどうなってしまったのだ?)
「またそんなことをおっしゃって。これも王族の務めですよ」
エミールには俺が見えてないようだ。それにこの場面自体に覚えがある。ならば今エミールに上着を着せてもらっているのが過去の「俺」というわけか?
「ああ。わかっているさ」
そうだ。国を支えていくために俺は王族として生きていかなければならない。王家の血統を残すために有力な貴族から伴侶を得なければならないのだ。……なのに。なぜ過去の「俺」はこんなに苦しそうな顔をしているのだ?
「エミール」
「はい。どうなされました?」
「令嬢達が居ても俺の側から離れるな」
「それは……令嬢方に嫌がられるかと?」
エミールが苦笑する。
「かまわぬ。お前は私の護衛騎士なのだから」
「かしこまりました」
「俺」の後をついてくるエミールがなんだか嬉しそうだ。こんな風に客観的に周りを見たことがなかった。そうか、いつも俺は自分を中心としてしか物事を見ていなかったのか。
――――チクタクチクタク……。急に時計の針の音が大きくなると場面が変わる。
「兄上。父上からまたお褒めの言葉をいただいたのです」
ドミニクが笑顔で「俺」に話しかけていた。やはり今の俺の姿は誰にも見えていないようだ。
「そうか。よかったな」
書類整理に忙しい「俺」はほとんどドミニクの話を聞いていなかった。
「兄上も父上にお会いに行かれるのですか?」
「いや、俺は呼ばれていないから」
「そうだったのですね。今日は父上の信頼の置ける者しかお呼びにならないと聞いてましたよ?」
張り付いた笑顔を「俺」に向けるドミニク。何故そんな話を「俺」に振ってくるのかが分からなかった。だがこうして客観的に見てみるとドミニクは俺にライバル心をむき出しにしていたのかもしれない。
「……悪いがこれで失礼する」
だが、誰が誰に褒められようが「俺」にとってはどうでも良いことだったのだ。王太子教育が始まり、国を背負う義務という言葉が重く圧し掛かっていて周りを見る余裕などなかった。この頃の「俺」には覚悟がなかったのだ。
「ちっ……。無視しやがって」
「俺」が部屋を出た途端に笑顔の仮面を剥がしたドミニクは憎々しそうに呟く。
「あんたには野心がない。敷かれたレールを当たり前のように歩いているのが恨めしい。僕のこの目が父親似だとわかる前に僕の立場を固めないと……」
まさか。本当に父上の子供じゃないのか? ドミニクの母親である第二王妃は王である父上と同じく金髪碧眼だ。ドミニクの目は母方の身内に多い色だと聞かされていた。
「ドミニク!」
金色の巻き毛を揺らしながら派手な化粧に豪華なドレスをひるがえし部屋に入ってきたのは第二王妃だった。
「母上? どうなされたの……」
バシィンっ。義母はドミニクの頬をいきなり張り倒した。
「どうなされたのですって! ジェラルドが王に代わって公務をやり始めたそうじゃないの!」
バシッバシッと扇が折れるまで叩きつけられたドミニクが床に倒れ込む。
「お前がまぬけだからまたジェラルドに先を越されたのよ!」
「ぐっ。母上! 落ち着いて下さい」
「ああ……ドミニク。わたしの可愛いドミニク。どうすればいいかわかるわよね?」
義母がドミニクを起こし抱きしめながら何度も繰り返しその耳に囁き続ける。
「王はジェラルドを疎ましく思っているくせに才能だけは評価しているっていうのよ。きっとあの女の子供だからよ。王の心を奪うあの女の息子なぞ蹴倒してやりなさい。貴方がこの国の王太子になるのよ」
(なんだこれは?)
俺は唖然とした。透明になった俺の目の前で、くり広げられる光景が信じられない。これがドミニクの日常なのか。俺は第二王妃にこんなにも嫌われていたのか。父上が俺を嫌っているのはわかっていた。俺を産んだせいで母上を亡くしたと思っているからだ。
「わかっております。兄上よりも僕の方がうまく立ち回れる」
「私を人質同様に迎え入れたこの国の王家の血など継がせてたまるものか!」
――――チクタクチクタク……。また時計の針の音が大きくなり、今度は俺の部屋に切り替わる。現れた場面に思わず息をのんだ。
「……あっ。ジェラルドさま……んっ……」
「閨ではジェラルドと呼べ」
「あっ……ジェラ……ル……ぁあっ」
ベッドの上にはエミールと「俺」が居た。俺の閨房教育の相手はエミールだったのだ。その後も世継ぎ問題もあり、女性を相手にするよりは孕むことのない男性であるエミールを俺は選んだ。無防備な裸になるからには信頼できる相手の方がよかったからだ。
「ぁ……っ……んぁあ……ぁっ……」
控えめなエミールの声と荒い息遣いだけが部屋に響く。エミールの筋肉質な身体が淫らに乱れる。なんて妖艶なんだ。こんな風に乱れて「俺」にしがみついて。見ているこっちの股間が熱くなってくる。それに「俺」の顔があんなにも熱を帯びているのは何故だ。これはただの性欲処理だったのではないのか?
「エミール。もっと……締めつけろ」
「っ……ジェラ……ルドっ」
びくびくと痙攣しながらも艶めかしい痴態を見せるエミールを腕に抱き自分本位に腰を打ち付ける「俺」。いつもその日の気分で夜伽を命じていた。
(くそっ。もっと大事に扱え。俺はこんなに身勝手な抱き方をしていたのか!)エミールは騎士らしく鍛え上げられた身体であった。多少無理をしても壊れることはない。それをわかっていて「俺」は自分の欲望を優先していた。……最低な男じゃないか。
事が終わり、「俺」が寝静まったのを見てエミールがそっとベッドから抜け出す。眠りに落ちた「俺」の額にかかる髪をかき上げ、声を出さずに口を動かした。あ・い・し・て・い・ま・すと。
胸が苦しい。エミールが俺を? 臣下として義務だけで務めてくれてるのかと思っていた。俺はなんて馬鹿だったのだろう。エミールの気持ちをわかってやれてなかった。こんなに毎日一緒に居て俺を支えてくれていたのに。
王妃が亡くなり、俺を庇護してくれる者はごくわずかしかいなかった。父である王はすぐに側室の元に行き子作りに励んだそうだ。俺のスペアが必要だと考えたのだろう。乳母や側近は俺に疑心を教え、王族として生き抜く知恵と心構えを教えた。つまりは何事も深く考えずにやり過ごせという事だ。
本当はわかっていた。俺がお飾りの王太子だってことは。王宮を牛耳っているのはドミニクの母親である第二王妃だ。彼女が我が子の後ろ盾を有力者で固めようとしているって事も。すべてをやり過ごそうと俺は見ないふりをしてきた。
エミールの事もそうだ。常に俺の傍に居てくれるのは使命感からだと勝手に思い込んでいた。俺のこの気持ちが報われないなら、ずっと俺の傍に縛り付けてしまおうと。
……俺の気持ち? なんだそれは? 俺はエミールの事を?
【ほっほっほっ。見えてきたかの? トキノハカリはおぬしが過ごしてきた時間を量るものでもある。さてそろそろ返してもらうかの。この後はおぬし次第じゃよ。幸運を】
――――チクタクチクタク……キィィイン! 耳をつんざく高音に思わず目をつぶる。
「ジェラルド様。大丈夫ですか?」
「……エミール?」
声が出る! 俺は急いで目を開くと自分の手が透けてないことを確認する。身体の感覚も戻ってきていた。俺はようやく帰ってきたのだ。
「お顔の色がよくありません。体調が悪いのではありませんか?」
そこには俺の騎士が居た。俺が唯一信頼できる最愛の人物が。
「エミール! もう二度と俺の傍から離れるな」
大丈夫だ。まだ俺は生きている。エミールも無事だ。何があっても助けてみせる。
「っ! ジェラルド様?」
いきなり俺に抱きつかれたエミールが驚いたように目を見開く。
「どうされたのですか?」
「今更だが気づいたのだ。お前が俺にとってどれほど大切なのかを」
「……なっ……何を」
「こんな馬鹿な俺にお前は忠誠心以上のものを捧げてくれていた」
エミールが動揺したように俺を見る。エミールの手に口づけをすると更に慌てだした。
「じぇ……ジェラルド様……?」
真っ赤になったエミールが可愛い。精悍な顔つきなのだが、眉が下がり困惑気味だ。
「こ、こんな場所で……その……」
言われて初めて辺りを見回した。花々が咲き乱れる王宮の中庭だと気付くのが遅かったようだ。庭師が手元に持った水をポタポタとこぼしながら固まっていた。
「コホン。作業の邪魔をしたな」
「はっ。はい。いや、いいえ。滅相もありません! 仕事に戻ります」
庭師が深々と頭を下げると勢いよく水をまき始める。まるで何も見てませんでしたと言うように。まいた水が太陽に照らされて綺麗な虹を作ると俺はこの場面を思い出した。
そうだ、元凶となる奴が現れる時間だ。
「エミール。この後、俺がどんな行動や言動を取ろうがお前はそのまま俺の傍から離れるなよ」
「はい。……何をなさるおつもりなのですか?」
「これまでの精算かな?」
「精算?……何があっても私は貴方について行きます」
俺の言葉に何かを感じたのだろう。エミールはぐっと顎を引いた。
「兄上。こんなところにいらっしゃったのですね」
ドミニクが金色のくせ毛を風に揺らして現れた。俺を探していたのだという。張り付いた笑顔が今は歪んだ笑みのようにしか見えない。
「ドミニクこそどうして俺を探しているのだ? お茶でも誘うつもりだったのかな?」
一瞬、ドミニクが俺の言葉に顔を引きつかせたがすぐに笑みを浮かべた。
「はい。探し疲れてしまいました。お茶を所望したいですね」
「奇遇だな。俺もエミールと共に散歩をしていたからな、そこのガゼボで休もうか」
俺が隣に視線を移すとエミールがうなずいた。
「相変わらずエミールを傍に侍らせておいでなのですね」
「エミールは俺の騎士だからな。一緒に居るのが当たり前だ」
「ははは。兄上の警護にあたる者は大変だね」
「ああ。そうだ。だからそこの影にいるメイド達にはドミニクからお茶を持ってくるように命じてくれ」
「……よくメイドがいるってわかりましたね」
「俺は目が良いのでね」
緊迫した空気を感じてかエミールが俺の後ろに立った。
「なんだお前はぶしつけな奴だな。騎士風情が僕たちと同席できると思っているのか」
ドミニクが眉を寄せてエミールを睨みつける。
「かまわない。エミールは俺の騎士だ。俺が行くところすべてに同席を許している。それより早くお茶を用意してくれないか」
俺の言葉にエミールが喜んでいるのが分かる。本当なら俺の隣に座らせたいがこの後のことがあるから背後にいてもらってるだけなのだ。
すぐにメイドがお茶を運んできた。じっと見つめていると震える手で俺の前にティーカップを置いた。
「兄上。お茶が冷めてしまう前に。書類にサインを……」
「おや? そちらのお茶に何か浮いているようだね」
「え?」
俺は素早くドミニクのカップを掴むと自分のカップと入れ替える。
「俺のと交換してあげよう」
「いっ、いえ。それはっ」
「さあ、冷めないうちにどうぞ。まさか俺のお茶を君は飲めないなんて言わないよな?」
「くそ……毒だ! この茶には毒が入ってる!」
「どうして飲んでもいないのに毒が入っていると思うのかな?」
「そ、それは……エミールだ! エミールが毒を入れているところを私が見たのです」
こいつはどうしてもエミールを犯人にしたいのか?
「私は、そんな事は致しません!」
「わかっている。エミールはずっと俺と一緒に居たからね」
「め、メイドに命令していたのです! エミールはずっと貴方に慰み者にされてるのを恨んでたんですよ!」
閨の事を知っていたのか。側近達も誰も驚かないところを見ると俺とエミールのことは暗黙の了解のように周知されていたというのか?
「私はジェラルド様を恨んでなどおりません! ジェラルド様は立場上女性を相手になされるよりは男性の私の方が都合がよかっただけで……」
「エミール」
俺はエミールの手を握るとその身体を引き寄せた。
「すまない。俺の口からはっきりと皆に言おう。俺はエミールをとても大事に思っている。確かに最初は男性の方が都合が良いという理由だった。だが今は違う! 公私ともども俺を支えて欲しいとそう思っているのだ」
「ジェラルド様……」
エミールの目が潤んで見える。伝えるのが今頃になってすまない。
「は……なんだ。兄上は世継ぎを作る気はないのか? それでは後継者にはなれないではないか。ふぁははは」
ドミニクが笑い転げ出した。
「それはお前も同じではないか? 王太子に毒を盛ったのだぞ。謀反人ではないか」
「なっ、何を言い出すのです!」
「ではそこのメイドよ。この茶を飲み干して見せよ」
「そ、それは……」
「どのみち、ドミニク側についたとしてもお前はエミールに命じられて毒を入れたことになるのではないのか?」
メイドが青い顔をしてぶるぶると震えだす。
「このっ……」
ドミニクが剣を抜こうとするのをエミールが押さえ込んだ。
「わ、私はちょっと体調が悪くなるだけだって第二王妃様に頼まれて……」
メイドの告発にドミニクが暴れだす。
「黙れ! 黙れ!」
「周辺に控えている騎士たちよ。今一度その忠誠心に問おう。お前達はどちらの言葉を信じるのだ?」
俺の問いかけにぞろぞろと周辺から近衛騎士たちが現れた。皆困惑気味のようだ。
「エミール。ドミニクの持つ書類を見せろ」
「はい。」
その書類がどういうものかは最初からわかっていた。俺が王位継承を辞退するという書類とエミールに処罰を与えると言う同意書だ。前回の時はドミニクの言葉に動揺した俺は中身をよく確認せずにサインをしてしまったのだった。
「俺は今までは、王族として生まれたことに対して、ただ義務として受け入れていた。周りから見ればそれはやる気のない態度だったように思う。だが今は違う。見て見ぬふりはせず、俺は責任をもってお前達と対峙していきたい」
「「「ジェラルド様!」」」
宮廷騎士たちによってメイドとドミニクが捕えられ、ドミニクは謹慎処分。メイドは牢へと連れて行かれた。
その後俺のティーカップには致死量の毒が混入されていることがわかった。
「メイドは毒が致死量とは思っていなかったようだったな」
「ですが毒を盛った時点で謀反です!」
「まあそうだが。俺にも悪いところがある。義務的な事しか考えず肝心なものを見ようとしてこなかった。あのメイドは第二王妃に脅されたのであろう」
「ジェラルド様はとてもカッコよかったです。ですが、これからどうなさるおつもりですか?」
「今から第二王妃に会いに行く」
「こちらからでございますか?」
「ああ。今度は俺から仕掛けるのだ」
「しかし……。あちらは王宮の半数を掌握していると思われます」
エミールが眉間にしわを寄せた。
「エミール。その前に聞いておきたいことがある」
「はい。なんなりとお聞きください」
「お前は俺が王太子でなくても俺についてくる気はあるか?」
「もちろんです! 私はジェラルド様を……お慕いしております」
「ありがとう。今回の事で俺は王太子の座を捨てても良いと思っているのだ」
「何をおっしゃられるのです!」
「まあ、聞け。わかったのだよ。俺にとって何が一番大事なのか。俺はどうやらお前が居ないとダメなようだ。お前と一緒に居られる場所を作るために今後は動くつもりだ」
「……っそんな。私など」
「私などと言うな。俺が愛したエミールのことを例えお前自身であっても卑下することは許さない」
「ジェラルド様……」
「さて。女狐との話し合いに出向こうか」
「はい!」
こちらの切り札はドミニクの出生の秘密。おそらく父親は緑眼の持ち主の宰相あたりだろう。決定打はないが匂わせることは出来る。すでに貴族間にその噂をバラまいておいた。それに毒殺が失敗し俺が反撃ででたことまで。これ以上はほっておいても尾ひれがついて膨らむだろう。
最終的には王太子の地位を放棄してもかまわない。ドミニクを傀儡の王に仕立て上げ、それを操る裏方に回ればいいだけだ。
エミールには悪いが俺は自分の執着心の強さに気付いてしまった。今よりも甘く魅了して絡め取ってもう二度と俺は彼を離す気はない。そのためにはどんな手も打って見せる。
俺の未来は俺の手で切り開くのだ。
おわり
20
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