マジック・キル・マジック

萎縮した前頭葉

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幸せになりたい!

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アントニオは深く眠っていた



死んでいるわけではない。しかし今にも死のうとしていた。



路地に溜まった雨水を啜り、なんとか耐えてきたが、とうとう天命の終わりを待つ時が来た。



青果店から林檎を盗もうと試みたときは、店主に見つかりひどく殴られた。



痩せ細り骨が見える肉体にも容赦なく、肥えたその脚でアントニオを蹴り、踏みつけた。毛虫を踏み躙って殺すように。



そのときに折れた肋骨と腫れた顔が鈍く痛む。



帰る場所はない。齢十五にして親もいない。娼婦だった母は梅毒で死んだからだ。



父親と呼べる存在は16年前に娼館で母を孕ませて行方をくらませてしまった。



物乞いをしても施しを与える者はいない。それは当然であり、このラーマ王国においては王都の郊外の貧民街で、物乞いに慈悲を与えるほど余裕のある人間は存在しない。



アントニオはぼろ雑巾のように力なく横たわった。



アントニオはさっきまで心中嘆いていた。腕があればと。



15歳なら働くことはできたはずだ。しかし両腕を失い、読み書きもできず、貧賤で薄汚れた彼を雇う者はいなかった。



数ヶ月前、布加工を行う水車駆動の工房機械で、歯車に挟まった布屑を取ろうとしたら、誰かが水車を再稼働させたらしく、両腕を巻き込まれ肘から先を失った。



切断面を焼いて止血したときは地獄のような激痛で意識を失った。傷口をワインで消毒し、奇跡的に敗血症は免れたが、時折現れる幻肢痛で夜も眠れないことがある。



35になり客が減った母の稼ぎを補うため必死に働いてきたというのに、温情で腕の処置の費用だけ出してもらったのち、あっさりクビを切られ今に至る。



盗みを働いたとき店主にバレたのも手と指がなかったからだ。



アントニオの横に置かれた野犬の死骸が腐敗し、悪臭を放っている。



この野犬はアントニオが路地で過ごし始めてすぐにやってきた。身を寄せ合って2人は温もりを確保した。雨の日も、風の日も、ひどく冷える夜もそうした。今にも潰えてしまいそうなアントニオの精神を支えてくれたのがこの野犬であり、不幸な境遇を共にした二人には確かな絆があった。死の淵に立たされても、2人だけの世界で死ねるならそれもいいとすら思った。



しかし野犬は死んだ。アントニオが喰らったからだ。どうしようもない飢えがアントニオを錯乱させた。柔らかい腹の部分だけ食い破られたまま無造作に転がった野犬の死骸は腐り、ハエが集った。



おかげでひどい嘔吐と頭痛と悪寒に襲われた。アントニオが横たわる石畳には黒ずんだ血が混じる吐瀉物が広がっている。そこには食いちぎられた犬の毛が浮いていた。



目の焦点が合わず、手足が震え、歯をガチガチ鳴らしていたアントニオは、これは相棒を喰い殺した罰なのだと悟った。



でも今はもう、自分の犯した咎の横で、眠るように息絶えようとしていた。1時間はかからない。10分もかからない。もうじき事切れる。



そんなときに、月光に照らされた男がアントニオの眠る冷たい路地に影を落とした────









アントニオは目を覚ました。



……どこだ、ここ



知らない天井だ。ボロボロの木の天井ではないし路地から見上げる青天井でもない。白く美しい大理石の天井だ。



「やっと目を覚ましたか。あと2分遅かったら魔術の材料にするところだったぞ」



視界の左に現れたのは30代半ばに見える無精髭の男だ。裕福そうな綺麗な身なりを見るに、拾われたと考えるのが妥当だろう。



「…ぁの…」



ろくに水を飲めていなかったせいで声を出せない



「飲め」



男が水の入った陶磁器の杯を渡す



食いつくように喉に流し込んだ。砂漠に水が染み込んでいくように、渇ききった体が潤いを取り戻した。



「…あ、ありがとうございます」



「聞きたいことはたくさんあるだろうから説明してやる。俺の代わりに来年開かれる王国の大会に参加しろ。そしたら衣食住を提供してやる」



「……?…大会ってなんですか…?」


「魔術師や冒険者、殺し屋に格闘家……あらゆる人間が世界中から集まってナフリカ大陸の赤道直下、マサイバラ草原で殺し合いをする。優勝した者には豪邸を3つ建てられる金と巨大な名声が与えられる」



「……はぁ…?」



「いいか?まずお前を拾ったのは俺だ。理由は俺の代わりに大会の賞金を獲得してもらうため。今にもくたばりそうなお前なら生きるために参加せざるを得ないと考えた。今のお前は貧弱のカスだから、もし契約を結ぶなら今日から俺が鍛えて最高の戦士に改造してやる。まともな教育を受けてない貧民のお前でも理解できたか?」



男は無表情に淡々と話していく。



「理解はできたけど、いきなりすぎて…」



「バカが。貧民街に戻っても死ぬだけだろうが。ならより希望がある選択をするのが当然だ」



「でも大会に出たって両腕がない俺が勝てるわけないじゃないですか。どちらにせよ死ぬのは確定してますよ」



「大会に出るなら腕を再生する」



「……え?」



「回復魔術で治せる」



「そんな…本当ですか!?」



「いちいち聞くな。嘘なわけないだろ。とにかく選択しろ」



色々と理解が追いつかない…でもこれだけはわかる。



"この機会を逃したら、もう二度と幸せにはなれない" 



何度人並みの生活を夢見た?何度違う母親から産まれられたらと願った?美味しい食べ物を食べたい!綺麗な家に住みたい!清潔な服を着たい!友達がほしい!恋人だってほしい!学校にも行ってみたい!



俺は地獄の底にいた。そこで何度も光を見た。なら迷う余地なんてない。



「……も、もちろん出ます!そして…必ず人並みの生活を手に入れます!」



「賢明だ。ついてこい」



男は地下室へと案内した。薄暗い空間の奥に小さな牢があり、そこには40代後半の薄汚い男が寝ていた



男が牢を開けると、薄汚い方の男が目を覚まし、奇声を上げて男に飛びかかった。が、ガリガリの体で勝てるわけもなく、蹴り飛ばされた



「眠る力に殺意を宿さん。貫け。『リトス・ランサ』」



床の石が棘のように尖って突き出したと思ったら、弾丸のように射出されヤツの喉を貫いた



「カヒューッ!…カヒューッ!」



穴の空いた喉から空気が漏れ出る。頸動脈も切断されたらしく綺麗な鮮血を噴いて、すぐに動かなくなった



「突っ立ってないで早く入ってこい」



「…は、はい」



「連続娼婦殺人事件の犯人。頭を切り落として屍姦していたらしい。罪悪感を覚える必要はないということだ。汚れた血だがお前はこれを使う他ない。始めるぞ」



「えっと、どうしたらいいんですか?」



「両腕を前に突き出せ」



「こうですか?」



男は俺の両腕の先端を懐の剣で斬り落とした。



「ッ!!?──ぁぁぁああッ……!なッ…!なにするんですかッ…!?」



「うるさい。切断面をこいつの体にくっつけろ」



怒りと痛みを押し殺しながら言われた通りにする



「自然の円環は却りて廻らず。背理の奇跡はそれを覆さん。血肉を形作りて、かの勇者を再び立ち上がらせよ。『アナゲンネーシス』」



腕の切断面に死体が接合したと思ったら、腹の肉が腕の形に切り取られ、組織が変化してやがて元の腕になった。



「…わぁ…ほっ!本当に治ったッ…!夢じゃない!」



とっくにもう永遠に戻らないものだと思ってたのに…魔術はこんなことまでできるのか…!



「もう後戻りできないぞ。今更やっぱり出たくないですなんて言ったら殺すからな」



「わかってますよ」



「腕はちゃんと動くか?」



「はい、腕がなくなる前と全く同じです!」



「拒絶反応は出ないようにした。それじゃあ、早速鍛錬にすr ─



グゥゥゥ~!



「……やっぱり飯が先だな」



俺の体を見て言った



「あの、ところであなたのお名前は?」



男は背を向けた



「…ロベルトだ」



「僕はアントニオです」

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