スルドの声(嚶鳴2) terceira homenagem

桜のはなびら

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終章 あの日仰ぎ見た空の色9

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 私は相変わらず、自ら手を伸ばし、我を通して、必要があれば他を押しのけて、掴み取った何か、なんてものへの縁は遠い。
 だから、その更に先にある栄光には、なかなかたどり着けるような人物ではないのだろう。

 
 それでも私は、多くの人に助けられて、ここにいる。

 
 物語を観ていて。

 何故か、これまでかかわった人たちを思い出した。

 
 おとうさん、おかあさん。
 学校の同級生。先輩。先生。

 要さん。

 地元の友達。
 バレエ教室の仲間。先生。

 マレ。

 地元のエスコーラのみんな。
 バイト先のみんな。ママ。お客様。

 しょーちゃん。

 ソルエスのみんな。

 のんちゃん。

 いのり。

 撮影の仕事で助けてくれたみんな。監督。

 妃夜さん。


 そして……。


 
 今、私が私として在れるのは、多くの……たとえ一瞬だったとしても……多くの、私に関わってくれた人たちのおかげだ。
 
 誰もが多くの人と出会い、その中で、一生の友達や、一生添い遂げるパートナーを得るのかもしれない。

 それはとても尊いことだと思う。
 でも。だからといって。
 長い時間をかけて醸成した関係だけが重いわけではない。

 一瞬だけの関わりが、すぐに途絶えてしまう関係性が、薄いわけではない。

 一瞬の出会いが生き方や考え方や在り方に大きな影響を与えることも、人生の中のわずかなひとときがその後の運命を変えることもある。
 自分の人生に大きな影響を与えた人と、その後一度も会うことがなかった。そんな結末だって、あり得るのだ。

 
 私の人生と関わりを持ってくれた人たち。
 その中で、何気ない日常的な別れが、実はその人との最後の瞬間になっている人はどれくらいいるのだろう。
 
 今当たり前のように顔を合わせ、当たり前のように明日の約束をして別れている人たちの中で、数年後、数十年後、どれだけの人との関りを残せているのだろう。

 
 今、関係が断たれた人と……この先の人生で、また道が交わることはあるのだろうか。

 
 
 きっと、切なさの源泉はここにあると思った。
 
 
 確定も保証もない未来。

 作品に没入していればいるほど、登場人物に感情移入していればいるほど、美宝が送った、痛く燃えるような日々で得たわずかな煌めきも、自ら選んだ激しく苦しいことが分かり切っている未来の道行きの先にある輝きも、好ましいものとして心の裡に刷り込まれたはずだ。

 だからこそ、煌めきの中にあった映との時間は、この先に待つ輝きの中には無いのかもしれない。

 作中での別れが、もしかしたらふたりが供に在った最後の瞬間だったのかもしれない。

 作中では、決して劇的な別れを演出していたわけではなく、これが最後になるかのような示唆を現してもいない。
 
 それでも、なぜか、そのように思えてしまえる。
 
 それは美宝の若さ特有の激しさと危なっかしさと不安定さがそう思わせているのかもしれない。

 だけど、そう思わされた心は、作品を見終えた後、切なさの余韻を残し、そして、我が事を振り返ってしまう。
 自身に置き換えた時、同じく、何気なくも大切な今を供に過ごしている人が、いつか少しずつ離れていくのではなく、ある日突然いなくなるのでもなく、何気ない日々の中の何気ない別れが、のちにそれが最後だったことに気づく怖さが、より深い切なさを生んだのではないだろうか。
 
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